ご褒美をあげる



(やる気が出ない。つまんない。ダルイ。何もかもが鬱陶しい……)
 夏に負けたウルリカは、調合を放って、一人テーブルに伸びていた。
 こうなると、姿勢を保つのさえ億劫だ。顎を突いて、ぼへーっとアトリエを眺める。暑さで揺らぐ視界の中を、暑苦しい大男が横切っていった。
「……ねー、ペペロン」
「ん? 何だい、おねえさん?」
 昼食の準備していた、ペペロンが応える。
「あんたの帽子の下って、どうなってんの?」
 彼は驚愕の表情で振り返った。
(そんなヘンなこと言ったっけ?)
 考えるが、頭が回らない。
 ペペロンは、どこか焦ったように、戸惑うように、顔の前で両手を振った。
「え? いや、別に、どうもなってないけど、え、何で?」
「暑苦しい」
 ウルリカはきっぱりと答えた。
 最近、どんどん暑さが増してきている。耐えられなくなったウルリカは、髪を一つに束ね、項に掛からないようにした。服も、薄手のモノに替えている。何故かロゼが文句を言ってきたが、聞く耳持たずに強行中だ。
 だと云うのに、目の前の筋肉妖精は、帽子を目深に被り、なおかつ中途半端に髪と髭を伸ばしている。馬鹿にしか見えない。
「家の中くらい、帽子取りなさいよ」
 そう言ってテーブルに乗り、指を伸ばすと、大きな手に遮られた。
「この下は、たとえおねえさんでも見せられないんだよ。ゴメンね」
 ペペロンが小さく笑って言った。
 次いで、上着の合わせに両手をかけ、胸を張る。
「代わりに、おいらの鍛え上げられた大胸筋を披露するよぅ!」
「見せんでいい!」
 一瞬で頭がはっきりした。飛び蹴りを放ってやめさせる。
 両足で着地すると同時に、ペペロンが床に転がった。
「ひ、ひどいや、おねえさん……!」
「ただでさえ暑いのに、ヘンなもん見せようとしないでよねっ!」
 顔側に落ちてきた髪を、背に払いのけ、ウルリカは仁王立ちでペペロンの前に立った。
「あ、おねえさん、スカートでその位置は見……」
「とにかく、あんたは見た目からして暑いのよ!」
 ペペロンの言葉を遮って、ウルリカは怒鳴った。
「汗臭い、むさ苦しい、筋肉がウザイ、巨体が邪魔! あんたが視界にいるだけで、体感温度が五度は上がるわ!
 だから……」
 ウルリカは、調理道具の中からナイフを手に取った。
 ペペロンの頬が引き攣る。
「え? お、おねえさん、目が怖いんですけど……」
「ふっふっふっ」
 ウルリカは笑い、ナイフを閃かした。
「その髪と髭、剃り落としてやる!」
「うわぁぁああっっっ!?」
 倒れたままのペペロンに馬乗りになり、ナイフを振るうと、大男が悲鳴を上げた。
 慌てた仕草で、両手首を掴まれる。
「あ、ちょっと! なんで反抗するのよ!?」
「いや、だって! その勢いじゃ鼻も剃られるよ!?」
「すっきりするじゃない!」
「即答された!」
 ぎりぎりとその体勢で押し合う。
 もちろん、ウルリカがペペロンに、力で敵うはずもない。しかし、彼女の腕を握り潰さないよう、気を使っているらしく、ペペロンはほとんど力を出せていないようだった。
 当然、ウルリカは機を逃さず、全力で攻める。
「や・ら・せ・な・さ・い!」
「い・や・だ・よぅ!」
(強情な!)
 長引くと、体力で劣る自分が不利である。ウルリカは考えた。
(ここは力より、ご褒美で釣るべきかも)
 考えている間に、ペペロンに上半身を起こされてしまった。やはり、戦法を変えよう。
「やらせてくれたら、マスカットアイスを食べさせてあげる」
 ペペロンの膝に跨ったまま、にっこり微笑んで言ってみた。
「うっ!?」
 途端、ペペロンの反抗が弱まる。
 マスカットアイスは、ペペロンの好物だ。この妖精は体こそ大柄だが、中身はうりゅと同じ、子供のようなもの。好きなもので、釣るに限る!
「一日中構ってあげてもいいわ。海にでも行こうか? それとも妖精さんの服、黒にしてみる?」
「うっ、うううっ……! お、おねえさんが海で遊んでくれる上に、黒妖精さんの服を、おいらに……!?」
 悩みだした。
(あと一息!)
 うりゅを思い出して、極上の笑みで言う。
「大人しくしてくれたら、キスしてあげるっ」
 うりゅがお手伝いをしてくれた時、ウルリカはよくご褒美のキスをする。子供なら喜ぶかもと思って言うと、ペペロンは手を離して、背筋を伸ばした。
「お願いします!」
「よしっ!」
(勝った!)
 ウルリカはガッツ・ポーズを取った。
「じゃ、さっそく――」
 膝上から背伸びするような体勢で、左手をペペロンの肩に置き、ナイフを近づけた。
 がしっと、誰かに腕を握られる。
「へ?」
 ペペロンの手は、床の上にある。(それにしても、何故か一瞬で顔色が悪くなった気がする。汗だらだら掻いてるし)
「何をしている……?」
 押し殺したような低い声に、背後を振り返ると――
「ロゼ?」
(何でこいつが邪魔するの?)
 いつの間にかロゼが立っていた。暑くて機嫌が悪いのだろうが、人を斬り殺しそうな顔をしている。凶悪犯も真っ青だ。
 ウルリカの両腕を掴んで、自分のほうへ引き寄せながら、ロゼがもう一度問うてきた。
「何を、していた……?」
「何って……」
 ロゼのあまりの形相に、一瞬記憶が飛んでしまった。
(何してたんだっけ?)
 確か――
「ペペロンにご褒美あげようかなって」
「違うよ、おねえさん!? 髪と髭を剃るんだよ!?」
 慌てたようにペペロンが叫んだ。
(あ、そうだっけ)
 手段と目的が逆になってしまった。
「……そうか。髭を剃るのか」
 不気味なくらい優しい声で、ロゼが呟いた。
 ウルリカの手から、ナイフが抜き取られる。
「あ、ああああの、ま待って、おにいさ……」
「じゃあ、俺がやってやろう――」
 感情のない目がペペロンを見据え、刃の線が空を斬った。
「うわわわわぁぁあああっっっ!?」
 床に転がって、何とかかわしたペペロンは、ウルリカを肩に乗せて、アトリエから逃げ出す。
「待て!」
「待ったら死ぬよ!?」
「すっきりさせてやる!」
「誰の何を!?」
(頭ごと落として全部すっきり、かしらね)
 あるいは暑さで八つ当たり。ペペロン斬って気分すっきり、とか?
 彼の肩に座ったまま、ウルリカはのん気に考えていた。暴れるし硬いし、乗り心地は悪いけど、風を切って走る感覚は悪くない。
(なんか、面白いかも)
 誰かに担がれて走るなんて、初めてだ!
 ――まあ、もしかしたら、小さい頃にはあったのかもしれないけど。とにかく、
「ペペロン、もっと頑張って逃げなさい! 斬られちゃうわよ!」
「ああっ! そういえばつい、おねえさんを抱えて来ちゃった!?」
 さすが力馬鹿。人ひとり担いでいるというのに、意識していなかったらしい。
 ウルリカは、ペペロンの頭を抱き締めて、はしゃいだ声を上げた。
「よし! このまま海まで行っちゃおう! レッツ・ゴーよ、ペペロン!」
「は、離してよ、おねえさん! おいらほんっっっとーに、こ」
「殺してやる!!」
 ロゼの指輪が輝き、光の剣が現れた。 「待って待って待ってぇぇえええっっっ!!」
「あっははは!」
 ウルリカは笑った。すごい面白い。
 暑くてだるくてしんどくて、何もかも嫌になるのに。どうして夏は騒ぎ出すと、どこまでもテンション上がっちゃうんだろう?
いつも冷静なロゼだってノリノリだ!
「いっけぇー、ペペロン号ー!」
「死んじゃうよ!? おいら本当に殺されちゃうよ、おねえさんっ!」
「斬って刻んで潰してすって、ハンバーグのミンチにしてやる!」
 そうして本当に海まで駆けた。


「やー、さっすが体力馬鹿だわ、あんた達」
 機嫌よく海を眺めるウルリカの背後で、ペペロンが四つん這いになって、汗を掻いていた。
「さ、さすがのおいらも、今回は死を覚悟したよ……!」
 息を切らしていても、言葉はまだはっきりしたものだ。
(余裕じゃない)
 ロゼは途中の砂浜でリタイアし、倒れたまま起きなくなっていたが。
(帰りに回収すればいいわよね)
 何を興奮していたのか知らないが、まあ、きっと暑さのせいだ。日も暮れてきたし、その時には落ち着いているだろう。
 ウルリカは振り返って、ペペロンに歩み寄り、その大きな背中に腰掛けてやった。 「あ、あの、おねえさん。おいらは椅子じゃ……」
「ねえ」
 ウルリカは、ペペロンの後頭部を叩いた。
「この帽子の下のことだけどさ」
 ペペロンの体が、硬直したのが分かった。  暑さで惚けていて、つい、外せなんて言ってしまったけれど、隠したいものがあるのは分かっている。いつも陽気で、馬鹿しかしないこの妖精が、ネタでも何でもなく、その時だけ身構えるから。
 だから、ちゃんと言っておこうと思った。
「見せなくていいわよ。あんたが嫌なら、見たいとか思わないから。
 ――でも、見せてもいいと思ったら、言ってね」
 こうしてペペロンの上に乗っていると、体の強張りが直に伝わってくる。緊張は解けたけれど、まだ完全には抜け切れていないようだった。
 ぺんぺんと、何回か頭を叩いてやる。
「わたしは、何を見たってあんたを避けないし、怖いとか思わないし、捨てようなんて思わないわ。
 気持ち悪いっていうのは、今更だし」
 ペペロンはいつだって、ウルリカの側にいてくれた。
 無茶をしても、巻き込んでも、時に八つ当たりや無理難題を押し付けても、彼は笑って受け止めてくれる。いつだってどこか余裕で、だからまだ大丈夫だと、ウルリカも思えた。
 けれどそんなペペロンにも、余裕がなくなるようなことが、あるのなら――
「側にいてあげるわよ。あんたがわたしに、してくれてるみたいにね」
 その時は、わたしが守ってあげる。
 ウルリカは囁いて、ご褒美のキスを、帽子の上にしてやった。
「……お、お……」
 ペペロンの体がふるふると震える。
 ――次にどう来るのか、ウルリカは正確に予想した。
「おねえさん〜〜〜〜っっっ!」
「暑い! くっつくな!」
 感激して抱きついてくるペペロンを、カウンターで蹴倒して、ウルリカは叫んだ。
 夏は暑くて鬱陶しいから、好きじゃない。
 でも、遊べるし楽しいし、盛り上がるから大好きだ。
 ペペロンも――
 暑苦しくてウザイし邪魔だから、嫌い。
 楽しいし頼れるし、優しいから――
(でも、好きなんて言ってやんない)
 調子に乗るに決まっている。ウルリカは踵を返して、ペペロンに言った。
「ロゼを拾って、とっとと帰るわよ!」


おまけ