「……何だ、これは」 朝、目覚めたロゼがアトリエに降りると、そこはひどい惨状になっていた。 汚れた機材がそのままに置かれ、ビーカが一つ割れている。透明な液体が、その周囲にぶちまけられていた。アルコール臭が、部屋中に漂っている。 「起きたか」 手紙と新聞を抱えたユンが、ロゼを振り向いた。 彼はそれらを無事なテーブルの上に置き、手馴れた仕草で何やら分別を始める。数枚の手紙が燃えたのは、気のせいだろうか。意識して、足元の様子には目をやらないようにしているのが分かった。 「片付けようとか思えよ、あんたも……」 「掃除は、オレの仕事ではないのでな」 ペペロンの仕事ということだろうか。どこまでも不平等な仕事分担に、ロゼは呆れる。 「あいつはまだ寝てるのか? 珍しいな」 朝の採取という可能性もあったが、この惨状を置き去りに出かけるのは彼らしくない。もっとも、朝が遅いペペロンも同じぐらい珍しいので、不思議に思いながらロゼは言う。 とりあえず、箒を持ってきて、割れたビーカを片付けた。 「さっきから気になってたんだが、この匂い、酒だよな?」 零れた透明な液体から、アルコールの匂いがする。ロゼはまだ酒の飲める歳ではないが、祖父の晩酌には付き合わされたこともあり、だいぶ強い酒だということが分かった。 「ああ。昨日そんな依頼も受けたな」 「味見しないで、酒なんて造れるものなのか?」 ウルリカもロゼと同じ未成年だ。疑問に思って言うと、ユンが今初めて気づいた顔をした。 「そういえばそうだったな」 「オイ」 もう少し考えて依頼を受けろと言うと、ユンは肩を竦めた。 「実力的には、不足ないと思った」 「まあ、あんたかペペロンが試飲すればいいんだろうが……」 ふと、ロゼは言葉を止めた。 (嫌な予感がする) ウルリカは、夜に起き出して調合を始めることが多い。 寝ていると、不意によい調合を思いつくというのが彼女の弁だが、昨夜もそうだった場合、どうしただろうか。 造ってみた。それだけで満足しただろうか。 せっかくの思いつきなのだ。結果を早く知りたいと思うのが普通だろう。けれど、すでに皆寝てしまっている。 (自分で飲んだか。あるいは、ペペロンに……) ユンの部屋にはコロナがいる。その確率は非常に高い。 「うー!」 そこへ、階段から転げ落ちるようにして、うりゅが飛び込んできた。 「どうした?」 慌てた様子のうりゅに、ユンが尋ねる。 「うりゅりか、いない!」 心配そうに訴える、うりゅの言葉を聞いた瞬間、ロゼは二階へ駆け上がっていた。ペペロンの部屋の扉を、取っ手を引き抜く勢いで引き開ける。 果たしてそこに、ウルリカがいた。 彼女はシャツ一枚の姿で、ペペロンの腕の中に丸まって、くーくー平和な寝息を立てていた。 その姿は無防備で、安心しきっていて。ズボンも履いていない、しなやかな素足が、シーツに皺を刻んでいる。乱れた金の髪が、鮮やかにベッドを彩っていた。 「……なるほど」 そこにいたのかと、後をついてきたユンが、しみじみ頷く。 「これは、どう解釈すればいいんだ……?」 爆発したい感情を抑えて、ロゼはユンに問うた。 二人の間に何かあったとは、思わない。 (本当か?) ロゼの中で、誰かが言った。 例えば、酒に酔っていたとしたら――本当に、何もなかっただろうか。ペペロンが、何もしないと言い切れるだろうか。あるいはウルリカから、彼の寝室へ行ったとしたら、あの格好で迫られて、男が耐えられるものだろうか。 怒りを堪えるロゼの横を擦り抜けて、ユンがウルリカを抱き上げた。 「ん……」 甘えるようにウルリカが、鼻にかかった声を出す。 「起きたか?」 「……ぺぺろん?」 ユンの問いかけに、最初に彼女が口にしたのは、ペペロンの名前だった。 閉じられていた瞼が、大儀そうに開かれる。焦点の合わない目がユンを眺め、次いで、ロゼを見た。 「……なんで、いるの?」 舌足らずな声で問い、ウルリカは首を傾げた。 「ぺぺろんと、ねてたのに……」 ぶちりと、ロゼの中の何かが、切れた音がした。 「邪魔をして悪いが、自分の部屋で寝ろ」 ユンが言うと、ウルリカは緩慢に頷いて、再び目を閉じる。ユンはロゼの横を通って、扉に向かった。 「お前の邪魔はせん。好きにしろ。あいつも少し自重すべきだ」 許しが出たようなので、ロゼは遠慮なく、幸せそうに寝ているペペロンを、ベッドから蹴落とした。 二人の仲がどうであれ、ロゼが思うことは唯一つ。 (俺の前でいちゃつくな!) 光の指輪を発動させ、ナイフに刃を纏わせる。 ウルリカが男女を意識せず、無防備に振舞う大半の理由が、この男のせいだ。ロゼには分かっている。 (協力するみたいなことを言いながら……!) ペペロンは、実はウルリカを誰にも渡したくないのだ。 そう、結局のところ―― 「死ね、最大の障害!」 誰よりも彼女に近しい、最大にして最高の恋敵に向けて、ロゼは全力で刃を振り下ろした。 |