彼の庇護すべき人の成長を 至急望む




「何ぶすっくれてんの?」
平素と変わらず、何気なく声を掛けてきたウルリカを、ロゼは睨めるように見上げた。
「別に」
顔を背けて、テーブルに置いた腕の上に、頭を落とす。
先ほどから調合も手伝わず、ひたすら拗ねているロゼを、ウルリカもいい加減不審に思ったらしい。近場の椅子を引き寄せて、彼と目を合わすように、テーブルに顎を乗せた。
「別にって顔じゃないじゃない。
何か、わたしに言いたいことがあるわけ? はっきり言いなさいよ!」
「言っても、お前には分からないだろ」
ふいっと、逆方向にロゼは顔を背ける。
ウルリカの手が伸びて、頭を掴まれた。
「言ってみなきゃ分かんないでしょ! あと、人が話してるときに、顔背けないの!」
「失礼ね!」そう言って怒りながら、ウルリカは無理やりに、ロゼの目を合わさせた。
至近距離で翡翠の目と遭遇し、ロゼの目がドキリと高鳴る。
(騙されるな!)
これくらいで誤魔化されてはいけない。自分に言い聞かす。
彼女は誰にでも、こうしたことをする。分かっているのに、自分がやられると、どうしても別の気持ちに囚われるのだ。
しかし、流されてはいけない。
ウルリカの手を跳ね除けて、もう一度顔を逸らした。何か言われる前に、口を開く。
「お前も、紛いなりにも女なら、少しは慎みを持て」
「何よ、それ!?」
憤慨した声で彼女が言う。
「事実だろ。夜、あんな格好で男の部屋に行くなんて、あり得ないぞ。今時子供だってするか」
ペペロンはきっちり制裁したものの。ロゼの心は、まだ晴れていなかった。
シャツ一枚の姿で、ペペロンの腕に包まれて眠っていたウルリカ。
その姿は安心しきっていて、彼の腕の中にいれば、誰にも傷つけられないのだと、無意識に知っているようだった。
これは、なまじな男が彼女を口説くより、よほど悔しい。
ウルリカは、彼以上の男を望んではいないのだと、明白に分かる光景だった。そこに、ロゼの入り込む隙間はない。
ひたすら口惜しくて、けれどウルリカの安心がよく分かってしまって、ロゼとしては拗ねるしかなかった。彼女は無意識下で、実に正しい。ロゼにあのようなことをすれば、安心などあり得ないのだから。
「お前、ペペロンは何があっても大丈夫だと思ってるだろ」
無茶をしても。理不尽をしても。どれだけ無防備に振舞ったって、彼は絶対に自分を拒絶しない。見捨てない。傷つけない。守ってくれると信じている。
ロゼの言葉にウルリカは、しばし沈黙したようだった。
そちらを見ないで、ロゼは目を閉じる。
分かっている。拗ねたところで、ウルリカには何も伝わらない。ロゼの気持ちに気づくはずもないし、自分に頼って欲しいという望みだって、分かりはしない。ペペロンのことでとやかく言うのは、そもそもにしてお門違いだ。
(だったら言うな)
自分で自分につっこみを入れた。ぐだぐだ言わず、文句があるなら行動で示せ。我ながら、実に女々しい。男らしくない。
「あのね」
不意にウルリカの声が聞こえ、顎を掴まれた。ぐきっと、乱暴に顔を上げさせられ、ロゼは目を開けて呻く。
目の前に、不思議そうなウルリカの顔があった。
「わたしは確かにそう思ってるし、ペペロンを信じてるけど。あんたとユンがいるから、大丈夫だとも思ってるのよ?」
彼女は本当に何気なく、思っていることを口にした様子だった。
上下逆さまの視界の中、そんな調子で、ウルリカはさらに言葉を重ねる。
「ペペロンだけじゃなくて、あんた達が――みんながいるから、わたしは大丈夫なの。
 何でそんな、人事みたいな言い方なわけ?」
ロゼは、いつの間にか開いていた口を閉じた。
掴まれた顎が、頬が熱くなる。
それが、自分のことも信じていると言ってもらえた嬉しさなのか、下らないことを言った羞恥なのか、あるいはウルリカの顔が側にあることに対するものなのか、よく分からなかった。
ただ、一つだけ確かなことがある。
「前後がどう繋がるのか分からないけど、夜部屋に行ったら、信頼してることになるの? それともダメなの?
 今夜、あんたの部屋行こうか?」
ロゼはウルリカの手を振り解き、椅子から立ち上がった。
急いで距離を取り、アトリエの扉から、振り返って彼女を指差す。
「来るな!」
今顔が赤いのは、ウルリカの発言に対してだ。
そう、最終的にはウルリカが悪い。
何故ペペロンを制裁しても、心が晴れなかったのか、よく分かった。怒る相手を間違えていたのだ。
彼女が無防備に、ロゼ以外の男に懐くから悪い。ロゼの気持ちに気づかないのが悪い。
みっともなく妬いてしまうのも。拗ねるのも。ロゼの気持ちが浮上するのも落ち込むのも。すべてはウルリカから始まり、ウルリカに終わる。
それだけは、唯一確かな、ロゼの中の真実。だから、
「お前は、早くいろいろ気づくようになれ!」
たくさんの望みを言葉に込めて、ロゼは叫んだ。






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