庇護すべき人の成長を



「ねぇ、あんたって普段、どこで寝てるの?」
それは、ウルリカに雇われ、アルレビス学園に来てから、十日ほどが経った頃だった。
部屋に戻ると言ったウルリカが振り返り、ペペロンに質問したのだ。
今更その疑問を思いつくのが、いかにもおねえさんらしいと思いながら――たった十日で、ペペロンはウルリカを理解しつつあった――、正直に答える。
「今は暖かいから、校庭で寝てるよ。キャンプに使う毛布もあるしね」
ウルリカは眉を顰めた。
「ちょっと、そんなことされたら、わたしが虐待してるみたいじゃない!」
「えーと、できれば、風邪を引くよとか、優しい言葉がほしいなぁ……」
言うと、彼女は両手を腰に当て、断言した。
「あんたに取り付く風邪なんてないわよ! 丈夫ってだけが、唯一の取り得でしょ」
「唯一って……ひどい……」
いじいじと指先を触れ合わせる。
しかしウルリカは、素気無い言葉とは裏腹に、ちゃんとペペロンのことを考慮してくれたらしい。首を傾げて提案した。
「わたしの部屋で、一緒に寝る?」
ペペロンはいつもの微笑を浮かべ、しばしそのままで固まった。
(えーと)
まじまじと、自分の腰くらいまでしかない少女を見下ろす。
伸びやかな手足に、蜜色の長い髪。翡翠の瞳には、無邪気さと率直さが現れている。顔立ちは愛らしく、けれど、利かん気の強さが見て取れた。色濃く幼さを残してはいるが、体は女性へと変貌しつつある。
(でも、中身はまだまだみたいだねぇ)
危なっかしいなとペペロンは思う。
出会ってたった十日の男に――いや、そもそもにして、恋愛関係でもない男相手に――、年頃の娘が言ってよいセリフではない。
何と言ったものか、笑顔のままでペペロンは考え続けた。


結局――この時は、うやむやで済ましてしまった。
もう15歳なのだから、わざわざ言わなくても、自分でそのうち気づくと思ったのだ。少なくとも、学園にいる一年は、ペペロンが側で守る ことができる。気がつくまでは、自分が注意しておけばよい。そう思った。
そして、現在。
「ねーねー! ねーってばぁ」
体を揺さぶられて目を覚ました時、ペペロンは当時の自分を、ちょっとだけ恨んでみた。
「あー……お、はよう……」
ぎこちなく挨拶を口にする。
夜着姿で、ペペロンの胸の上に跨った、ウルリカに向かって――
「起きたぁ!」
ウルリカが、嬉しげに手を叩いて笑った。
いつもより幼い言動は、酔っ払っているからか。頬が紅潮し、目は焦点が覚束ない。意識して嗅ぐと、ほのかに酒の匂いがした。調合し た酒の、試飲でもしたのだろう。
(お、おねえさんはまったくもぉ……!)
ペペロンは内心で頭を抱えた。もう17歳。体つきは当時よりもさらに大人びてきたのに、未だ中身がまるで成長していない。
着古した白いシャツが、滑らかな曲線を浮かび上がらせている。足はむき出しのまま、ペペロンの顔の横に伸ばされていた。髪は束ねも せず背に流され、後れ毛が頬にかかっている。
酒で潤んだ目と相まって、かなり扇情的な姿だ。
(ロゼおにいさんにやったら、襲われるよ!?)
つくづく、自分のところへ来てくれた幸運に感謝する。
とは云え、実際の事態は、あまり幸運とは呼べないようだった。
「ねー、一緒にお酒飲もー。おいしーのー」
ぺちぺちと、ウルリカの手が頬を叩く。
「……あ、あのね、おねえさん。未成年の飲酒はよくない、よ?」
ウルリカは首を傾げ、次いで唇を尖らせた。
「わたしの酒が飲めないって言うの!?」
「飲むよ? 飲むから、あの、早くどいて……」
胸に乗られたままでは、身動きの取りようがない。
かといって、抱き上げるのも躊躇した。下手に動かすと、シャツの下が見えそうだし、触ること自体まずい気がする。
けれどウルリカはまるで気にせず、ペペロンの顔を弄り回すのだ。
「ンなこと言ってーごまかす気でしょぉ!? らめーっ!」
「ううっ、酔っ払い……」
ペペロンは涙した。ただでさえ鈍いウルリカが、この状態で分かってくれるはずがない。
うりゅを守る決意をしたり、コロナに気を使う様子を見せたり。最近は、少し大人になってきたと思っていたのに。
(なんで、こっちの成長はしてくれないのかなぁ)
ユンと二人で、過保護に守り過ぎただろうか。
(怪しい人かもしれないから、近づく男の人は、みんな排除しちゃったもんなぁ。
 手紙も、実は事前チェックしてるし……)
内容を読んだりはしないが、明らかにおかしな手紙は、すべて捨ててしまっている。時には宛名確認もした。ユンなど、分別が面倒だ と言って、ラブレターの類まで燃やしてしまう。実は彼は、ペペロンより男に厳しい。
思い返すと色々出てきて、ペペロンは自分の失態を悟った。まさに自業自得。でも、是非ユンにもやってほしい。自分だけこんな目に 遭うのは理不尽だ。君も困れ。
(ああ、いけないよ! 妖精さんが、他人の不幸せを願っちゃあ!)
慌てて首を振るも、ウルリカが顔を近づけた瞬間、霧散した。やっぱり君も困れ。
「ちょっとぉー。ぺぺろん、聞いてるの〜?」
「聞いてます、聞いてます」
両手を顔の前に翳し、なんとか距離を取ろうとした。すると、その手に懐かれ、余計困ったことになる。
「んふふ〜」
ウルリカはすりすりと、ペペロンの手に頬擦りした。
(や、柔らかいなぁ……)
触れられた手から、ウルリカの熱が伝わったように、ペペロンの頬も赤くなる。何だか妙な気分になってきて、再度首を振った。
(今度こそちゃんと注意しなきゃ!)
結局、誰も何も言わないから、ウルリカはこうなのだ。酔っている時に通じるかは甚だ疑問だが、言うだけは言ってみよう。
「あ、あのね、おねえさん。女の子が、夜、男の部屋に来ちゃダメだよ」
その上体に跨るなど、時と場所を考慮してもアウトだ。
ウルリカは、しばし内容を咀嚼するかのように、首を傾げた。
「よーせいさんって、男なの? 女いるの?」
「え? いや、妖精さんは木の股から生まれるとか聞くし、男女関係ないと思うけど……って、そうじゃなくてね!?」
話が別の問題になる。慌てて言葉を付け足した。
「うん、だからね。ユン……には、是非一回やってほしいけど……えーと、ロゼおにいさんには、しちゃダメだよ」
「ん〜?」
先とは逆の方向に、また首を傾げている。
「ろぜはダメ?」
「そうそう」
「どーして?」
尋ねるウルリカの目は、出会った頃と変わらず無邪気なままだ。
この純真さが、愛しくも恨めしい。
「おねえさんが女の子で、おにいさんが男の子だから」
これ以上ない理由を告げると、ウルリカの頭が左右に揺れた。
「ぜんぜん分かんない」
ペペロンは心で泣いた。
(ああ、やっぱり……)
誰か、男の本能とか女性の慎みとか、それら含めて説明してやってほしい。ペペロンには無理だ。
嘆くペペロンとは対照的に、ウルリカははしゃぎ始めた。
「でも、だったら、ろぜはダメだけど、あんたはいいのよね!」
「ええっ!? いや、できればやめて……」
「わーい」
ウルリカが首に抱きついてきて、ペペロンは何だか達観してきた。もう好きにしてください。
ウルリカの頭を、大きな手でぎこちなく撫でると、さらに嬉しそうに擦り寄ってくる。
(可愛いなぁ……)
普段が勝気な分、懐く彼女は本当に可愛らしい。つれない野良猫を手懐けた気分だ。
(……あげたくないなぁ)
そんなことをちらと思う。
このままでは駄目だと分かっているのに、このままでいいかと考える時がある。
ウルリカの好きには特別がなく、ただ気持ちの大きさだけに違いがある。その上、マナも、妖精も、人間も関係なくて、だからこそ、どれにも属さないペペロンには居心地がいい。複雑な想いも背景も、すべて単純に――それこそ○×記号のように――置き換えて、受け入れてしまう彼女だから。細やかな気遣いは望むべくもない。けれど、純粋な想いは、時にそれを超越する。
こうした無防備な行動も、無邪気な信頼の上にあると思えば、拒絶などできるはずがないのだ。
「おねえさんは、本当においらを怖がらないねぇ」
苦笑して告げる。
無駄に大きな体に、岩をも握り潰す力。人は、自分より強いものを本能的に恐れる。その恐れを、憧れに変換する者もいるが、ウルリカはそれでもない。本当に、まるで気にしないのだ。
それがどんなに嬉しいことか、きっと彼女には分かるまい。人と共にあるマナでさえ、拒絶されることは多い。錬金術士は、その知識と遭遇率の高さから、マナに対して偏見は少ないが、誰しもが簡単に、心を開けるわけではない。
けれど、ウルリカはきょとんと首を傾げて、マナでさえない彼に、当たり前のように言ってくれる。
「何で怖いの?」
「何もされてないよ」と告げられれば、もう感激で抱き締めるだけだ。
(ごめんね、おにいさん)
とりあえず、心の中で、ロゼに謝る。
(やっぱり惜しいから、おいら、積極的には味方できません)
もちろんロゼの邪魔をする気はないし、機会があれば応援もしよう。だが、ペペロンから彼女に、自覚を促す真似はするまい。
汚いものは見せないように。傷つけるものは近づけないように。過保護に守り、庇うだろう。それが、ウルリカの成長を拒む、最大の障害だとしても、今の彼女が大好きだから。
もう少し、子供のままでいてほしい。
「おねえさんに女の子の自覚が出て、避けられるようになったらイヤだなぁ」
思春期の娘を持つ父親は、みんなこうなのかもしれない。
「汗臭いから近寄らないで」だの「ウザイ」だの、あげくは「恥ずかしいから一緒に歩きたくない」なんて――
(……あれ? なんか、普段言われてることと変わらないよ?)
ペペロンは首を捻った。何か、どこかがおかしい気が。
ウルリカは、またきょとんと首を傾げて、次に、にこーっと満面の笑顔を浮かべた。
「あのねあのね、だいじょーぶ!」
くっついていた上半身を起こし、得意げに胸を張る。
「あのね、わたしはね、何があっても、ペペロン大好きだから!」
――息が、詰まるかと思った。
ウルリカが、ちゅっと音を立てて、鼻先にキスを落とす。
「だから、ずっと一緒にいたげるわ!」


誓って言うならば、ペペロンは何もしていない。
嬉しくて、幸せで、その気持ちのままに彼女を抱き締めて眠っただけだ。
ただ、ベッドから蹴り落とされる――そんな目覚めを体験した時、失敗したと痛烈に思った。
「や、やあ。おにいさん……」
「おはよう」
ペペロンを蹴ったポーズのまま、ロゼが無表情で立っていた。
(お、怒ってるよ……)
それは、まあ、当然だろう。
片想いの相手が、他の男と寝ていて気分の良いはずがない。
ちらりと横目で窓の外を確認すれば、清々しいほどの快晴で、晴れ渡った青空に、白い雲がふんわり漂っている。
ロゼの視線を避けて、さらり周囲を見回し、ペペロンはウルリカの姿を探した。
彼女の前に、ユンを見つける。
ユンは、熟睡したままのウルリカを両手に抱え、部屋を出て行くところだった。
(見捨てられたぁ!)
いかにも賢明な彼らしい。そして、迂闊なペペロンに、ちょっとだけ怒っているのだろう。少なくとも、ロゼを止めるつもりはないようだった。
「……さて」
「あ、あああああああの、おおおにいさん、落ち着いて――!」
「俺は至極落ち着いている」
表情と同じく、感情を削ぎ落とした声で言い、ロゼは光の刃を生み出した。
どこまでも静かに、無表情で、けれど、目には深く決意が宿っている。
曰く、殺ス。
「冷静に殺らないと、急所を外す恐れがあるからな……」
かつてない速さで迫り来る刃を見て、ペペロンは思った。
やっぱり、ウルリカには早く成長してもらいたい。
でなければ、体と心が持ちそうにないから――
「人殺しぃぃぃぃぃいいーーーーっっっ!」
ペペロンの、古紙を裂くような悲鳴が、平和な朝に響き渡った。






>>おまけ