年一回のサービス・デー
「突然だけど、明日はペペロンの誕生日にするからね」 いきなりのウルリカの宣言は、本当に突然だった。 一方的に決められた当人であるペペロンは、ぽかんと口を開けて少女を見る。 何故か、他の面々は反対も疑問も呈しない。諦めと呆れの表情で、目を閉じたり視線を逸らしたりしている。 「えーっと?」 誰も何も言わないのなら、ペペロンが言うしかない。おそるおそる、訊いてみた。 「な、何でそんなことになったのかなぁ……?」 「あんたの誕生日が不明だから」 迷いない返答が返ってくる。 何からつっこめばいいのかと、ペペロンは頬を掻いた。そもそもにして、何故明日なのだろう? 「明日は何か、記念日だっけ……?」 例えば、ペペロンとウルリカが初めて会った日だとか。 例えば、ペペロンが初めて何かをしてあげた日だとか。 けれどウルリカはふるふると首を振る。 「特にないわよ」 「ないんだ!?」 「ないから、明日にしようかと思って。来年もまた、ヒマな日を見繕うから」 「あ、毎年違う日なんだ……」 ウルリカの思考は、ペペロンにはいつも読めない。 恐らくもっとも近い予想を立てられるのは、長い付き合いのクロエと、心のマナであるうりゅである。 ただし、前者はその性格が、後者はその幼さが仇となり、説明者となることはない。 (……まあ、祝ってくれるつもりなんだから、ここは喜ぶべきだよね?) あまりの唐突さにタイミングを外したが、感動してもよい場面である。 ウルリカが、誕生日をヒミツだと告げたペペロンのために、わざわざ記念日を作って祝ってあげようというのだから。 そう思うと、じわじわ嬉しさが沸き起こった。 体を縮めて、感動を胸いっぱいに溜める。 「ありがとう! おねえさ――!」 「ってわけで、はい」 両手を広げて抱きつこうとしたペペロンに、ウルリカは採取カゴ(特大)を押し付けた。 反射的に受け取ってしまう。 「……はい?」 「ロゼと採取に行ってきて」 当たり前のように命じる少女を見下ろし、次いで、ペペロンはロゼを見た。 彼は、両腕を組んで目を閉じている。 苦悩しているようにも、不機嫌なようにも、思案しているようにも見えた。いつにも増して、表情が読み取りにくい。 ウルリカが、ロゼの肩に手を置いて顔を近づける。 「……分かってるわよね?」 「お前のやり方は、いつも何かしら間違いがあると思うんだが……」 「文句はもっと小声で言って! ペペロンに気づかれるでしょう!?」 生憎と、通りの良いウルリカの声は、ロゼよりもはっきりペペロンには聞こえた。 (分かってる? 間違い?) けれど、聞いてもさっぱり分からない。 ため息を吐いたロゼが、諦めたようにペペロンの腕を叩く。 「行くぞ」 「う、うん……」 よく分からないままに、ペペロンはロゼと採取に行った。 (な、なんか、いつもの倍は疲れたような……) 一緒に採取に来たはずのロゼは、一切手伝ってくれなかった。 それどころか、あれを採れ、あれも獲れ、水に潜れ岩を登れ崖を落ちろだの、難題ばかりふっかけてくる。 彼がこうした態度を取るのは珍しい。口や態度はともかく、基本世話焼きで働き者なのだ。何もせずに見ているだけ、しかも誰かを扱き使うなど、あまりに彼らしくない。 (不機嫌なのかなぁ……) それにしたって、おかしすぎる。 ペペロンに何か怒っているのかとも考えたが、指示を出す彼は、ものすごく頭を捻って難題を探しているようだった。 (そんなに無理して、おいらを使わなくっても……) キノコを握り潰してしまった時、手を出したくてうずうずしていた。 命じられた仕事量よりも、常と違う彼に対して気疲れしてしまった。ふらふらと、アトリエに戻る。 「帰ってきたわね」 真っ先に、ウルリカが出迎えてくれた。 「ペペロン、疲れた?」 「えっ……!?」 案じるようなウルリカの言葉に、ペペロンは驚いた。 (お、おねえさんが、おいらを心配してくれている……!?) いつも馬車馬の如く――彼女と採取に行った場合、扱き使われ度は今日のロゼの比ではない――働かせるウルリカが! 感動的だった。疲れも吹っ飛んで、ペペロンは胸を張る。 「大丈夫だよ、おねえさん! おいらはまだまだ元気さ!」 「……ちっ!」 「え!? 何でそこで舌打ち!?」 ウルリカは、気のない素振りで手を振って、次の指示を出してきた。 「じゃ、次。コロナと討伐依頼こなしてきて」 ペペロンは耳を疑った。 「……コロナおねえさん?」 「そう」 「ユンの間違いじゃ――」 「コロナ」 アトリエからてくてくと、荷物を背負ったコロナが出てくる。 ついてきたユンが、ペペロンの肩に手を置いた。 「……心配はないと思うが、あえて言っておく」 置かれた手が、一瞬熱くなった。 「くれぐれも、怪我をさせるな……!」 「は、はい!」 いかにも心配げなユンの腰紐を引っ張って、ウルリカが引き離す。 「それじゃコロナ、よろしくね」 「まかせて」 ウルリカの言葉に、コロナがこっくりと頷く。 その両手には、討伐依頼が書かれた紙の束が握られていた。 「……まさか、その件数ぜんぶやるの? コロナおねえさんと!?」 「そうよ。ようしゃしないから、かくごしなさい」 魔物討伐のはずなのに、何故自分が容赦されずに覚悟する羽目になるのか。 ペペロンはさっぱり理解できなかった。 その後も、ウルリカの理不尽な命令は続いた。 「街までこの依頼品、一刻内で届けてきて」 「走って!?」 「クロエから依頼が来たの。生贄になってあげて」 「死んじゃうよ!?」 「ユンと萌え談義で舌戦を繰り広げ、勝利しなさい」 「無理だから!」 (な、何なんだろう、これって……!?) 人遣いが荒いとか、すでにそういうレベルではない。 (い、いじめ!? もしかして、おいら虐められてる!?) 明日を誕生日にしようと言いながら、今日でトドメを刺さんばかりのこの仕打ち。 浮かんだ考えに、ペペロンは震えた。 (も、もしかしておねえさん、おいらのことがいらなくなったんじゃ……!) 誕生日とは名ばかりで、ペペロンと縁を切る日を指していたのだとしたら。 様子がおかしい皆も、ウルリカに賛同して協力していたのだとしたら。 (お、おいら……) ペペロンは涙が出てきた。 (おいら、捨てられちゃうのかなぁ……) アトリエの流し台で、洗い物をしながらペペロンは泣いた。 そこへ、ひょっこりウルリカが顔を出す。 「ペペローン、今度こそ疲れ――って、何で泣いてるの!?」 「……おねえさん……」 ウルリカが慌てて駆け寄ってくる。 おろおろと、小さな手が伸びてきて、ペペロンの涙を拭った。 「え!? なんで!? 誰か何かしたの!? ――はっ! もしかして、街に行った時に何かあった!?」 その様子は心からペペロンを案じてくれていて、嫌悪も拒絶も感じられない。 それでもその温もりが、ちゃんと自分に向けられているのだと信じたくて、ペペロンはその小さな手を、大きな手で包んだ。 「おねえさん……」 その手に頬を摺り寄せても、彼女は嫌がりはしなかった。 必死に背伸びして、ペペロンを宥めてくれている。 「大丈夫!? ねえ、何があったの!? 何か――何か、わたしにできることある!?」 「お、おねえさんは……」 ペペロンは、おそるおそる尋ねた。 「おねえさんは、おいらのことが、嫌いかい……?」 きょとんとしたウルリカが、答えようと口を開き――何故か、言葉を止める。 顔を背け、窓の外を確認したようだった。 「も、もうちょっと待って!」 よく分からない返事が返ってくる。 ウルリカは、苛々と窓の外を見て、店側にだけある時計を見に行った。 そして、急いでとっ返してくる。 「ペペロン!」 ウルリカが満面の笑顔を浮かべた。 「誕生日、おめでとう!」 「……はい?」 呆気に取られたペペロンは、ただ瞬きをして少女を見下ろすしかなかった。 「準備してくるから、あとで二階のリビングに来てね!」 言うだけ言って、軽やかに階段を昇っていく。 置いていかれ、呆然と立ち尽くすペペロンの元に、ロゼ達がぞろぞろやって来た。 「居た堪れなかったが、ようやく終わったな……」 「ああ、長い一日だった……」 ユンの言葉にロゼが頷く。二人も、とても疲れているようだった。 ぽんっとユンが、ペペロンの肩を叩く。 「今日は癒されてこい。おめでとう」 言うだけ言って、二階へと上がっていってしまう。 次に、ロゼがペペロンの肩を叩いた。渋面で告げる。 「……今日は、見逃すことにする。おめでとう」 彼も二階へ上がっていく。 コロナとうりゅが、右と左腕を叩いた。 「あるイミ、こっからがしれんよ。がんばりなさい。おめでとう」 「う! ぺぺぉん、おめでと!」 二人もすぐに二階へ戻ってしまった。 (……な、何なんだろう……?) 残されたペペロンは、立ち尽くすしかない。 けれど、涙はいつの間にか止まっていた。 (と、とりあえず、嫌われてはない……感じだよ、ね……?) 嫌いなら、昨日決めた誕生日へのお祝いを、いちいち告げてくれたりはしないはずだ。 (二階の、リビング?) あの部屋は、普段はあまり使わない。 何かある時は、大抵ダイニングと一体化したアトリエを使うので、たまにウルリカが昼寝で使うくらいだ。 稀に、反省室として使われることもある。 (はっ! もしかして、誕生日と称しておいらの反省会を実施!?) 今日の理不尽な仕打ちは、もしかしたらウルリカの抜き打ちテストかも。 ペペロンは青褪めた。 (ど、どうしよう……) ある意味、ここからが試練だとコロナが告げていたではないか。 (おいら、泣いちゃったよ!) ウルリカに弱音を吐いてしまった。 決して今日――正確には昨日――与えられた仕事量にまいったわけではないのだが、そんな言い訳が彼女に通じるとは思えない。 こわごわ、それでもペペロンはリビングへと向かった。 (あ、あんまり待たせると、どんどん機嫌を損ねそうだし……) 控え目に、リビングの扉をノックする。 「お、おねえさん、来たよー……」 「遅い!」 ウルリカの叫びと同時に、扉が開いた。 外開きの扉が、油断していたペペロンの額を襲う。 「あイタ!」 「何やってるのよ、もう! 早く入りなさい!」 頭を押さえるペペロンの背に回り込み、ウルリカが背を押してくる。 逆らわず、中に入った。 扉の閉まる音がしたので、額から手を離して、ペペロンはウルリカを振り返る。 「お、おねえさん。やっぱり今から反省会――」 そこで、言葉が止まった。 ペペロンは、ぽかんと口を開けてウルリカを見下ろす。 「何よ?」 不審げに見上げてくるウルリカは――何故か、メイド服を着ていた。 涼やかな水色のワンピースに、ひらひらとした白いエプロンドレス。丈は短めで、膨らんだ袖口からは、白い手袋に包まれた長い腕が伸びている。足には白のガータータイツ。頭には、フリル付きのカチューシャを着けていた。 「そ、その格好は……!?」 可愛らしい。 ものすごく可愛らしいし、似合ってはいる。 けれど、ウルリカがそんなもの――ウィムがよく着ている伝統メイド服――を自分から着るとは思えない。 ペペロンの指摘に、ウルリカは、いまさら自分の格好を思い出したかのように手を叩いた。 「あ、そうだった。いけない」 ボリュームたっぷりの裾を持って、ウルリカが片足を引いた。 「お帰りなさいませ、ご主人様」 にっこりと告げてくる。 ペペロンは、脱兎の勢いで壁際に後退った。 「お、おねえさんが――壊れた!」 「どーいう意味よっ!」 途端、憤慨して詰め寄ってくるウルリカは、いつもの彼女の態度ではあった。 そのことに少し安心するも、おかしい。 (おかしすぎるよ!) 散々理不尽な労働を仲間に指示させ、かと思えば「誕生日おめでとう」と告げて、メイド服姿で「ご主人様」呼ばわり。 「お、おいらは、いったい何をしでかしたんでしょうか……!?」 何かの罰ゲームだと、ペペロンは判断した。 ウルリカが唇を尖らせる。 「違うわよ! 何でそんな反応!? ……ユンが喜ぶって言うから、恥ずかしいの我慢してやったのに」 「ユ、ユン……?」 僅かに頬を染めたウルリカが、もじもじと手袋の先を弄りだす。 「だ、だからね? あんた、ずっと毎日休みなく、わたしのために働いてるでしょう? 何か、ご褒美あげたいなーって……」 「……あ」 ようやく、ペペロンは分かってきた。 虐めかと疑うほどの、彼女の仕打ち。 仲間達の、居た堪れない顔での仕事の指示。 その度、「疲れた?」と問うてくるウルリカ。 「もしかして――おいらにお休みをくれようとしてたの?」 ウルリカが真っ赤になった。 「休めば?」とウルリカに言われれば、その分張り切って働いてしまうペペロンのために。 彼女は、「根を上げるくらいくったくたに働かせて、次の日を誕生日の名目で休ませればいいのよ!」と考えたのだろう。 (……ほんとだ。間違ってる) ロゼが言った言葉の意味が、理解できた。 彼女の気遣いは、いつもどこかずれている。 (本当に、もう。おねえさんは――) 不器用で素直じゃなくて、けれど―― 「ありがとう、おねえさん」 ウルリカの両手を握って告げると、彼女の顔が輝いた。 「喜んでくれたの!?」 ペペロンは頷く。 いつもなら、両手を広げて全力で感動を示すところだが、今日は感動が深すぎた。 いつになく大人しい感謝なのに、ウルリカは、ちゃんと喜んでいることを分かってくれたらしい。 くすぐったそうに、首を竦めて笑う。 「今日はね、いつもあんたがわたしのために働いてくれる分、わたしがあんたのために働くから」 「それで、メイド服なのかい?」 「そうよ。本当は、もっと……露出が多いっていうか、ユンが主張する服になるとこだったんだけど。ロゼが反対して、これ。 変わったヤツのが好みだった?」 「やめて下さい」 即座にペペロンは却下した。 これ以上可愛らしい姿とか、男の心理を突いた格好とか、彼女にされると身が持たない。 「そう? まあ、今日はあんたの言うとおりにする予定だから。 ――ご要望があれば、いかようにもご命令下さいませ、ご主人様」 スカートを摘んだ一礼が、見事に様になっている。 ペペロンは感心した。 「もしかして、それ、ユンの指導?」 「ううん。これは、リリアの指導」 がっくりとうな垂れる姿は、やはりいつものウルリカだ。 「とりあえず、メイドっぽく見える礼の仕方だけ習ったんだけど……めちゃめちゃ厳しかったわ……」 またしても、努力が余計な方向に向けられている。 (お茶の淹れ方とか家事に関しては、何にも習わなかったんだろうなぁ) それでは、とてもペペロンの代わりに働くことはできない。 恐らく、食事当番はロゼがして、掃除と採取はユンとコロナがやるのだろう。 それでも、彼女の気遣いはとてもとても嬉しかったから、ペペロンは笑って、もう一度お礼を言った。 「ありがとう、おねえさん」 「何か、してほしいことある!?」 嬉しそうに訊かれて、ペペロンは困った。 何か頼んでほしそうなのだが、ウルリカに頼める仕事なんてない。 (……あ、何となく分かってきた) コロナの言葉の意味も分かった。 (もしかして……これから一日、ずっとこうやってついて回られるの!?) 何か、用事を言いつけられるまで!? ペペロンは冷や汗を掻いた。 (な、何も頼まなかった場合――) 決まっている。怒る。 (でも、何か頼んだら――) 失敗して、ロゼ達の労働が二倍になる。 いや、もうそれくらいのことは、ロゼ達なら覚悟済みだろうが。 だからといって、それに甘えられる性格のペペロンではない。 (何より……) キラキラと、子供のように目を輝かせて、ウルリカが見上げてくる。 いつもよりずっと女の子らしい仕草で、ペペロンの腕を引っ張った。 「ねえ、何か頼んでよ!」 「あー……」 単語にすらならない声しか出せない。 ウルリカが、思い出したようにスカートを摘んで、足を引いた。 「そういえば――先ほどの問いに、まだ答えていませんでしたわ、ご主人様。自分が嫌いかとお尋ねでしたわね」 リリア仕込みの綺麗な一礼。 そして恐らくは、ユン仕込みの完璧なメイド口調で、ウルリカがにっこり笑った。 「愛してますわ、ご主人様。 誕生日プレゼントに、毎年ご自分を下さるご主人様に、今日はわたしをお返しします。さあ、どうぞ。ご命令を!」 ペペロンは無言で天井を仰いだ。 コロナは正しい。まったく何ていう試練だろうか。 (こんな可愛いおねえさんを相手に、一日心臓が持つわけないよ!) 働いているほうがよっぽど体に優しいと、ペペロンは思った。 |