昇華
「好きだ。好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ!!!」
一人、部屋で叫ぶ。
我ながら、これじゃ変な奴だと思いつつも止められない。
本人の前では決して口にできない台詞。
気持ちが今すぐにでも暴走しそうで息苦しい日々。
「くそったれ!!」
自分はどうしたいのか。それが一番分からない。
こんな気持ちは初めてだった。
彼女と居るとつらい。そして無条件に抱きしめて離したくなくなる。
悲しむ彼女を慰めるのではなく一緒に泣いてやりたくなる。
一度この気持ちを表に出したら束縛してしまう。自分に縛り付けてしまう。彼女のすべてを奪ってしまう。
京はベッドに倒れ込み、マットを何度も殴りつけた。
「ユキが、いるんだぞ?!」
現在付き合ってる相手。同級生のユキ。自分はここまで優しく、大人になれる人間なのだと教えてくれた相手。
しかし、今心にあるのは、自分がここまで凶暴に、そして子供になってしまうのだと思い知らされる、彼女。
毛布に顔をうずめ、動きを止めたとき、不意に携帯が鳴り出した。
ゆっくり起きあがると、深呼吸をして心を落ち着けてから携帯を手に取る。相手が誰だかは分かっていた。
『草薙?』
声を聞いた途端、頭の中が熱くなる。一体何がいけなかったのか、なんでこんな事になってしまったのか。
今更考えてもしょうがないのだが、考えずにはいられない。
「あぁ、オレだよ。神楽・・・」
淡々と語られるこれからの予定を、京は相槌も打たずにただ、聞いていた。
最初は嫌いだったように思う。
彼女の一言二言が気に障り、いらだった。
常に変わらないすました表情が気にくわない。
ぶち壊したくなる。
何でいつもそんな同じ顔で笑うんだ?!
泣いてみろよ!
怒ってみろよ!
自分を取り繕う人間はどこにでもいる。皆誰しも自分を作るし、無意識に演技しているところがある。
それでも彼女のだけは許せなかった。
何かを無理矢理閉じこめている。
その何かを暴いてやりたかった。
そう、大嫌いだったのだ。人のことはよく見て観察しているくせに、自分を全く見せようとしない彼女が。
<大嫌いだったはずなんだ!!>
今でもそのすました表情をぶち壊したくなる気持ちは変わらない。すべてを吐き出させてしまいたい。そして、
−抱き締めてやりたい−
そこが違う。
以前はこんなことを思いもしなかった。
何が?
何がいけなかったんだ?
どこで間違った?
『草薙、聞いてるの?』
「え?あ、あぁ、わりぃ。何だって?」
自分の思考に夢中になり、上の空になっていたことにやっと気づく。
『・・・ありがとうねって・・・』
「は?」
『明日が決勝戦ってなって、思ったの。今更、遅いかもしれないけれど、とても感謝している。宿命だとか言っておきながら、私はあなた
たちを敵討ちに付き合わせていたようなものなのよ。ごめんなさいね、ありがとう。面と向かってじゃ言えないから今のうちに言っておく
わ。こんな形ででも、あなたたちに会えて良かった』
笑顔が見えたような気がした。
電話の向こうの、今にも泣きそうだけれど、邪気のない、本当のほほえみが。
「・・・んだよ、それ」
『?』
「突っ張ったままでいろよ!なに自分から言ってんだよ!!」
『草薙?』
「今更、卑怯じゃねぇかよ・・・。」
そして、明日はまた何もなかったようにすました顔をしているちづるに会うことになるのだ。
自分が何をするまでもない。彼女はそんなに弱くない。自分が壁を壊してやらなければいけないと思いたかったのに。
ちづるはいつも一歩前を歩く。先を見て、上から見下ろしている。
無意味に感情を爆発させるようなことはなく、使い分けている。
あともうちょっとだったのに。
KOFさえ終わればもう会うこともなくなる。そうすれば、自分が変えてやらなければいけない女だったんだと自己満足の中ですべてを
納得させて忘れることができた。
しかし、もう駄目だ。
自分は必要とされていない人間だと見せつけられてしまった。
頼られることもなく、「ありがとう」の一言で終わらせられてしまった。
それならいっそのこと最後まで素っ気なくあしらって欲しかった。心を少しも見ることができずにいれば知らずにすんだのだ。
人として、必要とされていないことを・・・。
『ごめんなさい。何か悪いこと言った・・・』
「なんでもねぇ。もう用事無いなら切るからな。じゃ」
ちづるの言葉を遮り、返事も待たずに電話を切る。
一体、自分は何をしたかったのだろう。そしてこれからどうしたいのか。
この気持ちのはっきりした正体さえ見抜けぬまま、時間は過ぎていく。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「・・・早いな」
「最後ぐらいはな」
庵は相変わらず無表情のままで挨拶代わりの一言を京に言うと、いつもの自分の定位置の椅子に腰を掛けた。
試合開始まであと一時間以上もある。いつも遅刻ぎりぎり、もしくは遅刻してくる二人にとってこれは奇跡としか言いようがない。
「神楽は今、会場整備の指示出しに行ってる」
「そうか」
三人とも分かっていたのかもしれない。これから起こることが、最後の戦いがどんな結末を迎えるのかが。
しかし、今できることは何もない。
沈黙が流れて数分。
重い空気の控え室にちづるが帰ってきた。
「あら八神。あなたもずいぶん早いじゃない。これでは雨ではなく雪が降るわね」
これまたいつもの調子で一言言ってから鏡のある席に腰を掛ける。
「・・・っふ」
京はなんだか突然おかしくなって笑い出した。
「ふふふふ、あっはははは!!」
変わらぬ日常。
みんなして何を取り繕っている?
分かってるんだろ?これから何が起こるか。
このまま何もせず終わらせる気か?
そして、自分は一体何を期待している?
「くっくっく」
額を押さえて一人笑う京に誰も声を掛けようとはしない。
なぜ笑っているのかさえ聞かない。
知っているからだ。
何と滑稽な図だろう。
皆思うことがあるくせに、役目だけ果たして終わらせるつもりだ。
世界最強を決める格闘大会の決勝戦に出る選手たちがこんなに臆病者とは!
そして、自分もその中の一人とは!!
もう、笑うしかないではないか。
「やめてもいいのよ?」
突如放たれた言葉に、笑いが止まった。
「もう、やめてもいのよ?」
ちづるは鏡の中の自分の姿を見つめたまま言った。
「無理して付き合う必要はないんだから」
「てめぇ、なに言ってやがる・・・」
京の表情が一気に険しくなる。
「昨日からいきなりしおらしくなりやがって、頭おかしくなったのか?」
「最後だから言ってるのよ」
最後。
最後最後最後。
「こっの・・・・・!」
違うのに。
どういう意味なのか頭では分かっているのに。
最後という言葉が心に痛くて、思わず立ち上がった京は握り拳を固めた。
「やかましい」
「八神ッ」
庵の冷静な声が京を正気に戻す。
「今更手を引くぐらいなら、俺はここに居ない」
「・・・そうね」
京はなに答えず、乱暴に椅子に座り直した。自分が庵とまったく同じ意見だったのがいまいち気にくわない。
そして再び沈黙。
息苦しい空間。
何をしたいんだろう。どうしたいんだろう。
憎くて、むかついて、大嫌いで、でも気になって。自分がここまであからさまに感情をたたきつけてしまう人間は他にいなかった。
試合が始まって、そして終わったら、どんな結果になろうとも、もう神楽と一緒になることはない。八神の野郎は俺のこと殺すとか言っ
てやがるからしつこくつきまとってくるのだろうが、神楽とはオロチを倒してしまえば終わりだ。
悔しいじゃないか。せめて、自分が思う十分の一でも彼女の心に自分の存在を刻みたい。
「・・・そろそろ行きましょうか」
「え、あ、もうそんな時間か?!」
ちづるが大きく伸びをして立ち上がりドアへ向かうと、庵もすぐその後に続く。
いつの間にか一時間が過ぎていた。
結局、何も変えることができなかった。
タイムリミットだ。
戦いの切れ目が縁の切れ目。まぁ、これが一番自分らしいのかもしれない。
自嘲気味に笑って仕方なく重い腰を上げた時、部屋を出かけたちづるが突然振り返りいたずらっぽく言った。
「ねぇ、賞金が入ったら飲みに行きましょうよ」
笑顔で示された道の先。
彼女もこの先に待ち受けているものを感じていることは確かだ。それでも・・・。
<かなわないな>
京は一気に気が抜けた。
「いいね」
「いいだろう」
終わるのは因縁の戦いだけだ。
俺たちが終わることはない。
空気が軽くなる。
「んじゃ、行くぜ?」
一瞬で頭の中は試合に切り替わっていた。
そうだ、まず、運命を変えることから始めよう。
会場の喚声が聞こえる・・・。
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