愛し愛される者



「おにいさあああぁ〜〜〜〜ん!!!」
「ぐふっ!!」
昼食の片付けをしていると、採取から戻ってきたペペロンにいきなり抱きしめられ、ロゼは息が止まった。
「帰ってきてくれたんだねぇ! おいらは信じてたよ! おにいさんは絶対帰ってくるって!」
「わ、わかった、から。は、な、せ」
見た目に違わずその力はすさまじく、自力で逃げ出すことは不可能だ。
「ペペロンの抱擁をかわせないなんてまだまだね」
これまで数え切れないほど唐突の抱擁の危機にさらされ、避けてきたウルリカはその光景を見て不敵に笑う。
「うー、ぺぺ。よかったね」
うりゅは嬉しそうに言う。
おいおいと泣きながら抱きしめる力はまったく緩まず、ロゼの必死の訴えは届いていないようだ。
「も……、無理」
「え? あれ? わー!! おにいさん!!」
腕の中で窒息状態でロゼがガクリとうな垂れると、やっとペペロンは自分のしでかしたことに気づき、慌てて手を離したのだった。



「ご、ごめんよぅ。でもおいら嬉しくて……」
「いいから黙って食え」
熱すぎる抱擁からやっと開放され、息を吹き返すと、ウルリカは個人依頼の納品の時間が迫っていたため出かけてしまった。
今はペペロンが昼食の残りをもらって食べながら、首をすくめて謝り倒している。
「あの、やっぱり怒ってます?」
無言で皿を洗うロゼの背中を見ながら、こわごわ聞いた。
「怒ってない。悪気が無いのは俺にもわかってるよ」
ただ、自分も抱擁の被害に合うとは思っていなかったので避け切れなかったことを悔やんでいる。
<いつ何時も油断は禁物だな>
またひとつ学習した。
「まだあるから、全部食べてもらえるか?」
面倒なので鍋ごとテーブルに置くとペペロンは目を輝かせた。
「もちろんさっ! おにいさんの作るご飯はおいしいからね。まかせてよ!」
体も大きければ食べる量も多い。
この時期は食料も傷みやすいので、多く作りすぎてしまったときは逆に助かる。
「これ、中みていいか?」
やることが無くなり、床に置かれたペペロン専用の大きな採取かごに目が行く。
「うん、かまわないよ」
体のサイズに合わせて特別に作られた大きなかごは、口までいっぱいいっぱいアイテムが詰まっている。
<ついでに選別もするか>
食事の邪魔にならないように端に座ると、一つ一つ確認しながら種類ごとに分けて置いていく。
今回は鉱石が多かった。
「すごいな、グラセン鉱石がこんなに取れるところがあるのか?」
一番多く入っているのは鉱石の中では一番硬く、武器や防具の調合に向いているグラセン鉱石だ。
これは取れるところが限られている上に数も少なく重宝されている。
「うん。ハゲ山の頂上付近には結構あるんだよ」
ハゲ山とは街の西側に聳え立つ高い岩山の通称で、魔物が多いことで知られている。
とくにアポステルという悪魔が集団で良く出るので足を踏み入れる人間は少ない。
「あんなところに一人で行ってるのか」
ペペロンが強いことは知っているが、そこまでとは。
「慣れると結構楽だよ。採取ポイントがわかってれば最短距離で行けるしね」
つまり、慣れるほど良く行っているらしい。
<相変わらず、底が知れないな>
ふざけた見た目としゃべり方をしているが、ペペロンの本性はそれだけではないと改めて実感させられる。
「ん? これは……?」
かごの底の方から見慣れない金属の塊が出てきた。
写真でだけなら本で見たことがある。
アポステルなど遠く及ばない上級悪魔だけが持つという、冷たいハート。
「これ、もしかして鋼の心臓じゃないか?」
そのいびつなハート型の金属の塊の表面はロゼの顔を映すほど滑らかで、品質も高いのがわかる。
品質の高い鋼の心臓など、どんな凶悪な悪魔が持っているのか想像もできない。
「そうそう、それね、山を越えた湿原の先に遺跡を見つけてそこでとってきたんだ」
なんでもないことのように語るペペロンにロゼは驚きを通り越して呆れた。
「取ってきたって、そこらへんに落ちているようなもんじゃないだろう。悪魔の心臓だぞ」
「確かにちょっと手ごわかったかな」
一言で終わらせると残りのスープを鍋ごと傾けて豪快に啜る。
「って、それだけか!」
もっと詳しく敵の様子や戦い方を聞きたかったのだが、そんな武勇伝を語る気は無いらしい。
「あー、おいしかった! ご馳走様!」
満面の笑みで空になった鍋を抱えると、「おいらが洗うね」と流しへ向かう。
「それにしても、ハゲ山越えて更にその奥の湿原も越えてきたなんて、随分がんばったんだな」
ロゼはテーブルにひじを付き、鋼の心臓をまじまじと観察しながら言う。
その上遺跡にもぐって上級悪魔と戦いアイテムまで手に入れてくるとは尋常な体力ではない。
「おねえさんの夢はおいらの夢だからね! がんばって稼がないと」
鍋を洗っているので見えるのはその背中だけだが、また幸せそうに笑っているんだろうなと想像が付く。
ペペロンはウルリカのためになることが出来ると、いつも本当に嬉しそうだ。
「おいら調合はあんまり得意じゃないから、せめて採取でくらいは役に立ちたいし。それって確かレアだよね? おねえさんの 評判も報酬も上がるといいなぁ」
「きっと上がるさ」
この街でほかにこのアイテムを手に入れられるようなアトリエは無いだろう。
それだけで、このアトリエ自体の希少価値も上がる。
「今回は10個くらいしか手に入らなかったけど、今度はもっと一杯取ってくるよ」
「は?」
<10個?>
「まさかっ?!」
思わず立ち上がりかごの中を漁ると、他の鉱石にまぎれて確かに10個、鋼の心臓が出てきた。
「これは、いくらなんでも……」
<がんばりすぎだろ>
ウルリカの目標のためにという純粋な一途さゆえに、彼の強さはあるのだろうか。
常識を遥かに超える採取の成果に脱帽するしかない。
ロゼは脱力してガタンッと椅子に座ると、天井を仰いだ。
「そういえば、ペペロンはあいつがなんで孤児院なんかたてようとしてるのか知ってるのか?」
それで余計に力が入っているのだろうか。
そう思ったのだが、ペペロンの反応は違った。

「え? とくに理由は聞いてないけど、おねえさん自身が親が居ないからじゃないのかなぁ」

<そうか、知らないのか>
考えてみればウルリカはそういうことを本人に言うタイプではない。
それにペペロンに話せば自分のためということに感動して泣くか、いつかウルリカが居なくなるということに悲しんで泣くかの二択しか ない気がする。
どちらにしろ面倒だし、自分が口を出すことでもないのでロゼは黙っていることにした。
「あー、そうかもな」
適当にごまかし、選別の終えたアイテムを今度はコンテナへ移していく。
鍋を洗い終わったペペロンも途中から加わった。
「なぁ、今度俺も一緒に採取に連れて行ってくれないか?」
ぜひ、この目で上級悪魔を、そして戦うペペロンを見てみたい。
「うん、機会があったらね」
しかし、返ってきたのは少し困ったような、気の無い返事だった。




アイテムをすべて仕舞い終わり、ペペロンから採取ポイントや魔物の出現ポイント情報などを聞き出しているとウルリカがほくほく顔で 帰ってきた。
「たっだいまー」
今回も品質を褒めてもらえたのだろう。大きな報酬袋を手に持っている。
「おかえりなさーい!」
「おかえり」
「やっぱり一人で作るより手伝ってもらった方が報酬あがっていいわー」
「というか、普段からもっと客の求める品質を気にしたほうがいいんじゃないか?」
ウルリカが作るアイテムはすべて品質がいい。問答無用で常に最高品質だ。
通常の依頼ならそれで十分なのだが、用途が示してある場合、それに適した品質に抑えた方が評価が高くなる。
だが、彼女にはそういった調整はまったく出来なかった。
「あんたはそういうの得意よね〜。ほんっと男のクセに細かいところに気がつくっていうか。生まれてくる性別間違えたんじゃない?」
「お前は大雑把で適当で、男に生まれてきた方がよかったんじゃないのか?」
「なんですってぇ!」
「まぁまぁ、ふたりとも」
売り言葉に買い言葉。
昨日の雰囲気や会話が嘘のように二人の関係は相変わらずだった。
<多分、好き、なんだよな>
返された言葉に怒り出すウルリカを冷静に観察しながらロゼは思う。
昨日はっきり自覚した。自分はウルリカに異性としての好意を持っている。
普段の強気で短気な彼女を知る限り全くもって不本意だが、認めざるをえない。
<怒っている顔まで可愛く見えるとか、重症だな>
ウルリカの怒声をはいはいと聞き流しながらも目が離せないのは、きっとそういう理由からだ。
「私だってやろうと思えば出来るんだから! やらないだけで」
「いや、そこはやれよ」
「うっさいわね! めんどくさいのよ!」
「だからお前は――」
「そ、そうだふたりとも。あのねおいらまた明日から出かけるから……」
「え?なんで?」
ぺぺロンのあからさまな話題逸らしは単純なウルリカには有効だったらしい。
「また採取か?」
とくに喧嘩をしたいわけでもないロゼもその話に乗ることにした。
「うー。ぺぺ、またいない?」
うりゅが寂しそうにぺぺロンの肩に乗り、ウルリカも向かいの椅子に座る。
「出かけるって、あんた今日も採取から帰ってきたばっかじゃない」
「うん。だけどそろそろゴトーのところに行ってあげないと」
「あー。そっか。そっちか」
「ゴトー?ゴトーがどうかしたのか?」
ずっと一緒だった二人は通じ合っているがロゼにはさっぱりわからない。
「ゴトーはね、今刑務所に入ってるのよ」
「刑務所?!」
ゴトーとは学生時代、ウルリカのアトリエにいた常に着ぐるみの謎の人物だ。
確かに変人ではあったが犯罪を犯すような男には見えなかった。
「なにをやったんだ?」
「やったというか」
ウルリカの言葉を引き継いで、うりゅをその大きな手で優しく撫でながらぺぺロンが説明する。
「ゴトーはほら、あの通りモテるだろう?それで、過去に奥さんや恋人をとられた人達に訴えられてたんだ。
それも一人や二人じゃないから……」
「学園に居たときも過去の女の息子がゴトーのこと捕まえに来て大変だったのよ」
なぜかゴトーは女性にモテる。
ロゼからしたら不思議極まりないが、あの着ぐるみ男は大抵の女性、そして男までもが色男だと口を揃えて言うくらいかっこいいらしい。
<俺には白いタヌキにしか見えないが>
ちなみにウルリカにも白いタヌキにしか見えていない。
「それで、捕まって刑務所に?」
「違うよ、自主したんだ」
「卒業式が終わった次の日にね」
きっちりけじめをつけたいからと言われればだれも止めることは出来ない。
訴えの多さから懲役刑が下り、あの日からゴトーはずっと檻の中で過ごしている。
「で、どこの刑務所なんだ?」
「それは、おいらのみぞ知るってやつだね」
「なんだそりゃ」
「はっはっは!」
ぺぺロンが笑ってごまかすのでウルリカを見ると、彼女も肩をすくめた。
「私も知らないのよ。何度聞いても教えてくれなくて」
「男と男の約束だからねぇ」
「まぁ、気持ちはわかる」
自分が刑務所の中に居る姿など、格好つけの彼にしたら絶対に見られたくないだろう。
「と、いうことで、おいらは明日からゴトーのところに生活用品差し入れに行ってくるね」
「わかったわ、ゴトーによろしくね」
「うん」
「じゃあ、今日は依頼ないしゆっくり休んでおきなさい。いくらあんたでもこんだけ連日じゃ心配だし」
なんだかんだでウルリカはペペロンに優しい。
こんな小さな気遣いが彼にとって一番の癒しになるのだが、本人は知らない。
「うん、そうするよ! ありがとうおねえさん!」
もうそのセリフだけで元気になったのではないかというくらい笑顔で答える。
「夕飯まで部屋で休んでおくか?」
ロゼも気を使って言うが、ペペロンは夕飯を食べてから部屋に戻ると言った。
「せっかくおにいさんも帰ってきてるんだし、もうちょっとおしゃべりしようよ」
「そうか。じゃあ、そうしよう」
実際、こうしてお互いの冒険談を話すのは楽しい。
「え? なになに? なんの話?」
「うー?」
更に会話にウルリカとうりゅが加わり、そのまま夕飯の時間まで3人と一匹で平和な歓談の時を過ごした。




ロゼがいつものように腕によりをかけた夕飯を食べた後、すぐにペペロンは部屋に下がり、ウルリカも「食休み〜」などと上機嫌で 部屋のベッドに横になりに行った。
<一人でいてもつまらないな>
片付けも終わり調合もなければ、夜は本当にやることがない。
ロゼもすぐに部屋に下がり、寝ることにしたのだった。

ふと目が覚めたのは夜中。
月が高いところにあり、建物に遮られない月明かりが部屋の中を照らす。
<……今日もやってるかな>
ぺぺロンが採取から帰ってくると、ウルリカはいつも夜にアイテム在庫の整理をしている。
また二人きりで話したくて、ロゼはベッドから起きあがると、アトリエに降りていった。

「よう」
「あれ? 起きてきたの?」
「あぁ、なんとなく。喉も渇いたし」
自分用のカップを手に取り、樽から水を注ぐとテーブルに座る。
思ったとおり、ウルリカはコンテナの前で羽ペンとノートを手にアイテム整理をしていた。
「ペペロンもよく毎回こんだけアイテム見つけて来れるわよねぇ。助かるけど、一度にたくさん増えるから大変だわ」
ぶつぶつ言いながらも手は止めず、コンテナの中身を確認している。
「曰く、それしか自分に出来ることがないかららしいぞ」
「あいつまだそんなこと考えてるの? ほんと馬鹿なんだから」
「そうだな」
ロゼも苦笑しつつ同意する。
彼は自分を過小評価しすぎる。
確かに見た目はあれだし、ドジだし、ずれているところもあるが、採取はもちろん、戦闘でも強いし、なにより場を和ますあの雰囲気と おだやかな性格はこのアトリエに欠かせないものだと思うのだ。
「そういえば、ゴトーのところって良く行っているのか?」
こちらに来てから初めて話を聞いた気がする。
「ほぼ月一で行ってるわよ。どこにいようと男の身嗜みは重要なんだって」
刑務所の中でもあの気ぐるみ姿なのだろうか。
それともさすがに脱いでいるのか。
「あいつの言いそうなことだな」
どちらにしろ、男だらけの殺風景な場所でも彼は彼らしく自分のスタイルを貫いているのだろう。
「あれ? なにこれ」
すると話しながら作業を続けていたウルリカが、初めて見るアイテムに戸惑いの声をあげた。
「ん?」
「ねぇ、これ知ってる?」
聞かれて立ち上がり掲げるアイテムを見ると、やはりあったのは歪なハートの金属。
「あぁ、それは鋼の心臓だよ。悪魔の心だ」
「鋼の心臓? 鋼……あーっ、知ってる!」
錬金術書で読んだのを思い出したのだろう。
ウルリカは声を上げると手に持った金属をまじまじと見た。
「はー。これが。へー。たまーに一個10000コール以上の高値で取り引きされてるけど、そっかー、これかぁ」
そしてまた数を数えてびっくりする。
「すごい! 10個もある! 明日は酒場巡りね!」
街の酒場をすべて回って鋼の心臓の依頼がないか確かめなくては。
もしなくても各酒場に売り込んでおけば欲しいと言う人が現れるかもしれない。
「ぺぺロンはいつも良いもの取って来てくれるけど、これはほんとすごいわね。なんかご褒美あげようかしら」
「給料を上げてやったらどうだ?」
「給料? もともとそんなのあげてないし。でもそうね、これが売れたらお小遣いを……」
「ちょっと待て」
今、聞き捨てならないセリフが聞こえた。
「給料をやってない、だと?」
「え? うん。そうだけど?」
ということは、ペペロンはタダ働きにも関わらずいつもあんなにがんばっているのか。
<そこまでくるともう愛だな>
負けそうだ。
「そうか、じゃあ、売れて小遣いあげれるといいな……」
「うん!」
このアトリエのあるロックストンの街は主に交易で栄えていてかなり大きい。
ここに住む人たちはその大きさから街を東西南北に分けて東街、西街などと呼んでいる。
ロゼは最近になって、やっとその全体像がつかめてきたところだった。
ウルリカたちが住んでいるのが北街に分類される場所で、ロックストンの中で一番治安が悪く店も少ない。
逆に一番人が多く栄えているのが南街。南門から中央広場までの大通りは朝市や祭りなどにも使われる。
各街に2〜3の酒場があるので全部回るとなると結構時間がかかるはずだ。
「明日、酒場巡りをするなら俺も一緒に行っていいか?」
「いいけど、なんで?」
「他の酒場に出ている依頼や同業者が気になるんだ」
「それじゃ、朝ごはん食べたらすぐ行くけどOK?」
「もちろん」
本当は、酒場にたむろって居る柄の悪い連中にウルリカが絡まれたりしないようになのだが、そんなことを言う必要も無い。
平和な日々の中でも、ロゼは当初の目的を忘れはしなかった。


翌朝、ゴトーのところへ行くペペロンに手作りの菓子を持たせ見送ると、すぐに二人はアトリエを出発した。
まず最初に、いつも世話になっている金の牡鹿亭から街を時計回りに回る。
しかし肝心の調達依頼は見つからず、行った先で自分たちのアトリエの紹介をしていくという営業に変わってきていた。
「うーん、やっぱりそう都合よくは無いわね」
南街にある7件目の酒場でも、ウルリカはボードとにらめっこをする。
「たぶん欲しい奴はいるんだろうが、依頼を出してもなかなか手に入らないんだろうな」
出された依頼も受ける者ががいないまま期日を過ぎてしまえば撤去されてしまう。
そんなことが何度も続けばその依頼を出す人も減っていくだろう。
「そうね、これからはうちが調達出来るってことを一応宣伝しておけば声がかかるかもしれないし」
とりあえず今10個の在庫があるし、必要となればペペロンは難なく取ってきてくれるだろう。
もともとそんな大量依頼のあるアイテムでもないし、宣伝はしといて損は無い。
「んじゃマスターのところ行ってくる。うりゅ、おいで」
「うー」
もう6回目となれば慣れたもので、ウルリカはかわいらしい営業スマイルを浮かべるとうりゅをつれてカウンターへ向かった。
マナを連れている錬金術師はロックストンにいる10人ほどの中でも4人しかいない。
なのでアトリエの宣伝のときはなるべくうりゅと一緒に動くようにしていた。
<さすがに真昼間から声をかけてくるような奴はいないな>
掲示板の横の壁に寄りかかり、酒場内を見回す。
今はちょうど昼時で一般人が多かったが、明らかに堅気でない者も混じっていた。
<あ、あいつは確か仕事で一緒になったことがある……>
一人でテーブル席を占領し、こんな時間から酒を飲んでいる男には見覚えがあった。
一度護衛の仕事で一緒になったのだが、大剣の使い手でかなり強かった。
<ここの酒場なのか。今度声をかけてみるかな>
ぜひお手合わせ願いたい。
一番よく相手をしてもらっている二刀流のジェイクのほかにも数人、定期的に仕合いをしている冒険者が居るが、あんな大きな剣を 軽々と扱い者はいない。
<でも気難しそうなんだよな……ん?>
そんなことを考えているとそのすぐそばに一人、ウルリカに怪しげな視線を向けている男がいた。
<なんだ?>
普通の人のように身奇麗にしてはいるが、目つきが鋭く冷たい。一般人ではないことがわかる。
ウルリカは相変わらず営業スマイルでここの酒場のマスターと話していて男の視線には気づかない。
あまりナンパをするようなタイプには見えないが、そうでないとすると余計危険だ。
「おい、そろそろ次へ行こう」
ウルリカに声をかけつつ近寄り、自分という連れが居ることをアピールする。
「ちょっと! まだ話の途中……」
売り込みの途中で腕を引かれ抗議をするが、ロゼの少し張り詰めた雰囲気にウルリカはすぐ大人しくなった。
「それじゃ、マスター。鋼の心臓の依頼があったら私のアトリエか北街の金の牡鹿亭によろしくね!」
「はいよ、あんたみたいなかわいい子にはぜひうちに来てもらいたいけどね」
「あは、たまには顔を出すわ」
最後まで明るく笑顔で話し、うりゅをかわいらしく抱っこすると「じゃあ」と酒場を出る。
「なによ、どうしたの?」
出てすぐのところで険しい顔で聞く。
「少し、雰囲気のよくない男がいた」
「え? それだけ?」
「それだけだが、たぶんあいつは――」
「もう、あんた気にしすぎなのよ! なんか真剣な顔してるからなにがあったのかと思ったじゃない」
あいつは罪人だ。
そんなセリフををロゼは飲み込んだ。
ウルリカに、そんな言葉を聞かせたくは無い。
「悪かったよ。でもあぁいう輩に注意するに越したことはないんだ」
「まぁ、否定はしないけどさ」
ウルリカも不承不承といった感じで頷く。
自分を心配をしてくれているのがわかるからだ。
「次はえっと、西街ね」
<ジェイクのいるところか>
最初の仕事で知り合ってからはよく連絡を取り、一緒に同じ仕事を請けたりもしている友人だ。
<ウルリカと一緒に行ってあいつがいたら、何を言われるか……>
しかし、ウルリカ一人で行かせるわけにも行かない。
<気が重い……>
「はぁ」
思わずため息が出る。
「ろぜ、だいじょうぶ?」
その様子を見てうりゅが声をかけてくるが、当の主人は無視してさっさと歩いてしまっていた。
「お前はそのままでいてくれよ。あんなやつに似たらだめだぞ」
「う?」
きょとんと目を丸くするうりゅの頭を撫でてやり、肩に乗せると先に行ったウルリカの後を追った。


「ぃよう坊主! なんだ、今日は彼女連れか?」
西街の中心にある酒屋、踊る子馬亭にはロゼの願いもむなしく、上機嫌で酒を飲んでいるジェイクがいた。
「なにあのおじさん。あんたの友達?」
「一応、そんなところだ」
「一応たぁなんだ一応たぁ」
ジェイクは席を立ち、酒瓶を片手に二人に近づいてくるとロゼに寄りかかりその肩をつついた。
「えらいかわいい彼女じゃねぇか。そうかそうか、なんか剣の強さにこだわると思ってたらそういうことか」
にやけた笑いで何を考えているのか容易に想像できる。
「ちょっとおじさん、何を勘違いしてるのかしらないけど私は」
「いい、ジェイクには俺から言っておくから。お前は掲示板見に行ってこい」
「でも――」
「この酔っ払いの相手は俺で十分だ」
ロゼは二人のやりとりをずっとニヤニヤ見ているジェイクの襟を掴み、もといた椅子まで引きずって行った。
「お嬢ちゃん、あとでな〜〜〜」
赤ら顔でウルリカに手を振るジェイクに「やめないと殴るぞ」と軽く脅しをかけ座らせると、待ちきれなかったように身を乗り出してきた。
「なぁ坊主。お前あれか、彼女のために強くなりたいってくちか!」
なぜこんなに嬉しそうなのか。
子どものようにはしゃぐ30男はこのうえなくうざい。
「うるさい、知るか」
同じテーブルの椅子に腰をかけ、ジェイクの持っている酒瓶を奪うとロゼも一口あおった。
「まずい」
「あ、こら。ガキは飲むんじゃねぇ」
酔ってはいてもそういうところは忘れないらしい。すぐに奪い返されてしまった。
ほかに数人、この酒場をたまり場にしている冒険者たちがいたが、ロゼもよく出入りをするのでほとんどが顔見知りだ。心配する必要はない だろう。
問題はこの興奮気味のおっさんだった。
何を言い出すかわからない。
「かわいくねぇ枯れたガキだと思ってたが、なんでぇ、そういう青いところもあるんじゃねぇか」
「それは勝手にそっちがそう思い込んでるだけだ」
「まーたまたぁ。見りゃわかるっての」
否定をしてもはなから聞く耳を持たないらしい。
「そうかー。なるほどなぁ。お前確か北街だもんな。あそこはたちの悪い連中も多いし、強くなって守ってやりたいってのも頷けるわ。
それにしてもかわいいなぁ」
やはり掲示板に依頼は無かったらしく、今日8度目の営業スマイルでマスターに話かけるウルリカを見つめながら、ジェイクは嬉しそうに 言った。
「見るな、減る」
頭に手を乗せ、無理やり自分の方を向かせると声を低くして凄んだ。
「あいつに変なこと吹き込むなよ。単純だが極端に短気で扱いにくいんだ。あとウルリカは同居人だが彼女じゃない。勘違いするな」
そう、まだ彼女ではない。
「なんだ、お前。もしかして片思いなのか?!」
痛いところを突かれ、ロゼは詰まる。
「別に、そういうわけじゃな…」
「いいんだ、皆まで言うな。俺はお前の味方だ」
「それは嘘だろう」
確実に楽しんでいる。
<だいたい目がずっと笑ってるんだよ!>
だから、ここに来るのは嫌だったのだ。
「そんなお前にいい情報をやろう」
突如真剣な表情になり、ジェイクが顔を寄せてくる。
酒臭さにロゼは思わず身を引いた。
「おい、こら、ほんとにいい情報なんだって。逃げるな」
「なんだよ」
しぶしぶ耳を傾ける。
「知り合いが、東の森の奥で檻馬車を見た」
「?」
「人買いがこの街に入ってきてるかもしれない」
「奴隷商人か!」
交易の盛んなロックストン。
売り買いされるのは物や食料だけではない。
禁止されてはいるが、今でも闇の競りには人間もかけられている。
「やつらは客の要求に合うのがいなければ現地調達もするからな。気をつけろ」
そう言うとジェイクはちらりとウルリカのほうを見た。
「わかった」
やはり、一番需要があるのは夜の相手をする女奴隷。とくに若くてキレイな少女が狙われやすい。
いつの時代も金のある好色な貴族や商人は存在するのだ。
<またひとつ、心配事が増えたな>
ペペロンの居ない今、しばらくアトリエを空けることは出来なさそうだった。


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