君と共に在る未来



『ウルリカはもうひとりでなんでも出来るえらい子だなぁ』
『うん!』
『さすが私たちの子ね! 頼もしいわ』
『えへへ』
両親に褒められてウルリカが笑う。
『親は無くても子は育つっていうしな!』
『もう大丈夫ね』
『うん、大丈夫だよ!』
ただ褒めてもらいたいだけだった。
何が大丈夫なのかなどわからず精一杯うなづいた。
『お父さんとお母さんがいなくても、大丈夫ね』

「だめっ!!」

ウルリカは自分の声で、目を覚ました。
「あ、あれ?」
混乱して部屋を見回す。
<あ、夢か>
ここは村のあの家ではない。街に借りたアトリエの部屋。
年季の入った木造の壁に薄いカーテンのかかった窓。
実家の村と違い、明かりのまったく無くなるということの無い街。
「久々に見たわー」
学園に入るまではよく見た夢。
「あんなこと話したからかな」
先日、同居を始めたロゼに聞かれ、久しぶりに両親の話をした。
今もきっとどこかで旅を続けているふたり。
あの時、自分を置いていったのは6歳児を連れて行くのは危険だと判断したのだろう。
<それなら危険じゃなくなる歳まで待ってくれればいいのに>
本当に、堪え性のない人たちだった。
「寝なおそ」
どちらにしろもう関係ない。
自分は独り立ちをしたのだから。




ロゼは初仕事が終わってからも、忙しい毎日を過ごしていた。
近くの山へ山菜取りに行く人や、隣街に行商に行く商人の護衛依頼を受け、仕事のない日は酒場へ行き人脈を広げ、時間が合えば知り合っ た冒険者たちと手合わせをしたりなどして剣の腕を磨き、夜はウルリカの調合の手伝いをするなど、暇があればなにかしらやっていた。

そんなある日、ひとりの男がアトリエを訪ねてきた。
カランカラーンといつもの乾いた音を響かせ呼び鈴が鳴り、頭にうりゅを乗せたままウルリカが「いらっしゃいませ」と扉をあけると、 スーツをきっちり着こなした紳士風の男が姿勢良く立って待っていた。
どうも、アイテムなどの依頼を持ってきたようには見えない。
「どちら様?」
「私はリリアお嬢様の使いで参りました、ハリスと申します。ロゼリュクス殿はいらっしゃいますか?」
「あの高飛車女の?」
「リリアーヌ・ヴォーレンドルフ様でございます」
ウルリカが自分のつけたあだ名で聞くと、男は静かに訂正をする。
「あいつの名前なんてどうでもいいけど」
客じゃないのなら興味はない。
「おねーさん?」
お客様じゃないのかとペペロンが二人の方へやってくる。
「あ、あの時のおじさんだ」
「なに? 前にも来てるの?」
「以前は失礼を。ロゼ殿の確認だけをしたかったので」
一流の従者らしく、ペペロン相手にも丁寧にお辞儀をする。
「おにーさんなら今日は街の外の草原の方にいるはずだよ」
そういわれても、部外者である男には場所がわからない。
「おいらが案内しようか?」
「いえ、お気遣いなく。手紙をお持ちしましたのでこれをロゼリュクス殿に渡していただけますか?」
「いいわよ」
ウルリカが差し出された高級紙で出来た封筒を受け取ると、再び深く礼をし、「ではよろしくお願いいたします」とあっさり帰って行った。
「なんていうか、慇懃無礼って感じよね」
「うー」
男が去っていくのを見送った後扉を閉じるとウルリカはふんっと鼻をならして言い、うりゅがそれに同調する。
「そうかい? 丁寧な人だったけど」
「あいつ、最後まで私たちと目を合わさなかったわ」
そう言われれば確かにそうだ。
「じゃ、はいこれ」
「え?」
「嫌味男が帰ってきたら渡しておいて」
ウルリカは封筒をペペロンに手渡すと、突然錬金アクセサリを身に着け始める。
「どこかいくのかい?」
「暇だし近くの森に採取行ってくる」
唯一日帰り出来る距離の採取地の名を挙げ、さっさと準備を終わらせる。
「うりゅ、行くわよ」
「うー!」
「いってらっしゃーい」
ペペロンは早足で出て行くウルリカを送り出し、「なにを怒っているんだろう?」と首をかしげた。




「ただいま」
日が暮れる少し前に、いつものようにロゼが帰ってきた。
「おかえりなさい」
迎えたのはペペロン一人。
「あれ? あいつは?」
「おねえさんなら近くの森に採取に行ったよ」
今ではもう、「あいつ」だけで通じてしまう。
「珍しいな」
「珍しいねぇ」
ウルリカがペペロンを置いて採取に行くというのは滅多にない。
大抵ペペロンを一人で行かせるか、もしくは一緒に行くかだ。
「なにかあったのか?」
「うーん、よく分からないけどおにいさんにお客様が来てすぐに出て行っちゃったんだ」
「俺に?」
「うん。あ、はい、これ。手紙預かったんだよ」
真っ白な高級紙で出来た封筒の表には「ロゼリュクス・マイツェンへ」。裏には「リリア」の文字。
<お嬢様か……>
「なにかトラブルでもあったのかい?」
「いや……」
中に入っていた手紙には、ただすぐ帰ってくるよう旨が書かれているだけだった。
<いつか来るとは思ってたんだ>
むしろ予想より遅かったくらいだ。
退職願を出したときリリアに呼び止められ、まず理由を聞かれた。
「守りたいものを守れるようになるために。世界を広げ、自分を鍛えに行くんです」
と正直に答えたところ、激昂していたリリアの態度が急変。突然顔を赤くしてもじもじし出したのだ。
あ、これはまたなにか誤解しているなと察したものの、その方が都合がいいのでそのままにして出てきてしまった。
<怒っているだろうなぁ>
でも仕方がない。そこまでしてでもここに来たかった。
今ではあの時よりもよほどその意思が強く固まっている。
<けじめ、付けに行くか>
もう自分の家はこのアトリエなのだ。
「ペペロン、どこか馬を借りられるところを知らないか?」
「おいらは使ったことないからなぁ。酒場のマスターに聞けば教えてくれると思うけど」
馬車では5日かかる屋敷までの道のりも、単騎で飛ばせば半分で着くはずだ。
ロゼはすぐにコンテナから自分用のアクセサリを取り出し身につける。
「たぶん、5日ほどで帰れると思う」
「え?もしかして今すぐ行くのかい?」
「あぁ、こういうのは早いほうがいい」
「でも、おねえさんが帰ってきてからでも……」
ペペロンは出掛ける準備を始めたロゼをおろおろと見守る。
「あいつがいると、なんと言って出ていけばいいかわからない」
なぜ突然一人で採取に出掛けたのかはわからないが、好都合だ。
日持ちする乾パンと薫製肉、チーズに水筒、その他必要な物を全て一つの袋に詰めると担いで言った。
「それじゃ、行ってくる。あいつには適当に言っておいてくれ」
「ちょ、ちょっとおにいさん!」
呼び止める声にも振り向かず、ロゼはアトリエをあとにした。




ウルリカが帰ってきたのは暗くなってだいぶ経ってからだった。
「ニューズがだいぶ取れたから、あとでクラフト作っておいて」
「はーい」
ペペロンに採取袋を渡すとドカッと椅子に腰を下ろす。
うりゅは疲れたのか、ソファーに丸くなるとすぐに寝てしまった。
「で、あいつはもう行ったの?」
ペペロンが作ったブランクシチューをもらい、一口食べる。
この自称妖精の料理の腕は、時間がある時にロゼに教えてもらったおかげで、大分上達した。
「え? うん。手紙を見てすぐに飛び出して行ったよ」
「そう」
特に驚いた様子もなく頷く。
ウルリカはこういう展開になることを予想していたようだった。
「五日くらいで戻ってくるって言ってたけど」
「戻ってきやしないわよ」
<むしろ、本当に来たことの方が驚きだったんだから>
学生時代、卒業直前まで特に親しくしていたわけではないが、使っていたアトリエが隣同士だったため、よく遭遇はしていた。
あの時のロゼは常に主人であるリリアの言いなりで、よくやるわと呆れていたのを覚えている。
この街で再会したときに、やりたいことがあるのならくればいいと誘いはしたが、半分本気で半分冗談。
人手が欲しかったし、言うだけ言ってみたという感じだった。
ロゼの方も「考えておく」と気のない返事をしてきただけだったので、実際の所来ることは無いだろうと思っていたのだ。
「そんなことないよぅ。おにいさんは絶対戻ってくるさ!」
「あんたはほんと、おめでたいわね」
リリアに「戻って来なさい」と言われれば逆らえるはずがない。
ウルリカは「あいつの荷物、送れるようにしないとね」と言うと、悲しそうな顔のペペロンを無視して食事を続けた。




「お嬢様、お呼びですか?」
屋敷に着き門を叩くと、知らされていたのだろう、すぐにリリアの部屋に通された。
「遅い!」
リリアの口から一番に出たのは、ロゼがここを出て行ってから戻ってくるまでかかった期間への文句だった。
「すぐに戻ってくるかと思って待っていたのにいつまでも帰ってこなくて、調べさせてみれば! あのい、い、い、田舎娘のアトリエで 一緒に住んでるですって?!」
退職願を出したときとは比べ物にならないほどの怒りをあらわにリリアが怒鳴る。
「私のために強くなると出て行っておきながら他の女の所へ行くなんて、どういう了見なの?!」
「お嬢様、少し落ち着いて」
だれもリリアのためとは一言も言っていないが、彼女の中ではそういうことになっていたらしい。
常にそばにいるメイド姿の水のマナ、ウィムが冷や汗をかきながら主人を取り成すが聞く耳を持たなかった。
「さぁ、まず言い訳を聞きましょうか」
「言い訳?」
「えぇ、理由次第では戻ってくるのを許してあげるわ」
リリアの中で、ロゼはまだ自分の従者であり、命令を聞かせる存在だった。
<やっぱりな>
それは当然のことなのだろうけど、少し悲しくて。
「言い訳なんてありません。俺は夢を叶えるために自分の意思でここを出て、彼女のところへ行った。それだけです」
「わけがわからないわ。なぜあの田舎娘のところなの? ロゼの夢はなに? ここで叶えればいいじゃない。わたくしがあなたを 援助します。あなたがあの時言ったように強くなりたいと願うのなら最高の教師をつけるわ。どこか騎士団にでも入って鍛えたいと 言うのならどこであろうと手続きをします。だから、ここに残りなさい。これは命令です」
「命令、ですか」
「そうです、命令です」
話しているうちに冷静さを取り戻したのだろう。
リリアはいつもの威厳を取り戻し、はっきりと告げる。

―――どうすれば、わかってもらえるだろう―――

リリアは賢いが、思い込みも激しい。
また自分が常に正しいと信じているところがあり、言い方を間違えれば永遠に平行線だ。
「たとえば、ですが。お嬢様、もし俺が命の危険がある旅に出ると言ったら、どうしますか?」
「そんなの、止めるに決まっているでしょう!」
即答だ。
「それが主人である私の役目です」
それが彼女の優しさでありけじめ。
だがロゼの求めているものは違う。
「そうですね、お嬢様は優しい、『主人』だと思います。でもここに、俺のほしいものは無いんです」
もう『主人』はいらない。自分の足で歩き、自分の面倒は自分で見ることができる。
欲しいのは対等な『仲間』なのだ。
危険とわかっていても送り出してくれると言ってくれたウルリカ。
自分を信じてくれると、だから必ず帰って来いと言われた。
彼女の信用を、優しい想いを、失いたくは無い。
「だから、それがなんなのか言って見なさい!」
リリアの家は大貴族で金持ちだ。手に入らないものはないかもしれない。だが、それは形あるものだけだ。
「言わなければわからないようなら、聞いても無駄ですよ」
結局、彼女の住む世界と自分の住みたい世界は違うのだから。
「な、な、な、な」
怒りのあまり卒倒しそうになるリリアをウィムが支える。
「ロゼさん、その言い方はあんまりです」
これまでロゼは、リリアに突っ込みは入れても口答えをしたことは一度もなかった。
しかし、この決意は譲れない。
「確かに言い過ぎました、謝ります。でも本当のことです。ここに居たら俺は俺を嫌いになる」
そう言うと、今まで見せたことのない真剣な表情で訴えた。
「それに、またここに閉じ込められたら俺はあなたのことも嫌いになってしまうかもしれない。お願いですお嬢様。俺にあなたを嫌わせ ないでください」
「ロゼ……」
やっと、ロゼがもう自分の従者ではないとわかった。
<もう、わたくしの手を離れてしまった>
あの時、いつもの病気である妄想が発動しなければ、きちんと引き留めることが出来ていればこんなことにはならなかったのだろうか。
ここで、好きだと言ったら考え直してくれるだろうか。
「うまく言えませんが、俺はお嬢様の事を今も尊敬していますし、感謝も忘れません。お嬢様は、たぶん、俺にとってずっとお嬢様です」
そしてそれ以上でも以下でもない。
言外にそう告げられたのが、リリアには分かった。
「そう、ですか。わかりました」
声が震える。
こんなことは言いたくない。
しかし、貴族として、主人としての矜持がリリアを支えた。
「わたくしは勘違いをしていたようね。謝ります。もうあなたを無理に呼びつけるようなことはありません」
<だめよ、今泣いてはダメ>
今にも出そうな涙を必死にこらえ、最後のセリフを言う。
「さようなら。貴方の夢が叶うことを祈っています」
主人と従者としての関係は終わったけれど、生きている限り人としてのつき合いは続けられる。
まだ、自分の希望がついえたわけではないのだから。
「はい。では失礼いたします」
ロゼは目礼をすると、すぐに踵を返す。
<行ってしまう!>
「ロゼ!!」
「はい?」
思わず名を呼んでしまい、後悔する。
<これ以上、なにを言うことがあるの?>
もうロゼはこの屋敷に戻ってこない。自分の道を歩きだしてしまった。
しかし、わかっていても諦めきれないのだ。
「また、会えるわよね?」
呼ばれて振り返ったロゼは、にっこりと笑った。
「もちろんです。助けが必要な時はお呼び下さい。出来ることは少ないかも知れませんが、俺は、恩を返し切れていませんから」
その笑顔がリリアにとっては残酷で、でも嬉しくて、「そう……」と頷くと手を振った。
「引き止めて悪かったわ」
「いえ、それでは」
屋敷を出て行くロゼの歩みに迷いはなく、リリアは完全に見えなくなるまで彼の姿を目で追った。
「お嬢様、いいんですか?」
邪魔をしないようにおとなしくしていたウィムは、これまでのリリアの想いを知っている分、ショックのあまり倒れるのではないかと ハラハラして見ていたのだがなにやら思っていたのと反応が違う。
「いいのよウィム。ロゼを追いかけるのは昔から私のほうだもの」
そう、逆にひとりの女と男としての関係を築けるチャンスに変えてしまえばいい。
「さっきのセリフを聞いたでしょ? やはりロゼは私の事を好きなのよ。きっと、私が来るのを待っているのだわ」
ロゼの言葉はリリアの中で、「ここでは身分の違いで一緒になれないから平等な場所へ」と誘われているということに変換されていた。
「さぁ、準備をするわよ!!」
やけっぱちにも聞こえる声で宣言をするとリリアはアトリエ部屋へ向かう。
「え? え? なんのですか?」
ウィムは大抵の主人の行動や思考は読めるが今回ばかりはわからない。
「わたくしも街にアトリエを開くのです! 錬金術の修行も出来てロゼも戻ってくる、まさに完璧な計画!!」
この前向きさと行動力をもっと正しく使えば、愛しのロゼとの関係ももう少し進んでいたのではないか、と生まれる前から仕えてきた水の マナは思う。
「そう、私もアトリエを開けばいいのよ……」
あの女のことを好きだからなのかとは、怖すぎて、最後まで聞くことが出来なかった。




馬を飛ばしてぴったり5日。道中、ちょっとした魔物が出ることが数回あったが予定通り帰ることができた。
<さて、なんて言って入るかな>
一月前、このアトリエに来たときのことを思い出す。
あの時はかなり悩んだにも関わらず、いざ入ってみるとすべての心構えが無駄に終わった。
「ま、普通でいいか」
どうせ考えてもなにもいいセリフは浮かばない。
晴れ晴れとした気分で扉を開けと、うりゅの鳴く声が聞こえた。
「うー! うりゅぃか!」
<これは……>
竈の前で旋回するように飛ぶうりゅ、主人の姿は無い。
見覚えのある光景。
急いで錬金釜の前に行くと、案の定、うつ伏せに倒れている女がひとり……。
「やっぱりか!!」
床の上ですぅすぅと寝息を立てるウルリカを乱暴に揺する。
「おい、起きろ!」
「むー……」
「起きろコラ!」
「んー? あれ? なんであんたがいるの?」
「今帰ってきたからだ。ところでまたなんか調合の途中なんじゃないのか?」
やっと薄目を開け、目をこすりだしたウルリカを立ち上がらせると錬金釜を指さす。
「煮立ってるぞ」
「ああああああ!!!!」
その言葉に一気に覚醒したウルリカは悲鳴を上げた。
「せっかく作ったのに! もう、あんたのせいよ!」
「だから、なんでなんだ」
以前にも同じやりとりをした気がする。
「とにかく水、水を足してトーンを……」
コンテナと釜を右往左往するウルリカを見つつ、ロゼは不思議に思ったことを口にした。
「なんでいつも一人きりの時ばかりそんなに仕事を受けるんだ? 同居するようになってひと月の間、俺やペペロンがいるときにはそん なことないのに」
前回も今回も、徹夜するほど仕事を取っているのに、普通にロゼがアトリエに滞在している間は一度もこんな無茶な仕事の仕方はして いない。
むしろロゼの手伝いも必要無いくらい、自分に見合った量、質の物を選んでいるような気がした。
「何言ってんのよ、あんたが仕事忙しい時に居ないんじゃない!」
当然のことのようにウルリカは反論するが、ロゼはいつものようには流さなかった。
「違うだろ。ここに来た日も今日も、俺が居ないのを分かっていたはずだ」
「何を言って……」
「もしかしてお前、仕事で寂しさを紛らわしてるんじゃないのか?」
「は?」
「忙しくすることで、自分が一人だと忘れようとしているんじゃないか?」
最初に会った日はただの偶然だったかもしれない。
しかし、一緒に住むようになり調合を手伝えるようになって、ロゼが居るときは一度も徹夜になるほどの仕事を取ってくることはなかった。 むしろ、手伝いがいなくても出来るようなものばかりで、逆にロゼの方が物足りなさと役に立てないという申し訳なさを感じたくらいだ。
金が要るならもっと仕事も必要なはずなのに。
「なぁ、本当は、寂しいんじゃないのか」
過去の話を聞いた時の違和感の理由が、今ならわかりそうな気がした。 彼女のことを知りたい。
とても元気で無鉄砲なところ、前向きでこだわらない強さ。それだけじゃない、何かを今、その中に感じる。
だが、ウルリカは否定した。
「別に。今回だってあんたが帰ってこようが帰って来なかろうがどっちでもよかったし」
そうだ、彼女はとんでもない天の邪鬼だった。
こんな聞き方をしても否定されるだけだ。
戦法を変えるしかない。
「それよりも鍋鍋……」
「ウルリカ!」
構わず調合を続けようとする彼女の名前をまともに呼ぶ。
「調合ならあとで手伝うから、今は俺の話を聞いてくれ」
「う、うん」
作戦は功を奏し、初めて名前を呼ばれたことに驚き、その真剣さに気圧されたウルリカは、釜の火を消すと大人しく差し出された向か いの椅子に腰を下ろした。
その頭の上にうりゅがちょこんと乗る。おかげで緊張感が少し薄れた。
「期末試験前、風吹き高原で会った時のこと、覚えているか?」
「もちろん!」
忘れるわけがない。
うりゅがマナ狩りの剣に斬りつけられ姿を消し、その銀髪の男には殺されかけた。
「あの時、俺はお前のマナの影響で頭が混乱していた」
アイスブルーの瞳に真っ直ぐ見つめられ、なんだかウルリカは居心地が悪くなってくる。
しかし、逃げ出せる雰囲気ではない。
「この間の仕事の時は自分の不甲斐なさに嫌気が差し、自信を喪失していた」
へたれっぷりを再確認しているようできついが、本当のことだし仕方がない。
「どちらの時も俺の正気を取り戻し、落ち着かせてくれたのはお前なんだ」
「え? いや、私そんな大層なことしてないし……」
「今度は俺がお前のためになにかしたい」
従者としての自分に疑問を感じ、言いようのない不安から救ってくれたのもウルリカだった。
本人にその気が無かったとしても、ロゼからすれば返しきれない借りがある。
「ウルリカ、話してくれ。お前はどうしてそんながむしゃらなんだ」
「と、言われても……」
いきなりそんなこと問われても、答える言葉が見つからない。
元々そんな深く物事を考えて行動しているわけではないのだ。
目を泳がせるウルリカを見て、ロゼはなぜ黙ってしまったのか容易に想像が出来た。
「すまない、質問を変えよう。以前、昔の話をしてくれたよな。両親の」
「え? あ、うん」
「あの時怒るのを止めたと言っていたな」
「う、うん。言ったかな……?」
内心「良く覚えてるわね」と思いつつ頷く。
「でも、寂しくはなかったのか?」
自分は両親が揃って亡くなったとき、寂しかった。
突然ひとりきりにされてしまった孤独。
旅をしていた祖父が自分を引き取ってくれるまで、どれだけの夜を泣いて過ごしただろう。
「俺は、両親がいなくなったとき寂しかった。お前はそうじゃなかったのか?」
6歳という幼い年齢、朝起きると消えていた父母。
「そう、言われると……」
寂しかったような気がする。
いや、寂しかったと言うよりは―――。
「なんだろう、こう、ぽっかり穴が空いたような……」
朝起きて、空っぽの部屋を見た。
一人きりの家はとても広くて、リビングのテーブルには一通のメモ。

『愛しのウルリカへ 
 私たちはまた冒険に出ます。良い子にしてるんだよ』

え?と思った。
なんのことか理解できなくて、その短い文章を何度も何度も読み返した。
そのうちに、滲んでしまった父の文字。
「喪失感が……」
置いて行かれた。
ただひとり、残されてしまった。
もしかしたら、両親は危険な冒険に連れて行くよりは安全だろうとウルリカを連れて行かなかったのかもしれない。
それでも、例え肉体的に傷つくことになろうとも、こんなに心を傷つけられるよりは連れて行ってほしかった。

<二度と、こんな気持ちは味わいたくない>

確かに、そう思ったのを覚えている。
再び置いて行かれるくらいなら、大切な人はいらない。
だから、そのときすでに友人だったクロエ以外との親しい交流はしなかった。
卒業したとき、クロエが親の反対にあうのが分かっていたから先に出てきてしまった。
自分から離れれば、少しは傷が小さくて済んだ。
うりゅとペペロンは自分と同じ、他にだれもいない仲間だから、お互い支え合って生きていける。

―――大切な人は、もう作らない―――

そう、決めたはずだったのに、再会したあの日、うっかりロゼに声をかけてしまった。
酒場でひとりため息をつくロゼを見つけたとき、本当にうっかり「声をかけてあげなきゃ」と思ったのだ。
今思えば、たぶんあの時の彼に自分たちと同じオーラを見たのかも知れない。
「喪失感が?」
「……嫌なの」
「?」
リリアの使いの男が来たとき、手紙の内容を見なくてもどういうことだか分かった。
自分は間違えたのだ。ロゼはひとりじゃなかった。求める人が居た。
きっと彼は帰るだろう。
ちょっとこのアトリエへ寄り道はしたが、彼の夢はここでなくても手に入る。
他に何も無い自分たちと違って、彼には帰れる場所があるのだから。
そう思うとなぜか無性に腹立たしくなってきて、落ち着くために森に出た。
多少頭が冷え、帰ってきてロゼが出掛けたと聞けば「あぁ、やっぱり」としか思わなかった。
それだけだったはずなのに。
「もう、置いて行かれるのは、イヤ」
苦しそうに顔を歪めるウルリカをじっと見つめ、ロゼはゆっくり静かに言った。

「なぁ。たぶん、そういうときは泣いたらいいんだと思うぞ」

「え?」

すると一粒、すぅっと涙がウルリカの頬を伝った。
「あ。そうか―――」
<私、寂しかったのか>
一度流れた涙は、堰を切ったように止まらず次から次へと溢れ、ロゼは立ち上がると無言でウルリカの顔を自分の胸に抱き寄せ埋めさせた。
なりゆきを見守っていたうりゅは、気をつかってか上の部屋へ飛んで行く。
「だから、あんたってイヤなのよ」
知りたくなかった、こんな感情。
一度意識してしまえば頭から消えることのない苦しみ。

寂しい。
独りはイヤ。
私を置いていかないで。

メモを何度も読み返し、気づけば落ちた涙が文字を滲ませていた。
しかし小さかったウルリカは、すぐに涙を拭いその感情を怒りに変えたのだ。
その方が、辛くなかったから。
「ずっと、我慢してたのに。馬鹿! いぢわる! 嫌味男!」
「うん、そうだな。悪かった」
ロゼはあやすように素直に謝ってくれるが、これは八つ当たりだと自分でもわかっている。
認めたくなかった自分の弱さへの八つ当たり。
「別に私は、ほんとにあんたなんか帰ってこなくてもよかったんだから」
「あぁ、わかってる」
だだをこねる子供のように胸を叩いてくるウルリカを、ロゼは優しく抱きしめた。
「でも、俺がここじゃなきゃだめなんだ。これからも、一緒に居ていいか?」
これからは自分がこの少女の支えになりたい。ともに歩み、心の拠り所となれたらいい。

「……仕方ないから、許してあげる」

家族3人で住んでいた広い家。夜になると静かで、真っ暗で、世界にひとりきりなんじゃないかと不安になって何度も外へ駆け出した。
外へ行けば牛や羊や鶏がいて、どこかの家に明かりがついていることもあって、そこでやっとほっとするのだ。
「置いていかれるのは、もうイヤなの……」
同じ言葉を繰り返す。
「大丈夫だ、俺は絶対に置いていかない」
ロゼの言葉がゆっくり沁みるように自分の中に浸透していくのを感じる。

もう二度と、不安にかられて夜の街へさまよい出ることはないだろう。

「お前はほんと、自分のことに、にぶいんだな」
自分勝手で適当で、常に自由に生きているようでいて、でも実は不器用で。
怒ったり笑ったり表情も豊かだから、ロゼもなかなか気づくことが出来なかった。
<俺とこいつは似てるんだ>
信頼していたマナが姿を消し裏切られたと思っていた。
なにも言わず置いていかれたと。
自分の場合、それは誤解だったし祖父のマナだったが、ウルリカは違う。
実の両親にある日突然置いていかれるというのは、どれだけ辛いのだろう。
自分の胸の中で声を出さず泣くウルリカがとても愛おしく、守ってやりたいと、再び硬く決意したのだった。




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