弱さの代償
| あれからアトリエの手伝いや街の探索、旅の荷物の用意などをしているとあっという間に出発の日になっていた。 起きて朝食のシチューを作り置きし、少し早めに集合場所である東門へ向かう用意をしていると、珍しくウルリカが起きてきた。 「どうした?」 「んー。 今日行くんでしょ?」 少し寝ぼけているらしく目をこすりながら聞いてくる。 「あぁ、今出るところだ」 「ん。行ってらっしゃい」 「行って、きます」 当たり前の挨拶がなんだか気恥ずかしい。 「じゃ、おやすみ」 ウルリカはそれだけ言うとまた自分の部屋へ戻ってしまった。 <なんだったんだろう> とにかくアトリエを出発し、言われた門を出たところにはすでに今回の護衛対象である4台の馬車が止まっていて、商人たちが談笑していた。 「すみません、金の牡鹿亭で依頼を受けたものですが」 そのうちのひとりに声をかけると、ロゼの上から下までじろじろ見た後、呆れたように鼻をならした。 「坊や、うちは確かにでかい商会だが子どもの募集はしてないよ」 「いえ、護衛の方の」 訂正すると今度は笑われる。 「護衛のだと? 馬鹿言っちゃいけない。それこそお子様はお断りだ」 「おい、どうした」 「あ、若旦那。こいつが今回の護衛の仕事を請けたって……」 <若旦那?> 馬に乗って近づいて来た男は若旦那と呼ばれるには少し年がいっていた。 「どこの酒場で請けた」 「金の牡鹿亭です」 「牡鹿亭か。あそこのマスターなら下手なやからはよこさんだろう。おい、こいつに馬を出してやれ」 「えぇ? こんなガキでいいんですかい?」 「この年頃で働いているやつはいくらでもいる。さっさとしろ」 「わかりやした」 ロゼをどんなふうに追い払うのかと期待していた商人はあからさまにがっかりした様子でその言葉に従う。 「ありがとうございます」 「お前を紹介してくれた酒場の信用を落とすなよ」 若旦那はそう忠告すると、ほかのしゃべっていた商人たちに出発の準備をするように言い、馬に乗ったまま他の馬車を見に行った。 ロゼの到着を皮切りに、ぞくぞくとそれぞれどこかの酒場で依頼を受けたであろう冒険者たちが集まってきた。 全部で10人はいるが、みな確実にロゼよりは年上だ。 お互いある程度顔見知りなようで挨拶を交わしあっており、その中でどうしてもロゼだけが浮いてしまう。 初顔というだけではなく年齢的なものもあるのだろう。 こちらを見る目に明らかに嘲りが混じっている。 「今日はケツの青い坊やが紛れ込んでるみたいだな」 そのうち、男の一人がこれ見よがしにロゼの目の前で笑いながら言った。 「そんな細っこい体で剣がふれるのか?」 「死ぬときゃ一人で死んでくれよ」 それに同調するように、他の冒険者たちが笑い声を上げからかう。 <我慢しろ。こいつらには言葉じゃダメだ> 荒れくれものの多い冒険者たちは実際に戦いの場を見ない限り、ロゼを舐め続けるだろう。 <認められるまでの辛抱だ> これくらいのことは、覚悟をしてきた。 投げかけられる嘲りの言葉を、ロゼは辛抱強く聞き流した。 「さあ、出発するぞ!」 しばらくすると商隊を率いる若旦那と呼ばれた壮年の男が声を上げ、暇つぶしにからかっていたものは散っていき、ロゼはほっとした。 「よう坊主、よく我慢したな」 しかし、今度はひげを生やした小男が馴れ馴れしく肩を叩いてきた。 「初めて見る顔だな。今回が初仕事ってとこか?」 「あんたはお人よしそうだな」 「またか」と子ども扱いにうんざりしたロゼは、つまらなそうに言った。 「ははっ! わかるか? お前みたいに無愛想で生意気なガキがほっとけないたちなんだ」 まったく気にした風もなく、そのまま気さくに話しかけてくる。 「俺はジェイク。お前は?」 「ロゼリュクス」 これから同じ仕事をする仲間だ。仲違いはしない方がいい。 考えを改め、なるべく答えるようにする。 「なんかめんどくせぇ名前だな。ロゼじゃだめか?」 「あぁ、かまわない」 護衛を指定された馬車が動き、ロゼは自分に用意された馬に跨るが、その後ろにジェイクが乗ってきた。 「おい」 「実は俺、馬乗れないんだ。いいだろ?」 <なんで俺の周りにはこんなやつばっか集まるんだ> だが今更嘆いても仕方がない。 「落ちても拾わないからな」 これまでの経験から何事も諦めが肝心と悟ってしまった。 「おうよ、絶対離れないぜ!」 それもなんだか気持ち悪いなと思いつつ、ロゼは馬を歩かせた。 「坊主、年はいくつだ」 名前を聞いておきながら、結局呼ぶ気はないらしい。 「17だ」 誕生日がくれば18になると言うと、ジェイクは大げさに驚いた。 「そりゃあホントに若けぇなぁ。俺なんか今年でもう30だぜ!」 なにがそんなに楽しいのか、ガハガハと笑う。 「おかげで年季が入っちまって、もう酒場が家みたいなもんだ」 しゃべり続ける男に苛立ったロゼは、前を向いたまま静かに警告した。 「黙らないと振り落とすぞ」 「なんでぇ、冷てぇなぁ」 乗せてやってるだけでもありがたいと思って欲しい。 これからもこの仕事で生活していくために、最初の仕事で失敗するわけにはいかないのだ。 ロゼの真剣な思いが伝わったのか、ジェイクはそれ以上なにも言わなかった。 目的の街へ向かう道は大きく整備されていて、一日目はなにも問題は起きず、順調に過ぎて行った。 最初は言われたとおり黙っていたジェイクもだんだんと飽きてきたらしく、最後の方はずっとしゃべり通しだった。 「ほんっと坊主は愛想がねぇなぁ。そんなんじゃ世の中生きづらいだろ」 「心配されなくても、必要なときは振りまくようにしている」 「今は?」 「振りまいても見えないだろ」 「はっ! 確かにそうだ! こりゃ一本とられたな」 豪快に後ろで笑われ、ロゼは「つばが飛ぶ」と小さくぼやいた。 異変が起きたのは二日目の夕方だった。 一番前の馬車についていた冒険者が斥候らしき男を見たと、リーダーに報告したのだ。 「こりゃ、来るな」 その情報を聞いたジェイクが、相変わらずロゼの後ろに乗ったまま嬉しそうに言った。 「こんな開けた街道で?」 盗賊は大抵森や岩場の多い山など、大通りを避けた場所に出る。その方が奇襲をかけやすいし逃げやすい。 「知らないのか? 大陸の東の方で今ひどい景気が悪くなって、向こうを根城にしてた盗賊団がこっちに流れてきてるんだ」 そういえば酒場で盗賊の動きが活発になってきていると聞いた気がする。 「わき道に逸れる奴なんてそういないからな。こんな場所で獲物を探すしかないのさ」 「なるほどな」 <それでこれだけの人数の護衛を募集していたのか> まさかこんなすぐに戦いになるとは思っていなかったが、見た目で舐められっぱなしの今の自分にはちょうどいいかもしれない。 心臓は速く打っているが頭は冷めている。 こういう状態のときは体もよく動くはずだ。 <来るなら来い> ロゼはもう、だれにも馬鹿にされるつもりはなかった。 「全員止まれ! ここで盗賊共を待ち受ける!」 商隊のリーダーである若旦那が号令をかける。 わざわざ相手が罠を張っているかもしれない場所まで自ら出向く必要もない。 こちらが動かなければ向こうが来るしかないのだ。 一刻もしないうちに盗賊たちが前方、左右から現れた。 総勢30人以上はいる。 武器は剣、斧、弓、槍などさまざまだ。馬に乗っている者もいる。 「いらっしゃ〜い」 すでに馬から下りて、両手に少し長めの短剣を構えていたジェイクは嬉しそうに言った。 <二刀流か> ロゼは腰から剣を抜き、指輪の力によって光の刃を発動させる。 「へぇ、面白い武器を使ってんな、坊主。やり方教えてくれよ、楽しそうだ」 この多勢を目の前にしても軽口を叩けるのは、よほど自信があるからか。 「終わったらな」 ロゼは口数少なく答え、怒号を上げて襲ってくる盗賊に身構えた。 <大丈夫だ、いける> これまで戦ってきた魔物に比べれば動きも遅いし力も弱い。 「おらぁっ!」 最初に斬りかかってきた相手の剣を軽くいなし、前のめりになった男の鳩尾に剣の柄を叩き込む。 今度は3人の敵に囲まれるが、襲われる前にすばやく剣を縦回転させ、残像のように現れた光の剣がレーザーのごとく盗賊たちの体を貫 いた。 <次!> 腕や足から血を流し、のた打ち回る相手には目もくれず、次の標的を探す。 ふと、あの軽薄そうな男はどうしているのかと横を見ると、楽しそうに全身をばねのように使って盗賊たちの中を駆け回るジェイクを 見つけた。 <すごい> 片手で相手の剣を受け止め逆の剣の柄でこめかみを打ちつけ、そのまま鳩尾を蹴り飛ばし、または相手が受け止め切れないスピードで 斬撃を繰り返し、隙を突いて回し蹴りで昏倒させる。 小さな体をフルに生かし、まるで水を得た魚のように盗賊を倒して回るジェイクの軽快な動きは曲芸師のようだった。 <上には上か> 「おっと」 つい目を奪われているところに矢が飛んできて、ロゼは軽くかわした。 「俺も、負けてられないな」 10対30ではあるが遊撃隊として動いているのはロゼを含め半数。残りは戦うすべを持たない商人たちを守っている。 なるべくそちらへ盗賊を行かせないようにしなければならないのだ。 ロゼの剣から何度も放たれる光の刃は確実に盗賊を貫き、戦闘不能にしていった。 <む、使いすぎたか> フォーリンブレードと名づけたその技は精神力を消耗するため、無限に放つことはできない。 疲労を感じ、敵の数も減ったので剣技だけに切り替えた。 「は、どうした! ネタ切れか小僧!」 光の乱舞がおさまったと見るや、ひとりの盗賊が正面から斬りかかってくる。 「遅いんだよ」 勢い良く力を込めて斬り上げたロゼの光剣は、盗賊の持つ安っぽい剣をへし折った。 「これで!」 相手の動きを封じるため肩口に狙いをつけ斬りこむ。 だがここで予想外のことが起きた。 得物を折られて引くと思っていた男が、捨て身のタックルをしてきたのだ。 「なっ!」 このまま行けば男の肩ではなく首を切り落としてしまう。 そう考えた途端、ロゼは思わず剣を止めてしまった。 「ぐっ」 ロゼが止まっても盗賊の方は止まらない。 渾身のタックルをもろに受け、後方へ吹っ飛んだ。 「くそ!」 すぐに受身を取り、無様に転がることは避けたものの膝をついた状態はまずい。 だが、立ち上がるのを待ってくれるほど敵は優しくはなかった。 「死んどけ!」 目の前には斧を持った別の盗賊。 一瞬の躊躇が、結果隙を作ることになった。 <殺られる> 盗賊の斧がすぐ目の前に来て、ロゼは死を覚悟した。 「坊主!!」 しかしその瞬間、自分を切りつけようとした相手の額にドカッと音を立ててナイフが突き刺さり、男は目を見開いたまま後ろへ倒れた。 「馬鹿野郎!! やらなきゃやられるなんて常識だろうが!!」 「ジェイク…」 盗賊を一撃で倒したのはジェイクの投げたダガーだった。 「ったく。見てたけどな、お前の戦い方は甘いんだよ」 ほぼすべての盗賊たちが戦闘不能の状態となり、動けるものはみな逃げて行く。 他の冒険者たちもロゼを端から馬鹿にしてただけあって手馴れ揃いだったらしい。馬車や商人たちに被害はなかった。 「死んでるのか……?」 額にダガーの突き刺さった盗賊はぴくりとも動かず、ロゼはその男の顔から目が離せなかった。 「手加減する余裕なんてなかったしな。死んでるよ」 相変わらずの軽い調子で言うと、ジェイクは男の額から自分のダガーを抜き取る。 びゅっと一度血が吹き出たが、それだけだった。 「ほら、いつまでぼーっとしてやがる。旦那が集合かけてる、行くぞ」 無事盗賊団を退けたはずなのに、ロゼの心は暗く沈んでいた。 結局、倒されて動けなくなった盗賊たちは縛り上げられ、一番近い番所に引き渡された。 その日の夜、昼間の出来事が頭から離れないロゼはキャンプ地から離れ、明かりの届かない川岸に座って水面を眺めていた。 「坊主、なーに黄昏ちゃってんだ?」 「別に」 ジェイクは「仕方ねぇなぁ」とため息をつくと、ロゼの横に腰を下ろした。 「だいぶ使えるみたいだったけど、実戦は初めてだったのか?」 同じように絶え間なく動く川面を見つめながら、ジェイクは静かに聞いた。 「人間相手の実戦は、初めてだ」 学園にいるとき、採取や授業で散々戦ってきたがすべて魔物や野獣で、学園祭で同じ学生と対戦したことはあっても真剣勝負ではなかった。 マナを刈る者、ルゥリッヒとの戦いは実戦と言えなくもなかったが相手が弱っていたうえにこっちは5人だったし、余裕があった。 「なるほどなぁ」 しばらく、流れる水の音だけが夜の暗い空間に響く。 「ジェイク、ありがとう。助かった」 「え? 今頃?」 礼を言われたことに本当に驚いたように、ジェイクは素っ頓狂な声をあげた。 「おらぁてっきり、『余計なことしやがってこのくそじじぃが!』とか言われるかと思ってたぜ」 「あんたの中の俺はどんだけひどいんだ」 がっはっはと笑いながら、自分より背の高いロゼの頭をガシガシと乱暴に撫でる。 「坊主はよくやったよ。なんかすげー技使ってたし。みんな見直してたぜ」 実際、盗賊団との戦いが終わってから、ロゼを子どもだと馬鹿にする者は居なくなっていた。 「よくもまぁ、その若さであんだけ器用に殺さず倒せるよ」 直接相手をしたもののみならず、無作為に放たれているように見えた光撃もすべて敵の腕や足を貫き、致命傷を負ったものはひとりも 居なかった。 「だけど、あそこで剣を止めたらいかんなぁ」 「あぁ、わかってる」 ジェイクがダガーを投げてくれなければ、あの場に目を見開き転がっていたのは自分だ。 「まぁ、わかってるならいいんだけどよ!」 そう言うと勢い良く立ち上がり、尻に付いた草を払う。 「飯、出来たみたいだぜ。食べ来いよ」 「あぁ」 目線を動かさず返事だけすると、ジェイクは諦めたように息を吐き、キャンプへ戻っていった。 <俺がもっと強ければ、あの男は死なずにすんだ。ジェイクも、殺さずにすんだんだ> 弱いということは、こういうことなのだ。 その後は、目的の街に行きまた戻ってくるまで何もなく無事に過ぎ、予定通り6日間の行程を終えた。 報酬はもともと約束されていた2500コールに盗賊討伐の報奨も加わり4000コールが支給された。 せっかく初の給料なのに、ロゼにあるのはむなしさだけ。 「俺は西街の『踊る子馬亭』って酒場にいるんだ。たまには遊びに来いよ」 最後までロゼの後ろに乗っていたジェイクは別れ際にそう教えると、上機嫌で帰っていった。 街の門をくぐり、空を見上げると、空高く星が輝いていた。 <このまま、帰りたくないな> あのアトリエに、今の自分は不釣合いな気がする。 <少し、歩こう> 頭を冷やすため、ロゼは知らない路地を曲がり、夜の街に溶けていった。 「おかえりー?」 真夜中になるまで街中をさまよったものの、結局憂鬱な気持ちは晴れず、無言でアトリエの扉を開けるとウルリカがテーブルの上で本を 読んでいた。 「まだ起きてたのか」 すでに寝ていると思って帰ってきたのに。 「どうしたのよ暗い顔して。仕事、うまくいかなかったの?」 「いや、全員無事に帰ってきた」 「じゃあなんで陰気な顔が更に怖くなってんのよ」 眉間に皺を寄せ、陰鬱な表情のロゼは薄暗い部屋のせいでむしろ凶悪に見える。 「自分の使えなさを実感してきたんでな」 「なにそれ」 話なさいよと命令形で話を促され、勧められた椅子に座り、今回の出来事の一部始終をウルリカに話した。 聞いている間黙っていたウルリカは、話が終わると「うーん」と唸った。 「それは、その相手を死なせたことがショックだったわけ?」 「わからない。それもあるかもしれないが、それだけじゃなくて……」 あのとき、ロゼは剣を最後まで振り切るべきだった。 相手を殺してしまうという結果が変わらないのなら、それをするのはジェイクではなく自分でなければならなかったのだ。 「俺は剣だけじゃなくて、心も、弱かったんだ」 「……よくわかんないけど」 現場を見たわけではないウルリカに、人の生死が関わったことを簡単にどうこう言うことは出来なかった。 それでも何か言わなければと、必死に言葉を探す。 「私、うちで護衛の依頼うければってすごく簡単に言っちゃったんだね。学園のときと違って敵は魔物だけじゃないのに」 「それは俺も同じだ」 盗賊を相手に戦うことがあるとわかっていたのに、その盗賊が同じ人間だということを失念していたのだ。 護衛を受けた冒険者の中で、そんな甘い考えでいた者はほかに居ないだろう。 これではただ夢物語を憧れで語るだけの子どもと同じだった。 そんな自分が子ども扱いされて腹を立てていたなんて、思い出すだけでも恥ずかしい。 「情けない……。こんなんじゃ笑われて当然だ」 「ねぇ、聞いて」 ウルリカは自嘲気味に笑うロゼの手を取りひざまづくと、その顔をまっすぐ見つめて言った。 「私は、あんたが生きて帰ってきてくれて嬉しい」 一緒にマナの聖域を越え、王である光のマナを倒した。ロゼの強さは十分知っている。だからこそ、護衛や討伐の依頼をこなせると 思ったのだ。 「一緒に戦ってあんたの強さを知ってる。死ぬかもしれないなんてこれっぽっちも考えたことなかった」 ロゼはなにも言えず、ただその翡翠色の瞳を見返す。 「最初は笑われるし相手にされないわ。私もそうだった。他のだれも私たちのことなんて知らないし、外見しか判断材料がないんだから。 でもね、私は知ってる。あんたが努力してきたことも、真剣に強くなりたいと願ってることも。あんたの剣の腕を信じてる」 一呼吸置くと、ロゼの手を握る指に力を込め、励ますように笑った。 「だから、自分を卑下するようなこと言っちゃダメよ。確かに今回失敗があったかもしれないけれど今こうして生きてるんだから、いくら でもやり直せる。次は同じ失敗をしなければいい。だって、それがあんたのすべてじゃないでしょ?」 その瞳に吸い込まれそうになりながらも、ウルリカの言葉はきちんとロゼの中に響いていた。 <こんな俺でも、信じて待ってくれている人がいる……> それは生きていく中でどれほど幸運で大切なことか。 「どんだけ護衛の仕事が危険なことか実感しちゃったから、これからは今回みたいにあんたを気軽に送り出せないかもしれないけど、 ずっと待ってるから。帰ってくるの、待ってるから」 夢を知ってるから行くのを止めない。 でもずっと心配している。無事に帰ってくるのを祈っている。 「これ以上、情けない男になるわけにはいかないな」 女を泣かせるような男にはなりたくない。 「すまなかった。弱音を吐くのはこれで最初で最後だ」 一度うつむいて目を閉じ、気持ちを入れ替える。 そして再び顔を上げると、なぜか彼女の顔が真っ赤になっていた。 「どうした?」 「な、なんでもない! とにかく、元気になったんならいいわ」 今になって自分の言ったことが恥ずかしくなってきたウルリカは、耳まで赤くしながら首を振った。 「一応言っとくけど、勘違いしないでよね! あんたにだけじゃないんだから」 <あぁ、そういうことか> やっとウルリカが赤くなっている原因がわかった。 <いちいち言わなければそんなこと考えないのに> 今までの気分が台無しだ。 「とにかく! きちんと帰ってこなかったら承知しないんだからね! わかった?!」 「わかったよ。大丈夫、俺は死なない」 いつか、自分にだけだと言わせたい。 密かにロゼにはそんな目標が追加されていた。 「それならいいのよ、お休み!」 「え? 本読んでたんじゃないのか?」 「もうそれ何度も読んだし、あんたにあげるわ」 まるで怒っているような勢いで階段を上がり、バタン!と部屋の扉を閉める音が下まで響いてくる。 「最後までシリアスになりきれない奴だな」 そしてそんなところに救われる。 なんとはなしにウルリカが読んでいた本を手に取ると、それは世紀刊学園モードという、学生時代から持っている雑誌だった。 「もしかして……」 今日帰る予定だった自分のために、起きて待っていてくれたのかもしれない。 <本当に、頭が上がらないな> いつだって、不安定になったロゼを落ち着かせるのはウルリカの言葉だ。 「期待を裏切らないようがんばるよ」 ロゼの試練はまだ始まったばかりなのだから。 翌朝、久しぶりのベッドでぐっすり眠ったロゼはすっきりした気分で起きるとまっすぐ氷室へ向かった。 居ない6日のうちに食材が減っているかと思ったがそうでもない。 <なるべく俺が買い足すようにしないとな> そうでなければ食事当番を買って出た意味がなくなってしまう。 しかし今回は仕方がないので、ある材料でなるべくおいしものを作ろうと、まずはカボ芋に手を伸ばしたのだった。 「おはようおにーさん」 いつもどおり、先に起きてきたのはペペロンだった。 「あぁ、おはよう」 すりおろした芋に穀物粉を加え練った物を焼いていると、興味深そうに覗き込まれる。 「なに作っているんだい?」 「俺の生まれた地方の郷土料理だ。もう焼ける」 そう言うと、料理の手伝いは不要だと判断したのか、皿を出し、コップにミルクを注ぐ。 「護衛の仕事はどうだった?」 「まぁ、いろいろ勉強になったよ」 「そっかぁ、お疲れ様」 なんとなく言いたくない雰囲気を察したペペロンはそれ以上聞かず、話題を変えた。 「そういえばおにいさんが居ない間に、おにいさんを訪ねて男の人が来たよ」 「俺を?」 「うん。一応名前聞いたんだけど教えてくれなかった」 この街に来てまだ2週間足らずだ。 訪ねてくる人物の心当たりなどまったくない。 「用があるならまた来るだろう」 「かなぁ?」 焼けた芋をフライパンから上げようとすると、すかさず用意した皿をペペロンが差し出す。 「そろそろあいつを起こしてきてくれないか」 この料理は冷めると味が半減してしまう。 そうペペロンに頼むと突然うふっと笑われ思わず鳥肌が立つ。 「なんだ、変な笑い声出して。気持ち悪い」 ついずばっと言ってしまうが、ペペロンは気にせずうふふと笑った。 「昨日、おねえさんに会えたかい?」 「? 会えたというか、帰ったらここに居たが?」 「ふっふっふー。実はね、おねーさんは昨日……」 「待て、それ以上は言わなくていい」 なんとなく、何を言おうとしているのかはわかった。 「えー。言わせておくれよぅ」 「いらん世話だ。それよりあいつを起こして来い」 「はーい」 ちぇーと文句を言いながらも二階へ上がっていく。 <俺だって、そこまで鈍くない> 言われなくても彼女の気遣いくらい、わかるのだ。 <さて、4000コールか> 初めての仕事の報酬にしてはいい方だ。 朝食が終わり、一息つくと今日はさっそく買い物に行こうと思った。 <これなら棚くらいは買えるかな> 「ペペロン、時間あるようならこの後買い物に付き合ってくれないか?」 「もちろん、お安い御用だよ!」 「何? どっか行くの?」 「あぁ、報酬も入ったことだし、ちょっと家具を見に行きたいんだ」 つまり、ペペロンは荷物持ちだ。 「それなら朝市行ってきたら?午前中いっぱいやってるはずだから」 「朝市?」 「うん、それがいいねぇ。あそこなら掘り出し物もあるかもしれないし。おいら、案内するよ」 「頼む」 「じゃ、さっそく行こうか!」 ウルリカと一緒に起きてきていたうりゅも行きたいと主張したが、親ばかである主に「迷子になるからダメ」と却下されていた。 ペペロンに案内されて行った朝市は、一番大きな通りである南門から中央広場の間で開かれていた。 「結構大きな市だな」 「毎週中日にやるんだよ。各地の商人が売り物を広げるんだ。おにいさんのベッドもここで買ったんだよ」 「あのベッドか」 硬すぎず柔らか過ぎず、横になるととても楽で、おかげで疲れも良く取れる。 <そういえば、引越し祝いの礼、返してなかったな> 引っ越してすぐは覚えることが多くてなかなか余裕がなかった。 「で、何を見るんだい?」 「まずは服をしまう棚かな。決まったら呼ぶから、それまで自由に見ていてくれ」 市は広い上に人も多いが、ペペロンほど体が大きく目立つ存在は居ない。すぐに見つかるだろう。 「うん、じゃあ少し見てくるね」 嬉しそうに市場へ入っていく背を見送り、今回の目的の洋服箪笥を探す。 道なりに店が開かれているので見やすいが、ほとんどが置物やアクセサリー、布地などの小物で大きな家具はほとんどない。 あっても装飾が華美だったり色が派手だったりと、気に入るものはなかなかなかった。 <確かに、普通に店で売ってるものよりは安いけどな> 欲しいものがなければ意味がない。 「うーん……」 露店を覗きながら歩くと、白いシンプルな箪笥が目に留まった。 <悪くないな> さっそく店主に値段を聞いてみる。 「この白い箪笥の値段はいくらだ?」 「やあ、お客さん。こいつは白木で出来た洋服箪笥でね。ちょっと傷物なんで2000コールだよ」 「傷って?」 「ここさ」 そういって指されたのは箪笥の裏の方。 「それなら問題ない」 さっそく買おうとしたとき、ふと目の端に赤いものが見えた。 「これは……」 <あいつに似合いそうだな> ロゼはその店に一緒に置いてあった赤いリボンを手に取った。 「お。おにいさん目が高いねぇ。それは東の国特産のシルクで出来た一品だよ」 白い縁取りのあるその赤いリボンは、確かにシルク独特の光沢があり手触りもいい。 「800コールとちとお高いが、悪くないと思うね!」 男はそう言うと、「彼女にかい?」と聞いてきた。 「別に、そんなんじゃない」 「はっはっは、照れちゃって若いねぇ。その若さに免じて600コールに負けてやるよ。どうだい?」 「………」 きっとこのリボンはウルリカの明るい金の髪に映えるだろう。 ロゼはその様子を見てみたいと思った。 「じゃあこのリボンとその白木の洋服箪笥と、これをくれ」 ウルリカに土産を買うのに、荷物を運んでもらうペペロンになにも無しというわけにはいかない。 そばにあったいかにも手作りと言った風な青い紐で編まれた腕輪を手に取ると、男に言った。 「毎度ありぃ! 箪笥が2000にリボンが600、その腕輪が300であわせて2900コールだね」 今回もらった報酬はほとんど消えてしまう。 <ま、いいか> 貯金はまだある。 金を渡すと男に連れを呼んでくるからといい、目立つ緑の大男を探すと、やはりひときわ目立っていてすぐに見つかった。 ペペロンに洋服箪笥を持ってもらい、小物を受け取る。 「毎週ここに店出してるんだ。また来てくれよ」 「あぁ、必要なものがあったらな」 箪笥を背負ったペペロンはもう歩き出していた。 すぐに後を追いかけようとするロゼに、店主から声がかけられる。 「そうだ、おにいさん。いっぱい買ってもらった礼にいいこと教えてやるよ。赤いリボンはね……」 「ただいま」 「ただいまー!」 アトリエのドアが開き、ロゼの後に横長の白木の箪笥を背負ったペペロンがかなりの上機嫌で入ってきた。 「おねえさん、聞いておくれよ!」 背中に負った箪笥を軽々と肩の上に持ち替え、興奮気味に話す。 「ん? どうしたの?」 「これ! おにいさんが買ってくれたんだ!」 嬉しそうに差し出す腕には青いミサンガ。 意外そうにロゼを見ると、照れたのか目をそらす。 「荷物、運んでもらったからな」 「へぇ〜〜〜〜」 「あんたでもそんなことするんだ」と冷やかすと、ロゼはごまかすように、はしゃぐペペロンを「早くそれ置いて来い」と二階へ追いやった。 新しい箪笥に興味を示したうりゅが嬉しそうにその後についていく。 「ふ〜〜ん」 一方、ウルリカはまだにやにやしていた。 「なんだよ」 「べっつにー」 そう言いながらも、まだ冷やかす気まんまんなのがわかる。 だが、次の言葉を言う前にロゼが目の前に来ると、いきなり握りこぶしを突き出した。 「な、なに?!」 「これはお前に」 椅子に座ったまま思わず身構えるが、その突き出したこぶしが開かれてそこからはらりと赤いリボンが膝の上に落ちると、ウルリカは びっくりしてロゼを見上げた。 「ベッドを買ってもらったお返しだ」 言いながら、顔がどんどん赤くなる。 それを見たウルリカもつられて顔が赤くなってしまった。 「あ、ありがとう」 「どういたしまして」 お互い、顔を赤くしてうつむいてしまう。 「じゃ、じゃあ、俺はペペロンの様子を見に行くから」 「うん」 気まずい空気に耐えられず、逃げるように二階へ向かう。 『赤いリボンはね、好きな相手との運命を結んでくれるんだってよ』 露店の店主の言った最後の言葉が、頭から離れなかった。 BACK |