新しい日常



「さて、なんて言って入るか」
ウルリカのアトリエの前で、ロゼは思案していた。
いざ仕事を辞めてきたものの、あれから半月ちょっと経っていた。
<あの女のことだし……>
最悪、「うちにきたら?」と言った事を忘れられている可能性だってある。
<来たぞ…も偉そうだし、お邪魔します…は変だろ>
だが、いつまでもドアの前で唸っていても仕方ない。
<直球でいくか>
覚悟を決めて呼び鈴を引く。
「……」
反応が無い。
もう一度引いてみる。
カランカラーンと乾いた音が中からするが、やはり反応は無い。
<出かけてるのか?>
ためしにドアノブに手をかけてみると、それはあっさり動き、ゆっくりと扉が開く。
「……いるのか?」
声をかけつつアトリエに足を踏み入れると小さなうめき声が聞こえた。
「うー、うー」
<違う、これはあいつのマナの声だ>
「どうしたっ!」
何があったのかと駆け込むと、うりゅが錬金釜の前に浮いていて下に向かって鳴いている。
「う、ろぜ!」
アトリエに入ってきたロゼに気がつくと、うりゅはロゼの胸に飛び込んできた。
「うりゅぃか、たいへん」
「何があったんだ」
とりあえず急いでうりゅが鳴いていた場所に行くと、ウルリカがうつ伏せで倒れており、ぴくりとも動かない。
「おい! 大丈夫か?!」
荷物を放り出して倒れているウルリカの横に膝を着き抱き上げたが、力なくされるがままだ。
「おい!」
「………すぅ」
「……」
<これは、もしかしなくても>
寝ている。
「なぁ、俺にはただ単に寝てるだけに見えるんだが……」
半眼でうりゅにそう告げると、小さなマナはウルリカの顔をペチペチと叩き出した。
「うりゅりか、おきて! あいてむまだ!」
「あぁ、なるほど。そういう大変か」
その一言ですべてを理解した。
つまり、また無茶な依頼の受け方をして徹夜、限界が来てその場でぱったり寝てしまったということだろう。
本気で心配した自分がアホらしい。
「起きろ馬鹿女。いい加減学習したらどうだ」
「んん…」
「起・き・ろ」
がくがく揺らしてやっと目が薄く開いた。
「なに? だれ?」
「依頼、まだ終わってないんじゃないのか?」
「んー……」
未だに意識のはっきりしていないウルリカは寝ぼけ眼で目の前にあるロゼの顔を見つめる。
「……なんだ?」
「わぁっ!」
「なっ」
突然の大声に驚いたロゼは抱えていたウルリカを取り落としてしまう。
ゴンッという鈍い音と共に落とされたウルリカは頭をしたたかうち、うめき声を上げた。
「…いったぁ〜い」
「うりゅりか、だいじょぶ?」
心配したうりゅが「いたいのとんでけー」と言いながらさすってやる。
痛みによって完全に目が覚めたのか、ウルリカは顔を上げてキッとロゼを睨むといきなり怒鳴った。
「いきなり現れないでよ! びっくりするじゃない!」
「びっくりしたのはこっちだ!」
まだ心臓がドキドキいっている。
「どうせまた徹夜してたんだろ。夢に向かって突っ走るのもいいが、いい加減限度ってもんを覚えろよ」
「うっさいわね! 待ってたのにあんたが来るのが遅いからいけないのよ! おかげでまた突貫するハメに……」
売り言葉に買い言葉で放たれた意外な一言を、ロゼは聞き逃さなかった。
「待ってた……?」
「っあー!! 鍋、鍋煮詰まっちゃってる!!!」
やっと今自分が置かれた状況を理解したウルリカは、鍋の中身を見て悲鳴を上げた。
「もうっ、全部あんたのせいなんだからっ!」
「いや、いくらなんでもそれはないだろう……」
理不尽な八つ当たりをされ、ロゼは大きくため息をついたのだった。




「これで終わりか?」
「うん、たぶん」
「たぶんだ?」
「じゃない、絶対!」
不機嫌に聞き返され、慌てて言い直す。
結局あのあと、逆切れしたウルリカが残りの調合を無理やり手伝わせたのだが、時間が経つうちに二人ともがだんだんと冷静さを取り戻し ていって、起こしてもらっておきながらさすがにやりすぎ&言いすぎたとウルリカが冷や汗をかき、旅路の疲れとなんで俺がここまで言われ なきゃならないんだという思いからロゼが静かに怒りを感じ始め、現在とても気まずい空気になっているのだ。
「お、おかげで助かったわ〜〜。ありがとう」
笑顔で礼を言うがひきつっている。
「言うことはそれだけか」
「う、ごめんなさい。私が悪かったです」
がくりとうな垂れ反省を示す。
「わかってるならいいんだ」
<どうせすぐ忘れるんだろうが>
これまでの経験から、反省はしても学習はしないことをよく知っている。
「じゃ、すぐこれ納品してきちゃうから。ちょっと待っててね」
許してもらえたと判断したのだろう。いそいそと出来上がったアイテムを持ってウルリカは出かけていった。

「ふぅ」

さすがに疲れたロゼは、部屋の隅にあるソファーに腰を下ろし息をついた。
「いろいろ考えて来た俺が馬鹿みたいじゃないか……」
忘れられてたらどうしようとか、「え? 本気にしたの?」なんて言われかねないかもとか、なんて言ってアトリエに入ろうとか屋敷を 出て街に着くまでの五日間、ずっと悩んでいたのだ。
「まぁ、こいつ相手に普通の展開を期待していたのが間違いだったんだろうが」
そういえば一度だってまともに物事が進行したことがない。
<調子狂うな>
「うー」
「あれ? お前ついていかなかったのか」
ぼーっとしてると、いつのまにかうりゅが飛んできてロゼの顔を覗き込んでいた。
「う!ろぜ、うれしい!」
目が合うとにこりと笑う。
「うりゅぃかもうれしい」
「え?」
「うりゅもみんなうれしい!」
「よかったね」と笑いかけられ「あ、うん、そうだな……?」と戸惑いながら返事をする。
同意を得られて満足したのか、うりゅがぽすんと膝の上に乗り、これは撫でろということなのかととりあえずその頭を撫でてみる。
ふわふわの手触りは、ウルリカが親ばかになるのも仕方ないと思えるほど気持ちよかった。
「ただいまー」
「うー、おかえぃー」
「早かったな」
和んでいると、依頼品を持って行ったウルリカが上機嫌で帰ってきた。
「うん、酒場で受けた仕事は納品も酒場でいいから」
なんともわかりやすいシステムだ。
「それよりも聞いて聞いて! 品質がいいからって報酬多めにもらっちゃった〜♪」
上機嫌の理由はそれらしい。
「そりゃよかったな」
手伝った甲斐があったというものだ。
「ほんと、あんたのおかげだわ。ありがと!」
怒って反省して笑って。
ころころ変わる表情と機嫌にこっちまで顔が綻ぶ。
「あ、そうだ。あのね、今後の生活のことなんだけど」
「やっとか……」
ウルリカが思い出したように、一番聞きたかった話題をふってくる。が、
「その前に、寝ていい?」
「そんな気はしてた」
まったくもって期待を裏切らない。
ロゼも長旅の疲れが出てきたので、同じく一眠りすることに決めた。



以前泊まった時に使った部屋に入ると、埃っぽかった部屋は綺麗に掃除されていて、ベッドがひとつ置いてあった。
しばらくの間は寝袋を覚悟していただので、それは嬉しい驚きだった。
「俺のために、買ってくれたのか?」
荷物を床に置き寝転ぶと、ふわりと陽の香りがする。
<ここが、俺の新しい……>
やわらかいベッドの誘惑に逆らえず、ロゼはあっという間に眠りに落ちていった。



「やぁ、おにいさん。久しぶりだねぇ」
目が覚めたのは夕刻近くになってから。
アトリエに降りるといつのまに帰ったのか、ペペロンが大きな袋の中から取ってきたアイテムをテーブルの上に広げ、選別をしていると ころだった。
「あ、あぁ。久しぶりだな」
あまりにも普通の反応にロゼのほうが戸惑う。
「おねぇさんから話は聞いてたよ。強くなるためにうちに来るって」
「そうか」
彼に「強くなるために」と言われると無性に恥ずかしい。
ペペロンが本当は、自分がまったく適わないほど強いことを知っているからだ。
<言うなら、今しかない>
言わなきゃと思いつつ言いそびれてここまで来てしまったが、ずっと気になっていた。
「ペペロン」
「なんだい?」
「風吹き高原で助けてくれてありがとう」
「ええ?!」
まさかここでいきなりそんな前の礼を言われるとは思っていなかったのだろう。
「あぁっ!」
せっかく摘んできた陽光のバラをぐしゃりと握りつぶしてしまい、ペペロンはまた声を上げた。
「あのとき、あんたが来てくれなければ俺は……」
「そ、そんな昔のこと、もう忘れてくれていいよぅ」
照れているのか焦っているのか、あわあわと手を横に振る。
「おいらも結局あのあとすぐに命からがら逃げちゃったし、そんなたいしたことしてないさ」
「命からがら逃げたって、でもあいつは」
「いやー、おいら逃げ足もかなり速いからね!おねぇさんのお仕置きからはなぜかいつも逃げ切れないけど」
自分たちを容赦なく殺そうとした銀の剣士ルゥリッヒ、彼はその後、竜の墓場で会ったとき、大分痛手を負ったらしく弱っていた。
だからこそ、あの最後の決戦で勝てたのだ。
しかし、ペペロンのほうはウルリカに聞いた話ではぴんぴんとして元気に戻ってきたと言う。
「あんた本当は……」

―――ひとりであの男に勝てたんじゃないのか?―――

だが、そこまで言うのは無粋な気がした。
「いや、一応言っておきたかったんだ。やっぱりこういうのはけじめでもあるからな」
「はっはっは、おにいさんは真面目なんだねぇ」
おねえさんのいい加減さと合わせたら中和されていいかもしれないね。と笑いながら言う自称妖精は、その内に秘めているものをまったく 見せようとはしなかった。
「あいつはまだ寝てるのか?」
話題を変えると、ペペロンは選別の手を止めて階段を見上げた。
「うん、まだ降りてきてないよ」
「そうか」
そうなると、やることがない。
「じゃあ、選別手伝おうか」
「え? あ、うん。ありがとう」
誰かが働いているのに自分がなにもしていないというのは落ち着かない。
ロゼはペペロンの向かい側の椅子に座ると、テーブルの上に広げられた鉱石や植物を、すでに選別されている山に分けていった。
「なぁ、そういえば、あんたはあの女の夢知ってるのか?」
「夢?」
「あぁ、前来た時、目標が出来たから金が必要だとか言ってたんだが」
なんとなく気になっていた。
「え? 孤児院のことかい?」
「孤児院?」
「あっ」
ペペロンはしまった!というふうにその大きな両手で自分の口を押さえる。
「なんだ? 孤児院って」
「し、知らないよぅ。おいらじゃなくて、おねぇさんに直接聞いたほうがいいんじゃないかなぁ」
「馬鹿にされるとか言って教えてくれなかったんだよ」
そう言うと「ふたりとも素直じゃないからなぁ」と笑った。
「きっと、そのうち話してくれるさ」
「だといいんだけどな」
ペペロンも知ってるとなると聞いていないのは自分だけだ。それは悔しい。
日が暮れて選別が終わると、今度は夕飯の支度をするというのでロゼはそれもまた「手伝う」と一緒に台所に立ったのだった。




「あー、よく寝た〜」
ちょうど食事の用意が終わったとき、伸びをしながらウルリカが起きてきた。
「おはよう、おねぇさん」
ペペロンが機嫌よく挨拶をし、「もう夜だけどな」とロゼが静かに突っ込みを入れる。
「あ、ペペロン帰ってきてたの? おつかれさま」
「うん、頼まれたアイテム全部揃ってるよ」
「ありがとう。じゃあ、明日採取アイテムの調達依頼を見に行くわ」
そしてテーブルに出来上がった食事を運んでいるロゼを見て、「よく寝れた?」と聞いた。
「あぁ、おかげさまで。あのベッドは俺が使っていいのか?」
「もちろん! おねえさんがおにいさんのために買っておいらが運んだんだよ!」
ウルリカではなく、ペペロンが意気込んで答える。
「ちょ、ペペロン! 余計なこと言うんじゃないの!」
「俺のため?」
「べ、別にあんたのためにっていうか、ほら、前調合手伝って貰った上に掃除までしてもらったし、そのおかげで今だってこうして テーブルで食事できるわけだし、っていうか、あれよ! 引越し祝い!」
「引越し祝いにたどり着くまでに随分かかったな」
だがその気持ちは嬉しい。
「ありがたく使わせてもらうよ」
素直に礼を言うと、ウルリカは照れたように赤くした顔をプイっと背けた。

「今日はおいら特製の妖精さん鍋だからいっぱい食べてね!」

料理がすべて並ぶとペペロンが上機嫌に言う。
<そうか、これは妖精さん鍋というのか……>
とにかく野菜を豪快にぶった切って大量の調味料で味付けをし煮込んだ鍋。
作っているときはあまりの大雑把さにかなり心配だったのだが、出来上がりを味見してみると意外においしかった。
あとはロゼの焼いたキッシュとデニッシュだ。
「そうね。とりあえず食事にしましょうか」
各々が好きな席に着き、いただきますと料理を手に取る。
そんな当たり前の光景に、ロゼは小さな幸せを感じた。


「えーっと、そんで、同居に関してのことだけど」
食べながらウルリカがやっと一番重要なことを話し出した。
「あぁ、家賃とかいくらだ?」
ロゼも長く働いてきたから多少の蓄えがある。
「家賃いらないから手が空いてるとき調合手伝って。以上」
「……は?」
「はっはっはぁ! おねぇさんは相変わらず簡潔だねぇ」
「簡潔すぎだ! いくらなんでも俺だってそこまで世話になる気はないぞ。家賃くらい払う」
「いらないわよそんなの。それよりも調合手伝ってもらった方が助かるし」
「そういうわけには……」
「しつっこいわね! いらないって言ったらいらないの! ここ家賃安いし」
「安いたって街中の一軒家じゃ限度があるだろ。いくらだ」
「月5000コール」
「ごせっ?!」
安すぎる。
これくらい大きな街の場合、ひと部屋で月額5000くらいが相場だ。2階建ての一軒屋で氷室がある上に、個室4部屋までついて5000は安すぎて逆に あやしい。
「なんか3年前にこの家で一家4人惨殺事件があったらしくて」
案の定、聞きたくない話が出てきた。
「この広間とか血の海だったってねぇ」
その上ペペロンが余計な情報を付け加える。
「それから出るらしいのよね、ここ。そんでうわさが広まって私たちが来るまで借り手付かなくて、値下げに値下げて5000コール」
「出るのか?」
前に泊まったとき、まるでそんな気配は感じなかった。
まぁ、自分に霊感が無いだけなのかもしれないが。
「らしいわよ?見てる人いっぱいいるし。でも私たちは見えないし感じないし気にならないから借りちゃった」
「何より安いし」となんでもないように言う。
「おいらもまったく見たことないなぁ」
<こいつらの無神経さが心底羨ましい>
「なによ、あんた怖いの?」
「怖くは無い」
怖くは無いが気持ちも良くない。
「こういうのは気にしたら負けよ」
「そういう問題なのか」
いや、彼女らにしたらそういう問題なのだろう。
だが、ロゼにも譲れないものがあった。
「じゃあせめて、食費くらいは出してもいいだろう?」
「えー、二人も三人も作る量そんな変わんないからいいわよ、めんどくさいし」
「作るのはおいらだけどねぇ」
「……よしわかった、こうしよう。俺が居るときは食事の担当は俺がする。これでどうだ」
家賃も食費もすべてウルリカ持ちというのはプライドが許さなかった。
「そこまで言うなら構わなけど、調合も手伝ってもらうわよ? タダで」
「家賃分は働くさ」
「家賃分で済めばいいけどね」
ぼそりとつぶやかれたウルリカの言葉を、ロゼは聞こえなかったことにした。
夕食が終わって3人で片づけをした後、依頼の受け方や街の話を聞き、明日いろいろ案内してくれるということで各自部屋に戻っていった。
ロゼの部屋はベッドひとつだけで家具もなにも無く、まだ殺風景だったがこれから少しづつ、自分の手で増やしていくのだと思うとワクワ クした。
<まずは洋服棚かな>
屋敷を出るとき、自分の荷物の少なさを知って驚いた。
考えてみれば家具類はすべてもともと屋敷にあったものだし、服も大半がリリアの好みで選ばれ支給されたものばかりで、自分で買ったも のはほとんど無かったのだ。
<おかげで楽でよかったけど>
ここでは、自分の面倒は自分で見れる。
やっと小さな井戸から出ることが出来た今、開放感はあれど不思議と不安はひとつもなかった。


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