恋心の条件



大きな牙を生やしたイノシシ型のモンスターはレストランの一階の屋根ギリギリほどの大きさがあり、明らかに興奮している。
「うわあああ!!」
悲鳴を上げたのは騎士の剣を自慢していたフレデリックだ。
「お前ら、早くあいつをどうにかしろ! そのために雇われてるんだろ!!」
「お黙りなさい見苦しい!!」
泡を食って怒鳴り散らす優男を一喝し、リリアは魔物と退治する。
(っていっても、これはちょっとまずいわね)
店には客は自分たちだけだが従業員がたくさんいる。
彼らは無事逃げているだろうか。
いや、自分たちがここにいては置いて逃げられないかもしれない。しかし、ここでこの魔物に背を向ければ襲われる可能性が高い。
だからといって戦うにしても自分たちは魔力はあれど、力技には弱い。
「お嬢様、お逃げください。ここは私が」
「だめよ、あなたひとりでどうこうできそうな敵ではないわ」
ウィムの提案にも首を振る。
自分が居ても足手まといになるだけかもしれないが、それでも残してひとり逃げるなんて出来るリリアではなかった。
ガッガッと足を鳴らし、今にも突進してきそうな魔物を睨み付けたまま、頭の中で考えを巡らす。
そのとき、その魔物の巨体が横へ吹っ飛び、後を追って目の前をなにか緑色のものがすばやく横切る。
「え?」
「い、今、なにか見覚えあるものが通りませんでした?」
ウィムは襲われそうになっていた緊張も忘れ目をパチクリさせる。
「なに言ってるの。気のせいよ、あれがこんなところにいるわけが……」
魔物が吹っ飛んだ先で再び暴れ、物が壊れる音がするが、ふたりはそれどころではないものを見た。
「いえ、でもあの特殊なフォルムはそうは……」
「高飛車女!! 無事!?」
しかし、必死の否定もむなしく決定的な人物がトレードマークとなりつつある小さなマナを連れて魔物の開けた穴から瓦礫を乗り越え現れ、リリアを呼んだ。
「い、田舎娘?!」
「ウルリカさん!?」
やはり、さっき魔物を吹っ飛ばし横切ったのは自称妖精のペペロンだったのだ。
「な、なんであなたがこんなところにいるの!!」
ウルリカの住んでいるロックストンの街はここから馬車で数日かかる距離にある。
そうそう立ち寄れるものではないし、偶然にしては出来すぎだ。
「なに言ってんのよ。あんたが見合い嫌だから助けてって言うから」
「そちらこそなに言ってらっしゃるのかしら? たかがお見合いごとき、わたくしにとってたいしたことじゃ……ウィム?」
定番となった二人の応酬が始まると同時に冷や汗をかき、目を泳がせたマナを不審に思い名前を呼ぶと、懸命に手と首を振り出した。
「いえ、私はそんな、ウルリカさんには一言も!!」
「田舎娘『には?』」
「あーーー!!違うんです、そうじゃなくて、そのっ」
「ちゃっちゃと白状しなさい! あなた、わたくしに黙ってなにをしたの!!」
「すみません! でも、思い悩むお嬢様を黙って見ていられなかったんですぅ〜〜〜」
乱暴に胸倉をつかまれ泣きながら訴えるウィムと、鬼の形相で詰め寄るリリアを無視して、ウルリカは怒鳴った。
「ちょっと、揉めるならあとにして!! ペペロンが押さえてる間にさっさと逃げなさい!!」
今もペペロンと魔物の格闘は続き、周囲の建物や人々に被害が出ないよう力技で押さえている状態だ。
すぐにでも手助けに行きたい気持ちを押さえ、レストランの従業員たちにも逃げるよう促し、とりあえずリリアやフレデリックの 無事を確かめた彼らは素直に従い走って出て行く。
しかし、リリアは違った。
「ふんっ! あなたなんかの助けを借りなくても結構! わたくしは一人でも十分対処出来ます!」
学園時代からウルリカのことを気に入らなかったリリアは、今、ロゼのこともあり余計ライバル視している。
そんな相手の言うことを気の強い彼女が聞くはずもなかった。
「なんですってぇ! あんた、人がせっかく―――」
「おねえさあん!! これ、いつまでも押さえてられないよぅ!!」
暴れるイノシシモンスターの牙を掴み、ひたすら押さえ込んでいるペペロンから助けを求める声が上がり、ウルリカは小さく舌打ちする。
「もう、勝手にすれば!?」
どっちにしろあの魔物さえどうにかすればここに危険は無い。
踵を返し、壁の向こうに消えるウルリカを確認してから、リリアは再度ウィムに詰め寄った。
「で? どういうことか説明してもらいましょうか?」
「お嬢様、顔、怖いですよ?」
「いいから答えなさい!!」
今度はこめかみを拳で攻められ、ごまかしきれないとウィムは悲鳴を上げつつ白状する。
「痛いです〜〜! すみません、ロゼさんにお嬢様が、無理やりお見合いさせられてすごく困ってる、助けてくださいって手紙書きました〜〜!」
「なんでそんな勝手なこと!!っていうか、なぜそれであの田舎娘がここに現れるの!!」
「わかりません〜〜!!」
手紙が届いたときロゼは家におらず、ウルリカが勝手に手紙を開けて読んだのだろうか。
しかし、短い付き合いではあったが、ウルリカはそんなことをする娘ではない。
ただ、横暴なので横から取り上げることはするかもしれない。
(ロゼは、その手紙を読んでも助けに来てくれなかったの?)
自分が望んだことではないこととはいえ、それはかなりショックだ。
「お嬢様……?」
途端暗い表情になり俯くリリアの顔を、やっと開放された頭を抑えつつウィムが覗き込む。
すると今度はさっきとは反対側の壁が轟音を立てて崩れ、そこにペペロンとウルリカが押さえているはずの魔物が現れた。
「うそ、なんで?」
しかし、よく見ると最初に現れたものより一回り小さい。
「もう一匹、いたんです!!」
ウィムが即座に衝撃から立ち直り、リリアを後ろに庇った。
「お嬢様、逃げてください!! お願いします!」
「ウィム!!」
咆哮を上げて突進してくる魔物に立ち向かい、ウィムは氷で作った盾を持ち突進を受け止め多少方向を逸らせたものの、やはり力では勝てず跳ね飛ばされる。
「ウィム!!」
リリアはもう一度名前を呼び、駆け寄ろうとするが、踏み出す前に再び突進してきた魔物の前に晒されてしまう。
「お嬢様!!」
ウィムの悲鳴が響き、突進した魔物はその勢いのままにリリアの居た場所を駆け抜け最初に空いた穴から表へ飛び出し、その先にある建物に ぶつかる音がした。
2匹目の登場に集まっていた街の警邏兵の怒号が上がる。
「お嬢、さま……」
最悪の事態が頭に浮かび、ウィムは倒れたまま呆然とする。
しかし、リリアはかすり傷ひとつ負わず無事だった。
「大丈夫ですか、お嬢様。怪我は?」
魔物によって、同じように跳ね飛ばされてしまったかに思えたリリアは、体当たりを食らう直前に現れたロゼの手によって、フロアの 奥に移動していたのだ。
「い、いえ、ないわ……」
膝に抱きかかえられた体勢のまま、すぐ目の前にある久しぶりに見るロゼの顔に頬を染め、リリアは答える。
「よかった。立てますね?」
「はい……」
(や、やだ、どうしたのかしら)
久しぶりに会ったからか、ロゼがものすごく格好良く見える。
心臓がドキドキしてまともに顔を見ることが出来ず、膝から降りて立ち上がると顔を伏せたまま胸を押さえた。
「あの、ロゼ、ありがとう」
ロゼは旅装束なのかこれまでリリアが見たことが無いような埃っぽい麻のマントを着ているが、その姿が余計男らしく感じさせた。
「いえ、間に合ってよかったです」
頬を染めて俯いたままのリリアに気づかないそぶりで、ロゼは未だ騒ぎの収まらない表に目を向ける。
「それにしてもなんだか予想以上に大騒ぎになってますね。なんでこんな街中にモンスターが……」
「ちょっと、なんで増殖してんのよ!! ペペロン、なんとかしなさい!」
「そんなぁ! いくらなんでもひとりで二匹は無理……ぎゃー!」
「……話している暇は無さそうですね」
どうも苦戦しているらしい。
ウルリカの怒鳴り声とペペロンの悲鳴、そして野次馬かそれとも街の警備の兵かわからないがたくさんの人たちのせっぱつまった声や建物の 崩壊する音が届き、ロゼは急いで倒れているウィムにも手を貸し立たせると「お嬢様を頼む」と言い、マントを翻らせ走り去る。
「お嬢様、申し訳ありません」
ウィムはあっさり跳ね飛ばされてしまったことを恥じ、謝りながら未だ胸を押さえたままのリリアに寄り添う。しかしまったく反応がない。
「お嬢様?」
「ウィム」
「はい」
「今のって、ロゼよね」
「はい?」
ぱっと勢い良く上げたリリアの顔は上気し、なぜか目が潤んでいる。
「ロゼって、あんな格好良かったかしら……」
「え?」
ウィムはもう聞き返すしかない。
「いえ、前からロゼはかっこよかったわよ!? だけどあんな男らしいっていうか、頼もしいっていうか」
熱に浮かされたようにしゃべるリリアは止まらない。
「なんか、違うのよ! 久しぶりだから? こんなに長く離れてたの初めてだし。でも!」
そのとき、ドォン!!というもう何度目かわからない爆音が響く。
「あぁもう! こんなときに邪魔ね!」
この熱い気持ちに浸りたいが、ロゼが、ウルリカが戦い続けているのにいつもの妄想に突入はできない。
「ウィム、行くわよ!」
「はい!」
なにを考えるにしても言うにしても、容赦なく暴れ続ける正体不明のモンスターをどうにかしてからだった。




「ウルリカ! ペペロン!!」
人ごみをかき分けて進むと、その途切れた先に2頭のモンスターとそれを一人で捌くペペロン、周りを槍で威嚇し囲む街の警邏兵と その兵に捕まっているウルリカがいた。
「邪魔よ! 離して!」
「だめだ、女の子があぶないぞ!」
「あんたたちよりよっぽど使えるわよ!」
「うー! うりゅりか、はなして!」
うりゅが小さな手で加勢しているが効果は無いようだ。
モンスターの方は突進を繰り返すだけの単純な攻撃しかしてこないが、タフなのでなかなか倒れない。
警邏兵が剣や槍で攻撃しても分厚く丈夫な毛皮がすべて弾き返してしまい、周りを囲って被害を抑えることしかできず、ペペロンは ペペロンで周囲の人間に気を使って力を出し切れずにいた。
「ウルリカ!!」
ロゼは腕を掴まれて暴れるウルリカを抱き寄せるようにして兵から受け取ると「何があったんだ!」と聞いた。
「なっ! なんであんたがここに―――」
「それを聞きたいのは俺のほうだが、今はそれどころじゃないだろう」
「そうだ、ペペロン! 大丈夫!?」
すぐにロゼの腕から抜け出し、ひとりがんばっているペペロンに声をかける。
「大丈夫、と言いたいけど、ほんと、そろそろどうにかしてくださいぃ!!」
真正面から突っ込んできた大きな方のモンスターの牙を両手で掴んで押さえ、横から来た一回り小さいもう一匹のモンスターを膝で蹴り上げる。
「どうにかっていっても……」
ウルリカの攻撃では焼け石に水だし、こんなにたくさんの人がいては大魔法を撃つわけにもいかない。
「ウルリカ、ラングレヘルン持ってるか?」
ロゼがウルリカの隣に立ち、自分の荷物を漁る。
「持ってるけど、あいつには効かないわよ」
もう試したが、厚すぎる毛皮一枚を凍りつかせるだけで数秒の足止めにしかならなかった。
「使い方次第だろう。これが俺の分だ。頼んだぞ!!」
「え? ちょっと!!」
「こら! きみ!!」
自分の分のラングレヘルンもウルリカに押し付け、ロゼはペペロンに加勢すべく剣を抜き進み出る。
その姿を見た兵のひとりが制止の声を発するがもちろん無視をした。
「お、おにいさぁん!!」
「大丈夫だペペロン、俺に作戦がある」
もう一度突進しようとした小さい方を、剣を前に出して牙に当て、体当たりをするような体勢で押し戻すように動きを封じ、ペペロンと 周囲へ向けて叫ぶ。
「今からこいつらをホテルのプールに誘導する! 兵は協力を、野次馬は退け!!」
このグレイグはリゾート地だけあってホテルも多くその施設も充実していて、海が近いにも関わらず大抵がプールつきだ。
今二人が戦っている場所から十字路を越え、その先にあるホテルの柵の奥にも広くて綺麗なプールが広がっている。
「何をする気だ!」
兵が誰何するが、ロゼの意図を読んだウルリカが苛立たしげに怒鳴り返した。
「うっさい! あんたたち威嚇くらいしか出来ないんだからそれくらい協力しなさい!」
「ロゼ!!」
そこへ、リリアとウィムが駆けつける。
「私もお手伝いします!!」
そう宣言したあとウィムが本性に戻り、氷の槍を構える。
「責任は、わたくしウォーレンドルフ家の者が持ちます! あの青年の言葉に従いなさい、魔物をプールに落とすのよ!」
貴族の名は効果絶大だ。
すぐに隊長らしき男がここは言うとおりにすべきだと判断して兵たちにプールまでの道を作るよう指令を出し、人垣を割っていく。
「お嬢様、感謝します!」
鶴の一声に礼を述べ、ロゼはポケットから取り出したフラムをモンスターの顔面に投げつけひるんだところで距離をとる。
ペペロンも力比べをしていた相手をひねり倒し、一度後ろへ引いてロゼ、ウィムと並んだ。
「こいつらはとくに技を使ってきたりはしないみたいだよ」
「馬鹿のひとつ覚えみたいに突進を繰り返すだけですね」
プールがあるホテルの庭は敵の後ろだ。
「なら話は早い。やつらの向きを変えて追い立てるだけだ」
ただ、あの巨体をどうやって後ろ向かせるかが問題なのだが。
「私に、やらせてください」
リリアの唯一の護衛としてついてきたのに何の役にも立てていない。
ウィムは決意硬くロゼを見た。
イノシシ型のモンスター2匹はさすがにこちらを警戒しているらしく蹄を鳴らすだけで今は攻撃してくる様子を見せない。
「出来るか?」
3人の周りではリリア、ウルリカ、そして兵隊長の指示の元着々と包囲網が敷かれていく。
「出来ます」
「わかった」
ロゼとペペロンが万が一のときのために武器を構え、ウィムはその前に出て両手を掲げた。
「お嬢様を傷つけようとした罪は重いです!!」
そして勢い良く前に振ると、そこから大きな氷塊が音を立てて次々と生えるように隆起していく。 それはモンスターたちの足元からも出現し、その巨体を貫けないまでも難なく持ち上げひっくり返してしまう。
「「おおお」」
周囲からはどよめきが上がった。
「よし!!」
起き上がった直後のモンスターは見事に後ろを向いていた。
「ペペロン! 囮になるぞ!」
「了解!」
ロゼとペペロンはすばやく反応し武器を持ったまま2匹の前に躍り出ると、その頭をそれぞれの得物で殴りつけ気をひく。
「ガアアア!!」
もともと単純な思考しかできないのかもしれない。怒り狂ったモンスターたちは簡単に二人に釣られた。
「リリア、あんたもこれ持って!」
ウルリカは一抱えほどもあるレヘルンの半分をリリアに渡し、後を追う。
「え? あなた今―――」
レヘルンを渡された時点で作戦の目的がわかったリリアも急いで追いかけながら、今のウルリカの一言に耳を疑った。
(今リリアって)
聞き返したかったが思いのほか展開が早く、暇は無い。
メイド姿に戻ったウィムも加わり、3人は最後のタイミングをはずさないよう全力で急いだ。



「うわっと!!」
やはり四足は速い。
後ろから牙で突かれそうになりペペロンはとっさに前のめりになって回避した。
「おっと」
ロゼも走りながら横に避ける。
モンスターが時々道から外れそうになると囲んでいる兵が槍で追い返し、囮である二人が殴ったり斬りつけたりして軌道を修正した。
プールへの道筋は兵と街の男たちが協力して確保してくれている。
「追って来い!!」
二人は同時に柵を飛び越えホテルの庭に入り、モンスターは柵ごと塀を破壊して突っ込んだ。
またその後に女3人が続く。
「見えた!」
穏やかな水面をたたえるプールを目の前にし二人は足を止める。
「えっと、飛び込むの?」
「イノシシ相手にそこまでする必要はないさ」
ロゼは不敵に笑いそう宣言すると、すぐ後ろを追ってきたモンスターに向き直った。
「さぁ来い! 俺たちはここだ!」
「ゴオオォ!!」
挑発され、2匹は咆哮を上げる。
「はっ!!」
スピードを上げたのを確認し、ロゼはフラムを投げて爆発させ自分たちの前に煙幕を作った。
「飛べ!!」
そして衝突するぎりぎりで横へ飛ぶ。
目論見は成功し、闇雲に突っ込んできたモンスターはそのままプールへダイブした。
「後は任せて!!」
「ウィム、行くわよ!」
「はい!!」
そこへ間髪おかずウルリカとリリアがラングレヘルンをありったけ投げ込み、ウィムが自分の力を使って凍りつく速さと強度を促進させる。
ビキビキと音を立ててプールの水が暴れるモンスターごと凍りつく。
いくら強靭な肉体を持っていても周囲もすべてがっちり固められ、モンスターたちはやがて動けなくなった。
「やっ……た」
「やった、やったぞ!!」
「まだよ! 氷はやがて溶けるわ! 今のうちに拘束出来るような強力な鎖を!! すぐに一番近くの騎士団に応援を要請なさい!」
歓声を上げる兵たちに叱咤を飛ばしリリアが現場をまとめる。
ウルリカは後始末をそのままリリアに任せ、囮役をやりきった二人に駆け寄った。
「ロゼ、ペペロン! 大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
「あぁ、うまくいってよかった」
柔らかい芝生にへたりこんだ二人はさすがに息切れをしているが、怪我も無いようだ。
「う、おつかれさま」
うりゅのねぎらいの言葉にほっとした三人の表情が和んだ。
「でもなんでロゼがここにいるの? 仕事って言ってなかったっけ」
ウルリカも一緒にその場に座り、荷物から携帯用の水筒を取り出してペペロン、ロゼの双方に投げる。
受け取ったロゼは水をひと飲みしてからその疑問に答えた。
「仕事だったさ。仕事先の街から、終わってすぐにこっちに向かったんだ」
商隊の護衛の仕事先はグレイグより西、馬車で二日分は離れている街だった。
昨日の早朝、街に到着し現地解散をした後にすぐ馬を借り、休まず飛ばしてきたのだ。
「なんで? 来ないとか言ってたくせに」
ロゼが行かないと言ったからこそウルリカは同居人で事情もわかる自分が代わりにとはるばるやってきたというのに。
「お前が、こうやって馬鹿やってるだろうと思ったからだよ」
アトリエを出るとき、これまで必ず見送りをしてくれていたウルリカが部屋から出てこなかったときからひっかかっていたのだ。
夕飯の時には多少不機嫌だったものの普通に話していたのに、顔を見せないということはなにかをたくらんでいるという可能性が 非常に高い。
単純なウルリカの行動理由はこれ以上なくわかりやすかった。
そして、今たくらむことといえばひとつしかない。
(本当に来てるんだから、参った)
たしかに今回の騒動は彼女のせいではないのかもしれないが、類まれなるトラブルメーカーだ。どちらにしろなにかしら問題を 起こしていたに違いない。
「馬鹿ってなによ! だいたいあのモンスターは来たときにはもう暴れてたの! 私たちのせいじゃないわ」
「あいつらが暴れてなければお前たちが暴れてたんじゃないか?」
「そんなことないわよ!!」
「あるような……」
ペペロンがいらない突っ込みを入れて殴られる。
「とにかく! もうあんたの出番なんてないわよ。ウィムの依頼は私が請けることにしたんだから」
「依頼って……」
(あの手紙を依頼と受け取ったのか?)
やはりなにかずれている。
(っていうか)
「もう、見合いをぶち壊す必要はないと思うがな」
すでにこの騒動で十分壊れているはずだ。少なくとも今回の見合い相手がリリアに相応しくないことは証明されている。
(さっさと逃げたっぽいからな)
ロゼが助けに駆けつけたときにはすでに姿はなかった。
「ロゼ!」
そこへ後始末を終えたリリアがウィムを連れてやってくる。
見ればプールで凍りついたモンスターの周りを警邏兵が囲み、この海の町の青空に似つかわしくない長く黒いコートをまとった男が しきりに頭を下げなにかを説明していた。
「まったく、なに考えているのかしら! あのイノシシ、あそこでぺこぺこ頭下げてる錬金術師の作った合成獣(キメラ)で 逃げ出したのだそうよ」
それでいきなり街の中心にモンスターが出現したのだ。
「動けない間に麻酔薬を吸わせて縛り上げることになったわ。あとは任せて大丈夫でしょう」
「そうですか。お疲れ様でした」
「たいしたことじゃないわ。それより……」
眼中にないのかわざと無視をしているのか、ウルリカとペペロンの前を素通りして座ったままのロゼの前に膝をつけると、リリアは途端に 頬を染め、もじもじしだした。
「その、ロゼ。私を助けにきてくれたの?」
「え? いえ、その」
まさかそのつもりは無かったけれどウルリカがなにをやらかすか心配でだったので様子を見に来たとはいえず、しどろもどろになる。
そんなふたりの姿にウルリカは眉根を寄せた。
「なにあれ」
リリアに邪険に扱われるのはいつものことなので気にならないが、ロゼに対するあんな態度を見たのは初めての気がする。
学生時代はいつも声高に命令をし、無理やり言うことを聞かせている場面にしか遭遇しなかった。
ウルリカは立ち上がり、嬉しそうに見守っているウィムに「あんたの主、ちょっと変よ」と言うと「そんなことありません」と首を横 に振られた。
「絶対絶命のピンチに颯爽と現れ助けてくれた想い人! ウルリカさん、これはロマンスですよ! ちょっと予定とは違いましたが それでもお嬢様の心には十分響いたんです!」
目をうるうるさせて力説しだしたウィムにウルリカは「えっ?」と聞き返した。
「想い人って、高飛車女、ロゼのことが好きなの?」
「はい?」
今度はウィムが聞き返す番だ。
「まさか、ご存知無かったんですか?」
学園の知り合いすべてにバレバレだと思っていたウィムは驚きを隠せなかった。
「たぶん、知らなかったのおねえさんだけだと思うよ……」
そういうことに特に敏感でもないペペロンでさえ見ればすぐわかる状態だったのだ。気づかない人間の方が珍しかっただろう。
「えーっと、ってことは、ウィムはあいつに見合い相手からリリアを掻っ攫う王子様を期待してたわけ」
「そうです。これはもう、恋する乙女、みんなの夢ですから!!」
ロゼが去ってから、平静を装ってはいたもののリリアが大きく気を落としていることをウィムだけは知っていた。
今回の見合いだって、本人は貴族の務めだからと冷静に受け止めようとしていたが別の男と結婚しなければならないということに 傷ついていないはずはないのだ。
そこでウィムはプライドの高いリリアにばれないようこっそりロゼに手紙を書き、助けを求めたのだった。
「恋してると、その相手に助けてもらえて嬉しい?」
「当たり前です! だって、それだけ大切に思ってもらえてるってことですから」
「ふーん」
意味ありげな言葉を残し、ウルリカは飛んでいるうりゅを捕まえ抱っこするとペペロンに「ご褒美にアイスでも買ってあげる」と声をかけ、 相変わらず頬を染めたまま「わたくしのために駆けつけてくれるなんて」と伏せ目がちに言うリリアと、「いや、その」と後退りしつつ 戸惑うロゼを放置し、その場を離れたのだった。





レストランのあった中心街は大分破壊されてしまっていたが、そこを外れた通りにある店などは無事だった。
「んー、冷たい!」
「おいち」
「労働のあとの甘いものはおいしいねぇ」
二人と一匹は目的のアイスを買い、それぞれ堪能する。
「それにしてもあのモンスター、なんでリリアおねえさんたちのところを襲ったんだろう」
体も大きいしよく働いたからと、2個買ってもらったうちのひとつをすでに食べ終え、ペペロンは不思議に思っていたことを口にした。
まぁ、そのおかげで人攫いをせずに済んだので、結果的にはある意味助かったわけだが。
「おなかでも減ってたんじゃない? あそこレストランだしいい匂いしてたしね」
それはあまりにも簡単な答えではあったが、それだけに当たっているような気がした。
「キメラ、だっけ。錬金術ってあんなのも作っちゃうのね」
学園では生き物の合成など習わなかったが、書物にはよく書かれている。
「私、あぁいうのあんまり好きじゃないわ」
「うん。そうだね」
あの哀れな魔物たちの今後を考えると、手こずらされたとはいえ少し悲しい気持ちになる。
「ウルリカ!!」
そこへ、少し上擦った、ロゼの悲鳴のような声が響く。
「ウルリカ! ペペロン! 何のんきにアイスなんか食って―――!!」
だいぶ探したのだろう。
再び息を切らせてウルリカの元へ走ってきたロゼは膝に手をつき心底疲れたようにうなだれた。
「か、帰るぞ。もうここに用はないだろう」
「あんたはもういいの?」
「もういいもなにも俺は」
「ロゼ! 待って!!」
今度はそのロゼを追いかけてリリアとウィムが走ってくる。
うまい言い訳が思いつかなかったロゼは、最終的に戻ってくるよう言い出したリリアを振り切って逃げてきたのだ。
「まずいっ!」
「え? ちょっと、私もう少し見て回り……」
「そんな時間は無い!!」
ロゼはやけっぱちに怒鳴り、嫌がるウルリカを無視して取り出したリターンゲートを発動させた。



「行……っちゃいましたね」
「はぁ、はぁ」
もともと運動が得意なわけではないリリアは連続の疾走に息も絶え絶えで言いたいことも言葉にならない。
(もう、ロゼが出て行ったことには納得できていたと思ったのに)
求めるものはここには無いとロゼが出て行った日、それなら自分に振り向かせ、彼自ら戻ってくるようにしようと誓ったはずだった。
(こんな簡単に揺らいでしまうなんて!)
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「だい、じょうぶ、よ」
少しづつ息が整ってきて、ロゼも帰ってしまいだんだんと冷静になってくる。
「もう、いいわ。すぐ帰りましょう。今回の件であの優男とは破談になるでしょうし」
今のいままですっかり忘れていたが、今日ここに居た理由である見合い相手フレデリックはウルリカが来たとき、一番に逃げていった。
そんな腰抜けにウォーレンドルフの名を名乗らせるわけにはいかない。
「でも、よかったですね。ロゼさんが助けに来てくれて」
最初にウルリカとペペロンが現れたときは助かったもののどうしようと焦ったウィムだったが、きちんとロゼも現れ、魔物に襲われかけた リリアを守ってくれた。
あのときの自分の不甲斐なさを思うと少し辛いが、その分の反省は今後生かせたらと思う。
「良かったけど、良くなかったわ」
「え?」
しかし、リリアの返事はウィムの期待と違ったものだった。
「あんなロゼ、会いたくなかった」
「そんな、お嬢様……」
「だって、カッコよすぎるんだもの!!」
「はい?」
続いて発せられた言葉に、かくりと肩が落ちる。
「助けられたときにちょっと腕に抱かれたときのあの安心感! 話しかけられたときのトキメキ! あぁ、これまでこんなに心臓を 高鳴らせたことがあったかしら!」
「お、お嬢様?」
芝居かかった仕草で天を仰ぎ胸を押さえるリリアを、ウィムは止めることが出来ない。
「颯爽と現れて少しも物怖じせずあのモンスターを倒す策を考え自ら囮になるなんて、なんて完璧なの! 私の見る目は間違えていなかった。 やっぱりロゼは最高の人よ!!」
「は、はぁ」
(たしかに、少し印象が変わったような)
以前はもう少し頼り無げで、どことなく冷めていて面倒くさそうな顔をしているイメージがあったが、今日のロゼは力強く生き生きとして いて、思い返せば顔立ちすら大人びた男らしいものになっていた気がする。
「出て行くときに言った通り、ロゼは強くなるための努力をしているのだわ。彼は純粋に成長を始めているのよ。わたくしも、早く やらなければ」
街にアトリエを開くと決めたものの家のしがらみもありまったく進めていない。
今日のロゼを見て、リリアはますます決心を強くした。
「ウィム、馬車に戻るわよ。お父様を説得しなくては」
「はい!」
ロゼが変わった理由に不安を覚えたものの、元気になったリリアを見て、ウィムは笑顔で返事をした。





(なによ。あんなに怒らなくたっていいじゃない)
夜、ウルリカはベッドの中で不貞腐れていた。
リターンゲートを使いアトリエへ戻ってから、ロゼにこってりしぼられたのだ。

「俺は行かないと言ったし、お前にも関係ないことだと言ったはずだ!」
「関係無くないわよ! 私はあんたの同居人で家主なんだからあんたが出来ないことを代わりにやる義務も責任もあるもの!」
「出来なかったんじゃない、やらなかったんだ! 俺には俺の事情がある。余計なことにまで首を突っ込むのはやめろ!」
「じゃあなんでやらなかったの!? 正当な理由があるんでしょうね?」
「それこそお前には関係の無い話だ!」
「関係ない関係ないって、あんた私をなんだと―――」

終わらない喧嘩を収めたのはいつものごとくペペロンだ。

「まぁまぁ、おいらたちが行ったことでモンスターからリリアおねえさんを守ることが出来たんだから良しとしよう? おねえさんも、無理やり手紙を読んだことは確かに良くないことだったし。ね?」 
「「ふんっ!!」」

結局お互い鼻を鳴らし、そっぽを向いて口を閉じた。
どっちも悪いと思っていないので、言い合いを続けても平行線なのがわかっていたからだ。
そのままの空気で夕飯を済ませ、早々に部屋に上がってきたものの、こうして横になって改めて最初から考えてみると少し自分が 悪かったかな?という気分になってくる。
(そりゃ、無理やり手紙奪ったのは私だし?)
ちょっとした好奇心と軽い気持ちだったのだ。最初は。
(だけどあんな冷たい言い方されたらカチンとくるじゃない)

『行かない』
『だいたいお前には関係ないだろ』

それでもやはり嫌がる人のものを勝手に見たのはよろしくない。
それになんだかんだでロゼが来てくれたおかげで、あのタフな暴れイノシシを氷付けにすることができたのだ。
(うー、ちょっと悪かったかな)
たぶん、自分のこじつけの言い分よりも、ロゼの言っていることのほうが正しいのだ。
(出来なかったんじゃなくて、やらなかった、か……)
リリアがロゼに恋をしていると、ウルリカは今日まで知らなかった。
ロゼは知っていて、その上で行かないと言ったのだろうか。
(でもなんで?)
そこらへんの機微が、ウルリカにはまだわからない。

『そうです。これはもう、恋する乙女、みんなの夢ですから!!』

ウィムの言葉が頭に残っている。
女の子は恋をすると、その相手に助けてもらうことに喜びを覚えるらしい。
実際リリアも『わたくしのために駆けつけてくれるなんて』と嬉しそうだった。
(うーん、私は別に、嬉しくはないなぁ)
感謝はする。
けれど『助けて!』とは思わないし、それよりも助けることのできる側に回りたい。
もし今回自分がリリアの立場だったら礼を言うことは言うが、感動するよりも助けられたことを悔しく思うだろう。
(つまり、私はあいつに恋はしてないってことね)
アトリエに住んでいた幽霊、アンジェラが消えたあの日から、忘れようと思いつつ結局好きということについて考えずにはいられなかった。
告白されたわけではないしこれからされるかだってわからないが、大切な友人が自分の想いを犠牲にしてまで教えてくれたことを ぞんざいには扱えなかったのだ。
異性としての好き。つまり恋というものは恋愛初心者以下のウルリカに難しい問題だったが、今日、意外なところでヒントがもらえた。
(良かった。私はあいつに恋をしていない)
ウルリカにとって象徴的なカップルは両親だった。
夫婦、もしくは親である前に恋人同士だったふたり。
いつも仲はよかったが、彼らの世界はふたりだけでそこには子供であるウルリカすらも入っていなかった。
嫌いではなかったが、あんなふうにはなりたくない。
(今のままで、幸せだもの)
この生活を気に入っている。壊したくないのだ。
ウルリカは自分の気持ちを確かめほっとし、明日、今回のことをロゼに謝ろうと決め、すでに枕元で寝入っているうりゅを抱き寄せて 目を瞑った。


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