ゴースト 〜アトリエの幻〜(後編)


翌朝、大分減ったコンテナの中身の補充にペペロンは早くから採取に出かけ、アトリエには微妙な雰囲気の三人と一匹が残された。
<どうすればいいんだこれは>
まだ怒っているのかウルリカはロゼを見ようともせず、それを気にしてかアンジェラはウルリカとソファで話しながらもこちらを ちらちら伺っている。うりゅはぬいぐるみよろしく主の腕に黙って抱かれていた。
<いたたまれない……>
本当にいたたまれない。
<逃げよう>
こんな空気の中、どうすればいいのかわからないし、どうせやることもないのだ。
「ちょっと、出かけてくる」
『あ、ロゼさん! 待ってください』
一声かけ椅子から立ち上がり、扉へ向かおうとすると焦ったようにアンジェラが立ち上がりロゼを呼び止めた。
『昨晩は迷惑をかけてすみませんでした」
「いや、あれは俺が悪かったし迷惑なんかじゃ……」
『ウルリカの誤解も解けて、もう怒ってないんですよ、ほら!』
「うん、まぁ、そうね。一応」
話しかけるタイミングをずっと待っていたらしく、アンジェラに促されウルリカもうりゅを抱いたまま立ち上がると気まずそうに頬をかいた。
「昨日は一方的に怒鳴ってごめん。あの時の言葉、取り消すわ」
そして勢い良く頭を下げる。
こういうときのウルリカはとてもいさぎがいい。
「許してくれる?」
「許すもなにも、俺は怒っていない。ウルリカの反応は友人として当たり前のことだったんだから悪くないだろう?だからふたりとも、 謝らないでくれ」
こんな下手に出られてはこちらの調子が狂う。
「うー、なかなおり!」
「うん!仲直りね!」
うりゅの一言が締めとなり、ついさっきまで極寒だったアトリエの空気が一気に和んだ。
<良かった>
今日一日ずっとこのままだったらどうしようかと思った。
『あの、お出かけするんですか?』
「まぁ、暇だし酒場に依頼でも見に行こうかと……」
この場から逃げる言い訳だったと正直に答えるわけにもいかず、適当な理由をでっちあげる。
するとアンジェラは頬を染め、もじもじしだした。
『もしよろしければ、もう少しお話しませんか?』
「構わないが」
出て行く理由も無くなったので了承する。
『ひとつ、やってみたいことがあって。ロゼさんにお願いしたいなって』
「なんだ?」
「なになに?」
ウルリカもこの話は聞いていなかったらしく、一緒に聞き返す。
『これを、本当に最後のお願いにします』
手を胸の前で合わせ、ロゼを見つめる。
『キスを、してほしいんです』
「んなっ!!」
「えっ?! 今ここですんの?」
<違うだろ!!>
ウルリカの反応に心の中で突っ込みを入れつつ、ロゼはうろたえた。
「キスって、そんな、いきなりなにを―――」
『一度でいいんです! 恋の証を私にください』
「無茶を言わないでくれ!さすがにそれは無理だろう!」
やっと昨日のわだかまりも解けたと思ったらまた問題が起きる。
恋宣言をされてから災難続きだ。
しかも悪気もなにも無く、純粋な気持ちから言われることだから余計困る。
「えっと。じゃあ私、二階に上がってるから」
「だから待て!! 幽霊相手にキスもなにもないだろう! 第一触ることも出来ないんだぞ?!」
あっさり下がろうとしたウルリカを呼び止め、必死に否定する。
ただでさえキスなんて抵抗ある行為を、しかも好きな相手の目の前でなんて自殺行為に等しい。
「あ、そっか」
「『そっか』じゃない! お前も止めろ!」
少しはやきもちを期待したかった。
足を止めたウルリカは「えー」と不満そうだ。
「だって、私が口出すようなことじゃないし」
「こういうときは出してくれ!!」
つい本音から懇願してしまう。
「とにかく!幽霊であるアンジェラのその願いを叶えることは不可能だ」
ロゼはそう言うと腕を組み、顔を背けた。
「うーん、確かに触れないんじゃ仕方ないわねー」
『それなら、解決方法があります』
「なんだって?」
アンジェラから発せられた聞き捨てなら無い言葉に向き直ると、ウルリカが彼女に迫られ戸惑っている。
『ウルリカ、借りるわね』
「へ? なにを? うっ……」
すぅっとウルリカに重なるようになったアンジェラの姿が消えるのを目撃し、驚いて駆け寄る。
「ウルリカ!?」
「だ、大丈夫です。少し、体をお借りしました」
自分の身を抱き一瞬体の安定を失ったようにから足を踏んだあと、片手を上げる仕草をするウルリカを前に、ロゼは伸ばしかけた手を止めた。
「まさか、アンジェラか?」
顔つきが心なしか柔和な感じになり、気の強さを表していた明るく大きな緑の瞳が優しく細められる。
「はい」
丁寧な言葉遣いでにっこり微笑まれれば疑いの余地は無い。
ウルリカの体に入り込んだアンジェラは、眼鏡ももういらないと外してテーブルに置く。
「ウルリカには申し訳ないけれど、これなら、その、キスも出来ます」
頬を染め、照れたように顔を背けられ、ロゼは一瞬誘惑された。
「すみません、うりゅさん、席を外していただけますか?」
「う」
ウルリカの姿をとったアンジェラがやはり丁寧な言葉遣いで断りをいれ、うりゅは言われたとおり二階へ上がって行く。
「え? おい、うりゅ!?」
主の異変だというのに、その忠実なマナは怒るでも反発するでもなく素直に従ってしまった。
「うりゅ!」
<そんな馬鹿な!!>
うりゅは心のマナ。ウルリカが乗っ取られたことを理解できていないはずがない。
あまりに意外なことに呆然とすると、アンジェラに腕を取られた。
「うりゅさんは、私の気持ちをわかってくれたんです」
そして嬉しそうに再びやわらかく微笑む。
「ウルリカも、きっと私の気持ちをわかってくれるはずです」
中身がアンジェラとわかっていても、かわいいと思わずにはいられない。
<ダメだ、俺が好きなのはウルリカの姿をしたなにかじゃない>
混乱しつつも必死に否定する。
「ロゼさん……」
アンジェラは、名前を呼びながら前まで来るとロゼのつけていた眼鏡も手にとり少し背伸びをし、目を閉じた。
<ぐはっ>
「……あの、ロゼさん?」
いつまで待ってもキスをしてもらえないので目を開けると、ロゼは後ろを向いてテーブルに片腕をつき、もう一方の手で自分の顔を押さ えていた。
<キス待ちの顔が、かわいすぎる―――!!>
キスだけでこれでは、先が思いやられる。
だが、そんなことを考えているとは知らないアンジェラは悲しそうにうつむいた。
「やっぱり、私じゃダメですか……?」
ウルリカの顔で悲しそうに言われれば心が揺らぐ。
それでもやっぱり、見た目は好きな女であっても中身が違えば、それは別人なのだ。
だいたい、本人の意識の無いときにそんなことをしたら絶対後で半殺し以上にされる。間違いない。
「あぁ、すまない。君の願いを叶えてあげることは、俺には出来ない」
衝撃から立ち直るととっさに冷静を装い、目を伏せつつ申し訳なく言った。
「ウルリカの姿でも?」」
「え?」
しかし、思わぬ切り替えしにすぐに猫がはがれる。
「ロゼさん、ウルリカのことが好きなんでしょう?」
「な、なんでそれをっ?!」
「だって、私、見てました。ずっとここで、二人のことを」
<しまった! そうだった!!>
今更ながら、過去のあれもこれもすべて見られていたのかと思うと、ロゼは恥ずかしさで悶えたくなった。
「だから、ウルリカの体を借りればと―――」
そのことを踏まえての解決方法が、これなのだ。
そしてその告白が、逆にロゼの頭を落ち着かせた。

「だめだアンジェラ。君が乗っ取っている時点でそれはもう俺が愛しているウルリカじゃないんだよ」

ロゼが好きなのは外見だけではなく、中身も含めてウルリカなのだ。
口も態度も悪いし手も早いが、それ以上に純粋で、前向きで、どんなことでも受け入れ一番良いと思えることをする。
人を敬いもしないが絶対に見下すことも無い。
彼女の前ではすべてが平等でだれもがそのままの姿でいられる。
人、マナ、妖精、そして幽霊。どんな素性の者であろうと関係ない。
そんな彼女のすべてを愛しているのだ
「ごめん。でも好きなんだ。この想いを曲げることはできない」
「いいんです。謝るのは私のほうです。ごめんなさい。でも、そんなところも大好きですよ」
「アンジェラ……」
また泣かれるかと思っていた。
しかしアンジェラは泣くこと無く本当に吹っ切れたように嬉しそうに笑った。
「さようなら。みなさんに会えてよかった」
「え? さよならって―――」
聞き返すよりも早く、ウルリカの体が力を失いがくりと崩れ、ロゼはとっさに抱きとめた。
「ウルリカっ!」
「……う」
一瞬気を失ったようになっていたがすぐに目を覚まし、支えられた腕に縋りつくようにして片手で頭を押さえる。
「大丈夫か?」
「なんか、頭がガンガンする」
痛みに顔をしかめるが、足を踏みしめ立ち上がった。
「それより、アンジェラ、アンジェラは……?」
「とりあえず座ってろ」
椅子を引き寄せウルリカを座らせると、落とされた眼鏡を拾い上げかけ直し、部屋の中を見回すが姿が無い。
「居ないみたいだ」
「そんな……」
首を横に振ると、ウルリカは愕然とする。
「なにがあったか、聞かないのか」
「聞かない。乗り移られたのは、分かってる」
「そうか」
乗り移られている間の会話は聞かせることが出来ないことばかりだ。
こんなときに少しほっとしてしまった自分は薄情なのだろうか。
「アンジェラ。本当に、いないの……?」
乗り移られたことによって、なにかが起きたということはわかるのだろう。
ロゼはテーブルに置かれた眼鏡を、不安げ見返してくるウルリカに渡した。
「自分で確かめたほうがいい」
「うん……」
渡された眼鏡をかけ、おそるおそるいつもの彼女の定位置、ソファの前を見るが居ない。
その後ゆっくり部屋全体を見回してみてもやはり姿は見えなかった。
「行っちゃったんだ」
何度も部屋の中を確認した後、やっと諦めたように言い、ウルリカは肩を落とした。
「わかるのか?」
「うん、アンジェラが体を出て行くとき別れの声が聞こえたの。たぶん、気のせいじゃない」
前から言っていた成仏をしてしまったのだろうか。
「でも、最後の願い叶えてやれなかったのに……」
思わず呟いてしまい、「あっ」とウルリカを見る。
「キス、しなかったのね」
「あ、あぁ。できるわけ、ないだろ。アンジェラがいいって言っても体はお前なんだし」
なにかを考えるように黙り込んだウルリカに、不思議に思ったことを聞いてみた。
「勝手に体を使われたのに、怒らないんだな」
いつもの彼女ならたとえ相手がだれであろうとこんなことをされれば、なんてことをするのかと怒鳴り散らしているはずだ。
「怒れないわよ。だってアンジェラは……」
言いかけ、再び黙ってしまう。
<アンジェラは、居なくなってしまった。か?>
答えは得られなかったが、怒りよりも寂しさに耐えるような表情をしているウルリカを見て、ロゼはそれ以上なにも言わなかった。


夜、採取から帰ったペペロンにアンジェラが居なくなったことをウルリカが伝えると「そうかぁ。やっと成仏することができたんだね」と 驚くことなく受け止めていた。
「良かったのかな」
「良かったんじゃないかな。ここでひとりきりの夜をもう過ごさなくてすむし、きっと生まれ変わって今度こそ幸せになるさ」
「うん。そうね。そうだといいな」
ペペロンのその前向きな発言は複雑な心境のロゼにも救いだった。
「あ、でもアンジェラがいなくなったことは他言しちゃだめだからね」
「どうしてだい?」
「なんでだ?」
これから特に言う機会も無いだろうが聞き返すと、いつもの調子に戻ったウルリカが神妙な面持ちで言った。
「だって、家賃が上がっちゃうじゃない」
「あぁ……」
「……なるほどな」
こうしてアトリエで起きた幽霊騒動は、終わりを告げたのだった。





「ねぇうりゅ。私の話聞いてくれる?」
「う」
寝るために夜着に着替えベッドに横になったウルリカは、うりゅを両手で持ち上げ話かけた。
「なんかね、あの嫌味男が、あれよ、よくわからないんだけど、私の事好きみたいなのよ」
実はアンジェラにとり憑かれている間も、ウルリカの意識はあった。
彼女とロゼの会話をすべて聞き、見ていたのだ。
「うりゅも、うりゅりかすき」
「うん、私も好きよ。ペペロンもロゼもみんな好き」
むしろ嫌いな人がウルリカには居ない。
好きでない人はいるが。
「でもね、そういう好きじゃ、ないのよね。きっと」
恋愛の好きと友情の好きの違いがよく分からない。
確かにそれは違うのだろうとは思うのだけれど、それがどういうものか知らなければ想像もつかなかった。
「どうしようかしらね」
「うー?」
俺が愛しているウルリカとロゼが言った。
『愛している』と、確かに言ったのだ。
「うーん」
それを聞いた時、霊に憑かれているという異常な状況のせいか、夢を見ているような現実感の無さにただぼうっとしてしまった。
今になって徐々に実感が沸き、心臓が高鳴ってくる。
「うりゅりか、あかい」
「え? うそ、やだ」
言われて見ればいつのまにか頬が火照っている。
「あーもうやめたっ!!考えるのやめた!」
どうせいくら考えてもわからないのだ。
うりゅを開放すると枕もとのランプを消し、布団を引き上げる。
<だいたい、だからどうこうって話になったわけじゃないし!>
それにロゼは、ウルリカがあの会話を聞いていたことに気づいていない。
<そうよ、告白されたわけじゃないもんっ>
ロゼからすればもうしているのだが、彼女の中であの「好きだからに決まっている」は告白になっていなかったしすっかり忘れ去られていた。
<だから、いいのよ>
今の関係が好きだ。 干渉し過ぎず、でも離れ過ぎず、とても心地がいい。
男も女も無く、時には喧嘩し、じゃれあえる仲が一番安心できる。
これ以上のことは望まないし、なにより怖かった。
友達でさえ別れは辛いのに、それ以上大切な人を失うことになったら?
そう思うと、恋なんて感情無いほうがマシだとさえ思える。
<私はなにも見なかったし聞かなかった!!>
「うー?うりゅりか?」
布団にもぐりこみ、いきなり黙ってしまったウルリカにうりゅが話しかける。
「よし、そうしよう!決めた!」
「う?」
そう叫んで、顔を覗き込むように浮遊するうりゅを掴まえて抱っこし、再び寝る体勢に入る。
「うりゅ、大好きよ。おやすみ」
「うーだいすき。おやすみ」
もう使われることの無い黒の瞳は、箪笥の奥に大切にしまわれていた。



『これでもう、大丈夫よね』
乗っ取られた体が自由になるとき、ウルリカはそんなアンジェラの声を聞いた。
ずっとこのアトリエに気づかれずに住んでいたアンジェラ。
彼女はきっと、ロゼの気持ちを知っていたのだろう。
突然体の自由を失いとり憑かれたとわかったときは驚きとショックで混乱したが、不快感はなかった。
今思えば、たぶんひとつになったことで彼女の悪意の無い心を自然と感じ取れていたのだ。
目を閉じられたときはさすがに焦ったが、ロゼがキスを承諾しないと、アンジェラはわかっていたのだろう。
<私に、教えてくれるためにあんなことしたの?>
だからこそ、うりゅが逆らわず言うことを聞いたのかもしれない。
しかし、聞きたくても彼女はもういなかった。
<馬鹿よ。本当に、ロゼのこと好きだったくせに>
恋宣言の後、戯れにあんなやつのどこがいいのかと聞いた時、『無愛想でそっけないところかな』と笑顔で答えた。
変わってるなとは思ったが、逆にその理由で真剣な恋のだとウルリカに伝わった。
なのになぜ自分にロゼの想いを気づかせたかったのか。
<もっと一緒にいて、相談に乗ってほしかったよ>
光のもとへ帰ってしまったであろう美しく優しい友人を思い、ウルリカは一粒だけ、涙をこぼした。




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