ゴースト 〜アトリエの幻〜(中編)
| 『と、いうことなんですけど』 ウルリカとペペロンが買い物から帰るとロゼが頭を抱えていて、その原因をアンジェラが説明した。 「え?アンジェラ、こんなのでいいの?」 「それは、えっと、まぁ、おいらはノーコメントで」 ふたりの反応はとても微妙だった。 「でも確かに選択肢が私とペペロンとロゼしかいないんだから、他は無理よね」 「そもそも俺に無理に恋をするのをやめるべきだろう」 ウルリカが納得し、ロゼは反論をする。 <だいたい、俺が好きなのはウルリカなんだぞ!?> 先日した告白は華麗にスルーされてしまったが、だからといってもちろん諦めたわけではない。 そんなときに別の女性からの恋宣言は困る。大変困る。 「そ、それもおいらはノーコメントで!」 ペペロンは巻き込まれるのを恐れたのか、買って来た樽を持って倉庫にさっさと逃げてしまった。 <薄情者……> 力仕事関係でしか、頼りにしてはいけないらしい。 『無理にとか、仕方なくとかじゃなくて、ロゼさんだから恋をしたいと思ったんです。だめですか?』 「うっ!」 潤んだ瞳で言われ、ロゼは詰まった。 ここでダメだと言えば、ウルリカに間違いなく責められる。 「俺はなにもしてやれないが……」 『それでもいいんです、ありがとうございます!』 「なによその反応、冷たいわね」 <これでも、精一杯妥協したのに> できるだけ譲歩したものの結局責められる結果となり、ロゼは少し傷ついた。 それからも、アンジェラからの視線はかなり感じるが露骨に寄ってくることも無く、思ったほどの問題もなく過ごせた。 <だけど、やっぱり困るよな> どうにも常に見られているということがわかってしまった今気になって仕方ないし、何よりウルリカが「応援するからね」とか 言い出したのだ。 <応援とか、泣いていいか?> 好きな相手に自分相手の他人の恋を応援されることほど残酷なことはない。 <わかってはいたが、本当に片思いなんだよな……> 現実を見せ付けられて、さすがのロゼもへこむ。 <だいたい、なんでいきなり俺で、恋なんだ??> 夜になってようやく自分の部屋に戻ってひとりきりになることが出来、ロゼはベッドに横になると考え込んだ。 <未練ってのは分かるが、でも偶然居合わせただけの俺に恋なんてそう簡単に出来るものなのか?> 今、自分がまさに恋をしているからこそ疑問が残る。 そんな簡単に、人を恋愛感情で好きになれるものじゃないと。 <なんか、ひっかかるよな> アンジェラはいい子だ。それは確かなこと。 そうでなければあの勘の良すぎるウルリカがあそこまで懐くことはない。 <たぶん、なにか理由があるんだ> そういえば、自分は彼女のことをなにも知らない。 ウルリカとペペロンから聞いた少ない上に不確かな情報だけではなく、生前のアンジェラの姿を確かめなければならないと思った。 翌日の夜、人もまばらになった閉店間際。 ロゼは珍しくこの時間に酒場に来ていた。 「マスター、ちょっと聞きたいことがあるんですが」 カウンターでグラスを傾けながら片付けをしているマスターに声をかける。 ちなみに街に住むようになってから酒を出してもらえなくなってしまったので、中身は最近のお気に入りのレモネードだ。 「ん?なんだ?」 「俺たちが住んでるアトリエであったっていう殺人事件のことで」 今更聞くのもおかしいかと思ったが、マスターはとくになにか疑うこともなく「あぁ!」とうなずいた。 「あれか。にーちゃんたちが普通に住んでるんで忘れかけてたよ」 空き家の間は定期的に幽霊が出ただの呪われているだの噂になっていたが、ウルリカが借りるようになってからはまったく話題に上らなくなっていた。 「詳しく聞かせていただけませんか?」 「おお、いいぞ。どこから話すかな。あの子、アンジェラはここにもよく来てくれたよ。いい子だった」 アンジェラはすんでいる場所が近いだけあって、牡鹿亭にもよく父親の酒を買いに顔を出していた。 話し方も丁寧で人当たりのいい彼女はすぐに人気者になり、彼女を目にした男はみな虜になった。 「なんというか、おとなしい子でなぁ。もっと気が強かったりはっきり嫌なことはいやと言える性格ならよかったんだが」 言い寄る男を邪見に扱うことが出来ず、結果八方美人のようになり女に妬まれ男に狙われるようになってしまった。 「その気がなくても押せばいける!みたいに思われちまったんだよな」 アンジェラはいい人すぎたのだ。 「彼女とその家族を殺した大馬鹿野郎、アーサーもここに出入りしていたやつなんだ」 アーサーはアンジェラに惚れていた大勢の男の中の一人で不健康に細く、青白い顔をした青年だった。 「生まれてから一度も女に優しくしてもらったことがない奴だったんだよ。それがアンジェラみたいな美人に出会って、話しかければ笑顔で返事をしてもらえて、勘違いしたっていうか、のめり込んじまったんだなぁ」 最初の出会いは本当にちっぽけなものだった。 アンジェラが牡鹿亭のドアを勢いよく開けたところでアーサーと鉢合わせをし、彼女から「あ、ごめんなさい」と一言声をかけた。それだけだった。 謝られ、別にぶつかったわけでもないのでアーサーが「いえ」と小さく言うと、「よかった」と笑いかけ帰っていった。 その笑いかけられた瞬間に、アーサーは恋に落ちてしまったのだ。深い、深い闇の恋心に。 「そっからはすごかった。花束だの宝石だのドレスだの。一応仕事はしていて金はあったから、それを全部アンジェラへのプレゼントにつぎ込むようになったんだ」 しかし渡されるたびにアンジェラは断った。 「お花はどうか、ご自分の部屋を飾るためにお使いください」 「そのような高価なものは私の身にあまります」 「いただく理由がありません」 そして最後に「お気持ちは嬉しいです。ありがとうございました」と。 彼女からすればせっかくの好意を断る申し訳なさから出た言葉にすぎなかったが、言われた方はアンジェラは謙虚なだけで本当は自分のことを愛してくているのだと思い込んでしまった。 そんな誤解の積み重ねによって、あの事件は起きた。 「アンジェラに言い寄る男の一人に、すごく顔のいい奴が現れたんだ」 街から街へ、護衛の仕事を通し渡り歩くタイプの冒険者で腕もたち、精悍な顔立ちで細身でありながら筋肉質ですぐに女たちの間で話題になっていた。 「そいつがアンジェラに声をかけたんだよ。自分の旅に着いてこないかってな」 本気かどうかはわからない。 その冒険者の男がアンジェラに声をかけた場所はこの牡鹿亭でマスターもその様子を見ていた。 「ありゃ、だいぶ女慣れしてたぜ」 行く先々の街で女を調達し、たらしこむ冒険者はいくらでもいる。 「で、まぁ。注目の二人にそんなことがあればすぐに噂になって例外無く、奴の耳にも入った」 女たちは「なんであいつが!」と怒りを露にし、男たちは「とうとう持っていかれちまうか」とあきらめ半分だった。 しかし、アンジェラに真剣以上の恋をしていたアーサーは違うことを考えたのだ。 「そんでその夜に、アーサーは買ったばかりのナイフを持って、アンジェラの家に行ったんだ」 結果は、誰もが知っている。 アーサーはアンジェラ、その両親、祖母を全員殺し、最後に自分も命を絶った。 「アンジェラは、ほかの家族もだが、滅多刺しにされてそりゃあもうひどい死に様だったらしい。隣近所のやつらは悲鳴を聞いていたのにだれも助けなかった」 そう言って、マスターは事件の話を締めくくった。 ある意味、よくある話だ。 街角で誰かが殴られたり絡まれたりしていても通行人は大抵自分とは関係ないとばかりに素通りしていく。 <それでも、俺や、ウルリカたちがいれば……> 結果を変えることが出来たかもしれない。 生前に出会っていればと、不可能な可能性を悔やまずにはいられなかった。 「マスター。最後にもう一つ。その冒険者の見た目の特徴、なにか覚えてますか?」 一番気になる一連のきっかけになった男の特徴を聞く。 「んー、あのあとすぐまた別の街へ行っちまったから顔はよく覚えていないが。そうだな、にーちゃんと同じような奇麗な青い髪に青い目だったのは覚えてるな」 「そうですか。ありがとうございました」 ただ、優しく素直な娘とだけ思っていたアンジェラの本当の姿が、見えてきそうな気がした。 『おかえりなさい』 「ただいま」 帰ると、アトリエにいるのはアンジェラだけになっていた。 部屋に入ってすぐにメガネをかけるのはすでに習慣づいてしまっている。 「マスターに話を聞いてきたんだ」 コートを脱ぎ、椅子の背にかけるとロゼはそのまま腰を下ろした。 なにか話したいことがあると察したアンジェラがすぐそばに来る。 『そうですか』 何の?とは聞かなかった。 このタイミングで言われればそれはひとつしかない。 「……旅に誘われたとき、行きたかったのか?その、冒険者と」 『はい。行くつもりでした』 「なんでだ?そんな奴と行っても苦労するだけかもしれなかったんだぞ」 『それでも、自分をあの地獄から救い出してくれるのなら。彼が連れ出してくれると言うから……』 地獄。 それはアンジェラが言うからこその重い響きを含んでいた。 「今の、この生活が少しでも救いになれてるのなら嬉しい。けど」 ロゼはまっすぐ、アンジェラの黒曜の瞳を見て言った。 「俺は、代わりにはなれない」 『そ、そんなんじゃありません!!』 誤解をされていると知り、アンジェラは真っ向から否定した。 『代わりとかじゃないんです。第一私、あの方の事を別に好きでもなんでもなかったんですから!』 そして、悲しそうに語る。 『私は、私は生きているとき、誰のことも好きじゃなかった。それどころか、私を美しい娘だと自慢する家族も、見た目だけ で言い寄ってくる男の人も、陰口を叩くだけの女の人たちも、みんなみんな、大嫌いだった』 話している間に涙が溢れ、頬を伝っていく。 ロゼは黙って聞いているしかなかった。 『私の心はいつだって、醜かった』 アンジェラの細い顎から落ちる涙は、床を濡らさずそのまま消えていった。 そのとき、タイミング悪く部屋に下がって寝てしまったとばかり思っていたウルリカが階段を降りてきた。 もちろん眼鏡を忘れていない。 「アンジェラー、もしよければ……って、え?泣いてる?!」 すぐに泣いているアンジェラに気づき、正面に居るロゼを思い切り睨みつける。 「ロゼ、あんたアンジェラになにしたの?」 それは本気の怒りだった。 思わずたじろぐロゼにウルリカは詰め寄る。 「信じらんない、女の子泣かせるなんて! あんたはもうちょっとマシな人間だと思ってた!!」 激昂し言われる言葉にロゼは反論できなかった。 泣かせるつもりは、なかったのだ。 ただ、『恋をしてもいいですか』という真意が知りたくて、彼女の求めることがいったいなんなのか知りたくて話しただけだったのに。 それが結果としてアンジェラを悲しませ泣かせてしまったのなら、やはり非は自分にある。 言い訳もせず目を伏せるロゼの前にかばうようにして割って入ったのは、アンジェラだった。 『待って、違うのウルリカ! ロゼさんが悪いんじゃないの!』 涙の残る目で訴えられて、ウルリカは一旦だまる。 「いや、俺が悪いんだ。アンジェラ、すまなかった」 ロゼはそう一言謝ると、そのまま二人を残して二階へ上がる。 「あ、ちょっと!」 ウルリカの呼び止める声にも振り向かなかった。 「なにあれ、ほんっと感じ悪いんだから」 ぷんぷんと怒るが、それを困ったようにアンジェラが宥める。 『本当に、違うの』 「う……」 ウルリカは基本的に女性に優しい。 女ながらになぜか「女性には優しくあるべき」という思いがあり、とくにアンジェラのように素直な子にはめっきり弱いのだ。 「なら、いいけど」 話が長くなりそうだとソファに座り、手招きしてアンジェラを呼ぶ。 相変わらず座れているのかどうか分からないが、幽霊のアンジェラも同じくソファに腰を下ろした。 「じゃあ、なにがあったの?」 もともと残り時間が少ないかもという彼女と一晩一緒に過ごすために降りてきたので、ゆっくり悩みを聞こうとウルリカは問いかけた。 『少し、昔のことを思い出して悲しくなってしまっただけ』 俯いたアンジェラは、また涙が流れてこないのが不思議なほど、悲しそうな顔をした。 「そっか。ね、私そういえばアンジェラの昔のこと聞いたことなかったね。聞いてもいい?」 最初に話された過去が不幸すぎて、なかなか一歩を踏み出せなかった。 『うん』 こくりと頷かれ、少しほっとする。 「なんで、昔のことで泣いてたの?」 『私、友達いなかったって言ったでしょ?でもそれは当たり前のことだったの。だって、私もみんなのこと嫌っていたんだもの』 「そうなの?」 こうして話せるようになって毎日一緒に居るがとてもそんな子には見えない。 なので聞き返すと、『うん』ともう一度頷いく。 『家族も、他の人も、みんな二言目には「きれいでうらやましい」って。私のことなんてなんにもしらないくせにって、ずっと思ってた』 でも、臆病だから、いい子を演じていた。 それでも友達は出来なくて、ますます八方美人になってしまい、結局死ぬまでだれとも親しくはなれなかった。 「うーん。でも私たちと一緒に居るときのアンジェラは、全然そんなことないよ?」 確かに優しく人当たりもいいが、たまに幽霊らしく驚かせて見たりいたずらっぽく笑ったり、無理をしている感じはしない。 『それはね、たぶん、私がウルリカたちのことをよく知っているからだと思う』 話せるようになったのはつい最近だが、ウルリカたちがこのアトリエに住むようになってからずっと見てきた。 だからどんな人柄なのか知っているし、友達になりたいと思っていたのだ。 『それでわかったの。私、独りよがりだったって』 「ん?どういうこと?」 『つまりね、人にわかってほしいってばかり思っていて、相手のことをわかろうとしなかったのよ』 もっと前にそのことに気づいていれば、アーサーを無理心中を覚悟するまで思いつめさせることもなかったかもしれない。 「んー、難しいなぁ」 ウルリカは腕を組み、悩むように首を傾ける。 結果の出てしまっていることに助言をというのはかなり難しい。というか、無理だ。 過ぎた時は取り戻せない。 それでも、過去が悲しいとアンジェラが泣くのは嫌だった。 「私もそういうこと結構あるけど、何か違うのかな?あ、そうだ。アンジェラって怒ったことある?」 『怒るって?』 今度はアンジェラが聞き返す番だった。 「だから、『勝手なこと言わないで!』とか『私は綺麗でも嬉しくなんかない!』みたいな」 『な、無いかも』 怒るなんて、そんなことをしたらもっと嫌われてしまうと思ってできなかった。 「いいと思うのよ。自分のことをわかってもらいたいっていうのは当然のことだし、そっちばっかりに気がいって自分が相手をわかって ないなんてそこまで考えられる人なんてそうそういないんじゃないかな。むしろ一度怒鳴ってやるべきだったのよ!」 『でも、そしたら余計嫌われちゃう』 「嫌わない」 『え?』 「少なくとも私は嫌わないわ。あ、そうなんだ。じゃあ、どうしたらいいんだろうって思う」 『ウルリカは、確かにそうかも』 「でね、たぶんそう思ってくれる人は他にもいたよ。アンジェラが死んで悲しんだ人、いたんじゃないかな」 『それは……』 仮定の話でしかないと否定しようとしたとき、ひとりの顔が思い浮かんだ。 冒険者で、アンジェラを旅に誘った青髪の剣士。 次の街へ移る前にこの家に来て花束を置いていってくれた。 まだ自分が死んでしまったという現実を受け入れられず、なぜそんなことをするのか、なぜそんな悲しそうな顔をするのかと 不思議に思ったことを思い出した。 『あ……』 「いたんでしょ?そんな人」 心当たりがあるように黙り込んだアンジェラを見て、ウルリカがにこりと笑う。 <そういえば、酒場のマスターも来てくれた> 剣士と同じように花束を置き、ひとこと「すまんな」とつぶやいた。 他にも数人、花や飲み物を持ってきてくれた人がいた。 『私、なんて大切なことを……』 幽霊の姿となって長い間、揺らぐ意識の中で自分は死んでいないと思い込み、まるでここに居ないように扱う 人たちを否定し続けていた。 だから忘れてしまっていたのだ。 そんな風に、自分の死を悲しみ悼んでくれた人たちのことを。 『本当に、一番大切なことを、忘れていました……』 再び、なにも濡らさぬ涙がその瞳から流れ、ウルリカは慌てた。 「わっ! どうしよう、泣かないで!」 反射的に慰めようと涙を拭いとろうとした指も、アンジェラの顔を素通りしてしまい余計パニックになる。 「大丈夫! 思い出したんでしょ?! それならこれからもう忘れなければいいのよ!だれだって抜け落ちた記憶のひとつや ふたつあるもんなんだし!!」 どうしようもないのであわあわと手を振りながら必死にフォローした。 『ウルリカ……』 ほたほたと流した涙を両手で押さえながら、アンジェラは微笑む。 『ありがとう』 「え?」 『私今、最高に幸せよ』 自分を、心から想ってくれている人がいた。 ここに残ることなく天に昇ってしまった家族だって、疑惑にとらわれてしまい気づくことが出来なかっただけで本当は見た目も関係なく 心から愛してくれていたのかもしれない。 <あぁ。時間が、無くなってきてしまった> その事実をウルリカに教えてもらったことで、遠くに時々見えるだけだった光の渦が、いまやすぐ近くに常に見えるようになっていた。 >>BACK |