今、ここから始まる夢



その再会は本当に偶然だった。

「ふむ、申し訳ないが返事をするには少し時間がかかる。在庫の確認などもあるし、明日の昼過ぎには答えを出せると思うが」
ひげを蓄えた老年の紳士は書類に目を通しながら言った。
「ただ、今は他にも来客中でね。急なことで部屋が用意できるか……」
「いえ、外に宿をとるのでおかまいなく。明日の昼、また伺わせていただきます」
この男は昔から、使いで来るロゼのことをさげすんだ目で見る。
貴族の中にはそうでないものを徹底的に見下す者が居るが、この男はその類だった。
こんなところに長居は無用だ。
「では失礼致します」
膝を折ったまま頭を下げ、部屋を退室すると、後ろから「ふんっ」と鼻を鳴らすのが聞こえた。





「すまないねぇ、お客さん。今日はもう全部埋まっちまってんでさぁ」
「そうか……」
一晩泊まれる宿を探して6件目。
「金の牡鹿亭」という名のその酒場は、街の中心からはだいぶ外れたところにあった。
この時代によくある宿屋もかねている酒場で建物はだいぶ大きい。
着いたのが夕飯にはまだ早い時間であったにも関わらず、乾いた音のするベルのついたドアを開けた途端、人と料理の熱気に 押されるほど繁盛していた。
見た目どおり中も広く、たくさんのランプが部屋の中をくまなく照らしている。
そして一番奥のカウンターで、後ろの樽からせわしなくグラスにワインを注ぎウェイトレスの若い女に渡している筋骨たくましい 中年のマスターに声をかけると、6度目の同じ返事が返ってきたのだった。
「週明けから祭りが始まるからね。今はもうどこもいっぱいなんじゃないか?」
「そうらしいな、今実感してるよ」
「ありゃ、もう歩き回ったあとだったか」
がははと豪快に笑い、せめて一杯おごってやるよとワインの入ったグラスを渡される。
「すまないな。ついでに、食事を頼む。もちろん、そっちは代金は払うよ」
朝、男爵の屋敷を出てからなにも食べていない。
唯一空いているカウンター席に腰をかけ、ロゼはため息をついた。
明日、書類を受け取ったら帰りもまた片道5日間の行程だ。できるだけ体は休ませないといけないのに、このまま宿無しでは困ってしまう。
「今日は鶏のトマト煮込みとベルグラド芋の団子シチューがお勧めだよ」
「じゃあ、それで」
<だからといって、今更あの屋敷に戻るわけにもいかないしな……>
たぶん、屋敷の主はこうなるとわかっていて言ったのに違いなかった。
「はぁ」
再びため息がもれた。
と、その時、ドアを勢いよく開けて入ってきた一人の少女がすいすいと客の間を抜けカウンターへやってきた。
背中にどう見ても普通の女性が持てるとは思えない、たとえ持てても動けないだろうワイン樽を背負っているその少女はいやでもロゼの目をひいた。
その後ろには、見覚えのあるかわいらしいマナがふよふよと浮いていたのだ。
<あ、あいつ…確か>
なぜここに?
いろんな驚きが一緒になり、普段は常に冷静なロゼもさすがに思考が止まった。
「マスター、注文のゲルプワインできたわよ!」
「うー!」
ドスン!と大きな音を立ててワイン樽をおろすとそれによりかかり、「ふー」と息をつく。
「おぉ、助かった。ここ二日ほど大入りでな、ちょうど無くなりそうだったんだよ」
「そう思って急いだの。また注文よろしくね」
「おう!報酬はいつもどおりかみさんから受け取ってくれ。奥にいるから」
「はーい」
マスターと親しげに会話を交わし、慣れた様子でカウンターの端の仕切り板を持ち上げて中へ入ろうとしたウルリカは、視線を感じてふと振り向いた。
ばちっと音を立てて二人の目が合う。
「あ!」
ロゼは「しまった!」と思った。
なぜかはわからないが反射的にそう思った。
「あんた、嫌味男!」
でかい声でへんな呼び方をするなと声には出さず、顔を思い切りしかめることで表す。
だがウルリカはそんなことはまったく気にした様子も無く、うりゅを樽のなくなった肩に乗せ、づかづかと近寄ってきた。
「なにしてんのこんなとこで。ってかあんたこの街に住んでたの?」
それにしては見かけたことも無かったわね、と不思議そうな顔で聞いてくる。
「う。ろぜ、ひさしぶり」
つたない言葉で話しかけてくるマナの頭を軽く撫でてやりながら、ロゼは聞き返した。
「それはこっちのセリフだ。お前、この街にすんでるのか」
「なんだ、ウルリカちゃん。知り合いかい?」
ふたりのやり取りを見ていたマスターが笑顔で話しに混ざってきた。
「うん、一応。学生時代の同級生なのよ」
「ほう。じゃあ、あんたも錬金術師なのか」
「いや、俺は違う」
「学科は違うの」
「へぇ〜」
そこで厨房から声がかかり、マスターは中へ行ってしまう。
「マスターと親しそうだな」
「まぁね、卒業してすぐこの街にアトリエ借りたんだけど、その頃からお世話になってるから」
「アトリエ、やってるのか」
「そうよ、すっごいでしょー! ちょっと自信なかったんだけどなんとかなるもんね!」
ウルリカはえっへんと胸を張り、本当に嬉しそうに語った。
なぜこの少女はいつも無駄に元気が良くて、自信たっぷりなんだろう。
<少し、羨ましいな>
「で、あんたは?」
「仕事だ。屋敷の使いでこの街にいる男爵のところにな」
「ふーん。でもなんでこんな場末の酒場にいるの?」
「はいよ、鶏のトマト煮込みとベルグラド芋の団子シチューお待ち!」
するとまた、絶妙のタイミングでマスターが皿を持って現れ、会話に割って入ってきた。
「そうだ、ウルリカちゃん。このにーちゃん、宿を探してるらしいんだが、泊めてやっちゃどうだい」
「へ?」
「なっ!」
置かれた料理に目を向ける間もなく、ロゼは全力で否定した。
「いい! 宿は自分で探す!」
女の家に泊まれるわけがない。
しかも、最終的に一応和解したとはいえ、学生時代のあれこれを思い出すととてもお互い良い印象を持っているとは思えなかった。
「でもよーあんちゃん。ほんと今はどこも空いてないよ。人が増えてただせさえ良くない治安も悪化してるから野宿だって無理だぜ」
「いいわよ、別に。部屋余ってるし。来れば?」
突然ふられた提案に驚いて首を横に振るロゼをよそに、ウルリカがあっさり承諾する。
「は?」
「うち、この酒場を出て左に3ブロック行った路地にあるから。あ、余分なベッド無いから寝袋になっちゃうけどいいよね」
「いや、俺は……」
酒場のマスターやこれまでの店主がみな口を揃えて言うくらいだから、本当に今はどこの宿も空いていないのだろう。
だから泊めてくれるというのなら確かに助かるのだが、相手がウルリカなのがとても複雑で、どう反応したらいいのかわからない。
「アトリエの看板かかってるからすぐわかると思う」
じゃ、これ以上食事の邪魔をしちゃ悪いからと、ウルリカはロゼの返事を待たずに、まだ撫でてほしそうなうりゅを抱いてさっさとカウ ンターの中へ入って行ってしまったのだった。
「よかったな! あんたは運がいい!」
マスターはやっぱり豪快に笑うと、食べ終わったら会計はもうひとりのウェイターに言ってくれと言い、他の客の注文を取りに行ってしまう。
「いいのか悪いのか……」
あまりの急な展開に頭が追いつかない。
ひとり取り残されたロゼは、仕方なしにとりあえず出された料理を口に運ぶ。
それは安い酒場の食事とは思えないほど、とても美味かった。



「ここか」
言われた通りの路地を入るとすぐに、『ウルリカのアトリエ』と書いた木製の看板が目に付いた。
フラスコとうりゅがデザインしてありなかなかかわいい。 その古い建物にしては新しい呼び鈴の紐を引くと、すぐにドアが開かれた。
「いらっしゃーい」
「いらしゃい」
頭にうりゅを乗せ、満面の笑みを浮かべたウルリカに、逆にロゼは不吉な予感を覚える。
「さ、入って入って」
「あ、あぁ」
勧められるままに中へ入るとそこはなかなか広い空間で、中心に大きな長方形のテーブルとそれを囲む椅子、一番奥に竈と錬金釜があった。
「ここにひとりで住んでるのか?」
「んん、一応ペペロンも一緒よ。今日は採取でいないけど」
「そうか」
それにしても……。
「随分散らかってるな」
テーブルの上には隙間もないほど、調合器具や素材アイテムが散乱し、床には大量の木箱や布袋がそこかしこに放置されている。
「あっはっは、気にしない気にしない。アトリエなんてどこもこんなもんでしょ?」
そんなわけはない。
実際同じ錬金術師でもリリアのアトリエ部屋は常に整理整頓され、何かひとつでも床に物が落ちているということはなかった。
まぁ、あれくらい徹底しているのも珍しいのかもしれないが、さすがにここまでのはそうそうないだろう。
来て後悔した様子のロゼを気にするふうもなく、ウルリカは「泊まる部屋は2階ね」と階段を指差した。
「大丈夫、上はこんな汚れてないから。ちょっと埃っぽいかもしれないけど」
「あぁ、かまわない。世話になる」
とりあえず屋根があるだけでも十分だ。
さっそく荷物を持ち、2階へ上がろうとすると、不意にぐいっとバッグの紐を引っ張られ、思わずのけぞる。
「ちょっとまった!」
「……なんだ?」
止められた体勢のまま首だけ振り返ると、ウルリカはちょっと気まずそうに言った。
「あのね、泊めて上げるお礼に、調合手伝ってほしいの」
えへっと笑うウルリカに、「そんなことだろうとは思ってたよ」と、ロゼはため息と共に返事をした。



一旦空いているという2つの部屋のひとつに荷物を置き、降りてくると依頼の書かれたチラシを手渡された。
「これどっちか出来る?急ぎの依頼でメタガラスと炎の指輪なんだけど……」
「両方とも作れるな」
「じゃあ、指輪の方をお願い」
素材と細工道具を手渡され、ロゼは椅子に座ると作業できる場所を作るため適当にテーブルの上の物をどかし取り掛かる。
ウルリカもすぐに自分の調合に没頭し、ウルリカが材料を持ってくるように頼む声と、「う!」といううりゅの返事以外は沈黙の時間が 過ぎたのだった。
「ふぅ」
普段からリリアの調合を手伝うことが多いおかげか問題なく指輪が出来上がり、ロゼは必死に釜をかき混ぜるウルリカに報告した。
「おい、出来たぞ」
「ありがと!じゃあ、そのテーブルの端に置いてあるチラシの中から出来そうなのあったらやって」
「まだあるのか……」
見ると10枚近くの依頼書が置いてある。
これでは通りすがりのロゼの手も借りたいはずだ。
「なんでこんな無茶な仕事のつめ方してるんだ。もう少し自分の力量を考えたらどうだ?」
ウルリカ相手だと、ついついきつい口調になってしまうのはなぜだろう。
「借金あるんだから仕方ないでしょ! 泊めてあげるんだから黙って手伝いなさい」
「借金……って、お前、なにしたんだ……」
「あ! ちょっと、なにひいてんのよ。借金って言っても奨学金よ! 奨学金!」
とうとうかき混ぜる手を止め、誤解されないように説明する。
「奨学金?」
「あの学校学費が高すぎて払えないから奨学金制度を受けたの。私は入学金作るだけで精一杯だったし、学園入ってマナが生まれて 錬金術師にもなれば左団扇生活になれる予定だったし……」
「学費そんな高かったのか?」
「あんた知らないの? 1年で890000コールよ?!戦闘技術科はもうちょっと少なかったかもしれないけど、それにしたって高すぎ!」
  知らなかった。そういえば自分は今まで金で苦労したことは一度も無い。
「俺の学費は、お嬢様が払ってくれたから……」
「あー、あの高飛車女ね。まあ、無理やりつき合わせて学園に入れたんだから当たり前か」
ウルリカは納得したようにうんうんうなづきながら再び鍋を混ぜ続ける。
「確かこの街に来たのも、その旦那様の使いなのよね」
「あぁ」
「あんた、これからもずっとあの高飛車女のところで働くの?」
「いや、もうすぐやめるつもりだ」
すんなりと出た言葉に、ロゼは自分でびっくりした。
なぜこの女相手だと、いつも本音ばかりが出てしまうのか。
学園を卒業してからずっと考えてはいながら声に出せなかった思い。
もちろん誰にも話したことはなかったし、自分でも本気なのかどうかわからなかった。
ただそれは喉にひっかかった小骨のように不快で、常に存在を主張し続けていた。
「え? 辞めるの?」
「あぁ、俺もやりたいことがあるしな」
「へぇ、なに?」
「剣の腕を、磨きたいんだ」
会話をしながら、少しづつ考えと決意が固まっていく。
<俺は井の中の蛙だった>
アルレビス学園に入るまで、自分の強さを過信していた。
剣豪と名高い祖父に小さな頃から剣を習い、そこそこ使えると思っていた。
しかしいざ屋敷から出てみると自分は本当にそこそこで、もっと強い輩はいくらでも居たのだ。
あれから今まで、ずっともやもやしたものが心の中にあった。

―――俺はこれからもずっと、蛙のままで過ごすのか?―――

そう思うたび、ぞっと寒気がロゼを襲うのだった。
「十分、強いと思うけど」
現在進行形で辞めると決めそうになっていると知らず、ウルリカは気楽に会話を進めた。
「まだまだ足りない」
卒業間際、ウルリカと二人で祖父を探して山を歩いていたときのことを思い出す。
二人きりのところを心の狂わされた銀の髪の騎士に襲われ、危なかったときのことを。
<俺には女ひとりさえ、守れる力がなかった>
ペペロンが現れあいつを引き受けてくれなければ、どうなっていたかわからない。
学園祭ではグンナル教頭に二人がかりであっさりとやられ、参観日の日の魔物だって散々苦戦した。
「それで、修行の旅にでも出るわけ?」
そう言われ、ロゼは口をつぐんだ。
ウルリカに問われやっと具体的な対策がなにもないことを思い出したのだ。
そのせいで卒業後、だらだらと半年も屋敷で時間を過ごしてしまった。
「もしかして決めてない?」
図星をさされ、仕方なく認める。地に足を着いて前に向かっているウルリカの前ではかなり恥ずかしかった。
「まぁな……」
「じゃあさ、うちくれば?」
「……なんだって?」
「強くなりたいって言ってもがむしゃらに剣振り回してればいいってもんでもないでしょ。この街で護衛や魔物討伐の依頼こなしながら 腕磨いていけばいいじゃない。ついでに報酬ももらえてうちの仕事も手伝ってもらえて一石三鳥!!」
<いや、最後のは余計だろ>
それでもその提案はロゼにとっても魅力的だった。
「護衛の依頼か」
「うん、結構あるのよ。ほら、大きな街じゃない?定期的に商隊が出るのよね。あと、街の人の個人的な護衛依頼なんかもあるけど」
護衛なら他の冒険者との交流も出来るだろうし、魔物討伐はいい腕試しになる。
屋敷で従者として働いていても積めない経験をここではできる。
<俺が、本当にしたいことは……>


『殺しちゃおうかな。まずはそっちから!』
『やめろ!!!』


思い浮かぶのは動けない自分、彼女に向けられる刃。

―――強くなりたい。もう、あんな思いはいやだ―――

「ま、考えとくよ」
しかし心と裏腹にロゼはそう答え、次の依頼に着手した。





翌朝、いつもの習慣で日が出てすぐの頃に目が覚め、アトリエに降りると昨日のままのウルリカがいた。
「あ、おはよう。早いのね」
小さなマナはソファーの上で丸くなって寝ている。
「まさか、寝てないのか?」
「え? うん、まぁ、そうかも」
あれだけの依頼だ、徹夜でもしなければすべてこなすことは出来ないのだろう。
「あとこのアルテナ軟膏を瓶詰めするだけだから、それをしたら寝るつもり」
大きなあくびをしつつも満足そうだった。
「奨学金って、そんな急いで返さないといけないものなのか?」
どちらかというと怠け者のイメージのあるウルリカに、ロゼは疑問を投げかけた。
授業は寝る、課題提出は期限直前。なんだかんだで成績は「優」が多かったらしいがそんなところしか見たことが無いので、今のこの姿は意外だ。
「んー、そんなことないんだけど、目標、できちゃったから」
ロゼは知らないが、ウルリカは学園の入学資金を作るために大好きな食事をギリギリまで切り詰めて、長い時間をかけて金を貯めた経緯がある。
さぼると決めたら徹底的にさぼってしまうが、これをやると決めたらそれに向けて走り続ける。そんな単純ですべてに全力な性格なのだ。
「目標?」
「ひ・み・つ」
「俺のは聞いたくせに……」
納得がいかない。
「あんたみたいな嫌味男に話したら、何言われるかわからないもの」
棚から空の薬瓶を取り出しつつ言われた言葉に、ロゼはため息をついた。
「いい加減、その嫌味男っていうのやめないか?」
「えー、一番言いなれてるのに。じゃー、イヤミン」
「なんだそれは」
「やめろっていうからやめたんじゃない」
「普通そこは名前で呼ぶだろ……」
激しく脱力してしまう。
「じゃあ、ロゼ…?」
「うわ」
自分で要求したにもかかわらず、いざ呼ばれるとあまりの違和感に声が上がってしまった。
「なによ、せっかく呼んであげたってのにその反応?!だからイヤミンって呼ばれるのよ!だいたいあんただって人のこと馬鹿女と かおまえとかばっかで名前で呼んだことないじゃない」
その訴えはもっともだ。
「まぁ、確かにフェアじゃなかったな。ウルリカ」
「ぎゃっ」
ウルリカは思わず反射的に呻いた。
「きもい」
「お前、人のこと言えるのかよ……」
「だってなんかきもかったんだもん」
どうにも調子が狂う。
「まぁ、どうでもいいか。そんな呼ぶ機会なんてないだろうし。朝ごはんなら、階段横のドアの先に氷室があるから、そこからなんか 出して食べていいわよ」
やはり徹夜は辛いのだろう。
目をしぱしぱさせながら匙を取り出し、瓶に軟膏を詰め始めるが手つきがあやうい。
<今にもこぼしそうだな>
テーブルの上に並べれた薬瓶は10個以上ある。最後までもつのだろうか。
「いや、起きてすぐは胃が受け付けないんだ」
「そう?ならいいけど」
「というか……」

<だめだ>

「見ていられない」
「へ?」
手に持っていた瓶と匙をひったくられ、ウルリカは目が半開きの「女としてそれどうなんだ?」という顔でロゼを見返した。
「それくらい俺がやっといてやるから寝て来い。お前、ただでさえひどい顔が余計ひどくなってるぞ」
「なっ!」
つい、いつものクセでいらないことまで言ってしまう。
「いらないお世話よっ! これくらい大丈夫なんだから! わ、若いし!」
「それは理由になっているのか?」
ウルリカは奪われた瓶を取り返そうとするが、動きが鈍くてまったく相手にならない。
「寝ろ」
「やだ」
必死に奪い返そうと伸ばされる手を、ロゼがひょいひょいかわす。
「あれっ?」
「あぶっ!」
寝不足で足元がもつれ、ウルリカが顔面からテーブルへダイブしそうになり、手に道具を持ったまま受け止めたロゼはバランスを保てず 胸にその体を受け止めたままどすんとしりもちを付いた。
「いってぇ……」
「うぅ……」
なんとか手に持った瓶は落とさずにすんだようだ。
「だめ、くらくらしてきた」
「だから寝ろって言ったんだ」
ロゼの上に乗っかったまま、ウルリカは目を閉じそうになる。
「あ、おい、こら! ここで寝るな!」
「だってなんかあったかいし。ちょうどいい…まくら……」
「おい!!」
うとうとと、ウルリカはそのままゆっくり目を閉じ、すぐに寝息を立て始めたのだった。





「うー!うりゅいか、起きて」
「んー、うりゅもうちょっと。もうちょっとだけ」
「うりゅりか!」
ぺちぺちと頬を叩かれ、もうちょっとだけ寝かせてと、寝ぼけたままその小さな手を掴んでさえぎる。
「うー!だめ、もうお昼」
「……昼?」
途端にすごい勢いでウルリカが起き上がり、顔の上に乗っていたうりゅがコロンと転がる。
「どうしよう! 軟膏がまだ終わってない!!」
昨晩ロゼに手伝ってもらって大分進んだが、あとアルテナ軟膏だけが終わっていなかったはずだ。
「ちょ、なんで私ベッドで寝てんの? うそ、徹夜で仕上げるはずだったのに!」
ちなみに実は前の晩も徹夜していた。
二晩くらい寝なくても死にはしないしと突貫で依頼をこなそうとしていたのだが、自分のことだ、誘惑に負けてちょっとだけと寝てしま ったのかもしれない。
夜のことを思い出そうとしても、釜の前で最後の仕上げをしていたあたりから記憶がない。
「い、一応仕上げはした……はずだから、あとは入れ物に移せば」
なんとか今日中に間に合うはずだ。
「うりゅ、起こしてくれてありがとう!」
慌ててベッドから出ると階段を駆け下り、アトリエに入る一歩手前で足を止める。
「あれ? ここ、うちだよね?」
そこには見慣れない光景が広がっていた。
常に物の散乱していたテーブルの上が見事に片付けられ、広い空間が出来ている。
床に無造作に置いてあった箱や布袋は部屋の端に並べて重ねられ、ゴミ袋もまとめられている。
「うちって、こんなに広かったっけ」
そういえば、もう随分長い間まともに床の木の板を見ていなかった。
「あ、これ……」
きょろきょろ見回しながらテーブルに近づくと、そこには出来上がったアイテムと料理が置いてあり、その皿の下には一枚のメモ書きが あった。
『起きたら食え。泊めてもらって助かった。   ロゼリュクス』
「軟膏も綺麗に瓶に入ってる……」
ウルリカは複雑に顔を歪ませ、そこからふっと相好を崩して笑った。
「世話になったのは私のほうだっての」
もしまた彼に会えたら、この分の恩は返さないといけない。
ウルリカは上に残してきたうりゅを呼ぶと、機嫌よく用意された食事を食べ始めたのだった。



どうにか無事、書類を受け取ったロゼは街の外にある街道馬車の乗り場へ向かっていた。
予告どおりに男爵のところへいくと、嬉しそうに「昨日はすまなかった。宿はとれたかね?」と聞かれ、「はい、偶然街に住んでいる友人に 会いまして」と答えると途端に不機嫌な顔になった。
<あれは完全に野宿を期待してたな>
心の中でざまぁみろと言っていたことは内緒だ。
今頃、その泊めてくれた友人は起きただろうか。
彼女のことだ、あのまま夜まで寝かねないと思って出てくるときには起きていたうりゅに「必ず昼にはご主人様を起こすんだぞ」と 言い含めてきた。
「でもやっぱり、途中で寄って様子を見るべきだったかな」
きちんと起きれているのか心配で仕方が無い。
だが、あんなことをしてきて顔を合わせるのも気まずかったのでうりゅに任せたのだ。
<余計なことをしたかもしれないし>
ついつい手が出てしまい、アトリエ内を出来る範囲で片付けたりしてしまったのだが、喜んでくれただろうか。
「い、いや、別に喜んでもらおうとか思ってやったわけじゃないが」
それでも彼女が笑ってくれていたら嬉しい。
「ここで一緒に、か」
そこでやっと思考がときどき声に出ていることに気がつき、ロゼはひとりで顔を赤らめた。
<なに浮かれてるんだ、俺は>
当たり前のように出された提案。
そのとき、ずっと暗かった未来が一気に開けて輝きを放った気がしたのだ。
あとは自分次第。

―――やるしか、ないよな―――




屋敷に帰り着いて一週間後、ロゼは退職願を出していた。


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