二人のプリンセス(後編)
翌朝、迎えに来たラウルと共に、ペペロンは東街へ出かけた。
(気になるけどなー。見張るわけにもいかないし)
ウルリカはものすごく付いていきたかったが、それは恥ずかしいし情けないのでどうにか我慢して送り出した。
シルヴィアは嫌いだが、あの騎士がついていればそう変なことも起きないだろう。
「お昼終わったら帰ってくるかな」
もしかしたらもっと早いかも知れない。
すれ違いが起きないように、今日は一日アトリエで調合して過ごそうと決めた。
招待されたモンテンタークの屋敷は貴族が集まる東街でもかなり大きな方で、芝生で青々とした広い庭は石畳と煉瓦の町並みの中でひときわ目立っていた。
澄んだ水を噴き上げる噴水がいかにもな優雅さをかもし出している。
門番はラウルの姿を認めると敬礼をし、「お帰りなさいませ」と重そうな鉄の門扉を開けた。
「ではどうぞ。大広間までの案内も私が勤めさせていただきます」
ラウルはペペロンに先に入るよう促し、それから横に立つ。
「広間でシルヴィア様がお待ちしております。そこからはお嬢様が。私は一旦部屋に下がらせていただきますので」
「え? 一緒じゃないのかい?」
「私は一介の使用人に過ぎませんから」
ずっとラウルが付いていてくれると思っていたペペロンは一気に心細くなるが、貴族の世界ではなにかいろいろ決まりがあるのかも知れない。
無理強いは出来ないので覚悟を決めるしかなかった。
「こちらです」
長く広い廊下を歩き、しばらくして現れた一番大きな扉の前で立ち止まると、ラウルの手によって静かにその両開きの扉が開かれる。
「ごゆっくりどうぞ」
「は、はい」
一歩入るとすぐに扉が閉められてしまう。
「ペペロン様、お待ちしておりました」
入り口のすぐ前で、少女は待っていた。
相変わらず美しい銀色の髪がシャンデリアの明かりを受けキラキラと輝いてる。
今日は刺繍の入った濃紺のロングドレスを着ていた。
「お好きなものがなにか分からなかったので適当に種類を用意致しましたの。もしほかにも欲しいものがあればすぐに用意させますので言ってくださいね」
そう言って示された20人は軽く座れそうな縦長の立派なテーブルの上に、見たことのない豪華で彩り豊かな料理が並んでいる。
しかも、かなりの量だ。
「えっと、おいらのほかにも誰かお客が来るのかい?」
十人前はありそうな料理を前に、ペペロンは聞いてみた。
「いえ、もちろん私とペペロン様だけですわ。あ、お飲物はブラウワインでよろしいですか?」
「おいらお酒は飲まないんだ。って、え? これ全部をふたりで?」
「私はあまり食べないので、全部ペペロン様のものと思ってくださいな。遠慮なさらずにどうぞ。さ」
笑顔で席に案内されるが、最初からいろいろなものの規模の違いに戸惑うばかりだ。
シルヴィアは自分も席に着くと、「どうぞ、おかわりも用意させてあります」と食事を勧めた。
「あ、はい。頂きます」
いろいろ言いたいことはあったが、それよりも早く食事を終わらせて帰るが吉だ。
ここは素直に従い食べることにした。
(うわっ、おいしい)
調理法だけでなく元の食材からして高級なのだろう。
生まれて初めての味に軽く感動すら覚える。
「どうですか? お口に合います?」
「うん、すごくおいしいよ」
もともと大食漢なペペロンは次から次へと皿を空にしていった。
「よかった、喜んで頂けて。報酬にコールをお渡ししようとしたときは断られてしまったので、今回はこうしてお食事にしたんですの」
森で群から助けたあの日、別れ際に護衛の報酬にと硬貨の入った袋を渡されそうになったことを思い出す。
その袋は見るからに重そうで、かなりの額が入っていた。
困っている人を助けるのは当然の事だし、採取作業のついでだったのだからと断固とし受け取らなかったのだが、これならあの時受け取って置いた方がいろいろな意味で良かったかも
しれない。
ガツガツと食べるペペロンを嬉しそうに見つめながら、シルヴィアは「改めて、あの時はありがとうございました」と言った。
「ペペロン様のおかげで大切な家人や騎士たちを失わずに済みました。あそこまで遠出をするのは初めてで、整備された道なら安全だと思いこんでいたのです」
それならあの軽装備も頷ける。
「安全と言えるのは開けた街道や大通りだけで、少しでもはずれれば獣や魔物がどこにでもいるよ。次からは気をつければいいさ」
この国、いや、この世界には人間よりもよほど多く野獣や魔物が生息していて、彼らは危険な隣人としていつ近くにいるのだ。
「えぇ、ですから、ペペロン様、これからも私たちと一緒に居てくださいませんか?」
ペペロンは雲行きが怪しくなるのを感じた。
招待をされている身ではっきり答えることが出来ず、言葉を濁しているとそれ以上突っ込んではこなかったので少しほっとする。
そのまま微妙に気まずい食事の時間は終わり、ほとんど空になった皿達はあっというまに片づけられていった。
「ごちそうさまでした。それじゃおいらは……」
「もうひとつお礼を用意してあります。これなんですけど」
シルヴィアは空いている椅子の上に用意してあった包みを、早々に帰ろうとしていたペペロンに渡す。
「今評判の職人に作らせた服です。サイズはたぶんいいと思うのですが、よろしければ一度着て確認していただけますか?」
「服?」
「えぇ。余計なお世話かとは思ったのですが、たまにはこのようなものもよろしいのではないかと」
ペペロンは一瞬悩んだ。
いつも着ているこの服は妖精になろうと決めたときから貫いている格好で、自分のポリシーみたいなものだ。
が、今はとにかく早く帰りたい。
逆らっても彼女の押しの強さに勝てるとも思えないし、ここは着て見せてサイズもピッタリと納得してもらうのがいいだろう。
「隣の部屋には今誰もおりませんから、そちらでお着替えを」
「う、うん」
促されるままに部屋を移動し、大人しく着替える。
渡された服は黒い詰め襟で、金の糸で刺繍がされていた。
作りはまるで騎士の礼服のようにごついが、見た目はペペロンからすれば派手に見える。
しかし、布地は柔らかく軽い。しかも多少の伸縮性もあるようだ。
サイズもピッタリで、そこは少し不思議だったが貴族の子女は皆裁縫を嗜んでいて自分でドレス一枚を縫えるほどだというから、人の服のサイズを見る目も長けているのかも
しれない。
着替えて広間に戻るとシルヴィアは目を輝かせた。
「あぁ、やっぱりよくお似合いですわ! どうですか? きつくはありませんか?」
「うん。ぴったりだよ。ありがとう」
「そうですか。でも、そのお帽子も脱がれた方がもっとよろしいと思いますわ」
「え? これかい?」
ペペロンは付けたままの妖精さん帽子を指摘されて慌てた。
服を着替えることは出来てもこれだけは脱げない。
「この帽子は妖精さんにとって命の次に大事なものなんだ。だから絶対にはずせないんだよ」
苦しい言い訳だが、シルヴィアはそれ以上追求せず「それなら仕方ありませんわね」と納得してくれた。
「じゃあ、もう十分お礼はしてもらったし、そろそろ帰るね」
そう言って再び着替えるために隣の部屋に戻るペペロンを、シルヴィアは何も言わず笑顔で見送る。
が、戻ってくると、彼女の口から爆弾発言が飛び出した。
「では、今日泊まっていただく部屋に案内致しますね」
「はい?」
(泊まる?)
まさに青天の霹靂な言葉にペペロンは思考が停止し首を傾げる。
「えっと? 今なんて?」
「ですから、泊まっていただくお部屋に。客室の中でも一番広い部屋を用意致しましたのよ」
さらっと笑顔で勝手なことを言う。
こればかりは人の良いペペロンも了承出来なかった。
「悪いけど、おいら帰らなきゃ。おねえさんが待ってるし」
「いけません! あのような所へ帰るなど」
そして、どれだけペペロンが虐げられているかを訴える。
「ペペロン様のご主人、ウルリカさんとおっしゃいましたか。あの方の手の早さと口の悪さは人を雇う者として最低ですわ!
しかも、人を人とも思わないあの言いぐさ!」
「ちょっと誤解されやすいけれど、おねえさんはいい人だよ」
「ペペロン様は騙されているのですわ!」
「そんなこと……」
「マーサ!」
「お嬢様、お呼びですか?」
名を呼ばれ、部屋の外に控えていたであろう女中が静かに入ってくる。
「この方を例の客間にご案内して」
「かしこまりました」
「え、ちょっ」
「ペペロン様、しばらくゆっくり食休みされてください。またお茶の時間に迎えを行かせますね」
基本女性に逆らえないペペロンは女中に従うほかない。
「おねえさんは、本当に優しいんだよ」
そう言い残して、部屋を出て行った。
「お嬢様! ペペロン殿をアトリエに帰して差し上げてください」
シルヴィアの部屋にラウルが乗り込んでいったのはその数刻後だった。
一応ノックをし、「失礼します」と声をかけ入った後すぐに説得にかかる。
「私が聞いていたのはあの時の御礼として食事に招くということだけです。ウルリカ殿にもこんな長い間彼を拘束するとは話していない」
「拘束などと人聞きの悪い。今は少しお休みいただいているだけです」
「それならアトリエに帰り、そちらで休んでいただくべきです。ペペロン殿はそちらを望むでしょう」
「なぜ? あんな鬼のような女のところよりも私とこの屋敷にいた方が、あの方の為にも良いわ」
「あのお二人はとても強い絆で繋がっております」
確かにシルヴィアの言うとおり、ラウルたちの前ではウルリカにぞんざいな扱いを受けていたが、ペペロンはそれを享受していたし、
明らかにシルヴィアの示す好意に困惑していた。
「あの方の優しさにつけ込むのはやめなさい」
「付け込んでなどいません!」
実は、シルヴィアとラウルは森で出会う以前からペペロンを知っていた。
春が終わる雨の日、久しぶりに帰ってきた父親とケンカをしたシルヴィアが家を飛び出てしまい、北街で絡んできた男を背後に立つだけ
で追い払ってくれたのがペペロンだったのだ。
やっと探し当てたラウルが無事を確認し、「あの方なの」と持っている傘を渡してくれた相手を指し示された先に見えた緑色の服を着た大男。
だからこそ森で突然現れたときも驚きはしたけれど恐れなかったし、そのまま同行を求めた。
ペペロンにとって困っている人を助けるというのは口だけではなく本当に自然なことなのだと、生まれと見た目のせいで打算無く自分と接す
る人間のいなかったシルヴィアには衝撃だったのだ。
「私はペペロン様をお助けしたいだけです」
「しかし……!」
「あなたにはまだ私に命令をする権利など無いはずよ!」
終わらぬ説教に不快感を示し、シルヴィアは命じた。
「この屋敷の主は私です。ラウル・ランバレル。あなたに蟄居申し付けます」
「……は」
これ以上の対話は無駄だった。
日が傾き、夕暮れに差し掛かったころ、ウルリカの苛立ちは頂点に達していた。
「遅い!!」
礼に食事をと言われて出て行ったのにもう何時間も経っている。
たかが食事にこんなに時間がかかるものなのか。
「あの女、やっぱりなんか企んでたわね」
シルヴィアのペペロンに対する態度は一度助けてもらったからというだけでは説明がつかなかった。
シルクのドレスを着た貴族の女性が、それだけの相手にこの汚い(自分で言うのもなんだが)アトリエの床に膝を付いたりするものか。
「ペペロンの馬鹿! あの女のほうが私よりいいわけ!?」
綺麗なシルヴィア。
ウルリカでさえ憧れるような完璧な容姿と肢体を持っている。
今もペペロンが彼女と二人きりでいると思うと、ウルリカは居ても立ってもいられなかった。
「問いただしてやるんだから!」
屋敷の場所は今朝ラウルに聞いている。
そうひとりで怒鳴って、アトリエを駆け出した。
「どちら様でしょうか」
屋敷に着くと、門番が威嚇するように槍を傾けその先を塞いだ。
「ウルリカって者だけど、今朝うちのペペロンがここに来たでしょ。会わせてもらえる?」
「申し訳ありませんが、そのような方はいらしておりません。お引取りを」
「は? なに言ってんの?」
「お引き取りください」
おかしい。
今朝ここにペペロンは連れて来られた筈だ。
ただならぬ気配を察してウルリカは強行突破しようとしたが、二人の門番に遮られた。
「通して! ペペロン返しなさいよ!」
こんなことになるなら行けなどというのではなかった。
不安に叫ぶウルリカとそれを押し止めようとする門番との小競り合いになったとき。
「その方は私の客人だ」
ペペロンを迎えに来た騎士、ラウルが三人の元に来てウルリカに手を差し伸べた。
「ラウル様。いくらあなた様がシルヴィア様の許嫁でも……」
「この方を迎えに来ただけだ。すぐ部屋に戻れば問題無かろう」
シルヴィアに蟄居申し付けられたことは門番にまで知られているらしい。
それでもラウルは平然として答え、もう一度ウルリカに向かって手を差し出した。
「どうぞ、ウルリカ殿。お待ちしておりました。私の部屋にご案内いたします」
もちろんウルリカはラウルと約束などしていない。
しかし、屋敷に入れるチャンスには違いなかったので、「待たせちゃって悪かったわね」とその手を取ることにした。
屋敷の中は想像以上に広く、ウルリカは思わず天井を見上げた。
(はー。世の中にはほんと、こんな暮らししている奴がいるのねー)
一時期など食うも食わずの生活をしていたウルリカからすれば別世界だ。
「ラ、ラウル様! いつのまに外に!」
「細かいことは気にするな。さ、狭いところですが、どうぞ」
ラウルの部屋の前には見張りが居てなにやら驚いていたが、それを無視して二人は中に入る。
ラウルはまず開いたままの窓を閉め、それからソファに座るように促した。
「茶も出せずに申し訳ない。今は部屋から出ぬよう言いつけられている身ですので」
なので偶然門で言い争っているウルリカを見つけたラウルはこの二階の窓から飛び降りて出て行った。
ウルリカは「いいわよ、喉乾いてないし」と言った後、とりあえずさっきの会話で気になったことを聞いた。
「あんた、あの女の許嫁なの?」
「はい」
あっさり帰ってきた答えに、顔をしかめる。
「だったら止めなさいよ。なんでこんな好きにさせてるわけ?」
別の男を家に呼び、許嫁を部屋に閉じ込める。これはだれが見ても褒められた行為ではない。
「あの方は私の言うことには反発なさいます。一度は説得を試みましたが、これ以上は言っても逆効果になるだけです」
ソファの向かいにある職務用デスクに座り、ラウルは悲しそうに笑った。
「シルヴィア様は私に金で買われたと、思ってらっしゃいますから」
「どういうこと?」
一刻も早くペペロンを連れて帰りたい。
けれどそれには、このラウルとシルヴィアの確執を知ることが重要だと感じて、ウルリカは話を聞くことにした。
「5年前、仕事の関係で私の家に旦那様がシルヴィア様を連れてきて数日滞在したのです。恥ずかしながらその時私は初めて会った
シルヴィア様に一目惚れをしてしまって。
聡い旦那様にはそれをすぐに見破られてしまいました。そして去る前日にうちに来るかと、声をかけてくださったのです」
ラウルの実家は世界を股にかける貿易商で、貴族の位は持っていなかったがかなり裕福だった。
弟がいたものの、長男であるラウルを外に出すのを嫌がった両親は「いずれ婿養子として迎えたい」の一言に二つ返事で頷いた。
両家の結婚はどちらにも益をもたらす。
ラウルの実家には貴族の縁者を、シルヴィアの家には貿易の航路とコネを。
成り上がりの息子と馬鹿にされないため、ラウルはモンテンタークの後見を得て二年をかけて騎士の資格を取得し、その後多忙で当主不在
の屋敷にシルヴィアと一緒に暮らすようになった。
「それでなんで金で買われたことになるわけ?」
経緯を聞いてもウルリカにはわからなかった。
ラウルはシルヴィアを心から愛していて彼女のために厳しい騎士の修行に耐え、実家の跡継ぎの座を捨ててここに居る。
今だって説得を聞いてもらえず蟄居を申し付けられているにも関わらず、他の男といる許婚に対し怒りはなく憂い心配をしている。
「シルヴィア様のお父上は私を引き取ってから貿易の事業が増え世界中を飛び回り、ますます屋敷に帰ってこなくなりました。つまりそのための取引に
自分が使われたと思っておいでなのです」
「バッカじゃない!?」
「ウルリカ殿のお怒りはもっともですが、どうか今日一日だけは多めに見ていただけませんか」
話の流れからいってそう来ると思っていなかったウルリカは「は?」と真顔で聞き返した。
「明日には必ず、私が責任を持ってペペロン殿をアトリエにお送りいたします。ですからどうか。お嬢様がこんなに素直に誰かを慕うのは
初めてなのです」
なにも言わずウルリカからペペロンを取り上げることなどできない。
けれど今本人を目の前にし事情を説明したことで、ラウルは少しでも愛している人の願いを叶えてあげたいという思いが芽生えていた。
しかし、それを聞いたウルリカは、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「あんたたちがそうやって甘やかすから、あんな高慢迷惑女が出来上がったのよ!!!」
まさに怒り爆発状態だった。
「……おねえさん?」
「どうかなさいましたか?」
「ううん、なんでもないよ」
気のせいだろうか。ウルリカの声が聞こえた気がした。
夕方、ペペロンは茶に呼ばれて、昼と同じリビングでシルヴィアと向かい合って紅茶を飲んでいた。
茶葉も茶菓子もとても高級なものなのだろうが、今のペペロンには味気ない。
「おいら、やっぱり帰るよ」
「ペペロン様?」
「帰らなきゃ。おねえさんが心配してる」
ウルリカは意地っ張りだが実はすごい寂しがり屋だということを知っている。
理由も知らせず帰ってこない自分を心配しているはずだ。
それに今朝アトリエを出て行くとき、本当は彼女が嫌だと思っていることを、行かせたくないと思っていることをペペロンは感じていた。
ガタッと音を立てて立ち上がるペペロンを見て、シルヴィアはため息をつく。
これで彼が「帰る」というのは何度目だろう。
「わたくしは、ここにいるほうがペペロン様のためだと思いますけれど、そうですわね」
そう言って手に持ったカップを置き、テーブルに肘を着くとペペロンを見上げて微笑んだ。
「そんなに言うのならその帽子、記念にくださる? そしたら帰っても……」
命の次に大切だと言い張って絶対にはずそうとしなかった帽子。
あくまで帰ろうとするペペロンに対してのちょっとしたいたずらの気持ちで言った言葉。
しかし、ペペロンは迷わなかった。
「はい、どうぞ」
「ひっ」
あっさりとはずされた帽子の下から現れた異形の姿にシルヴィアは息を飲む。
微笑みは一瞬で消え、代わりに顔は青ざめた。
「どうしたの? いらないの?」
妖精帽子を差し出したまま、今度はペペロンが笑ってみせる。
「じょ、冗談です! 私、人に差し上げることはしても頂くことはしませんわ!」
なにかを誤魔化すかのように目を逸らすシルヴィアを、ペペロンは逃さなかった。
テーブルを回り、目の前に行くが、それでも彼女はペペロンを見ようとしない。
「そっか。……怖い?」
「!」
そしてやっと帽子をかぶりなおす。
「いいんだよ。異形のものを恐れるのは生き物としての本能。自然なことなんだから」
「恐ろしくなどありません!」
椅子を蹴るようにして立ち上がり激昂するシルヴィアは下から睨みつけるが、もうそんな強がりは通用しない。
「でもね、その目がおいらに言ってるよ。近寄らないで、化け物って」
瞳の奥に揺れる恐怖の色。
「私を愚弄するのですか!!」
怒りと共に振り上げられた手は、目的を達する前にペペロンに優しく押さえられた。
「強がってもだめだよ。こんなことしてもその恐怖は簡単に消えない」
一度芽生えた恐怖は命じるはずだ。
近づくな、そいつは危険だ。と。
案の定、掴んだ腕は小刻みに震えていた。
「ひどい。あの方には許すのに、私はだめなのね」
ウルリカの上げた手は受け入れられるのに、自分の八つ当たりは拒まれる。
それだけでもう、ペペロンの気持ちが見えるようだった。
「ごめんね。おえねえさんは、特別なんだ」
諦めたように力の抜けた腕に、ほっと息をつく。
「こんなことしなくても、あなたにはもっとふさわしい人がいるじゃあないか」
そう言ってその細い腕を放そうとした時だった。
「あ、あんたたちなにやってんの!?」
ここに居るはずのない人物の怒声が広間の壁を揺らした。
「お、おねえさん!?」
「貴女は……」
突如大広間に飛び込んできたウルリカの後ろには、困り顔のラウルが控えている。
「ペペロン! その手はなに!?」
指を刺して指摘され、はっとしたペペロンは慌てて両手を背中に隠すように回し、シルヴィアは大きく一歩下がった。
「お、おねえさん、ちょっと、多分なにか誤解――」
「問答無用!!」
言い訳しようにもまったく聞いてもらえず、ペペロンは勢い良く走り寄ったウルリカの拳を顔面に受け倒れる。
「ったく、帰ってこないから人がせっかく迎えに来てやったのに何やってんの」
「ウ、ウルリカ殿。せめて彼の言い分も……」
「あんたがいつもそういう甘いこと言ってるから、この馬鹿女が付け上がるのよ」
同じ男としてかわいそうになり、思わず庇おうとしたラウルをも腕を組んで仁王立ちしたウルリカは一刀両断する。
しかし、そのセリフを聞いて黙っていられなかったのはシルヴィアだ。
「ウルリカさん? 今のその言葉、どういう意味ですの?」
馬鹿女とは、自分のことを指して言っている言葉であると明白だ。
「どういう意味って、そのままの意味よ。わかんないの? なら大馬鹿女に昇格してあげるわ」
「そのようなことは昇格とは言いません!」
繰り広げ始められた女の戦いに恐れをなし、ペペロンは這うようにして扉で呆然と立つラウルの元へ逃げた。
「ラ、ラウルさん。これはどういうことなんだい?」
「さぁ、私にもさっぱり……」
突然キレたウルリカを追いかけてここまで来たものの、ラウルも展開についていけていない。
ここから男二人はすっかり蚊帳の外となった。
「だいたい無断で人の屋敷に忍び込むなんて女性のすることではないわ!」
「おあいにく様、正々堂々と正面から入ってやったわよ。あんたの甘っちょろい許婚のおかげでね」
「ラウルは親が勝手に決めた相手です! 私は了承していないし、これからもしないわ! しかも貴方のような野蛮な人を屋敷に入れるな
ど騎士としても失格よ!」
「あんたがひとんちの妖精無断で掻っ攫うからでしょ! そのフォローをしてくれた相手に少しは感謝したら!?」
「頼んだ憶えはありません! 金でだめなら次は媚を売ろうと必死なのでしょ!」
あまりにもラウルの想いを無視した言葉にウルリカは手を上げたくなったが、ぐっと堪え代わりに怒鳴った。
「この大馬鹿女! どんだけ頭固いのよ! 少しはそのちっさい頭に詰まってる脳味噌使ったらどうなの!?」
「なっ!」
二度ならず三度までも馬鹿といわれ、シルヴィアは怒りに肩を震わすが、ウルリカの説教は止まらなかった。
「悲劇のヒロインに浸りたいのかなんなのかしらないけどね、通りすがりのペペロンは信用できて、なんで自分の父親と、いつも一緒に
居てくれる許嫁を信用出来ないの!」
「あ、あなたになにがわかるんですの!?」
「あんたが大馬鹿だってことがわかるわよ!」
馬鹿呼ばわりはまだ続く。
「ちょっとは考えたことないわけ? この人だから、あんたみたいな大馬鹿許嫁がなにしようと庇って、諭して、助けようとするラウル
だから、あんたの父親が選んだって。そう考えたことはないの!?」
そして怒鳴りすぎて息切れをしてきたウルリカはこれで最後とばかりにはき捨てるように言った。
「打算で一番人を見てるのはあんたよ!」
その言葉はこれまでで一番、馬鹿女と言われることよりシルヴィアの心を抉った。
「お、おねえさん。もうそこらへんで……」
ペペロンたちの居る場所からはシルヴィアの後姿しか見えないが、それでも彼女が相当なショックを受けたことがわかる。
思わず口を挟んだペペロンを無視して、ウルリカは続けた。
「よく考えて、わかったらラウルに謝んなさい。もしまだ自分が金で買われた哀れな女だなんて思うんならまたアトリエに来るといいわ。
そのガチガチの石頭叩き割ってあげるから」
本当は違うということを、金や家柄の問題ではないということをシルヴィアはわかっているはずだ。
「なんで……?」
固めた拳が振るえ、その宝石のような青い瞳から涙がこぼれる。
気の強いシルヴィアが泣くとは思っていなかったウルリカは、ぎょっとして一歩後ずさった。
「ちょっと、なにも泣かなくても……」
「どうしてあなたはそんなに自由でずけずけと会ったばかりの他人に言いたいことをすべて隠さず言えるの!?」
「はぁ?」
それは当たり前のこと過ぎて、ウルリカには意味がわからなかった。
「そんなの、どう生きようが私の自由で言いたいこと言うのもやっぱり私の自由だからでしょ」
他に説明のしようがない。
「私にそんな自由はないわ! 貴族として、お父様の娘として生きるしかなかった。結婚相手さえ自分で選ぶことが出来ない!」
「あのねぇ……」
ウルリカは飽きれたように頭を掻いて、ひとつため息をつく。
「だれだってあるわよそれくらい。私だって六歳で両親が消えて一人で生きていくしかなかった。親戚も頼れる大人も近くには
居なくて自分でどうにかするっていう選択肢しかなかったわ。それが結果として今に繋がってるだけ。
あんたも親が居なくなってひとりきりになりたいの?」
「それは……」
ひとりになりたいわけじゃない。ただ、自由が欲しいと思った。空をどこにでも飛んでいける鳥のように。
「持っているものをすべて持ったままで、でもそれだけじゃ足りないの! とでも言うつもり?」
ウルリカの言葉のひとつひとつが背負いきれない重みを持ってシルヴィアに伸しかかる。
「あんたは今でも十分自由よ。この屋敷ではだれもあんたの言うことに逆らわない。行こうと思えばどこにだって行ける。それなのに
屋敷から出られない、貴族の娘として振舞わなければならないと思い込んでいるのはだれ? なんだかんだ言いながら、結局その束縛はあんた自身が選んでいるのよ」
「そんなの、あんた以外みんな知ってるわ」とラウルを見ると、曖昧に笑っていた。
「ねぇシルヴィア」
初めてウルリカに名を呼ばれ、シルヴィアは涙に濡れたまま顔を上げる。
「ラウルのこと、嫌いだからイヤなわけ?」
答える代わりに首が横に振られる。
「なら、本当に失くしちゃう前にその凝り固まった心をどうにかしなさい。そして選べばいいじゃない。本当に好きな彼を」
言うだけ言って、押し黙ってしまった相手を放って出口にいるペペロンに声をかける。
「じゃ、ペペロンは返してもらうから。……ほら、ペペロン、帰るわよ」
ラウルがシルヴィアに駆け寄り慰め、ペペロンはその様子を振り返りつつ部屋を出る主の後に続いた。
門番に「お邪魔さま」と声をかけて出て行くころにはもう外は薄暗くなっていた。
「あのふたり、うまくいくといいねぇ」
「どうでもいいわよ。うちに迷惑さえかけなきゃね」
ウルリカは本当にどうでも良さそうに言って、手をひらひらと振る。
「おねえさんも素直じゃないなぁ」
どうでもいいなら、最初からあんなことを言うはずが無い。
ニヤニヤしていると頬を小突かれた。
「言っとくけど、あんたもアトリエ帰ったら説教が待ってるんだからね」
「えぇっ! なんで?」
「聞きたいのはこっちよ。なんであんた、あの女にあんな密着して、手、手を……」
ふたりがいるという大広間に着いたときに見た光景。
それはシルヴィアの後ろからで、ペペロンが彼女の腕を掴み迫っているようにしか見えなかった。
「もしかして、おねえさん妬いてるの? い”っ!!」
歩きながら足の甲をカカトで踏まれ、悲鳴を上げる。
ウルリカは顔を見られないように帰る足を速め、そんなペペロンを振り返ろうともしない。
「だって、あんたがあの女のこと綺麗とか言うから!」
『綺麗な子』と、めったに人の容姿を口にしないペペロンがそう言ってシルヴィアを褒めた。
そのセリフが、あの時からずっと頭にあって離れない。
(たしかに、美人だったしさ!)
早足のウルリカに慌てて追いついて、ペペロンは嬉しそうに笑った。
「やっぱりおねえさんは素直じゃないなぁ」
そして人通りの無い暗い路地なのをいいことに、拗ねたままのウルリカを捕まえて抱き寄せる。
「おいらはおねえさんだけのものだって前から言ってるじゃあないか」
「そうだけどっ」
いくらそう言われてもやはり綺麗な女の子を前にすれば嫉妬くらいしてしまう。
そんなウルリカの心を見透かして、ペペロンは言った。
「綺麗な人は世界にいくらでもいるけど、好きな人はこの世にただひとりだけだよ」
頬を染める意地っ張りな主人との仲直りの証は、忠実な守護妖精から贈られる優しいキスだった。
後日忘れ物届けにきたと、ペペロンのために作った服を持ってラウルと共にアトリエに訪れたシルヴィアとウルリカとの
間に新たなるバトルが勃発するのだが、それはまた別のお話。
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