二人のプリンセス(前編)
ロックストンから遠く離れた森で、ペペロンはそれを見つけた。
「あちゃー」
一台の馬車が狼の群れに囲まれている。
その林道はそこそこ人通りはあるものの深い森を縦断するので半ばは危険なのだが、どうやらこの馬車の持ち主は
知らなかったようだ。
白塗りに金の縁の高級そうな馬車には家紋らしき文様があるので貴族の馬車だろう。
四人ほど制服を着た護衛らしき騎士が馬車を囲んで剣を構えていたが、どう見ても多勢に無勢だった。
「これは、うーん」
助けに行くべきだろうか。
でももしかしたらあの騎士はものすごく強くて30匹くらいの狼なんて全然余裕かもしれないし、自分がいきなり現れることで
逆にパニックにしてしまうかもしれない。
苦ブドウを取るため上った木の上から状況を眺めつつ、ペペロンは少し悩んだ。
「きゃああ!!」
そのうちやはり騎士たちは劣勢になり、防ぎきれなかった群れの狼たちが馬車に体当たりをし中から女性の悲鳴が上がる。
「行くしかないなぁ」
たとえ後で化け物と罵られることになろうと、見捨てるなんてできるわけがない。
ペペロンは一際高い木の天辺から飛び降り、根元に置いておいた愛用の棍棒を担いで駆け出した。
ペペロンが襲われている馬車に到着してからは早かった。
彼の棍棒の一振りで数匹の狼が一度に吹っ飛び、数回それを繰り返しただけで群れが自ら引いていったのだ。
「これでもう大丈夫だと思うよ」
良かった良かったと笑うペペロンを見る騎士たちの目は喜びよりも驚愕の色を示している。
(やっぱり、こうなるかぁ)
これまでも何度か魔物に襲われている通りすがりの旅人を助けたことがある。
そして皆、助かったあとの反応は同じだった。
『助けてくれ!』『どうか、命だけは!』
助けたはずのペペロンに対して今度は命乞いを始め、一目散に逃げていく。
ペペロンは次に起こるであろうその言葉を想像して、少し気分が暗くなった。
「すごいわ!」
「え?」
しかし予想外の場所から予想外の言葉が飛んできて、ペペロンを含め傷だらけの四人の騎士も一斉に馬車を振り返った。
「すごいわ! 貴方とても強いのね!」
「お嬢様、お下がりください!」
窓を開けて一人の少女が乗り出している。
ウルリカと同い年か少し上くらい。
プラチナブロンドにアイスブルーの瞳。
ウルリカが太陽なら彼女はまるで月のような美しさだった。
ペペロンたちの戦いを見ていたのだろうか。
瞳を輝かせて扉を開けようとする彼女をお付の女性が必死に止めようとしたが、それを振り切って馬車から降りるとまず騎士たちに
言葉をかける。
彼らはすでに馬から下りて膝を付き、騎士特有の礼を取っていた。
「ラウル、アーロン、デレク、ジョーダン。ありがとう。大儀でした。エル! 彼らの手当てを」
騎士一人一人の頭に手を置き労うと、馬車の中のメイドに命令をする。
「いえ、お嬢様。我らは大丈夫です。すぐに森を抜けましょう」
「だめです。まだ道は長い、この先また襲われるやもしれません。少しでも治療できるときにしておきなさい」
落ち着いた声でそう言うと、すぐに救急箱を抱えて出てきたメイドと場所を変わり、思わず見入ってしまっていたペペロンに近づく。
(あ! しまった)
少女の姿を見て、その貴族然とした振る舞いについ「おねえさんもこれくらい落ち着きがあればなぁ」などと
しみじみしていたのでその場を離れるタイミングを逸してしまった。
「旅のお方ですか?」
「え? いや、えっと」
こんな風に助けた相手、しかも女性に普通に話しかけられるのは初めてだ。
戸惑って騎士たちの方を見ると手当てを受けている騎士のうちのリーダーらしき男と目が合ったが、彼はなにも言わずにこりと
笑うだけだった。
(え? 止めないの!?)
なぜだろう。
普通いきなりこんな大男が現れて棍棒を振り回した姿を見たら主人を近づけさせないのではないだろうか。
「どうなさいました? まさか、お怪我でも」
「いやいやいや、違うんだ、怪我なんてしてないよ」
少女は混乱して慌てるペペロンの手をそっと取り、顔を見上げて気遣うように言った。
「良かった。貴方のおかげで助かりました。よろしければお名前をお聞かせ願えますか?」
「ぺ、ペペロンです……」
「ペペロン様、ありがとうございます。私の名はシルヴィア・モンテンターク。シルヴィとお呼びください」
と言われても、確実に高い身分であろう女性をいきなり愛称で呼ぶことなんてできない。
「えっと、シルヴィアさん。無事でよかったね。じゃあ、おいら、そろそろ……」
なんだかこの少女は苦手だ。
こんな丁寧な態度を取られたことは一度も無いのでどうすればいいかわからない。
さっさとこの場を逃げようと目を泳がせるが、少女は握ったペペロンの手を離さなかった。
「この森はまだ続きます。ペペロン様、差し出がましいお願いではありますが、もしよろしければこの林道を抜けるまで一緒に
来てはいただけないでしょうか。もちろん騎士たちを信用してはおりますが、また先ほどのような獣の群れに囲まれたらと思う
と怖くてたまらないのです。でも貴方様がいらっしゃれば私も、そして連れの者たちも安心して進むことが出来るでしょう」
下から覗き込むように潤んだ瞳で懇願され、ペペロンはもう断ることが出来なかった。
同じ年頃のせいで、ウルリカの姿が重なるのだ。
(それに、実際危険かもしれないし)
優しいペペロンにとって、そんな中傷ついた彼らを放って行くという選択肢は無い。
どちらにしろこっそり後を追っていくつもりだったので「森を抜けるまでなら」とOKした。
「まぁ! ありがとうございます。本当にお優しいのですね」
にっこりと礼を言われ、やっと捕まっていた手が離される。
その後、森を抜けるまで魔物や獣に襲われることはなかった。
抜けた後も今度は「街まで……」とシルヴィアに誘われたが、すぐに街道に出るからもう安全だと説明して丁寧に断り、ペペロンは
採取を続けるために森に戻った。
そんなことがあってから数週間。
すっかり忘れたころに、事件は起きた。
カランカランと聞きなれたアトリエのベルが鳴り、作業中で手が離せないウルリカに変わってペペロンが応対に出た。
「はーい、いらっしゃいませー」
そういって扉を開けると騎士の制服を着た青年が一人、姿勢良く立っていた。
「ペペロン殿、お久しぶりです」
「え?」
突然名前を呼ばれるが、ペペロンに騎士の知り合いなどいない。
「ペペロンー、お客様ー?」
いつもと違う雰囲気を感じたウルリカが声をかける。
「あぁ、こちらのアトリエの主の方ですね」
騎士も中にいるウルリカに気づき、ペペロン越しに覗き込む。
「初めまして、ラウルと申します。少しお話が」
そしてペペロンに「よろしいかな?」と聞いて道を譲ってもらい中へ入った。
そこでやっと、ペペロンも彼がだれだか思い出した。
彼が去ったすぐ後ろ。ちょうど隠れて見えなかったところにシルクのドレスを着た少女が立っていたからだ。
「ペペロン様!」
嬉しそうに笑うのはプラチナブロンドの美少女、シルヴィアだった。
「つまり、ペペロンを貸し出せってこと?」
「いえ、そうではなく、助けていただいたお礼に屋敷へ招待をしたいと」
遠くの森で出会ったシルヴィアたちは、実はロックストンの東街に住む貴族だった。
たまたま別の街の夜会へ行く道中にペペロンは遭遇したらしい。
丁寧に説明をするラウルにウルリカは冷たく答える。
ペペロンはそんなふたりの会話をハラハラしながら見ていた。
ウルリカの機嫌が悪い理由はその場にいる皆が分かっている。シルヴィアだ。
「なんて、品の無い」
彼女はウルリカを見た瞬間から嫌悪たっぷりの視線を向けた。
そして、まるでペペロンをモノのような言い方をするウルリカに対して更に視線の険しさが増し、横で静かに聴いているふうを装いながら
ウルリカが何か言うたびに、言葉遣いが女性として劣っていると言わんばかりの突っ込みを小さく入れてくる。
「ったく、さっきからうっさいわね。なんなのあんた」
リリアのときもそうだったが、ウルリカは相手が貴族だろうとなんだろうと遠慮というものを知らない。
「言いたいことあるならはっきり言えばいいじゃない。気持ち悪いのよ」
「貴方のような粗暴な方に、ペペロン様と一緒に居る資格はありませんわ!」
「はぁ!?」
激昂する美人は迫力がある。
ペペロンはすでにたじたじだったが、もちろんウルリカは引かずにテーブルを叩いて立ち上がった。
「あんたに口出しされるようなことじゃないわよ!」
「こんなに紳士で優しい方にあなたは似合いません!」
シルヴィアも負けじとテーブルを叩いて立ち上がり、ラウルが困ったように小さく嗜めるがまったく聞かない。
「ふたりとも、おいらのために争わないで!」
「あんたは黙ってなさい!」
いつもの調子でその場を茶化して収めようとしたペペロンは、ウルリカの容赦ないアッパーを受けて後ろに倒れる。
「ペペロン様!」
それを見たシルヴィアは慌てて駆け寄り、座ってその頭を膝に乗せた。
「お、お嬢様!」
「ペペロン様、一緒に参りましょう。私なら貴方をこんなひどい扱いいたしません! 貴方はこんなところにいるようなお方では
ないわ!」
「ペペロン!!!」
「はいいい!?」
シルヴィアに膝枕をされたペペロンは自分の名を怒鳴るウルリカに本気の怒りを感じ取り、反射的に立ち上がって直立不動の体勢をとる。
その動きに驚いたシルヴィアは座ったまま呆然と見上げ、すぐに悲しそうに目を伏せた。
「ペペロン様、おいたわしい」
(ひいい! もう勘弁してくださいい!!)
ウルリカの自分を睨む目が、もうそれだけで人一人殺せそうなほど凶悪なものになっている。
芝居がかった仕草でペペロンを哀れむシルヴィアをラウルが手を差し出して立たせ、ドレスの裾に付いた埃を払ってやってから
頭を下げた。
「申し訳ありません。明日また出直しますので、この度の件、あぁ、もちろんお礼として招待したいということですが、考えておいてく
ださい」
「ペペロン様。必ず私がこの地獄から連れ出して差し上げます」
「お嬢様、さぁ」
シルヴィアが最後にまたいらぬ一言を付け加えたためウルリカの凶悪な視線がそちらにも向けられ、ラウルは冷や汗をかいて
主を抱きかかえるように急いで退散した。
「ぐふっ」
ふたりの姿が見えなくなった途端、ウルリカの肘鉄がペペロンの鳩尾に食い込む。
「にやけてるんじゃないわよ」
「げほっ、え? なんのことですか?」
あまりのシルヴィアの強烈さにひきつっていただけなのだが、なにか誤解をされているようだ。
「で、どうすんの?」
弁解の言葉を言う前に、ウルリカがそっけなく聞いてくる。
ペペロンはまだ痛む腹をさすりながら聞き返した。
「どうするって??」
「行くの? 行かないの?」
あれだけ怒っていたのでまさか自分の意見を聞かれるとは思っていなかった。
「おねえさんが行くなって言うなら行かないよ」
というか、むしろ行きたくない。
助けたのは当然の行為であるし、なによりウルリカが怒っている。
しかしウルリカは逆の答えを返した。
「んなわけないでしょ! 行きなさい。助けたのは確かにあんたで、感謝の気持ちは相手のためにも受けるべきだわ」
命を助けてくれてありがとうという気持ちを表したいというのは相手のためでもあるし、自分のためでもあると思う。
それを拒否されたらきっとあの少女は傷つくし、なによりただでさえ好意を持っているらしいペペロンに余計な未練を残させかねない。
「ったく、貴族ってどうしてみんなあぁ高飛車なのかしら!」
一目見ただけで『敵だ!』と思わせる何かが必ずある。
「せっかく綺麗なのに、変わった子だったねぇ」
「ふんっ!」
「痛っ!」
今度は足を思い切り踏みつけられ、鈍いペペロンはまた悲鳴を上げたのだった。
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