『妖精と小悪魔』



「じゃ、行ってきます」
「ぺぺロン、待ちなさい!」
ここのところずっと、採取採取採取でろくに家に居ることのないぺぺロンをやっと捕まえて、ウルリカは怒鳴った。
「あんたねぇ、どんだけアイテム採ってくれば気が済むの?コンテナも氷室もいっぱいいっぱいでもう何にも入んないわよ!
むしろ使いきれなくて腐る!」
氷室はまだいいが、コンテナの中は悲惨だ。実際すでに痛み出しているものもある。
「うん、だから痛んだ分は捨てて新しいのを……」
「ち・が・う・で・しょ!!」
あくまで採取に行こうとするペペロンの頭を、手が届かないので持っている釜のかき混ぜ棒ではたく。
「ぁ痛っ!」
「行くなって言ってんの!」
だいたい、もう一週間以上は放って置かれている。
「で、でも……」
叩かれた頭をさすりながら言い訳をしようとしたペペロンを、ウルリカは更に睨みつけた。
「でも?!」
「う……」
アトリエにいると、なにかとウルリカがちょっかいをかけてくるから困るのだ。
まるで、父親に抱っこをねだる子どものように無邪気にじゃれついてくるウルリカは、自分の変化に自覚が無いのかもしれない。
<最初の頃は、うざがられたり嫌がられることのほうが多かったのになぁ>
今でもそういう部分はあるが、圧倒的に寄ってくることのほうが多くなった。
たぶん、過去を打ち明けたことで彼女の自分に対するひとつの壁が消えたのだろう。
一度など、採取から帰ってきたときに褒美として不意打ちでキスされたこともある。
<まぁ、あれに関しては、その前においらもしちゃってるし……>
気持ちが抑えられなくなり、気がつけば唇を重ねていた夜を思い出すと、自分の理性の不甲斐なさに悶えたくなる。
<だからまぁ、一度はいいとして>
いや、良くは無いが。それでももうこれ以上は勘弁願いたかった。
「あんたしばらく採取禁止! 私がいいと言うまで出ちゃダメ!!」
「えええっ!!」
それでは逃げられない。
「なんか文句あんの?」
ペペロンにとってウルリカの命令は絶対だ。
採取に行く正当な理由もないので、従うしかなかった。



「とりあえず、使えるものは使っておかなきゃだから。ペペロンは各種中和剤を出来るだけ作っちゃって。うりゅは私の手伝いね」
「はい!」
「う!」
良かった。今日は普通に調合で終わりそうだ。
ぺぺロンが中和剤とのことなので錬金釜を使い、ウルリカがテーブルで細工作業をする。
「うりゅ、研磨剤でこれ磨いてくれる?」
「う、できる」
うりゅも本当に簡単な作業ならだいぶ出来るようになってきた。
アトリエの名前も売れて、大分貯金も貯まり、孤児院の夢が現実味を帯びてくる。
<いつか、私が居なくなったら……>
4元素の指輪を作りながら、ウルリカは考える。
<居なくなったら、ペペロンは他のだれかの元へ行っちゃうのかな>
少しでも彼の寂しさを紛らわすことが出来ればと孤児院を考えたけれど、実はいらない世話なのではないか。
自分が居なければ居ないで、彼は違う錬金術師の元へ行くだけではないのか。

<それは、なんか、ヤダ>

勝手なのは分かっている。それでもペペロンは自分だけの妖精さんであってほしい。
最近はまったくアトリエに寄り付かず、なぜか採取にばかり出て行く姿を見て不安は余計に大きくなった。
自分はこんなに寂しいのに、ペペロンは元気に採取に行く。
その違いが辛くて、つい、採取禁止とまで言ってしまった。

<うー、言い過ぎたかな。謝るべき?>

「痛っ!!」
集中していなかったせいで、金属を削っていたナイフを滑らせ、指を切ってしまった。
切れ味の鋭い刃でスパッと切れた指からじんわり、そしてぷっくりと赤い球が浮き上がり、血が流れる。
「うわ! 血、血が出た!!」
「おねえさん?!」
「うー!」
思わずパニックになり、うりゅとふたりでわたわたしているとペペロンがすごい勢いでウルリカの手を掴み、傷を確かめ血の出ている指を その口に含んだ。
「あ……」
そして血を舐め取ってしまうとすかさず絆創膏を貼る。
「これでよしっ! おいら採取で怪我したとき用にいつも持ってるんだ」
役に立てたことを嬉しそうに、ペペロンは言った。
「あ、ありがと」
指に、ペペロンの舌の感触が残っている。
ウルリカの顔が勝手に赤くなっていった。
「調合中に怪我をするなんて、おねえさんもまだまだだなぁ」
「調子にのるな!」
反射的に拳が出る。
「す、すみません……」
横っ腹を殴られて、ペペロンはすごすごと釜へ戻っていった。

<あああああ、違う、謝りたかったのに!!>

ついいつものクセで手が出てしまった。
もう今更さっきはごめんなさいなんて言えない。
<はぁ。いっか、めんどくさいし>
一気にさっきまで考えていたことが面倒になってしまい、ウルリカは作業を続けることにした。
<それに、なんか怒ってないみたいだから>
指の絆創膏がその証拠。
「うりゅぃか、いたいの?」
「ううん、大丈夫。心配かけてごめんね、うりゅ」
小さなマナを撫でながら、ウルリカは自然に笑みをこぼしていた。




一日の調合を終え、夕飯の片付けの時間に、その些細な事件は起きた。
いつも食事の片付けは二人で一緒にしており、今回も皿をペペロンが洗い、ウルリカが仕舞うという流れ作業でやっていた。
すると、ウルリカが床板の境目に躓いてこけたのだ。
「あっ!」
前のめりに倒れそうになり、ちょうど目の前にいたペペロンの腰に捕まって事なきを得たのだったが、そのときのペペロンの反応が まずかった。
「うわぁっ!!」
大げさというより異常なほど驚いて、すごい勢いで後ずさったのだ。
「……ちょっと、なに? 今の反応」
「え? あ、なんでもないよ? というか、おねえさんは大丈夫?」
明らかに「しまった!」という顔をしながら壁に張り付くが、時はすでに遅い。
「あんた、まさか私から逃げるために採取に行ってたんじゃないでしょうね……?」
「や、やだなぁ。さっきのはちょっと驚いただけだよぅ」
「ちょっと……?」
だれがどう見てもちょっとどころではない。
「そう、そういうことね」
凄んで一歩ペペロンに歩み寄るとうりゅに言う。
「うりゅ、ちょっと部屋に戻ってなさい」
「う? わかった」
うりゅを部屋に下がらせるのは本気モードだ。
<やばい、怒らせちゃった!>
静かにうつむくウルリカを見て、ペペロンは冷や汗をかいた。
今日は何事もなく終わりそうだと油断していたところへ突然抱きつかれたので今までにないほど過剰な反応をしてしまった。
ここのところずっと外へ出ていて接触を絶っていたのも原因かもしれない。
「ねぇ、ペペロン」
「は、はい!」
どんなお仕置きを受けるのか、生きた心地がしない。
だが、ウルリカは予想に反してこう言った。
「私のこと、そんなに嫌いなの?」
<う、可愛い>
身長差もあって、自然に上目遣いになる。この攻撃にペペロンは弱いのだ。
しかもなぜか少し瞳が潤んでいる。
「き、嫌いなわけないよ!」
好きだからこそ逃げたくなるのだが、そこらへんの心理がウルリカにはわからないらしい。
「じゃあなんで私から逃げるの?」
「なんでって言われても……」
どう説明すればいいのかわからない。
あえて言うのなら……。
「おねえさんが子どもだから、かな?」
いつになっても微妙な男と女の違いというか、そういう心理的な部分に関しては成長せず無邪気で天然で無防備。
そして残酷なくらい懐っこくて遠慮を知らない。
まさに、中身が「お子さま」なのだ。
「なによそれ」
いい機会だから言ってしまおうか。
いつまでもこのままでは自分の身も心も持たない。
ペペロンは人生で一番の勇気を振り絞った。
「おねえさんは男心とか、いろんなことを知らなすぎるんだよ。もう少しそこらへんを勉強した方が……んんっ?!」
いきなり顔を両手でつかまれ、引き寄せられたと思ったら、口を口で塞がれる。
「おね……んむっ」
更に注意しようと口を開いたのがまずかった。
その途端、ウルリカの舌が滑り込んできたのだ。
<なっ!>
いくらなんでも、これはまずい。
同時に下腹部にうずきが走るのを、止めることができなかった。
「はっ……」
絡められる舌に、自らも応えてしまう。
<やわらかい……>
なにもかもが、ペペロンを誘惑した。
<って、ダメダメダメ!!ダメだって!!>
湧き上がった欲望にどんなに抵抗してみても、体が誘惑に負けてしまう。
「……はぁ」
やっとペペロンの顔から手を離し、開放するとウルリカは頬を赤くしたままキッと睨みつけた。

「ほら! 私だって、もう子どもじゃないんだからっ」

<えぇっ! そこですか?!>
そんなことの証明のためにこんな濃いキスをしてきたのか。
ペペロンは眩暈を起こし、思わずよろけた。
「お、おねえさん。これは大人の証明にはならないよ……」
むしろこの行為によって証明しようとしてしまうところが子どもなのだ。
<ほんと、こっちの気も知らないで……>
どれだけペペロンが理性を総動員させてこの強烈なスキンシップに耐えてるか、ウルリカにはわからないのだろう。
「じゃ、じゃあどうすればいいわけ?」
「どうすればって……」

<むしろ何もしないで欲しいです>

また何かされてはたまらない。
変な誤解を与えない返事を考えていると今度は横から思い切り突き飛ばされた。
「わっ!」
<こ、今度はなに?!>
予測不可能なウルリカの行動にペペロンはパニックになる。
床に尻餅をついて見上げると、溢れんばかりの涙をためたウルリカと目があった。
<え?! なんで泣きそうになってんの?!>
わけがわからない。
「ずっとひとりで寂しかったのに、ペペロンは私が居なくても平気なのよね」
「え? え?」
急な展開に付いていけず、ペペロンは疑問の言葉を繰り返した。
「私が子どもじゃなければいいの? ずっと一緒に居てくれる?」
そして床に尻餅をついたままのペペロンの膝に座ると、おもむろに胸倉に手をかけ、襟元を思い切りひっぱり無理やり上着を肩まで脱がして しまう。
「ちょっ!! たんま! これはさすがにだめだって! おねえさん、早まらないで!!」
ここまできてやっと意図を理解したペペロンはウルリカの両手を掴み、必死に止めた。
体はさっきのキスのせいですっかりスタンバイ状態だ。いろんな意味でやばすぎる。
「だって、ペペロンまで私を置いていこうとしてるじゃない!!」
「お、おねえさん……?」
「子どもじゃ、だめなのよ! 大人じゃなきゃ、一緒に連れて行ってもらえない」
<あ……>
ペペロンは自分の言った言葉の失敗を痛感した。
小さい頃、子どもだということで親に置いていかれたウルリカ。
ずっと逃げてばかりで、アトリエから遠ざかっていたせいでウルリカの不安をあおってしまったあげく、自分は一番言ってはいけないこ とを言ってしまったのだ。
「ご、ごめんよ、おねえさん。そうじゃないんだ」
とにかく誤解を解かなくては。
ついに堪えきれなくなった涙はウルリカの頬を流れ、ペペロンの服をも濡らす。
掴んでいた手を離し、背中に手を回すと抱きしめた。
「おねえさんのこと好きだよ。でも、好き過ぎて臆病になってたんだ。……その、おいら、これまで人に避けられることはあっても 寄ってこられることなかったから。どうすればいいかわからなくて……」
抱きつかれるのも膝に乗られるのもほんとは嬉しい。
けれどその好意にどこまで応えていいのかがわからない。
下手をすれば傷つけてしまいそうで、やりすぎれば逆に嫌われてしまいそうで。
「ほんとごめん。もうどこにも行かないから、泣かないで」
腕の中で震える少女に胸が苦しくなる。
結局傷つけてしまった。
泣かせてしまった。
自分が許せない。
「いつも、起きてもペペロンがいなくて、帰ってこなくて……」
「うん、ごめんね」
しゃくりあげながら、ウルリカが話し、ペペロンは耳を傾ける。
「私じゃなくて、他の、錬金術師のところへ行ったら、どうしようっ、て」
「大丈夫、行かないよ。おいらはおねえさんだけの妖精さんだから」
こんなに胸を締め付けられるほど好きなのに、悲しませてしまうなんて。
「おねえさんだから着いていこうと思ったんだ。あの時、師匠じゃなくておいらを選んでくれた人だから」
着いていって守ってあげたいと思った。
出来ることはすべてしてあげたいと。
「お願い、泣かないで。置いてどこか勝手に行ったりしないって誓うから」
「ほん、と…?」
泣きはらした赤い目で、ペペロンを見上げる。
「うん、本当だよ」
こんなかわいくて愛らしい存在から離れられるはずが無い。
「じゃあ、約束」
「うん、約束」
ウルリカが静かに目を閉じ、ペペロンは優しく口づけをする。

<もう、逃げられないなぁ>

こんな幸せな鎖になら、一生縛られてもいいと思った。




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