『一夜の夢』



「あー! もう日が暮れちゃう!」
森深く、ペペロンと採取に来ていたウルリカは声を上げた。
「もう、今日中に帰りたかったのに!」
「無理だよおねえさん。ちょっと遠出しすぎたんだ。今日中に帰るのは諦めよう」
そもそも、こんな奥まで来たのもウルリカの我侭が原因だ。
そろそろ引き返そうと言うペペロンを無視して「もうちょっと、もうちょっとだけだから!」と強引に進んできたウルリカが 悪い。
「せっかくいいアイテムが取れたのに」
「大丈夫、明日朝早くに出れば昼には着けるさ」
「うりゅぃか、だいじょぶ!」
二人から励まされればもう頷くしかない。
「仕方ないわね。真っ暗になる前に薪集めて、ここでキャンプしましょう」
夜は魔物の動きが活発になる。
とくにこんな人の手の入っていない奥深い森には強い魔物がいる。視界の悪い中歩き回るのは得策じゃない。
「じゃあ、おいらが集めてくるよ。おねえさんはランプに火をつけてここで待ってて」
そして、空が夕焼けから星空に変わる前に、二人と一匹は火を起こすことが出来た。



「うーん、さすがに夜は冷えるわね」
焚き火に当たっても前だけ暖かくて背中が寒い。
とくにウルリカはもともと動きやすいように薄着なので余計だった。
「毛布、持ってくればよかったねぇ」
今回は日帰りの予定だったので荷物は極力少なくしてきてしまった。
ペペロンは、少しでもマシになればと思い、火に薪をくべる。
するとその姿を見ていたウルリカが何かを思いついたようにいたずらな笑みを浮かべた。
「ペペロン!!」
「はいっ」
いきなり名前を呼ばれ、ペペロンは条件反射で立ち上がり気をつけをしてしまう。
「そこに胡坐かいて座って」
「こ、こうかい?」
そして命令されるままに、指定された木の根元に胡坐をかく。
「よいしょっと。うりゅおいでー」
「うー」
するとそこにちょうど納まるようにウルリカが腰を下ろし、うりゅを抱っこする。
「え?」
「ちょっと、ペペロン腕!」
「は、はい」
また指示をされて今度は腕を前にだすと、ウルリカはおもむろにその両腕を掴み、自分を包むように前に持っていく。
「はー、あったかい」
「えええええええ」
腕の中にすっぽり入り、ほっと息をつかれればペペロンは戸惑うしかない。
<こ、これはちょっと……>
「うりゅも寒くない?」
「う! あったかい」
やわらかい感触をどうしたって意識してしまうが、当の本人はこれでOKとばかりに嬉しそうに言った。
「あんたって本と役にたつわねー。キャンプの必需品かも」
「いやいやいや、おねえさんはなにか間違ってるよ?」
「え?なにを?」
「何をって……」
こんな無防備に男の腕の中へ入ってきてしまうところとか。
だがそんなこと、恥ずかしくて言えない。
言えば逆に今のこの行為がやらしいことのようになってしまいそうで。
ウルリカの無邪気な心を汚すようで。
「いえ、なんでもありません」
「変なの」
ペペロンに背中を押し付けるようにして上を見上げられれば顔がものすごく近くなり、もう本当にどうしていいかわからない。
「ねぇペペロン」
「な、なんでしょう」
下から覗き込む翡翠の瞳から目を離せられず、じっと見つめあう形になる。
「あんたって、茶色の目なんだね」
焚き火の炎に照らされて揺らめく茶色の瞳は鋭く、相変わらず性格とは正反対に冷たい。
「あっ」
そうだ、下から覗き込まれればいつも帽子で隠している目だって、下手すればその上だって見えてしまう。
慌てて上を向こうとすると、ウルリカに髭をひっぱられ妨害された。
「痛っ。 おねえさん、ちょっとその手、離して――」
「まだ、私に見られるのイヤ?」
「え?」
真面目な顔で問われれば、嫌とは言えない。
というか、嫌ではない。
「嫌……、じゃないけど……」
嫌ではなくて怖いのだ。
ウルリカに恐れられるのが怖い。
以前見られたときはまだ一瞬だったけど、じっくり見られれば今度こそ気味悪がられるのではないか、想像すると怖くて泣いてしまいそうだ。
「イヤじゃなくても隠すの?」
「怖いんだ。……おねえさんに嫌われるのが」
だから、見られたくない。
そう言うと、ウルリカは大きくため息をついた。
「首痛くなってきた」
「はい?」
ずっと上を見上げているのは辛い。
ウルリカは掴んでいた髭を離し、ペペロンの胸ではなく腕のほうへ背中を預けるように姿勢を変え、見上げなくても顔を見れるようにした。
「あ、でもやっぱり見るんですね」
「うん」
なにがしたいのだろう。
わけがわからず、それでも視線から逃げようと横を向こうとするとまた髭を掴まれてしまう。
「だめ」
「か、勘弁してください…」
まさか腕の中のウルリカを放り出して逃げるわけにもいかず、ペペロンは涙目になる。
「私はあんたを怖いと思わないわ。だから逃げちゃだめ」
「うりゅも。ぺぺ、こわくない」
ウルリカの腕の中からペペロンを見上げたうりゅも同意する。
「で、でも……」
「『でも』じゃなーい!」
なお言い募ろうとすると思い切り髭を引っ張られ、言葉が出なくなる。
髭をひっぱる攻撃は、地味に、そしてかなり痛いのだ。
「痛い、痛いよおねえさん!」
「逃げないって約束するなら離してあげる」
「逃げません。誓います。だから離してぇ〜」
「よろしい」
情けなく悲鳴を上げればやっと満足したように髭から手を離す。
「ねぇ、私とあんたが始めて会ったときから、どれくらい経ったかわかる?」
「えっと、2年くらいかな……?」
妖精の森で師匠と妖精になるための修行をしているとき、ウルリカが訪ねてきた。
そしてペペロンに言ったのだ「あんた、うちにこない?」と。
本物の妖精である師匠ではなく、この自分に!
あのときの感動は言葉に表すことができない。そして一生忘れないだろう。
「そう、もう2年経ったのよ。でもお互いのことまったく知らないわよね。…あんた、私の両親死んでると思ってるでしょ」
「え? 違うのかい?」
「やっぱりね」
いつか話そうと思っていた、自分の家族のことを。
「生きてるわよ。世界のどこかで。私が6歳の頃に私を捨てて、二人とも出て行ったの」
『捨てた』とは正確な言い方ではない。『置いて』出て行ったのだが、ウルリカからすれば捨てられたも同然だ。
「冒険好きの二人でね。たぶん、『親』っていう役目が出来なかったのよね」
恨んだ時期もあったが、もうかなり昔にどうでもよくなった。
いないものは仕方が無い。生きていくには無いものを惜しむよりも、今あるものでどう過ごすかが問題だったのだ。 「おねえさんも大変だったんだね」
ペペロンの目からぽろりと涙がこぼれる。
この大男はいかつい見た目と裏腹に、涙腺がもろいのだ。
「ちょ、やめてよ! あんたを泣かすために話したわけじゃないんだから!」
「おいら、こういう話に弱いんだ」
この腕の中の、ペペロンからすれば小さくか弱い存在が子どもの頃どんな生活を送ってきたのかと考えれば涙が止まらない。
「あー、もう、そうじゃなくて!」
困ったように頭をがりがり掻いた後、びしっと人差し指を突きつける。
「あんたの話をしなさい!」
「な、なんで!?」
「もういい加減、トラウマから脱してもいいと思うのよ」
ウルリカは知っている、ペペロンのコンプレックスを。
いつも自信なさげで気弱なペペロン。
でも本当は強くて気の優しい自称妖精さん。
もし、今のまま自分が居なくなったら彼はどうなってしまうのだろう。
そう思うと、心配で仕方ないのだ。
「トラウマって、なんだい?」
「トラウマっていうのはね、えーっと」
そう聞かれると、うまく説明できない。
「ま、まぁ、いいのよなんでも。とにかく話しなさい」
「ええっ! 相変わらず適当だなぁ」
「うるさい! いいから話すの!」
「仕方ないなぁ」
ウルリカは言い出したらひかない。
従うしかないと諦めたペペロンは、ため息をつくとやっと話出した。
「おいらもあんまりよく覚えてないけど」
母親は、自分を生んでそのまま力尽きて死んでしまったらしい。
マナである母親は、産み落としたペペロンを残して文字通り消えてしまったのだ。
「ごめんよ、おねえさん。あの学園のときの事件の原因は……」
「それはわかってるからもういいの。だいたい悪いのはあの光のマナだし」
一度、ちょっとした事故で帽子の下を見られてしまったときに「しまった!」と思っていたが、やはりバレていたようだ。
とりあえず謝ることができてひとつ、心のつかえがとれた。
「それで、父親は?」
「お父さんは……」
それこそほとんど覚えていない。
普通の赤ん坊と違い、生まれてすぐに歩けて話をすることが出来た自分を気味悪がり、「彼女を返せ!俺が愛したのはお前じゃない、彼女 なんだ!!」と叫んでいた場面だけが思い浮かぶ。
「たぶん、おいらのことを憎んでたんだと思う」
息子ではなく、愛した女を殺した仇として見られていた。
そう話すとウルリカは「なるほどねー」と頷いた。
<あれ?>
いつものパターンだとネガティブな自分か、理不尽な父親に対して怒り出しているはずなのだが、今回は様子が違う。
「それが、あんたがうじうじしてる原因なのね」
「いや、それだけじゃないけど……」
生まれてから師匠に出会うまでいろいろあった。だがそれを全部話していたらキリがない。
「私も親の愛なんてわからないから、それに関してはなにも言えないけど」
ここで「少なくとも生んでくれたお母さんはあんたを愛してくれてたと思う」とか、「父親は混乱していただけ」なんて普通の慰め言葉の ひとつやふたつ言えたらいいのだが、ウルリカ自身、自分の経験から親の無償の愛とやらに疑問を持っているので無理だった。
「いいじゃない、今は違うんだから。私やうりゅや、ゴトー、それにあの師匠があんたを認めてるし、もうちょっとくらい私たちを信じて自分に 自信持ったら?」
「おいらの話したこと全部無しになってるよ?!」
その結論だと、両親の話をした意味が無い。
「だって、あんたの話、思ってたよりヘビーなんだもの」
「そんな理由で全否定?!」
なんとも無茶苦茶だ。
でも、その変わらなさにほっとするのはなぜだろう。
「それに、ほら」
ウルリカは手を伸ばし、ペペロンの帽子に手をかけ外す。
ペペロンはなぜか抵抗できず、されるがままになっていた。
「ね? 大丈夫、私は全然怖くない」
ほんの数十センチしか離れていない距離でペペロンのあらわになった頭と顔を見ながら、ウルリカは平然と言う。
いくら夜闇の中、光は薪の炎だけの状態でも、この近さならはっきり見えるはずなのに。
「ほ、本当に?」
遠目に一瞬とはわけが違う。
ウルリカはじっと見た上に手で触って感触まで確かめ始めた。
「うん、本当。あ、これ硬いんだ」
頭を覆う木の根のような部分を触りながら不思議そうに言う。
「これ、ひっぱってみていい?」
「だ、だめ! それはダメです!」
許したらきっと思い切りやられる。
慌てて帽子を取り戻しかぶりなおすと、ウルリカは不満そうに頬を膨らませた。
「ちぇー、ケチ」
「そういう問題じゃないと思うんだ……」
態度が変わらないのは嬉しいが、変わらなすぎるのも問題だ。
だが、すぐに機嫌を直し、腕の中で気持ちよさそうに寝息を立て始めたうりゅを抱きなおすと再び真剣な顔つきでペペロンを見た。
「ねぇ、ペペロン」
「ん? なんだい?」
どこか遠くで狼の遠吠えが聞こえる。
風が木々を揺らしざわめく音が、一瞬二人の間を吹きぬけた。
「私ね、たとえ世界中が私の敵になっても、あんただけはずっと味方でいてくれるんだろうなって思う」
「もちろんだよ!」
そのとき、ウルリカが悪であろうとなんだろうと、ペペロンはウルリカに付くだろう。
ペペロンにとって大切なのは世界ではなく彼女なのだから。
「逆に、もし世界中があんたの敵になっても私は味方よ。うん、絶対」 そっちはちょっと照れながら、にこりと笑って言った。
「おねえさん……」

<あ、キスしたい……>

ウルリカに対し、こんな感情を持ったのは初めてだった。
言葉だけでなく全身で、すべてで信頼を示してくれるこの存在がたまらなく愛しい。
かわいくて、自分をまっすぐ見つめてくる瞳が美しくて、どうしようもなく魅了される。
無意識に、引き寄せられるように顔を近づけると、ウルリカも自然に目を閉じた。
「ん……」
拒まれることの無かったそれは甘く、やわらかく、生まれて初めての甘美な感触。
このまま、夜が明けなければいいと思う。
今この瞬間、時間が止まってしまえばいい。

<ずっと、このまま……>

しばらくして名残惜しそうに唇を離すと、ペペロンは額をウルリカの頭に乗せて小さく言った。
「おいら、おねえさんのことが好きだ」
「うん、知ってる」
学園を卒業してアトリエのみんながバラバラになっても、当たり前のように自分についてきてくれたペペロン。
それからもずっと、どんなに我侭に振舞おうと無理難題押し付けようと、必ず受け入れ、おろおろしながらも支えてくれていた。
ペペロンがいてくれたからこそ、今も大きな街で自信を持ってアトリエを開き、やっていけているのだ。
うりゅとペペロン、そして自分。
二人と一匹でいつまでもやっていこう。
お互い、生きている限りもう二度と離れないと分かっているから。

「これからも、よろしくね」

「うん、よろしく。おねえさん」

思い切り抱きしめたいところだけど、そんなことをしたら壊れてしまう。
優しく、優しく抱き寄せて、今度はその額にキスをした。
髭がくすぐったくて、ウルリカはクスクス笑う。

「うりゅも、よろしくね」

完全に寝てしまっていた小さなマナを抱きしめて、ウルリカは今、一番の幸せを感じていた。




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