熱と恋 「自分で着替えられるか?」 「ん…、うん」 力の抜けたちづるを両腕に抱き上げベットまで運ぶと、幸いにも寝間着は布団の上に脱いだままになっていた。 「じゃあ、着替えて横になっていろ」 ゆっくりと、優しく彼女を降ろし庵は寝室から出て行く。 女性の部屋を家探しするのに多少の抵抗を感じながらも風邪薬やなにかないかとそれっぽい棚を確認することにした。 結果、薬品棚はバファリンと絆創膏、虫刺され用のかゆみ止めのみ。 体温計すらない。 (一人暮らしの必需品だろう…) 自分の頭も痛くなりそうだ。 使えそうなものを見つけられないのでとりあえず一番大きなグラスにいっぱいの氷水を用意し持っていく。 寝室に戻るとちづるは着替えを終え、布団に潜っていた。 「神楽、風邪薬なにもなかったが、どこか違うところにしまってあるのか?」 半身を上げたちづるに水を渡し飲むよう促しながら、聞くだけは聞いてみる。 「ううん、私、風邪なんてめったにひかないから…」 思ったとおりの答えに庵は小さくため息をつき、半分ほど飲んだグラスを受け取ると再び横にさせる。 「まぁ、寝ていろ。今日はずっといてやる」 ちづるは嬉しそうにうなづくとぶるっと軽く身震いをした。 「…?寒いのか?」 「なんか、熱いけど、寒い」 熱風邪の典型的な症状、悪寒を感じるのだろう。 これでもかというほど掛け布団を上まで引き上げぎゅっと掴んでいるがそれでも辛そうだった。 「仕方ないな…。もっと端へ寄れ」 「…うん?」 なんでだろうと思いつつもずりずりと壁際のほうへ移動する。 もともと睡眠時間が一番幸せ!という人間だったちづるはより快適にするために普通より少し大きいセミダブルサイズのベッドを使っていた。 そのため大きな余裕が出来る。 「ごつくて悪いが我慢しろ」 そういうと庵はさっとちづるの隣にその体をすべりこませた。 「ひゃっ」 驚いて思わず変な声を上げてしまったちづるをスルーし、その体に腕を回すと自分のほうへ引き寄せ体全体で包むようにする。 庵と20センチ近く身長差のあるちづるはすっぽりとその腕の中に納まってしまった。 「や、八神?」 風邪による熱のせいとは別に汗をかきそうだ。 ちづるは恥ずかしさで余計熱くなるのを止められなかった。 「黙って寝ろ」 柄じゃない。 本当は庵自身も心の中は複雑だった。 こんな時に不謹慎かもしれないが、生殺し状態だ。 それでもこれで寒さが和らぐのならそれでいい。 ちづるは初めてのちょっと太くてごつい腕の枕と人肌の温かさを感じながら、すぐに深い眠りに落ちた。 暑い、だるい、気持ち悪い。 自ら思わず布団を剥ぐと同時にちづるは目を覚ました。 寝間着は胸の辺りを中心にぐっしょりと濡れている。 (喉、渇いた…) 朦朧とした頭でそう思うと起き上がり部屋を見回した。 「八神…?」 居ない。 重い体を引きずるように寝室を出て、リビングを確認するがそこにも姿は無かった。 (帰っちゃった…?) 「ずっといるって言ったのに、嘘つき」 寂しい、心細い。 感情のコントロールが効かず目が潤む。そのまま滲んだ涙は頬を伝った。 「う…」 本気で泣きそうだ。 ちょうどそのとき玄関からガチャリと音がし、開いたドアから大きなビニール袋を抱えた庵が入ってきた。 「神楽、起きたのか。…っ!?」 すぐにちづるの涙に気づき、荷物を足元に無造作に落とすと駆け寄る。 「どうした?!」 「い、庵のばかああ〜〜」 「なっ!」 庵の顔を見た途端ちづるが号泣した。 もう自分でもなんでこんな泣けるのかわからない。 「か、かえっちゃ、たと、思った」 とまらないしゃっくりを繰り返しながら完全に情緒不安定になったちづるはただただ泣き続ける。 「わかった、わかったから泣くな!」 初めて名字ではなく名前で呼ばれたという嬉しさを感じる暇も無く、庵はちづるを慰めるのに必死だ。 (どうすればいいんだ) とにかく抱き寄せ、不器用に頭を撫でる。 汗で濡れた寝間着がすっかり冷えて冷たくなっていた。 「少し必要なものを買出しに行っていただけだ。もう居なくならないから安心しろ」 ゆっくり言い聞かせる。 ちづるはうなづきながらなんとか涙を止めようとするがうまくいかない。 それでも少し呼吸が楽になり落ち着いてくると庵はちづるを寝室まで連れて行き、適当にタンスを漁って代わりの寝間着を差し出す。 「それは脱いでこれに着替えろ。…すぐ戻る」 出て行こうとした庵の服の裾をちづるが掴んだのでそういうと、優しくその手をはずし部屋を出て行く。 触ってすぐわかるくらい、熱は下がるどころか上がっていた。 たぶんこれからまだ汗を大量にかくだろう。 早速買ってきた薬を用意しながらさっき子供のように泣きじゃくっていたちづるの姿を思い出す。 「…ふっ」 あれがいつも精一杯大人ぶってる彼女の本当の顔なのだろう。思わず笑みがこぼれる。 かわいかった、な。 めったに見れない取り乱しように焦ったのは確かだが、素の彼女を見れたことに少し嬉しかったのも事実だ。 着替え終わる時間を見計らって寝室へ戻るとちづるはおとなしく自分から布団にはいっていた。 「薬買ってきたから飲んでおけ。喉も渇いただろう」 そういえばもともと喉の渇きを覚えて起きたのを思い出し、薬を口に含むと手渡されたペットボトルのスポーツ飲料を一気に飲み干した。 「あと、これだ」 庵はタオルを巻いた何かをちづるの枕と取り替える。 中からカラカラとなにかがぶつかり合う音が聞こえた。 「これ、なぁに?」 不思議に思いつつ頭を置くと、それはひんやり冷たかった。 「気持ちいい…」 「水枕だ。氷枕よりやわらかくていいだろう?」 厚手のゴムで出来た枕の中に氷と冷たい水を入れ、冷えすぎないようにそれをバスタオルで包む。 氷が溶けにくいように少々塩も入れた。 「うん、ありがとう」 やっと落ち着いたちづるは精一杯の笑顔で答えた。 「もう出かけることもない、さっきは、すまなかったな」 庵はベッドの横の床に腰を降ろし、ちづるに目線を合わせるようにして話す。 「ううん、私もごめんなさい。なんか、わけわかんなくなっちゃって…」 庵が居ないと思ったとき、とにかく寂しくて寂しくてたまらなくてどうしようもなく悲しかった。 ただでさえ看病してもらっている身なのにわがままばかり言って申し訳なさすぎる。 「八神、ほんとごめんね」 (八神…か) また、前の呼び方に戻ってしまって少々がっかりしながらも、熱に浮かされてのことできっと本人も覚えていないであろうことは予測で きていた。 汗で額に張り付いた前髪を指で払ってやる。 まぶたが震えていた。 どうやら眠くなってきているのに我慢しているらしい。 「…眠いのなら寝ろ」 「あぅ」 (だって、また起きたらひとりになってそうでこわい) 「俺の言葉が信用できないか?」 ちづるの心を読んだかのようなセリフに反射的に首を振り軽くめまいを起こす。 「なら大人しく寝ておけ」 「はい」 まだちょっと不安顔ながらも素直に返事をする。 「ね、手、繋いで?」 そういって差し出されたちづるの手を庵は苦笑しつつ握った。 「おやすみなさい」 やっと安心したように目をつぶるとすぐに軽く寝息を立て始める。 「あぁ、おやすみ。…ちづる」 小さく名前を呼んで見る。 聞こえないのをわかっていないと言えないなんて、自分もたいした小心者だなと思いつつ、初めて愛した女の寝顔を見つめた。 |