『世界で唯一の宝石』



「うー、体中痛い……」
昨日帰ってきてから結局翌日の朝まで寝てしまっていた。
猫の姿の間、いつもと違う筋肉を使ったせいか、体中が筋肉痛だ。
「おはよう、おねえさん」
「うんー、おはよ」
「う。はよー」
だるそうに頭にうりゅを乗せておりてきたウルリカに二人が声をかける。
「なんかだるい」
「風邪かい?」
「寝過ぎだ」
そのたった一言に性格が如実に現れている。
「どっちもでないわよ」
そしてテーブルに座り、用意してあった朝食のパンをもそもそと食べ始めると、出かける用意をしていたペペロンが籠を背負って 立ち上がった。
「じゃあ、おいら今日は鉱石の採取に行ってくるね」
ペペロンは調合は得意ではないので、少しでも役に立とうと、最近採取をがんばっている。
すると、うりゅがウルリカから離れ、扉へ向かうペペロンの方に乗った。
「う。うりゅもいく」
「え?おちびさんも行くのかい?」
昨日、一緒に採取に連れて行ってもらいすっかり気に入ったらしい。嬉しそうに「う!」と一声あげてうなづいた。
どうしようかと伺い見るペペロンにウルリカは軽く手を振る。
「あー、いいわよー。私今日は外に出る気無いし」
これまでほとんど一緒にアトリエに籠っていたし、ペペロンと一緒なら万が一ということもないだろう。
「今日中に帰ってくるんでしょ?」
「うん、そのつもりだよ」
「じゃあ、いってらっしゃい」
「うー、いってくゆ」
出かける二人を笑顔で送り出し、すぐにパンを加えたままテーブルに腕をのばして突っ伏した。
(これ、絶対呪いの反動だわ)
そこら中が痛いし体が重いしでなにもやる気が起きない。
すっかりだれていると、ロゼからなにか冷たい視線を感じた。
「……なに見てんのよ」
「別に」
食事を済ませ、今朝回ってきたのだろう村の回覧板を手に持ったロゼは横目でウルリカをじっと見ていた。
「別にって、明らかにこっち見てんじゃない」
「腕」
「腕?」
「腕の包帯、ほどけかけてるぞ」
「あ」
言われてやっと思い出す。
どうも、一晩寝るとこういう細かいことが脳から抜け落ちてしまう傾向があるようだ。
昨日犬に思い切り噛まれ、怪我をした腕を隠すのをすっかり忘れていた。
慌てて起き上がり、包帯を巻いた腕を背中にまわすウルリカに向かって、ロゼは席を立ち、見せるよう手を差し出した。
「直してやるよ」
「だめっ!」
傷口を見られたら、昨日の猫が実は自分だとばれてしまう。
ぼけたままの頭をなんとか回転させ、言い訳を考える。
「じゃ、なくて、えっと、これくらい自分で直せるから!!」
「でもその茶色いシミ、血だろ。膿んでるかもしれないぞ? お前はただでさえ不器用なんだから片手じゃ……」
「大丈夫、ちょー大丈夫!」
「あ、おい!」
ウルリカはパンを飲み込み立ち上がると、逃げるように部屋へ駆けていった。



(あー、びっくりした)
筋肉痛にまぎれてしまい、腕の傷のことをすっかり忘れていた。
(この腕の痛みは筋肉痛じゃなくて怪我のせいだったのね)
通りでここだけやたらズキズキと鈍い痛みがすると思ったのだ。
ほとんどほどけてしまっている包帯を外し傷口に張り付いてしまっているガーゼをゆっくりはがすと、傷口からは血だけではなく なにやら黄色い液体が出ていた。
「わー」
これはちょっと、自分でも気持ちが悪い。
(一応消毒してもらってもこれかぁ)
あのあと、人の姿に戻ってからもきちんと治療し直すべきだったのだ。
(どうしよう……)
ウルリカも錬金術という仕事柄、自分用の医療キットを一式持っていて座っているベッドの横に用意はしたものの、消毒液をかける ことに躊躇する。
「い、痛そう……」
これはしみる。絶対にすごくしみる。
「どんな様子だ?」
「うひゃあ!!」
いきなり後ろから声をかけられ、ウルリカは悲鳴を上げる。
「な、な、なによ!いきなり変なところから声かけないでくれる?!びっくりするじゃない!!」
「変なところって、ドアから声かけなきゃどこからかけるんだ」
半開きになった部屋のドアからロゼが顔を出し、呆れたように言う。
「し、下から大声でとか……」
「あほか。それよりも傷口、見せてみろ」
ウルリカのよくわからない主張を無視して大股に近づくと、怪我をしている左腕を取り上げる。
部屋の奥にいて逃げ場のないウルリカはあっさり捕まった。
「ぎゃー!ダメ、見ちゃだめだって!!」
「やっぱり膿んでる。いったいなにでこんな怪我をしたんだ」
「え?」
(あ、そうか)
固まった血と膿で、傷口が見えないのだ。
それにロゼはもともとリアリスト、いきなり昨日の猫と自分とを繋げるような考え方は出来ないのかもしれない。
「えーっと、その、クロエの屋敷の古釘にひっかけて……」
我ながら、とっさにまともな言い訳が出たと少しほっとする。
「それで、お前まさか、この状態のまま消毒液をかけようとしたんじゃないだろうな」
ロゼが怪我を確認した後、ベッドに腰掛けているウルリカの横に置いてある道具を見て、眉をひそめる。
「そうだけど?」
「この馬鹿! まず洗うのが先だろ!」
「洗う……って、ちょっ?!」
いきなり両腕でお姫様抱っこのように抱き上げられ、ウルリカは赤面するよりも慌てた。
「ちょっと、自分で歩けるってば! 降ろして!」
「この方が早い」
抗議にいっさい耳を貸さず、スタスタと部屋を出て階段を下りる。
ロゼからすれば、子供のようにいつも言うことを聞かないウルリカをいちいち引っ張るよりは楽だと考えてのことだったが、 ウルリカからすれば昨日の出来事を思い出させられてしまいなんとも複雑な心境だった。
(こいつ、だれにでもこうなわけ?!)
動物にだけは優しいと思っていたが、そうではなく、怪我をしているものすべてに優しいのかもしれない。
それは人として正しい、だが。
(私だからって、わけじゃ、やっぱりないのよね……)
ひとつくらい、特別扱いしてもらえることがほしい。
「って、そんなのどーでもいいっての!!!」
いらぬ思考が働き、思わず否定の言葉が口をついて出る。
「なに顔を真っ赤にして訳のわからんことを怒鳴っているんだ。ほら、流すぞ」
たいした距離でもなかったので、いつのまにかアトリエの流し場に到着していたらしい。
ウルリカは床に降ろされ、ロゼが蒸留水の入った樽へ桶を持って水を取りにいった。
「あれ?水道の水じゃないの?」
「少しでも綺麗なほうがいい」
こういうところが、すごく気が利くと思う。
(私だったら、普通に水道水でジャーってやっちゃうけどなー)
それ以前に洗いもせず消毒液を吹きかけるかどうかで悩んでいたことはすっかり忘れていた。
ぼーっと立って待っていると、桶一杯に水を入れたロゼが戻ってくる。
「少し、指で擦るからな。我慢しろよ」
「それくらい、子供じゃないんだから我慢できるわよ」
「そう思ってるのはお前だけだ」
そして、突き出した左腕に片手で持った桶を傾け水を少しづつかけて流す。
「ふんっ、これくら……イタイイタイイタイ!!!」
次いで傷口を覆っていた膿の固まりをもう片方の手の指で押すようにして流され、ウルリカはすぐに涙目になった。
「だから言ったろ」
「容赦なさ過ぎるのよ、あんたはっ!」
しかし、おかげで黄色く変色し、べとついていた部分がすべて取れ、傷口が見えるほど綺麗になった。
「これ、釘か?」
確かになにか細いものが刺さったような後だが、それがいくつも並んでいる。
「く、釘よ釘!」
「ふーん……」
(ばれた!?)
さっきの痛みもあって冷や汗が出るが、ロゼはそれ以上突っ込んではこなかった。
「戻りは自分で歩けよ」
「言われなくてもっ!!」
さっさと一人で部屋に戻ろうとする背を睨みつけ、後を追う。
いちいちすべての台詞が嫌みに聞こえるのは、自分の被害妄想ではないはずだと、ウルリカは思った。
(ほんっとーに、根性悪いんだから!)
たしかに、昨日も今日も、怪我をこうして治療してくれているが、もしかしてこれは優しさとかではなく人としての義務感からでは なかろうか。
(そうよ、私だって猫が犬と喧嘩してれば助けるくらいするし、誰かが怪我をすれば心配だってするわ)
つまりは、きっとそういうことなのだ。
そう思った途端、胸のつかえがとれたような、でも寂しいような、なんとも言えない気持ちになりしゅんとする。
「結構傷が深そうだし、俺の持ってる傷口の乾燥剤も………ウルリカ?」
いつのまにか取り出した自分の救急箱を漁りながら、ロゼはドアのところで足が止まってしまったウルリカに声をかけた。
「どうした。そんなに消毒がいやなのか?」
そしてまるで見当違いのことを言う。
「そ、そんなんじゃないわよ」
自分でもなぜこんな暗い気持ちになったのかわからない。
(昨日のこと、気づかれなかったんだから、もういいじゃない)
余計な恥はかかずにすんだ。これは喜ぶべきことだ。
自分だからこうして面倒を見てくれているなんて思いたい訳じゃない。
(そんなこと、絶対ない……)
とぼとぼと、ベッドへ戻り座ると、「はい」とうつむいたまま腕を差し出す。
「たぶんさっきよりは痛くないから、そう落ち込むな」
「だから違うって!」
反射的に顔をあげ反論すると、間髪入れずに消毒液が吹きかけられる。
「いっ!!」
シュワワワと音を立てて傷口からすごい勢いで泡が立つ。
「うわっ!」
ウルリカは痛みよりそっちに驚いた。
「もう一回だな」
一旦その泡をガーゼで拭き取りもう一度吹きかけ、今度はあまり泡が出ないことを確認すると軟膏を塗る。
その上に白い粉をふり、新しいガーゼで押さえた。
「これで、一応はいいだろう」
慣れた手つきで包帯を巻きつつロゼが言う。
「夜にもう一度、包帯を変えるからな」
「……うん、ありがと」
(私なにしてるんだろ)
結局最初から最後まで、すべてロゼにやってもらってしまった。
(なんでもないことに、一人で一喜一憂して)
昨日からずっと、何かがおかしい。
あの猫が自分だってこと、本当は気づいてもらいたかったなんて。
「まぁでも、もう猫の姿で犬に挑むなんて無謀なこと、するなよ」
「…………は?」
ぴっちりまいた包帯をピンで留めながら言われた一言に、ウルリカは思考が止まった。
「お前のその緑の瞳は、一度見たら忘れられないほど強烈なんだ」
そしてロゼは、本当に楽しそうに微笑する。
その顔は、あのときの微笑みとまったく同じで。
「だ、だ、騙したわねええええええ!!!!!」
不意打ちの告白にウルリカは激高し、ロゼは堪えきれないように爆笑したのだった。





☆ロゼpart☆

最初その猫を見つけたとき、ウルリカに似ているな、と思った。
家に連れて帰り、目を見たときにまさかな、と思った。
そして、夕方、帰ってきたウルリカの腕を見て、やっぱりか!、と思った。


昨日の彼女の行き先は、その友人であるクロエの家。
クロエは学園時代、リリアをぷにぷにに変身させた前歴がある。
(またやらかしたのか……)
どんな方法を用いたのか知らないが、今度はウルリカが猫に変身させられたわけだ。
朝、だるそうに起きてきたウルリカの腕の包帯はほどけていて、ところどころに茶色いシミが出来ている。
(あいつ、もしかしてあのあとなんにもしていないのか?)
ただの猫ではなく人間なら、もっときちんとした治療が必要だ。
あのときは毛でうまく消毒が出来ていなかったし、治癒力も違うだろう。
(しかも、なんかぼろぼろになってるのに気づいてないし!)
よれよれの包帯を垂らしながらまったく頓着していないうえに、昨日は隠そうとしていたのにまったくそのそぶりを見せない様子から して確実にその傷の存在を忘れてる。
「腕の包帯、ほどけかけてるぞ」
「あ」
試しに声をかけてみると慌てて隠しだした。
(遅いだろ!)
それにしても、あれだけの怪我をしておきながら忘れるとはどれだけ神経と脳が鈍いのだろう。
傷口が相当悲惨なことになっていそうなので直してやると言うと、今度は逃げ出す。
(いや、だから遅いって……)
本人は、昨日のことにまったく気づかれていないつもりなのかもしれない。
(絶対そうだ。あいつはそういう奴だ)
そして大雑把で適当なのだ。
(ほっといたら、悪化しそうだしな……)
仕方ないので、後を追いかけることにした。



「どんな様子だ?」
なにやらベッドに座ったまま動かないので聞いてみると大げさな悲鳴を上げる。
その上、八つ当たりしだしたので無視をした。
無理矢理腕をつかんで確認すると、案の定ひどい有様だ。
(くそっ)
その、本人でさえ気持ちが悪いと思った傷口を見て、ロゼの頭に浮かんだのはなぜあのあときちんと診てやらなかったという後悔だった。
(これじゃ、後が残ってしまうかもしれない)
とりあえず、今からでも傷口を清潔にしてやらなければ。
ここで、昨日のことを責めればウルリカのことだ、余計反発して言うことを聞かなくなる。
ロゼは何も知らない振りをし、少しでも早く治療できるようにと抱き上げ移動した。
やはりここでもウルリカの抗議が入るがもちろん聞く気はない。
(自分のことに無頓着なお前が悪い)
大体女のくせに、体を大切にしなさすぎるのだ。
火傷をしたり、指を切ったときだって自然治癒に任せようとする信じられないところがある。
少しでも反省するようにとちょっと強めに傷を洗ってやったら思ったより痛かったらしく涙目になっていた。
(ま、これくらいで許してやろう)
すっかり固まって張り付いていた膿も全部取れたし、決してその姿に気持ちがぐらついたわけではない。
露になった傷口は、ロゼが確信していた通り昨日の犬のかみ傷で、穴があいたようになっている。
(傷跡、残ってくれるなよ)
真っ白で細い腕のそれは痛々しく、本当に昨日の自分をしかりとばしてやりたかった。
先に部屋に戻り薬の準備をしていると、なぜかさっきまで無駄に威勢のよかったウルリカが扉のところでしょんぼりしている。
(なんだ?今日は朝から)
テンションの上り下がりがいつも以上に激しい。
「そんなに消毒がいやなのか?」
「そんなんじゃないわよ!」
聞いてみれ落ち込んだ様子が一変、怒りだす。
そしてこちらにきてベッドに座り、また落ち込むのだ。
(もしかして……俺に、昨日の猫が自分だと気づいてほしかった、とか)
そういう、態度と矛盾していることを考えていることがウルリカは多い。
常に素直ではないのだ。
(あり得る。十分あり得る)
いざ、消毒を始めると今度はすっかりそっちに気を取られたようだが、ロゼはウルリカの心を見透かした。
最後に一言付け加えてやる。
「まぁでも、もう猫の姿で犬に挑むなんて無謀なこと、するなよ」
固まってしまったウルリカに止めの台詞。
「お前のその緑の瞳は、一度見たら忘れられないほど強烈なんだ」
その純粋な翡翠の瞳はロゼを引きつけてやまない。
たとえ猫に姿を変えようとも、魅了されてしまうのだ。
「だ、だ、騙したわねええええええ!!!!!」
途端に怒りだし、そのままいつもの元気を取り戻してまくしたてるウルリカの姿を見て、ロゼは堪えられなくなり吹き出した。
「はははは!!お前はほんと。単純で面白いな!!」
「私は全然おもしろくないわよ! 犬だって怖かったし傷は痛いし体中筋肉痛なんだからっ!!」
「隠さなければよかったのに」
「隠すわよ!あんたに助けられたなんて一生の不覚だわ!」
「俺にはばれないわけ、ないじゃないか」
ウルリカを間違えるはずが無い。
そう言ったつもりだったのだが、伝わらなかったらしい。
「わかるあんたが変なのよ!!変、絶対変!おかしい!!」
「お前な……」
そこまで力一杯否定しなくてもいいではないか。
「お前が、いろいろと鈍すぎるんだ」
例えば、なぜ見抜けたのか、とか。
「は?なにがよ」
鼻を鳴らして言われれば、もうロゼは大きなため息をつくしかなかった。




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