『傍らに在る幸せ』



アルレビス学園を卒業してから半年以上が過ぎた。
今、ウルリカはある大きな交易都市でアトリエを営んでいる。
卒業直前に告白をしてきた同級生、ロゼリュクスと共に。


「はー、おわった〜」
「う、おつかれ!」
彫金の細かい作業が終わり椅子に座ったまま伸びをするウルリカを小さなマナ、うりゅが気遣う。
「アクセサリ作りは嫌いじゃないんだけど、肩がこって仕方ないわ」
どこかの中年男性のように首を左右に傾けて鳴らし、ほっと息をつく。
ウルリカのアトリエはこの街でなかなかの評判を得ていた。
珍しいマナ持ちの錬金術師ということもあるが、その腕と無理の利く依頼幅の広さ、そして強さと礼儀正しさで人気の守護剣士を抱えるアトリエとして。
「あいつももう向こうの街に着いたかしらね」
「うー。ロゼ、しんぱい?」
「そんなんじゃないわよ」
そう言いつつも頭の上にうりゅを乗せたウルリカは、今頃ロゼがどうしているかと考えて遠くを見つめる。
卒業間際に好きだと告げられ離れたくないと言われた。
だからアトリエを開くなら雇って欲しいと。
付き合ってくれと言われたなら即断っていただろう。
だが彼は一緒に居たいから雇ってほしいと言ったのだ。条件も良かったし、特に断る理由はなかった。
けれど今は、残酷なことをしてしまったのではないかと思う。
(時々、すごく苦しくなるんだもの)
ふと、ロゼが自分のことをとても切ない、なんとも言えない目で見つめていることに気づくことがある。
とっさに知らないふりをしてしまうが、そんな時には必ず思い出すのだ。彼が自分のことを好きなのだということを。
そして、なぜかウルリカもそんな彼にとても胸が苦しくなる。
「あと、二、三日はかかるわよね」
ロゼはウルリカが一人で依頼の調合に没頭し手伝うことが無いときは、街の護衛や討伐依頼などを請けて過ごす。
今もある商隊の護衛でいくつか先の街まで出ておりアトリエを空けている。
「うりゅ、明日ちょっと出かけよっか」
「う!」
今日も含めて三日ずっとアトリエに篭りきりだ。
だからこんなセンチメンタルな気分になってしまっているのかもしれない。
気晴らしに明日、納品したらそのまま採取に行こうとウルリカは決めた。



「んー! いい天気!」
「うー、まぶしい」
翌日、朝早くから街を出たウルリカは冴え渡る青空に目を細め、うりゅは大きな紫の瞳をぎゅっと瞑った。
「ほらうりゅ、籠にはいってなさい」
「う」
仕方が無いので背に負う竹で編まれた籠に入るよう言ってからウルリカは歩き出す。
採取先は近くの森で一晩野宿の予定だ。
アトリエを開いてからこっち、採取にはロゼが行くか、もしくはふたりでだったのでこうした一人歩きは久しぶりだ。
「だいたいさー、ロゼって過保護よね。私だってそこら辺のモンスター、余裕で倒せるのにさ」
「う?」
いきなり話しかけられ、うりゅは籠の中から疑問の声を上げる。
ウルリカはまるで独り言のように続けた。
「護衛で稼いだお金も生活費とか言ってアトリエに入れようとするし、そんなのいらないって言ったら今度はあれもするこれもするって……」
わかっている。卑怯なのは自分だ。
ロゼは告白時の言葉通り「好きになってもらう努力」をしていて、自分は結果それを利用している。
(わかってる。私はとっくにあいつのことを好きになってるって)
出会った当初は嫌味で憎たらしくて嫌な奴でしかなかった。
でも本当は誠実でおせっかいで不器用で、とても優しいひと。
一緒に生活を始めてから彼のそういうこれまで見えなかった内面を知って、彼の向ける想いの篭った瞳にドキリとするようになったのはいつごろからだったか。
結構最初の方からだった気がするが、いざそういう気持ちになってみてもなかなか「自分も好き」だとは言い出せない。
(だって恥ずかしすぎるでしょ!?)
「うー。うりゅぃか?」
「そりゃさー、あいつだってきっとこの恥ずかしさ乗り越えて言ってくれたんだろうけどさー。なんか今更言いにくいっていうかさー。あんなきっぱり好きじゃないとか言っといてすぐ実はーとか情けないようなー」
街道をぺたぺたと歩きながらひたすらぶつぶつと呟く。
すっかり自分の思考に入りこんでしまった主人に、うりゅは話しかけるのをやめて大人しく籠の中で丸くなった。
そこそこの人が行き交う街道を進んで数時間。
ゴロゴロという音がし始め、人々の足も早足になる。
「ん?」
ずっと考えに耽り無意識に足を動かしていたウルリカだが、さすがにそのゴロゴロ音が大きくなって空を見上げた。
「あれ? いつのまに?」
さっきまで雲ひとつ無い青空だったはずが、いつのまにか暗く厚い雲に覆われている。
「うわ。やば」
遠くの空はもっと暗く、時折雷の光が瞬いている。
今回、雨が降るとはまったく予想しておらず雨具の類をひとつも持ってきていなかった。
(どっか、雨宿りできるところ探さないと)
ウルリカがきょろきょろ辺りを見回していると、突然名前を呼ばれた。
「ウルリカ!」
「ロ、ロゼ!?」
すっかり耳に馴染んだ声に前方を見やると、旅装束のマントを羽織った青髪の剣士、ロゼがこちらへ駆けて来るところだった。
「ど、どうしてあんたがここにいるの!? 仕事は?」
「予定より早く目的地に着いて、すぐに帰ってきたんだ」
街道は広く、基本真っ直ぐで見通しもいい。遠くでウルリカのことを見つけて走って来たのだろう。息を切らせている。
「それで、お前は、どこに行くんだ?」
「ちょっと、近くの森に採取に行こうと思って」
籠を背負っている時点で採取目的なのはわかっていたのだろう。ロゼは「そうか、近くの森か」と言うとウルリカの背の籠に手を伸ばした。
「え?」
「一緒に行こう。荷物、貸せ」
「ちょ、ちょっと!」
背から外されそうになった籠を掴み、ロゼに「あんた仕事終わったばっかりでしょ?!」と問う。
「そうだが、なにか問題が?」
「問題とかじゃなくて、ここからならあと数時間で街だし私はいいから帰って休んでなさいよ。ほら、今ならあの雷来る前に帰れるかもよ」
「お前が居ないアトリエに帰っても意味は無い」
「うっ……!」
どうしてこの男はこういう恥ずかしいセリフをさらっと言えてしまうのだろうか。
思わず言葉に詰まったウルリカからさっさと籠を取り上げ、中で寝ていたうりゅを見つけて一度頭に乗せてから自分の荷物もウルリカの物と一緒に籠に入れて背負う。
「ほら、こいつはお前が抱いていろ」
熟睡しているうりゅをウルリカへ放り、「まずは雨宿りか。来る途中にいいところがあった。雨が降る前に着けるだろう」と不自然に顔を赤くするウルリカに気づかずついて来いと言って先導した。


街道沿いの並木。大きく枝を伸ばしたケヤキのうち一本の下にふたりは避難した。
他の木の下にもそれぞれ旅人がいて、もう道を走っているのは屋根のある馬車だけだ。
「風はないから、ここでも十分凌げるだろう」
「うん」
移動している間に音は随分近くなっている。
ロゼが籠を木の根元に置き、いつのまにか起きていたうりゅがウルリカの腕の中から飛び出して荷の無くなったロゼの肩に移動した。
「ろぜ、おかぃり」
「あぁ、ただいま」
擦り寄られ、やわらかく笑ってその頭を撫でる。
「あ、降ってきた」
ポツポツと落ちた大粒の雨がすぐにザァッと白いカーテンに変わる。
それでもケヤキの厚い葉の層はふたりを激しい雨から守った。
その時ドカンッと内臓に響くような大きな音がして「うひゃっ!」とウルリカが飛び上がる。
視界が白くなるほどの光を放ち、厚い雲の下に金色の龍のような雷が躍り出た。
それを皮切りに真上に来た雷雲がいくつもの雷を轟音と共に吐き出し、その度にウルリカはぎゅっと目を閉じて身を縮こませる。
雷雲が通り過ぎるまでにかかった時間はたった数分。
「もう大丈夫だぞ。だいぶ遠ざかった」
「うぅ……」
「まぁ、俺はこのままでもいいが」
「……? って、わぁっ!!」
最後は瞑りっぱなしだった目を開けて初めて自分がロゼに抱きついていたことに気づく。
そして背には宥めるようにロゼの腕が回されていた。
「ご、ごごご、ごめん!」
慌てて飛びのくウルリカを見てロゼは笑う。
「お前が雷嫌いだとは知らなかったな」
「別に嫌いじゃないわよ! ちょっと音にびっくりしただけっ」
遠くから見る分にはむしろ好きなくらいなのだがさすがに真上にこられると怖い。
「まぁ、そういうことにしてやるよ」
「ほんとなだからっ!」
「はいはい」
「うりゅりか、だいじょうぶ?」
「うりゅは優しいわね〜」
「……差別だ」
反応の違いに納得のいかないロゼを無視して心配して顔を覗きこんできたうりゅを腕に抱き、ウルリカは地面に直接座り込む。
「こういうのは差別じゃなくて区別って言うの! ……雨、やまないね」
「そうだな」
雷が去っても雨は激しいままだ。
「土の匂いがするね」
乾いた地面に雨が降るとする独特の匂い。ウルリカはこの匂いが好きだった。
「あぁ。雨が降るのはかなり久しぶりだからな。進むには困るが、仕方が無い」
「うん」
「優しい、匂いだな」
「うん」
この匂いを嗅ぐと、村に居たころを思い出す。
ウルリカの住んでいた村はとにかく田舎で、今住んでいる交易都市のように通路が石畳で整備などされてはいなかったし、土がむき出しだった。
そのため雨が降ると土と、牧畜用の藁の匂いが村を包む。
あの頃、両親の居ないウルリカはひとりだった。
でも今は、一人きりの時の方が珍しい。ウルリカのマナのうりゅはもちろん、いつだってロゼが隣に居る。
そして、隣にロゼがいるということに、満たされている自分が居る。
「……ねぇロゼ」
「ん?」
「ロゼはさ、ほんとに私でいいわけ?」
雨はまだ止まない。
「なんだいきなり」
本当にいきなりな質問に、木の幹に背を預けて立っているロゼは体育座りをして膝にうりゅを乗せたウルリカを見た。
見えるのは真っ直ぐ降り続く雨を見つめている彼女の頭の天辺だけで、表情はわからない。
「どうかしたのか?」
「いいから答えるの!」
「……よくわからないが、おまえ『で』いいんじゃなくて、おまえ『が』いいんだ」
いつも言っている気持ちを正直に答える。
「私は、わからない」
「?」
唐突すぎる話のふりに、ウルリカの意図が読めずロゼは目をすがめる。
「私はロゼだからなのか、わかんない」
ウルリカが告白出来なかった一番の理由。
恥ずかしい以上に、自分のこの気持ちに自信が無い。
ロゼだから好きなのか、それともただ単に優しくしてくれる相手だからなのか。
「ウルリカ、それは、まさか」
ロゼもやっとウルリカが言っていることの意味がわかり、目を見開く。
「わかんないけど」
当たり前のように傍に居てくれるロゼが好きだ。
仕事帰りで疲れているにも関わらず採取に一緒に行こうと言い、雷に怯える自分を支えてくれるこの存在を、もう失いたくないと思う。
「わかんないけど、私のことを好きになってくれてありがとう。私ももう、あんたが居ないとダメみたい」
依頼が終わった途端、ロゼが出かけていて居ないことが寂しくて、誤魔化すために採取に出た。
最近では無意識の行動にいつもロゼが影響している。
「これは、告白と受け取っていいのか……?」
「改めて聞かないでくれる?」
火照る顔をうりゅのふかふかの毛皮に埋め、それから恥ずかしさを吹っ切るように小さなマナを抱いて立ち上がった。
「だから、はい」
「? なんだ?」
差し出された手を見て疑問を浮かべるロゼに「握手!」と無理やりその手を掴みブンブンと振る。
「改めて、私からもよろしく!」
「あぁ、よろしく」
照れ隠しなのがわかる勢いのいい握手に笑ってしまう。
「今回も、私の手冷たい?」
「いいや? 暖かいよ」
火照って赤くなった顔と同じように熱くなったウルリカの手を握手ついでに掴んだまま引き寄せ、そのまま抱きしめる。
「ぅぶっ!」
「あの日と今日は全然違う。俺はやっと、欲しくて欲しくてたまらないものを手に入れたんだからな!」
ぷはっと胸に埋められた顔を上げ、ロゼの喜びに満ちた青い瞳を見上げる。
昔は冷たく深い海の底のようだと思ったアイスブルーが、今では明るく輝いていて、スカイブルーのように澄んでいた。
「欲しくてたまらないもの?」
「わからないか?」
「なんとなく、わかる……気がする」
答えるともう一度思い切りぎゅっと抱きしめられ、ウルリカは逆らわず耳をその胸に当て心臓の音を聞き、ふたりの間に間に挟まれたうりゅがくるしいと文句を言う。
いつのまにか小降りになっていた雨を落とす厚い雲の合間に、青い空が覗いた。


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