『Snowy Princess』
| 「……寒い」 夜中、ロゼは寒さに目を覚ました。 (毛布を足すか) これまでは羽毛布団だけで十分だったが、いくら気候の安定した学園でも本格的に寒くなってきた今、さすがにこれでは不十分らしい。 身を切る冷たさに外を確認するようにカーテンを開けると、雪が降っていた。 (ここでも、雪が降るのか) 雪山のほうだけだと思っていた。 「ん?」 中庭で、なにかが動いている。 「なんだ?」 外灯の薄明かりの中、白いなにかをまとった少女らしき人影が楽しそうにくるくると回りながら降る雪にじゃれついている。 それは降りしきる雪にかすれておぼろげで、しかし積もった銀雪の光を吸い込んだように淡く浮かび上がっていた。 (精霊……?) 世に存在するといわれる精霊。それは目に見えずマナよりも原始的で、しかし確かに存在する。 神秘とも言われる精霊はきっとこんな姿なのではないかと思わせた。 が。 「……じゃない、あの馬鹿女!!」 よく目を凝らしてみれば、それは豊かな金の髪を揺らし子どものようにはしゃいでいるウルリカだった。 (なにやってんだ、この雪の中あんな薄着で!!) ここからでははっきりとは見えないが、明らかにコートなどの厚い上着を着ていない。 「本当に、あいつは16か?!」 ひとつ年下の少女に毒づくと、自分のコートを羽織りずっと棚の中に仕舞われていたあるものを手にとって、ロゼは自分の部屋を出た。 (寒いっ!!) だれにともなく、思わず怒鳴りたくなるほど外は寒かった。 (なんで俺がこんな夜中に、しかも雪の中出て来なくちゃならないんだ!) それでも見つけてしまったからにはあの馬鹿を放っておくわけにはいかない。 それにこれは、作ったままずっと渡しそびれていたアイテムを処分できる、ちょうどいい機会だ。 空は厚い雲に覆われているが、月明かりを吸い込んだ雪が舞い降りた地上で淡い光を放つ。 「結構、明るいんだな……」 星ひとつ見えないのにこんな明るい夜があるなどと知らなかった。 「おい」 「うひゃあ!」 中庭の中央にある外灯の下でぼうっと空を見つめるウルリカに声をかけると、やはりロゼが近づいていることにまったく気づいていなかったらしく悲鳴を上げて飛び上がる。 「なにやってるんだお前。そんな薄着で馬鹿か?」 遠目で上着を着ていないのはわかっていたが、まさか本当にカーディガン一枚とは。 さすがに呆れて言うと、焦ったように顔を赤くしたウルリカが怒鳴る。 「うるさいわねっ! 私の勝手でしょ! それよりも、なんであんたがここにいるのよ! 寝てなさいよ!!」 「俺が寝てようが起きてようが、それこそ俺の勝手だろ」 相変わらず、言い分に筋が通っていない。 (お子様は、雪を見るとはしゃぐ法則があるよな) ちょっと目が覚めて外を見たら雪が降っていたから本能の赴くまま外へ遊びに出た。そんなところだろう。 「俺の部屋も中庭側でな。寒いんで目が覚めたら窓の外で馬鹿みたいにくるくる回ってるお前が見えたんだ」 「あんたも布団剥いだの?」 一応説明をしてやると、きょとんと聞き返され、逆にロゼが呆気に取られた。 「……なんだそりゃ」 つまり、ウルリカは布団を剥いでしまい、その寒さで起きたということだろうか。 (もう女捨ててるんじゃないのか?) 行動のひとつひとつ、その存在のすべてがロゼの理解の範疇を超えている。 「とにかく、これ着ろ」 底なしの天然を相手していたらキリがない。 早々に用事を済ましてしまうべく、ロゼは持ってきたアイテムをウルリカに放った。 「なにこれ」 「お前見てるとこっちまで寒くなるんだよ」 実際夜着の上に毛糸製とは言えカーディガンは寒々しくて仕方が無い。 「見なきゃいいじゃない」 (そういう問題じゃないだろ!) 今も雪は止まず、お互いの上に降り注いでいる。 「いいから着ろ」 「相変わらずいちいちうるさいわね」 (お前は面倒くさいんだ!!) 心の中で突っ込まずにはいられない。ただ、これを口に出すと必ず切れたウルリカと必要以上にもめるのでその辺は学習していた。 仕方ないとばかりに渡されたアイテムを広げ、ウルリカは固まる。 「……あんた、こんなの着るの? ちょっと似合わないんじゃない?」 「だれが着るかっ!」 あまりにも心外な言葉に今度は口に出して突っ込んでしまう。 ロゼがウルリカに渡したのは桃色のフードのついたロングコートで女性用だ。断じて自分にそんな趣味は無い。 「でも……」 なお言い募ろうとするウルリカにいい加減イラ立ったロゼはそのコートを奪い、無理やり肩にかけた。 「俺のコートと同じ生地でお前用に作ったフードコートだ!変な勘違いをするな!」 「へ? 私用?」 「ドラゴングローブの、返しに作って持ってたんだよ」 以前探索で偶然出会い、いろいろ迷惑をかけられた。 その謝罪と一緒にウルリカに渡されたドラゴングローブは今、ロゼの探索時の必需品となっている。 しかし、あの実りの丘で会ったときからずっと気になっていたのだ。またどこかで寒さに震えていたりするのではないかと。 (俺が、心配するようなことじゃないが……) そこへドラゴングローブまで貰い、気づけば錬金釜の前で女性用のコートを作り上げていた。 捨てるものもったいないし、いつかまた探索中に会うことがあればと持ち歩き数週間。一度も出会うことなくこのまま卒業になるかと少し諦めていたのだが、やっと渡すことができた。 (というか、持ってて良かった) こんな雪の中、ウルリカのこの格好は正気の沙汰ではない。 (本当に、頭弱いなこいつ) かなり失礼なことを考えているのを知らないウルリカは、普通に聞き返してくる。 「ドラゴングローブって、あの?」 「そうだ」 「でも、謝るために渡したものにこんなの貰ったら意味無い……」 「いいんだよ、俺だってあんな品貰うほどのことはしてない。だからこれでチャラだ」 一緒についていたのに怪我をさせてしまった。それだけでロゼは罪悪感を覚える。 自分の強さを過信してはいないが、それでも女性に怪我をさせるというのはとても悪いことをしたような気がするのだ。 「もしかして、あのあとこれ作ってずっと持ってたの?」 「―――っ!!」 あえて黙っていたところを指摘され、ロゼは恥ずかしさに一瞬言葉に詰まった。 (お前が、あんなことをするからっ!!) 実りの丘では寒さに震え、コートをかばい怪我をし、その上悪かったとドラゴングローブを持ってくる。 そこまでされて「はいそうですか」で終わりに出来るほど、ロゼはあっさりした思考を持っていなかった。 「知るか!」 嫌いで苦手なはずなのに放っておけない。そんな自分を認めたくなくてロゼは投げやりに怒鳴ると、いつのまにか頭に積もってしまっていた雪を払い踵を返した。 (これで義理は果たした!) これ以上ここにいるとなにを言われるかわかったものではない。 しかし、すぐ部屋に戻ることは出来なかった。 「あ、ちょっと、待ちなさいよ!」 (なっ!) 繋ぐような形で手をつかまれ、ロゼは動きを止めた。 振り返るとウルリカは嬉しそうに笑っている。 「ありがとう。さすがにちょっと寒かったのよ」 (なんで、こいつは……) こうも素直に礼を言えるのだろう。 いつも理不尽な要求を突きつけたりとんでもない言いがかりをつけてきたりとめちゃくちゃな分、こちらの調子が狂う。 (初めて会ったときは、ごめんのひとつも言えなかったくせに) それどころか、ウルリカの落とした石に躓いて転んだロゼに向かって「私の石が割れちゃったらどうしてくれんのよ!」と啖呵まで切ったのだ。 (変わったのか?) 念願のマナを手に入れ、そのことが彼女を変えたのだろうか。 (マナか……) 自分には無い、昔はそばにあった存在。 (俺は、そんなものなくたってやっていける) マナなどいなくても変わることが出来る。 とりあえず、そんなコンプレックスを悟られないように誤魔化した。 「当たり前だ!最初見つけたときは目を疑ったぞ」 嘘ではない。本当に、精霊と見間違えたのだから。 「いくらお前が馬鹿でもそんな格好で出たら風邪をひくだろう」 馬鹿は風邪を引かないという言葉があるが、それにしたって限度があるはずだ。 こうして話している間もどんどん地面の雪の層が厚くなるぐらい、寒いのだ。 ただ、今はなぜか体が火照ってあまり感じないが。 (っていうか、手を離せ!!) 熱い原因のひとつはこれだ。いつまで手を繋いだままでいるのだ。 「馬鹿馬鹿言わないでくれる!? 一応カーディガンは着てたんだから!」 「それで済まそうってところが馬鹿なんだよ……」 冷たい空気を通すカーディガンなど焼け石に水だ。 ため息混じりに言うと、ウルリカは拗ねたのかやっと掴んでいた手を離しそっぽを向いた。 「私はもともと丈夫なの!! こんなの屁でもないんだから。もういいわよ、さっさと部屋に帰れば?」 「お前は帰らないのか?」 「帰らない。頭に来たから冷えるまで雪見てく」 「そうか」 再び帰ろうとすると、淡雪はいつのまにかぼたん雪に変化していた。 (雪……か) 担任であるグンナル教頭の特訓で雪山に行き腐るほど見たはずなのに、なぜか今、このまま見ていたい気分に駆られた。 (おかしいな。そんな好きでもなかったんだが) 冬なんて寒いだけだし雪が降れば余計寒い上に邪魔になる。 とくに屋敷にいるときの大雪は翌日の雪かきが確実に待っていたので嫌いだった。 なんとなく離れがたくて動かずに居ると、ウルリカが声をかけてきた。 「………部屋に帰るんじゃないの?」 さっきまではそのつもりだった。でも今は―――。 「お前をひとりでおいてったら、朝にはここで倒れてそうだからな」 半分本気の言い訳を言ってみる。 「そこまで馬鹿じゃないわよ!!」 打てば響くような分かりやすい反応に、ロゼは思わず笑ってしまった。 「俺も、少し雪が見たくなった」 今度は全部本気だ。 「風邪引くわよ」 「丈夫なんだ」 「馬鹿じゃない?」 「お前よりマシだ」 理屈に合わない行動はらしくないと自分でも思う。 だけど、たまにはそんなことがあってもいいんじゃないか。 そういうところから、少しづつ変われるのではないかと、この気持ちに理由をつけてみる。 「ね、こうやって外灯下で雪見上げるとね、すごいわよ。なんか迫ってくる感じが」 「へぇ?」 空を見上げたまま呼ばれ、同じように天を仰ぐと、そこには壮大な景色が広がっていた。 (これを、見ていたのか) まっすぐ音も無く無数に向かってくる雪が、空の深さを実感させる。 次から次へと目で追いきれないそれは、一つ一つを凝視するのではなく漠然と見上げた方がよりキレイで、神秘的だった。 「……ほんとだ」 こんな見方をしたことは無かった。 ウルリカのほうを見ると、彼女はまだ嬉しそうに見上げている。 大粒の雪をまとった金髪が流れ、大きな翡翠の瞳がきらきらと外灯の光を浴びて輝く。 「でしょ?すごい、キレイよね」 「そうだな、キレイだ」 何がとは言わない。 雪も、それを浴びる少女も、今だけは少し好きになれそうだ。 ロゼは再び雪を見る体勢に戻り、寒さを忘れてこの少し幸せな気分に浸った。 「38度4分」 ユンが冷めた口調で告げる。 「……言うな、余計、熱があがる……」 翌日の朝、ロゼは高熱を出して寝込んでいた。 女性禁制のため、ユンが看病をするために部屋に来ている。 「なんでこんな風邪を引いたんだ?」 「昨日、寒かったからだろ。ごほっ」 がらがらの喉から出る声はかなり擦れて聞き取りづらくなっている。 「主から看病を言い付かったからな。今日一日着いていてやろう。さっき飲ませた薬が効けば明日には熱が下がるはずだが……」 そう言うと、ユンはベッドの中で苦しそうに咳き込むロゼを見下ろした。 「隣のアトリエの女が、お前と同じように風邪で寝込んでいるらしいが、偶然だな?」 「……偶然だ」 熱のせいで体の節々が痛む。 もう寝るという意思表示に背を向け布団をかぶり直すとユンのため息交じりの声が聞こえた。 「青春も、ほどほどにしておけ」 もう夜中の雪なんて絶対に見ないと、ロゼは心に決めた。 >>BACK |