『優先順位』



「さーむーいー」

冬休み。
役割表通り、実りの丘へ探索に来ていたウルリカは、藪の中でうりゅを抱えて震えていた。
「うー。くるしい」
思い切り抱きしめられ、うりゅが抗議の声をあげるがよほど寒いのか、ウルリカは力を緩めてくれない。
「だいたい探索ってめんどくさいのよねぇ」
とりあえず時間を稼いで、「あんまり魔物に会わなかった」と誤魔化してしまおうか。
そんな理由でごまかされるアトリエの仲間たちではないが、ウルリカは本気でそんなことを考えていた。
「さむいしーめんどくさいしーうごきたくなーい」
ぶちぶち文句を言いながら、うりゅの頭の上に顎を乗せゆらゆら揺れる。
するとがさりと音がして、藪の後ろから来た何かがウルリカに躓いた。

「ぬわっ!?」

間抜けな悲鳴と共に、ウルリカの隣のアトリエにいるロゼが、頭から目の前の木へ激突する。
「いってぇ…」
額をしたたか打ち、片手で押さえつつ自分がなにに躓いたのか振り返ると、うりゅを抱っこしたまま不思議そうに自分を見上げるウルリカと目が合った。

「またお前か!」
この少女によって無様にこけたのは3度目。

「あんた、もうちょっと足下見て歩いた方がいいわよ」

まるで自分は関係ないかのように言われれば、怒りで言葉が出てこなかった。
「ほかに言うことはないのか」とか「こんなところで何をしている」とか言いたいことはたくさんあったが、彼女に関わるとろくなことにならないのはこの一年近い期間の間に学習している。
一瞬軽く唇を震わせ睨みつけたものの、ここで余計なことを言えば更に面倒なことになると思ったロゼは、見なかったことにして探索を続けることにした。
ふぃっと視線を逸らし、更に森の奥へ進もうとするロゼを見て、ウルリカの頭にあることがピンと閃く。

「えいっ」

「でっ?!」

歩き出そうとしたところ、いきなり両足を掴まれ、ロゼは再び顔面を強打する。

「このっ、何しやがる!」

「目の前に寒さに震えるか弱い女の子がいるっていうのに素通りするとか、あんたそれでも男なの?!」

「はぁ?!」

またこの小娘は無茶なことを言い出した。
ただでさえ最近は情緒不安定でうまくアトリエメンバーとのコミュニケーションがとれずイライラしていて、この時間が唯一落ちつけるのに邪魔をされたくない。
ひとりきりで居るところを見るとウルリカも探索のスケジュールをこなしに来たのだろうが、別のアトリエ、学科であるロゼの知ったことではなかった。

「そりゃそんだけ薄着なら寒いだろ。普通そんな格好で来るか?」

大体にして今、季節は冬なのだ。
多少秋に近い気候の実りの丘とはいえ、いつものミニスカに腹出しルックは正気とは思えない。

「悪かったわね!他に服持ってないんだから仕方ないじゃない!」

「……お前、服も買えないほど貧乏なのか」

逆切れ気味に言われた言葉にロゼは同情を覚える。
そういえばリリアが「あの田舎娘、食費をきりつめてまでこの学園に入ったというけれど、それであの授業態度なんて信じられないわ!」
と憤っていたのを聞いたことがあった。
そう考えるとそういう面での苦労を一度もしたことの無いロゼは少しだけ「かわいそうだな」、と思った。

「――っ!」
(またバカにされたっ!)

ウルリカはウルリカで、この沈黙のときにロゼの表情がイラつきから哀れみに変わったのを見て悔しくなってくる。
しかし、貧乏なのは本当なので返す言葉がなかった。

「仕方ないな」

そういうとロゼはおもむろに自分のコートを脱ぎだし、未だ寒さに震えるウルリカへ向かって放ってやる。
「ほら」
「え?」
「それ着てろ。少しはマシだろう」
反射的にコートを受け取ったウルリカは信じられないと思いながらも、借りれるのなら遠慮せずに着たかった。
実りの丘は常秋の気候と舐めてかかったせいで本当にろくな準備をしてこず、唇が紫色になるほど寒かったのだ。
「いいの?」
「俺はセーターを着てるしな。お前ほど寒くはない」
時間が経つほどだんだんと震えるウルリカに対して哀れみの情がわいてきて、ロゼはぶっきらぼうに言った。
「じゃ、じゃあ……」
ぎこちない動作で、黒い長めのコートの袖に腕を通す。
案の定、コートはぶかぶかだったが、ロゼの体温が残っていて暖かかった。
(……やっぱり、セーターのほうを渡すべきだったか?)
ロゼのほうはぶかぶかのコートを羽織るウルリカの思わぬかわいらしさに失敗を悟るが、今更返せとは言えない。
「じゃあな。コートは学園に帰るまで貸してやる」
とりあえずこれで人としての義理は果たした。
自分のコートを着て嬉しそうに「ぬくぬくー」と笑うウルリカから視線を外し、ロゼは更に森の奥を目指したのだった。





「で、なんで着いてくる?」

しばらく進んだ後、ロゼは自分の後ろをとことこ付いてくる少女に、足を止めず藪を掻き分けながら質問をした。

「だってひとりじゃ心細いし」
「う!」

頭にうりゅを乗せ、借り物のコートを引きずらないように持ち上げながら歩いていたウルリカは当たり前のように答える。
もともと最初に文句を言って足止めをしたのだって、一緒についていって少しでも探索の体裁をとろうという目論見があったからなのだ。

「楽をしたいだけじゃないのか?」

知り合いたくて知り合ったわけではないが、伊達に長い付き合いではない。
ロゼにあっさり図星をつかれ、ウルリカは黙る。

「お前が居るとイライラするんだ。もう着いてくるな」

正確には、ウルリカのマナがいると落ち着かないのだ。
その大きな目で見つめられるたび心の奥を見透かされるような、自分の汚い部分を見せ付けられるような、嫌な気持ちになる。
ロゼが振り返り、腕を横に振って追い払おうとすればさすがのウルリカも傷ついた。

「そ、そこまで言わなくたって」
「う〜」

きつい言葉にひるんだウルリカが足を止めると、今度は意外なことにうりゅが前に出て、ロゼを睨みつけた。

「うりゅ?」
(なんか、変?)

めったに上げない少し低い唸り声に、ウルリカは違和感を覚える。
そういえば、うりゅは前からこの男に対してだけは警戒心をむき出しにしているというか、嫌っているように見える。
しばらくロゼとうりゅは睨みあっていたが、すぐに耐え切れなくなったようにロゼが顔を逸らし、小さく言った。

「そんな目で、見るな。…分かったよ。好きにすればいいだろ」

そしてまた藪を掻き分け歩き出す。
(着いていって、いいのかな?)
うりゅの反応が気になるが、寒さに震える自分にコートを脱いで貸してくれた。
悪い人間ではないはずだ。

「じゃ、好きにする」

ウルリカは自分の勘を信じ、ロゼに着いていくことにした。




戦闘経験値を稼ぐための探索は、アイテム採取も兼ねているため実りの丘の採取ポイントに向かうが、その間ほとんど魔物が出なかった。
(気温が下がっているからか?)
これまで遭遇したのは小物ばかりで、ロゼひとりで十分な相手ばかりだった。
(まぁ、足手まといがついているし、出ないに越したことは無いが)
飛び出してきた魔物をロゼが軽く切り捨てるたびに無邪気にパチパチと拍手をしてくるウルリカには調子が狂う。
(さっさとこいつの分も集めて追い払わないと)
たぶん、ウルリカの目的は探索をきちんとしたと言うことの出来る物的証拠、つまり採取アイテムだろう。
今向かっている先にあるモーニングベリーを持たせて帰らせてしまえばいい。
「ねぇ、あそこ!」
そのとき、ずっと後ろをついて歩いていたウルリカがユウバナの花を見つけ、突然道を逸れて低木の茂る中へ足を踏み入れた。
「馬鹿っ!」
魔物は大抵こういう中に潜んでいる。
気づいたロゼは止めようとしたが間に合わなかった。

「ゴフー」

低木を抜けた先に居た馬の姿をし、一本角の生えた石獣とウルリカが鉢合わせしてしまったのだ。

「げ!」

ウルリカも自分の失敗を悟ったが時はすでに遅い。
すぐ目の前に現れた石獣は角を向け、一直線に突進してきた。

(あ! コートを傷つけちゃう)

普通に避けただけでは長いコートの端が魔物の進路に残ってしまう。
ウルリカはとっさにコートを翻し、変わりにむき出しになったわき腹を角がかすめた。

「いっ!」
「うりゅぃか!」

激痛が走ったが、それでもそのまま体を一回転させた勢いで手に持った魔法石を使い、石獣を後ろから殴り飛ばす。

「こっの!!」

追撃とばかりに光弾を飛ばすと、それは避けられて敵の足元に落ち、噴煙を上げた。

「まかせろっ!」

しかし、掛け声と共に噴煙にまぎれて宙に飛んでいたロゼが両手に光の剣を持ち、石獣に剣戟を降らせその体を切り刻む。

「ガアアア!!」

一瞬で勝負が決まり、音を立てて魔物の体が地面に沈んだ。

「おー、さすが!」

赤く腫れたわき腹を押さえつつ、ウルリカはロゼに感嘆の声をあげた。

「見せてみろ」

「え? ぎゃっ! ちょっと、痛い!」

ロゼは倒した敵に見向きもせずウルリカの元へ来ると、わき腹を押さえる手を持ち上げ傷口を確かめる。
石獣の角はその白い肌に横一直線の太い蚯蚓腫れのような痕をつけ、そこからはうっすら血がにじんでいた。

「待ってろ、薬がある」

ウエストバッグから塗り薬と包帯を出し、手際よく処置をしていく。ロゼの後ろにふよふよと浮くうりゅが心配そうにその様子を見守った。
(うぅ、怒ってる)
この無言の間が、逆に怖い。
なにか言って誤魔化さねばとも思うが、自分の場合言えばいうほど怒りを倍増させる可能性のほうが高い。
そこらへんの自覚があるウルリカは、冷や汗をかきつつされるがまま大人しくしていることにする。
そして傷の手当が終了し、ロゼは一呼吸つくと、思い切り怒鳴った。

「この馬鹿女!」

「ま、また馬鹿女って言った!! 」

確かにうっかりしすぎではあったが馬鹿はいただけない。

「馬鹿だから馬鹿だと言ったんだ! コートを庇って怪我する奴があるか!」

ロゼが怒っているのは不用意に道を外れたことではなく、コートを気にして自分を犠牲にしたことだった。

「だ、だってこれ借り物だし、高そうだし……」

見た目の割りに軽くて暖かい。
こんな服をウルリカは持っていなかったし、これからも持てないだろう。

「コートの代えはあってもお前の代えはないんだぞ?! それくらいわかるだろう!!」

「あうぅ……」

これ以上無く正論だ。
二の句を告げなくなるウルリカをうりゅがかばった。

「うりゅりか、いぢめちゃ、だめ」

どうもうりゅが苦手らしいロゼは、その小さなマナに睨まれると苦い顔をする。
やがて、それ以上説教することは諦めたのかため息をついた。

「おい。手、出せ」

「え?」

言われて素直に両手を出すと、その上にずっしりとアイテムの入った袋が置かれる。
「え?これって」
「俺が集めたアイテムだ。そんだけあれば言い訳も出来るだろ」
探索目的でこれだけあれば、言い訳どころかだれかに突っ込まれることも無い。
「でも」
コートを借りて、魔物から助けられた上にここまでしてもらってはさすがに申し訳ない気がする。
断ろうとすると、先に牽制されてしまった。

「お前みたいななにするかわからない爆弾娘に一緒に居られる方が迷惑なんだ。それくらいのアイテムならすぐに集まる。 さっさとイカロスの翼で帰れ」

「怪我人は足手まといだ」とまで言われれば、素直に受け取るしかない。

「今日は、ごめん」

ウルリカはそう一言だけ残し、学園に帰るべく、小さな翼を空に掲げた。





「いっ、つつ…」
学園の門へ着地したとたん、その小さな衝撃で傷に痛みが走る。
「うりゅぃか?」
心配して覗きこんでくるうりゅの頭を少し引きつった笑顔で撫でてやる。
「大丈夫ようりゅ。少し休めば治っちゃうから」
実際探索で怪我をしたこと自体は初めてではない。
高さの無い崖に気づかず滑り落ちたり、果実を取ろうと木に登ってやっぱり落ちたり、たくさんの魔物に囲まれて命からがら逃げたりと結構よく失敗をしている。
ウルリカはもともと体が丈夫なので大抵は2,3日で治る程度の怪我だ。
(これくらいなら、明日には痣とかさぶたね)
特に女だから体を傷つけないようにという意識もないので楽観的だった。
寮にある自分の部屋へ戻り、コートを脱いで丁寧に畳むと枕元に置く。
(あとで洗って返さなくちゃ)
そのときはなにかお礼の品も添えてあげよう。
もらったアイテムをデスクの上に置き、各部屋においてあるピッチャーから直接水を飲む。
包帯はとても丁寧にしっかり巻かれていて、動いてもまったくずれることがなかった。
(うーん、器用だわ)
あれだけ怒っていてもまったく手を抜かれていないことに、ウルリカは感心した。
「じゃ、うりゅ、寝よっか!」
「う!」
そう言ってすぐに小さなマナを抱いてベッドに横になる。

(あ…)

コートからほのかにロゼの香りがした。
(なんか、この匂い結構好きかも)
置いたコートをなんとなく引き寄せ目の前に移動させると、ウルリカは再び目を閉じ、しばらくして安らかな寝息を立て始めたのだった。


>>BACK