困惑
自分でも不思議だ。
なんで、こんな行動に出てしまったのか。
きっかけは、カステラだった。
そう言うとえらく間抜けに聞こえるが、実際そうなのだから仕方がない。
でも、男ならここで見過ごすわけにはいかないだろ?
やたらやわらかいソファーに座りながら、京はテレビを見つめつつも自分の行動を思い返して半ばぼーぜんとしていた。
「草薙、あなたも入る?」
ちづるがパジャマ姿でシャワー室から出てくる。まだぬれている髪をタオルでかき混ぜるように拭くたびにシャンプーの香りがふわり
と届き、覚醒した京は柄にもなくドキドキした。
おかしい、これまで大会で同じ部屋に泊まったことなんて何度もあったのに。
八神と3人で一部屋だったし、今はちづると二人きりなうえに、その彼女の部屋というシチュエーションが気持ちを狂わせているのだろ
うか。
そんな京の心境など、もちろんまったく知らないちづるはすぐ隣に座るともう一度聞いた。
「入らないの?」
「あ、あぁ、今日は着替えもないしいいわ。一日入らなくても死ぬわけじゃねーし」
<ってかなんで隣に座るんだこいつ!!!>
嬉しいが嬉しくない。ぎりぎりまでソファの端により、必死に接触を避ける。
「見たいドラマあるんだけど、チャンネル変えていいかしら」
つまり、ちづるはテレビを見るのに一番いい場所にあるソファーに来ただけなのだ。
せめて風呂に入ると言っていけばこの状況から難なく抜け出せたのにと一瞬前の自分の言葉を後悔しつつ、どうにも意識が隣へ行って
しまう。やっぱこいつ結構胸あるよなーとか思ってしまうのは男の性か。
「草薙?」
「へ?」
「これ今見てる?」
今流れている芸人が体を張って笑いをとっているバラエティ番組なんてまったく眼中になかった京は、思わず素っ頓狂な声をあげてしま
ったことに二重に焦った。
「い、いや、見てない」
だんだん変な気分になってくる。
<だめだ、これはいかん!!!!>
「なんか飲み物もらうな!」
勢い良く立ち上がり冷蔵庫へ向かう京にちづるは一応「変えるからね〜」と声をかけた。
冷蔵庫にはりんごジュース、麦茶が入っていたので麦茶のほうをキッチンに置いてあったグラスに注ぎ一気にあおる。
<冷静になれ俺!!>
実はのどがカラカラだったらしく、一杯では足りなかったのでもう一度注ぐ。
<今こんな状態なのは、オロチの残党から神楽を守るためだろう?!>
そんな自分が逆に襲う立場になってどうする!!
自分に言い聞かせどうにか冷静さを取り戻そうとする。
ちづるの方をみるとかなり眠そうに潤んだ瞳で必死にテレビを見ていた。今にもまぶたが閉じそうだ。
「おい、神楽、寝たほうがいいんじゃないのか?」
やはりよほど疲れがたまっていたのだろう。京がいることで気が緩んでいるようだった。
男としては喜ぶべきが悲しむべきか悩むところだ。
「でも、これ見たかったんだもん」
「そんな状態で見たって忘れちまうだろうに」
今度はテーブルサイドの椅子に腰を掛け、仕方なしにちづるの見ているドラマに目をやる。
いかにも女性の好きそうなどろどろの恋愛ドラマらしく、どうやら所帯持ちらしい男が別の女とデートをしている。
<なにが楽しいんだか>
京にとっては退屈極まりなかった。
しばらく無言でテレビを見ていると、すぅすぅと寝息が聞こえ始めた。
はっとしてちづるに視線を移すと、案の定眠気を堪えきれなくなったらしく、ソファの背に頭を乗せて、気持ちよさそうに寝ている姿が
あった。
「ばっ、んなとこで寝んなコラ!!」
慌てて体をゆすり、起こしにかかるがぐっすり寝込んでいてまったく起きる気配がない。
このままこの場所で寝かせておこうか。
でも体勢がきつそうだし、せっかくだからきちんとベッドで寝かしてやったほうが・・・。
でもベッドで寝かせるとなると自分が運んでやらないといけない。
そうするとどうしたって体が接触するわけで・・・。
<うわあああああああああ!!!!>
声にならない声で叫び頭を抱えるが、なんのために自分がここにいるのか考えたら選択肢は一つしかない。
「仕方ない・・・」
すっかり無防備なちづるを両腕で抱き上げ、寝室のベッドへ運ぶ。
<うぅ、生き地獄>
風呂上りたてでいい香りがし、なおかつパジャマ一枚という薄い布ごしにちづるの感触が直に伝わる。
跳ねる心臓をどうにか押さえつけ、ちづるをベッドに横にし布団をかけてやると、大きく息を吐いてもう一度自分をおちつかせた。
リビングルームに戻るとドラマはさっきの不倫カップルのベッドシーンに突入していて、京は乱暴にチャンネルを変えた。
ちづるが寝てしまうと特にやることもなくなる。
暇つぶしにチャンネルを変えつつ適当な番組を見つけては手を止めてぼーっと見ること数時間。
ついにすべてのチャンネルが映らなくなってしまった。
「うーん、暇だ」
時計を見ると夜中3時近くなっていた。
あと2、3時間もすれば夜もあける。
自分がいることに気づいて、やつらは今日は来ないかもしれない。
京はそう思い始めていた。
<来てくれないと困るよなー>
そのために今自分はここにいるのだから。
見るものがなくなると途端に意識が隣で寝ているちづるへ向かう。
<神楽を襲いに現れるなら、こっとじゃなくてあっちの部屋に出るよな>
今、寝室への扉は睡眠の邪魔をしないようにと光が漏れないように閉じてある。
残党が現れればあのなんとも言えない気持ちの悪い邪気ですぐわかるから、隣のこの部屋で待機していたが、緊急性を考えると向こうに
いたほうがいいのは確実だ。
<というか、俺がここで電気つけて起きてたら相手にもばればれだよな、やっぱり>
朝まであと数時間。
<ここは一応やつらが現れる可能性に掛けて、電気消して神楽の傍に待機をするか>
最初は何日でも待って倒してやると思っていたけれど、そんなことしたら自分の理性がもたない。
それならどんなきつくても短い期間で片付けたい。
一度は無理でも2度、3度と自分がちづるについて残党を倒してやれば向こうも警戒するだろうし、うまくすれば、邪魔をする自分に的を
移してくるかもしれない。
とにかく自分のためにもちづるのためにも一日も無駄にはできないのだ。
京は心を決めると部屋の電気をすべて消し、静かに寝室へ移動した。
最初は真っ暗だったが、目が慣れてくるとカーテン越しに外の明かりも入るため、ベッドに眠るちづるもくっきりと見える。
<やっぱ、やめときゃ良かった・・・>
後悔しても遅い。とにかく今はやるしかないのだ。
ベッド脇に腰を下ろし、床を見つめるようにする。
頼むから来てくれと心の中で祈りながら。
「ん・・・」
寝返りをうったらしいちづるの口から声が漏れる。
ドキっとしてちづるを振り返った京は、彼女の顔から目が離せなくなった。
閉じたまぶたから、うっすら涙が流れているのに気づいたからだ。
生理的なものなのか、つらい夢でも見ているのか。
京はその涙をそっと拭ってやった。
<俺は結局、こいつのことをなんもわかってないんだよな>
静かに眠るちづるを見つめ、切ない思いに身を締め付けられる。
<もっと、知りたいな>
気がつけば、無意識のうちにちづるの髪を手に取り、そこに口付けをしていた。
『くっくっく』
突如暗い笑いが聞こえ、意識を取り戻した京は今自分がなにをしていたのか気づき、ぱっと顔を赤くした。
「くそ、どこだ」
笑い声の主が誰かはわかっている。
寝ているちづるに気を使い大きな声を出せない京はとっさに邪気の出所を探った。
しかし、突き止めるまでもなく、すぐに相手の居場所は知れた。
窓際の床の影の闇が少しづつ盛り上がり、人の姿をとったのだ。
「オロチの残りカスとやらは、登場の仕方だけは妖怪並みだな」
皮肉をこめて言ってみたところで、たぶん見られたであろうあの行動をごまかすことはできない。
案の定、影から現れた男は言った。
『その女がほしいか』
膜のかかったような、くぐもった声が京の頭に響く。
『俺たちはいろいろな力を持っているやつがいる。電波に乗る者、影に同化する者、人の心を操るもの・・・』
「だまれ」
その男はなにやら嬉しそうだった。
力ずくでひれ伏せようと思っていた神楽ちづるは思いのほか強く、揺らがない信念が彼女を余計やっかいな存在にしていた。
残ったオロチ復活を願うもの全員でかかれば殺すことも可能だったかのしれないがリスクが大きすぎるし、大きな動きになるとちづるが
警戒して仲間を呼ぶかもしれない。KOFの手だれを数人呼ばれるだけでも、ちづる一人を相手にするより封印を奪うことが困難になっ
てしまうのだ。
それならと、数人づつ刺客を送り、自分ひとりで対処できると思わせておいて消耗させる作戦に出ていたのだが、ここにきて思わぬ獲
物が釣れた。
力で外から崩すより、言葉と誘惑で中から崩すほうが労力がかからないしやりやすい。
だれも、人間は心が一度砕ければ組みしやすいのだから。
『俺たちの力があれば、神楽をお前に惚れさせることなんて簡単だ』
ちづるを襲うために忍び込んだオロチの男は、彼女によりそう京を見てすばやくターゲットとやり方を変更した。
三種の神器の中心である草薙を落とせば、いっきに自分たちが有利になる。それは護る者である神楽を倒すことより効果的だ。
実際男は嘘はいってなかった。無理やり封印を渡せとか、オロチを復活させろという命令にはちづるは死んでも抵抗するだろう。しかし、
誰かを好きになれという程度のものならそこまで拒否反応を起こすこともない。
そして、真実味がある分、その言葉は京の心を揺さぶった。
『昔、散々言っていたそうじゃないか。オロチが復活しようとお前には関係ないんだろ。協力しないか?俺たちはお前の力になれる』
「黙れええええええええ!!!!!!!」
叫ぶと同時に京の両手から放たれた業火は床を走り、男を炎で包みそのままの勢いで窓に直撃しカーテンに燃え移った。
一瞬男の悲鳴らしきものが聞こえたが、すぐに姿は溶けるように床の影と消え、あとには燃えるカーテンだけが残った。
「な、なに?なにが起こったの?って、カーテンが燃えてるじゃない!!!」
さすがに目を覚ましたちづるはカーテンが火を上げているのを見て慌てて起きると、とにかく火を消す水を求めてキッチンへダッシュする。
京は男の現れた影を見つめ、がくりとひざを落とし、そのまま動かなかった。
「なにも答えてくれないのね」
「すまない」
ちづるが料理用のボールに水を汲み、それを直接ぶっかけることで火は消し止めることができた。
カーテンは交換しなくてはいけないが、まぁ、大事にはならなくてよかった。
その後、様子のおかしい京をリビングの椅子にに座らせ、なにがあったのか聞いてもまったく答えてもらえない。
返事しても「なんでもない」「すまない」の二言だけ。
あんな大声で怒鳴り、炎を召還しカーテンに火がつくほどのことをしておいてなにもなかったわけがない。
「もう。なんで教えてくれないの?やつらが来たんでしょ?」
京はちづると目を合わせることもせず、ただひたすら無言をつらぬいた。
こうなったらお手上げだ。
頑固者で意地っ張りの京がなにがあったか説明することは無いに違いない。
「仕方ないわね」
京がいるということに安心し、思わぬ深い眠りについてしまった自分も悪い。
オロチの残党が来ても気づかず寝たままだったとは不覚だ。
「たぶん・・・」
「ん?」
「たぶん、もうお前のところにやつらが来ることは無い」
「え?」
京は顔を上げると、騒動後、初めてちづるの目を見て行った。
「だからこれからは安心して生活できるぜ」
急に顔を明るくして言うが、あからさまに不自然だ。
「ねぇ?大丈夫?本当になにがあったの」
本気で心配になったが、京はやっぱり答えることはせず、椅子の背にあった自分のジャケットをとるとすばやく羽織ってドアに向かった。
「今日は帰る。やつらももう来ないだろうし」
「草薙、待ちなさい!」
「これは俺の問題なんだ!」
言い捨てる京をちづるはパジャマ姿のまま外まで追いかけたが、すばやくメットを被りバイクを発進させた彼をそれ以上追いかけること
は出来なかった。
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