『欲張りな天邪鬼』
| 「ねーちゃーん。ミキサー、直しにきたぞ」 以前エナが作って納品した鉱石用ミキサーが壊れたとの連絡を受けて、エナはクロエ宅を訪ねてきていた。 アフターケアもばっちりがエナの仕事の売りだ。連絡一つですぐにかけつける。 (なんだかんだでお得意様だし) 発明した錬金術に役立つ機材をあれこれと買ってもらっている。 (よっぽど楽したいんだろうな) 面倒くさがりなところは、もう一人の友人の錬金術師、ウルリカとそっくりだ。 「……いらっしゃい。はい、これ持って…」 「え?」 呼び鈴を鳴らして数分後、屋敷の扉から顔を出したクロエからバッグを差し出される。 (なんだ?) 疑問を抱きつつもとりあえず受け取ると、また予想外の宣告をされた。 「今から、ロックストン、行くから……」 「えええええ?」 ロックストンはここから高速馬車で半日かかる、かなり大きな街だ。 エナも仕入れで何度か行ったことがある。 「また突然だな。なにか買い出しか?」 「あそこに、ウルリカがいるの……」 ウルリカが村を出て行って半年をとうに過ぎた。 その間、何度か手紙は来たものの、一度も顔を見せない親友に、クロエは密かな怒りを燃やしていた。 「北区、c−102……」 地図と住所を照らし合わせながら歩くと、奇麗に区画整理された街に開かれたウルリカのアトリエはすぐに見つかった。 「おぉ、看板がある。本当にこの街にアトリエ開いてたんだな」 この近さなら、俺も依頼出せるかもなぁとつぶやく。 しかし、クロエはなんとも怪しいオーラを発していた。 (なんか怒ってねぇか?) 基本彼女は無表情だが、エナは最近付き合いが長くなってきたせいかなんとなく、機嫌がわかるようになってきた。 「じゃ、じゃあ、呼び鈴引くぞ?」 今の彼女と二人きりは危険だ。 慌てて扉の前にあるひもを引こうとすると、その前にクロエが無言でアトリエの扉を開いた。 バタンっという音とともになんの前触れもなく開かれた扉を、中にいた二人の人物が驚いて見る。 「なっ?! え?クロエ?」 「うー、いらっしゃい」 一人はウルリカ。アトリエの主。頭にトレードマークの小さなマナを乗せている。 そしてもう一人、テーブルに座り目を見開いているのは……。 「……なんでロゼくんがここにいるの?」 「なんでにーちゃんがここにいるんだ?」 学園時代にさんざんもめて騒動を起こした隣のアトリエの従者、青髪の剣士ロゼリュクスだった。 「それはまぁ、いろいろあって、成り行き上な……」 突然の訪問にも関わらず「いらっしゃい」とウルリカに笑顔で招き入れられて、二人はテーブルの椅子についた。 ウルリカも一緒に座り、なぜかロゼがお茶の用意をする。 開口一番にされた質問に一言だけ答えた後、ごまかすように席を立ち湯を沸かし始めたのだ。 「そっか。リリアさん捨てて新しい女をとったんだ……」 「人聞きの悪いことを言うな! というか、そういうことじゃない!」 相変わらず、クロエの指摘の仕方は相手を危ない人間に仕立て上げる。 「じゃあ、どういうこと……?」 そこらへんはエナも興味があったので、おとなしく聞いていた。 「目的のために都合がいいからここにいる。それだけだ」 なぜかむすっとした顔で、これ以上は言わないとばかりに答える。 「……自分の都合のために女を利用する男ロゼリュクス、17歳………」 「だから、そういう言い方はやめろ!!」 「で、あんたたちはどうしていきなり?」 いきり立つロゼを無視して、ウルリカが会話を変える。 「これ、渡しに…。ウルリカのいない間に届いた手紙と、仕送り……」 「俺はその付き合いで無理矢理拉致られた」 クロエはあっさりとロゼをいじるのをやめ、エナに持たせてきた鞄の中から封筒の束を取り出す。 「ありがとう! そっか、ごめん。半年以上空けてればそりゃ溜まるわよね。私が取りに行くべきだったのに」 受け取り、中身を確かめながら礼を言う。 村に一番近くて大きな街ということでこのロックストンを選んでおきながら、逆に「いつでも帰れるし」と延ばし延ばししたあげく、気がつけば半年を過ぎてしまっていた。 「……本当に。これはおまじないを同時に3つかけてもいいレベル…」 「ほんっとーにごめん!反省してます!!これからは月1で帰るからそれだけは許して!」 クロエのおまじないはされる方からしたらまぎれも無く呪いだ。 慌てて平謝りするとさわさわと頭を撫でられる。 これは許してくれたということだろうか。 そしてもう一度バッグの中を漁ると、今度は桃色の液体の入った小さな小瓶を取り出した。 「……あとこれ、ウルリカにお土産」 「え?なに?」 「私が作った、香水……」 「………あんたがつくったの?」 その時点であやしい。 「もらってくれるよね?」 かわいらしく首を傾げて笑顔で言われれば余計にあやしい。 しかし、ウルリカは彼女の願いを断るすべを知らなかった。 「う、うん。ありがとう」 (もらっても使わなければいいだけだし) もちろん、そんな考えを許すほど、クロエは甘くない。 「じゃあ、つけてあげる」 「えぇっ!いきなり?!」 これでは逃げようがない。 立ち上がり、瓶のふたを開けたクロエから逃げるように後ずさる。 助けを求めるようにロゼとエナを見たが、二人とも触らぬ神にたたり無しとばかりに目を逸らした。 (なんて薄情なやつらなのっ!) 自分が逆の立場になれば同じ態度を取るが、そんなことは関係ない。 入れ終わった茶を各自の前に置きながら、ロゼはぼそりとつぶやいた。 「男らしく覚悟を決めろ」 「あんたっ、人ごとだと思って……!」 「う?」 それでも巻き込まないようにと頭に乗っていたうりゅをロゼに手渡す。 そのとき、買い物に出かけていたペペロンが勢いよくドアをあけ帰ってきた。 「たっだいまぁ〜〜〜!!」 そしてその勢いのまま、扉の前の椅子のところに立っていたクロエにぶつかってしまう。 「あ」 「あ」 華奢なクロエの体はその衝撃で前のテーブルに突っ伏すように倒れ、手から跳ねるようにして離れた小瓶がクロエ自身の体を濡らした。 「………」 「え?あれ?黒いおねえさんとエナおにいさん??」 (黒い怒りの炎が見える) エナは被害に遭わないようにとカップを持って座る場所を移動した。 「だ、大丈夫よね?だってそれ、ただの香水なんでしょう?」 無言でテーブルに突っ伏したまま微動だにしないクロエに、ウルリカがおそるおそる話しかけた。 淡い桃の香りがアトリエに充満する。 香水と称してウルリカに使おうとしていた液体はすべてクロエがかぶってしまった。 本当はウルリカにかけようと思ったおまじない。 この桃の香りの液体は、自分を置いて出て行った本心を聞くために作った「素直になる」おまじないなのだ。 初めて作ったものなので、効果時間は不明。 「ご、ごめんよ!来てるのしらなかったから。ほんと、ごめんなさいっ!!」 とにかく自分がやばいことをしたことだけはわかったのだろう。 クロエの怖さを知っているペペロンは土下座をする勢いで謝った。 (この謝る頭を思い切り踏みつけてねじり倒したい) すべてを台無しにしたペペロンに殺意がわく。 「その頭踏みつけて罵倒したあげくそのままつぶしていい?」 薬の効果がさっそく現れ、本音がぽろりと出てしまう。 「ひいいいい、す、すみませんでしたっ!もうしませんっ!お助けええええ!!」 過去の悪夢がよみがえる。 怯えたペペロンは一目散に入ってきたばかりの扉から帰ってきた以上の勢いでもって走って出て行った。 「あーあ、逃げちゃった」 「まぁ、いつものことだろう」 「これくらいで逃げるなんて甘いぜ」 「ひどい認識……」 いつもはもっとオブラートに包んでいるのに。 3人の反応は、クロエにとってはかなり不本意だった。 茶菓子をつまみつつ、お互いの近況を話した後、ウルリカはこれから出かけるのだと言った。 「私たち、依頼で今から緊急で採取に行かなきゃいけないんだけど、クロエたちはどうする?」 本当はウルリカとペペロンの二人で行くつもりだったのだが、逃げてしまったのでロゼとということになる。 「……一緒に行く」 「じゃあ、俺も」 エナはクロエに護衛(兼荷物持ち)として雇われたと思っている。なので当然ついていくことにした。 「行き先はここから少し離れた森だけど、日帰りの距離だから夜には帰って来れるはず」 依頼品は彼氏が彼女の誕生日に贈る花。 店で売っているようなありきたりのものではなく、森の奥深くに生えるような珍しいものがいいらしい。 ウルリカは地図を取り出すと場所の説明を始める。 「えーっと、ここ。この森を越えた先にある洞窟の前に、ボールみたいに丸くたくさんの白い花をつける木があってね。これがかわいいしちょうどいいと思うの」 「魔物が出るのか?」 エナが一応心構えとして聞いておく。 「魔物はあまり出ないけど、オオカミとか熊とか、そういう野生の獣は結構いるかな」 「OK」 確認を取るとすぐに出かける準備を始める。 万一のときの護身用にとロゼから新しく開発したという煙玉と発光弾を渡されたとき、エナはこっそり言ってみた。 「で、にーちゃん。ほんとのところどうなんだよ」 「……聞くな」 疲れたように言われたその一言で、きっかけはわからないまでも大体の所を察したのだった。 ロゼ、頭にうりゅを乗せたウルリカ、クロエ、エナの順で隊列を組み、森の中を進む。 (……なるべく、しゃべらないようにしておこう) つい、せっかく再会できたウルリカと離れたくなくて着いてきてしまったが、たぶんこれもまじないの効果だ。 素直になるおまじない。「正直に」ではないところがみそだ。 嘘をつけない訳ではないが、うっかりいらないことを言ってしまう可能性は十分にある。 クロエはウルリカの後について歩きながらも、口を開くこと無く無言で居た。 「遠吠えが聞こえるな」 先頭を歩くロゼが警戒をする。 「群れが近くにいるのかもしれねぇな」 一番年下とはいえエナも男だ。 いざというときのために腕のギミックをはめる。 「ここらへんはヤクトウォルフが出るから」 「出るっていうかねーちゃん、これ、やばくねぇか?」 遠吠えがどんどん遠くじゃなくなってきている気がする。 「………近いな」 これは、場所を知られてしまったかもしれない。 「まぁ、私今、匂い強いしね………」 香水を模した液体を体に浴びたまま来たクロエがつぶやく。 「あぁっ!そうだった!!」 ウルリカがしまったとばかりに叫ぶが、全員が同じ心境だ。 アトリエから続く桃のいい香りが、ウォルフたちに位置を教えていたのだ。 あまりにも自然でいたのでほかの3人はすっかり失念していた。 (匂いが強すぎて逆に忘れてたぜ……) たぶん、今頃ロゼも同じことを考えているのだろう。肩が落ちている。 エナはあきらめて、ギミックに弾を装填した。 「覚悟、決めた方がよさそうね」 前方から薮を揺らすざわめきとうなり声が聞こえ、ウルリカも戦闘態勢をとる。 「ウオォォォウ!!」 そしてひときわ大きな吠え声と共に群れが姿を現した。 ロゼがウルリカをかばうように後ろにやり、エナも最前線に出ようとじりじりと歩を進める。 が、少し前に出たところでクロエに服の裾をつかまれた。 「だめ」 「へ?」 「エナくんは、私の護衛……」 まじないの効いている今、なぜかエナを離れさせたくはない。 (そして、ウルリカを助けるのは、私) そう、ウルリカを守り、助けるのは自分でなくてはならない。 ……一名いる、あの邪魔者ではなく。 つい、殺意を込めてその背をにらんでしまい、ロゼが剣を構えたまま身震いする。 (あからさまに敵意を感じる) それは前方からではなく、後方からで敵意どころか殺意、寒気がするほどのものが向けられていて怖いから振り向かない。 発信源はわかっているのだ。 (まず、こいつらをどうにかしないとな) エナがついているし、もしもということはないだろう。 なぜクロエにこんな嫌われているのかはわからないが、後ろから刺されて死亡などというのはさすがにごめんだった。 「オオォォォウ!!」 リーダーと思われるウォルフの合図である鳴き声とともに群れのほかのウォルフたちが一斉に飛びかかってきた。 最初の数匹をロゼが切り払い、ウルリカが準備していた魔法で障壁を作る。 もう何度も二人での戦闘を経験しているのだろう。なかなかいいコンビネーションを見せていた。 「おい、ねーちゃん!俺も……!!」 確かにクロエの護衛も大事だが、後ろで見ているだけなんて出来ない。 遠距離からでも攻撃できるランチャーで援護しつつ訴えると、クロエは落ち着いた様子でしゃがんでいる。 「いいから、すぐ、終わる」 エナに身の安全を任せ、いつも抱えている本を広げた。 (今日は、スペシャル) まじないのせいで気分が悪い。 いい八つ当たりの的が出来たようなものだ。 「エロイムエッサムエロイムエッサム、我は求め訴えたり〜」 緊張感の無い声で唱えられた呪文は、これまで聞いたことのないものだった。 「ってかねーちゃん、それ適当だろ!」 学園時代から何度も戦闘を重ねてきたが、同じ呪文を唱えているのを見たことが無い。 「ルシファーズ・ゲート」 不機嫌なクロエの召還した悪魔は最強のものだった。 見上げるほどの巨体に2本の角を生やし、燃えるような炎の瞳をもつ悪魔が血のように赤い顎を開ける。 「二人とも、避けて」 できるでしょ?といわれ、ロゼは慌てるウルリカとうりゅを両脇に抱え飛び退った。 「焼いちゃえ」 命令とともに咆哮があがり、吐かれた黒い炎が一直線にその前にいた群れを木ごと灰を残さず焼き尽くす。 「うわぁ」 「相変わらず容赦ないな」 「うー」 これはもう、呻くほかはない。 この一瞬で勝負がつき、焼かれずに済んだ狼たちは這々の体で逃げていく。 「帰っていいよ……」 役目を果たした悪魔が、すぅとおとなしく消える。 後には焼き尽くされた数十メートルほどの道が出来ていた。 (また、出番無かったし) 一撃必殺とはいうが、それをここまで体現した攻撃も無い。 「ねーちゃん。加減って言葉知ってるか?」 エナが呆然として聞くと、クロエは一言「知らない」と答えた。 結局あの後は変わらず桃のいい香りを振りまきながらも野獣に襲われることは無く無事目的を果たし、予定の時刻にはアトリエに戻ることが出来た。 帰ると逃げたはずのペペロンが夕飯を用意して待っていて再びクロエに許しを請う。 「めんどくさいから、どうでもいい」 正直、採取に出かけている間にクロエはペペロンの存在すら忘れていた。 ほっとして涙目になるペペロンの両肩をロゼとエナが同情して叩き、ウルリカはすぐに花を酒場へ持っていく。 そして再び帰ってくると、五人で食卓を囲んだ。 「今日はもう遅くなっちゃったし、泊まっていきなさいよ。クロエは私と一緒に寝ればいいし」 ペペロン特製、妖精さん鍋を頬張りつつ、ウルリカが言う。 実際もう外は真っ暗で、そろそろ乗り合い馬車も出なくなる時間だ。 「…そうする」 気が進まなそうな顔をしつつも、クロエがうなづく。 「じゃあ、エナは俺の部屋に泊まるといい。一応一つ空き部屋はあるが倉庫になってしまってるからな」 「んじゃ、世話になるよ」 「おいらの部屋でもいいよぅ!」 「それは遠慮しとく……」 ペペロンと一晩一緒というのは性格的にもビジュアル的にも嫌なものがある。 みんなは採取で疲れているだろうからと片付けもペペロンが買って出てたので任せ、四人と一匹はそれぞれの部屋へ引き上げていった。 「うりゅ、もう眠い?」 「うー」 ウルリカの部屋へ入ると、小さなマナはふらふらとした軌跡で飛び、ベッドの足下の定位置で丸くなる。 「あたしたちももう寝よっか」 上着を脱ぎ軽装になると布団の奥に詰め、クロエを誘う。 「あは、なんか昔に戻ったみたいね!こういうの。小さい頃はよく動きたくないってあんたのベッドに、無理矢理潜り込んだなぁ」 「……あれは、ただたんにあんたが寒かっただけでしょ…」 楽しそうにはしゃぐウルリカに突っ込むと、クロエも外套を外しもそもそと布団へ入る。 子供時代、ウルリカは自分の家にあるものとは違う屋敷の大きくふかふかなベッドが、冬になると本当に暖かくて大好きだった。 「そ、それだけじゃないわよ?私はクロエと一緒にいたくて」 「否定はしないんだ」 「ぐっ」 どうも墓穴を掘ってしまう。 「ねぇ、ウルリカ……」 「ん?なーに」 今もこうして一つの布団に入り、向かい合って寝ているとあの頃の様々な思い出が蘇る。 「私たち、出会ってからずっと一緒だったね」 「うん、そーね」 お互い、問題ある性格のせいでほかに友達がいなかった。 それでも、ふたりだけで十分楽しかったし退屈もしたことがない。 だから、ほかに友達が欲しいとも思わなかった。 「なんで今度は、一緒に連れて行ってくれなかったの……?」 アトリエを開くときは自分も一緒だと、ずっと思い込んでいた。 理由はたくさんあるのだろう。 自分の家庭のこと、クロエの親のこと、これからするであろう苦労のこと。 それも全部きちんと、ウルリカから直接聞いて確かめたかった。 それくらいショックだったのだ。置いていかれたということは。 「私は、もう、いらないの……?」 (違う、私はこんなことまで思っていない!) 言うつもりの無い言葉まで出てしまい、クロエはいらだつ。 呪いの薬は本人の意識していない心の奥底の気持ちまで、引き出してしまうようだった。 「クロエ……」 親友の言葉に、ウルリカは胸が詰まる。 (もしかして、このことを聞くために会いにきてくれたのかな) そうだとしたら、自分はなんて罪なことをしてしまったのだろう。 傷つけたくなくて、こうして別れたのに逆に傷つけてしまっていたなんて。 「違う、そんなことない」 黙ってしまったクロエに、ウルリカは一生懸命訴えた。 「私がひとりでアトリエを開いたのはほとんど賭けだったから」 学園と違い衣食住を保障されていない生活。 実際最初の2、3ヶ月は採取地もよくわからず金もなく、食べ物に困る時期もあった。 信用を得るために毎日ひたすらできるかぎりの調合を繰り返し、どれだけ田舎に帰りたかったか。 こんな苦労をクロエにさせたくはなかったのだ。 「それに、おじさんやおばさんのこともあるし」 クロエを溺愛している両親。 昔体の弱いクロエを無理矢理連れ出し歩き回らせ、体調を悪化させたことが何度もあるウルリカを快く思ってはいない。 そこへまた彼女を苦労させるとわかっていて連れ出せば、今度こそ確実に縁を切れと迫られる。 「じゃあ、私の気持ちは…?」 卒業をしたあとまた一緒にアトリエを開くときのためにと、密かに準備をしていた。 その気持ちを、ウルリカはわかってくれていたのか。 「え?クロエはだって、アルレビスも嫌々だったし、錬金術自体そんな好きじゃないよね?」 (にぶい) ウルリカは恋愛面だけではなく、自分への好意全般に鈍い。 自分が愛されていると、愛される可能性があると、全く思っていないのだ。 (でも、そのにぶいところも、嫌いじゃない) だから許してあげよう。 彼女は彼女なりに自分のことを精一杯考えてくれて、行動したのだとわかったのだから。 しかし、黙ってしまったクロエにウルリカはまだ怒っていると考えたらしかった。 「今はこうして街でアトリエを開いてるけど、私の帰るところはあの村よ。クロエ、あなたが待っていてくれるあそこなの」 「え?」 これは、予想外の言葉だった。 「ここで資金貯めて、最後は村に帰ってアトリエと、その、孤児院みたいなものを開ければいいと思ってる」 夢を語る。 予定は未定だが、ウルリカは行動力だけはあるのでいつか本当にそうなるだろう。 「やっぱり、両親のことで……?」 「うぅん、それだけじゃなくてね」 久しぶりの再会、久しぶりの一緒の部屋でのお泊まり。 二人の話は片方が眠気に負けて寝息を立てるまで、しばらく続いた。 本当は昨日帰るはずが一日延びてしまい、どちらの親も心配しているだろうということで、クロエとエナは朝一番の馬車で帰ることにした。 ウルリカは笑顔で「今度は私がそっち帰るからね」と見送り、その後ろからペペロンはいつもの満面の笑顔、ロゼはなぜかとても複雑な表情で手を振った。 街道沿いを走る馬車の旅は順調で、昼過ぎには村に一番近い大通りに着く。 そこで一度馬車を降りて、しばらく歩きが続いた。 「ねーちゃん、目的は果たせたのか?」 馬車でなにやら考え事をしていたクロエに、エナは気になっていたことを聞いてみる。 ウルリカに手紙を渡しに来たと言っていたが、それだけの理由でないことはエナにだってわかる。 「まぁね…」 口の端を少しあげて笑ったのを見て、「そっか」とそれ以上はやめておいた。 (なんでこう、黒いねーちゃんはなにか企んでるように見えるんだろうな) 一言一言に迫力がある。 そして今度は村に着く前に、それまで無言だったクロエの方が口を開いた。 「エナくん、つき合ってくれてありがとう……」 「ぅえっ?!」 礼を言われ、驚きすぎたエナは変な声を出してしまう。 「……その反応は、失礼だと思う」 「えっ、いや、でも驚くだろ普通! 黒いねーちゃんにいきなり礼なんか言われたら」 確かに仕事をしたときは一応「ありがとう」と言われるが、こんな気持ちが篭ったような、名前を呼ばれての礼なんて初めてだ。 なんだか照れくさくなってしまってそれを隠すためにも大げさに怯えると、クロエはいつものように伏せ目がちになる。 「へぇ……、エナくんの中の私は、そんなひどいんだ……?」 「わー!!今の無し、冗談!」 特技で趣味の呪いだけは勘弁してほしい。 もう余計なことは言わないから許してくださいと言うと、やっと顔を上げてくれた。 「でも、仕事にかこつけなくたって、べつに一緒に来てほしいって頼まれれば、俺断らないぜ」 前回の採取の時も今回も、本業の方で呼ばれて無理矢理拉致られている。 そうしなければ断られると思われているのなら少し心外だ。 (俺だってねーちゃんたちを、友達だと思ってるんだけどな) 確かに年下だしまだまだ未熟だが、それでも友達というものになれているというのは自分の思い込みだろうか。 「考えておく」 だまし討ちで連れて行くのが楽しいのだ。 クロエにとって、エナはただの友達ではない。 「エナくんは、私のおもちゃだし」 「なんだそりゃ?!」 『私の』おもちゃ。 それがおまじないの効いた、クロエの最後の素直な言葉だった。 >>BACK |