腕の中の幸福はよく怒る


   腕の中の幸福はよく怒る




「化け物!」
 その言葉を聞いた時、ペペロンは、久々に言われたなぁと思った。
 採取の帰り、魔物に囲まれた行商人を見つけ、助けたのだが、如何せん敵が多すぎた。全力で戦わざるを得ず、帽子を脱ぐ羽目になり、 そして礼の代わりに浴びせられたのが、この言葉だ。
 特に怒りは沸いてこなかった。
 一目散に逃げていく、行商人の進む方角に、魔物の気配がないのを確認してから、ペペロンは帽子を被る。ばらばらに散らばった 採取品を掻き集め、ため息を吐いた。
(怖がらせちゃったなぁ……)
 悪いことをしたと思う。もっと早く気づいてれば、力を見せずに助けられたのに。
 落ちた採取品の中に、ペンダントが混ざっていた。先ほどの行商人のものだろうか。裏に、イニシャルが彫られている。しかも、 これはロケットペンダントのようだ。彼の大切なものかもしれない。
 後を追うか、ペペロンは一瞬悩んだ。
 けれど今追えば、また怖がらせてしまうだろう。とりあえず持ち帰り、後で調べて、ユンに返しに行ってもらうことにする。
 ペペロンはもう一度ため息を吐き、そして、笑顔を浮かべた。
 妖精さんはいつだって、可愛い笑みを浮かべているものだから。


「だーかーらー! どーしてそこで、わたしが引かなきゃならないのよ!?」
「相手が客だからだ! 商売なんだから、それくらい理解しろ!」
 アトリエに帰ると、ウルリカとロゼが盛大な言い争いをしていた。
 コロナとユンは、店で知らぬ存ぜぬを決め込んでいるらしい。心配げに二人を窺っていたうりゅが、ペペロンを見つけて、急いで 飛んでくる。
「ぺぺぉん! うりゅぃかとろぜ、けんか! とめて!」
「うわぁ。なんか、あんまりよくないタイミングで、帰ってきちゃったなぁ……」
 それでも、止める者が自分以外にいないのなら仕方ない。採取品をテーブルに置いて、前に両手を翳しながら、二人に近づく。
「まあまあ。おねえさんもおにいさんも落ち着いて。冷静に話し合おうよ、ね?」
「怒ってるのに、冷静になんてなれるわけないでしょ!?」
「落ち着いてないのはこいつだけだ。俺は冷静に話してる」
「何ですって!?」
「まあまあ……」
 とりあえず、ペペロンはウルリカの肩を押さえた。
 怒気も露に、睨みつけられる。
「何よ、ペペロン。あいつの味方するわけ!?」
「ち、違うよぉ」
「じゃあ、そいつの味方をするつもりか?」
「だ、だから……」
 二人に睨まれて、ペペロンは困った。やはりどちらも冷静じゃない。
 ウルリカが怒り、冷静さを見失うのはいつものことだが、実は彼女が関係すると、ロゼもすぐ感情的になる。これは、彼がウルリカ を好きだと自覚する前からのことで、どうにも彼女には、相手から冷静さを奪う特技があるようだった。
 感情を抑える癖があるロゼは、だからこそウルリカに惹かれたのかもしれない。だが、こういう時は逆効果になる。感情的になった 時の、収め方を知らないのだ。しかも、彼女を相手にする時は、感情的になるのが条件反射になっているので、ますます悪循環。納得で きるまで――もとい、どちらかが敗北するまで、後に退かない。
(ここら辺、学園時代と変わってないよねぇ……)
 ウルリカから退くことは当然ないので、誰かがジャッジを下すしかない。でなければ、力と力のぶつかり合いが開始される。実に困っ たものだった。
(どっちかが一方的に悪いとか、落としどころのある事だといいなぁ……)
 不平等な判定を下せば、もちろん判定者に矛先が向かう。仲裁にもなかなか覚悟がいるのだ。
 怒る二人を何とか宥め、ペペロンは交互に、事情を説明してもらった。
「えーっと、つまり」
 話を聞き終えたペペロンは、確認と内容の整理を兼ねて、要点を口に出す。
「店に来たお客様が、支払いに文句をつけた、と」
「そう!」
 ウルリカが勢いよく頷いた。
「でも、それは単なる言いがかりで、商品に落ち度はない、だよね?」
「そうよ! あいつ、わたしが駆け出しの錬金術士だからって、足元見たの!」
 そのことに関しては、ロゼも否定しなかった。
 依頼されたのは、エリキシル剤。究極の治癒力を誇る、幻の霊薬だ。それだけに材料も貴重であり、調合には高等な錬金術を要 する。それをウルリカは、最高の品質で作り上げ、納品した。
 しかし、客は品質以外の面で、商品の信頼性を貶め、値下げを要求したのだ。
『こんな子供が作ったものは、信用できない。マナ持ちの錬金術士だから仕事を頼んだが、実物を見ていたら依頼しなかった。
 完璧な出来だというが、使ってみなければ分からないだろう。試して、問題ないと分かったら、次回からは正規の報酬を支払う』
 このようなセリフに、ウルリカがキレないはずがない。
 しかし、もう一つの事情があったのだ。
「あの客は、ギルドの紹介でやってきたんだ。行商人として、上客も抱えてる。
 得意先で悪い噂を広められたら、困ったことになるのはこっちのほうだ」
 商売というものは、必ずギルド――同業者の組合に入らねばならない。ギルドと云えば、昔は厳格な身分制度や規則が存在し、 逆らえば商売ができなくなるものだった。現在はそこまでのものではなく、せいぜい同業者内の助け合いや、基本単価設定など、 互いに商売をしていく上で、不利益にならないよう取り決めを行うための組織だが、名指しの紹介を突っぱねるのは、やはり角 が立つ。特に、新米錬金術士となれば、なおさらだ。
 その上、その客は行商人として、貴族の家など上客を抱えているらしい。怒らせるのは得策ではない、ロゼはそう判断したのだ。
(困ったなぁ……)
 錬金術士としての、誇りを傷つけられたと憤る、ウルリカ。
 最初は譲歩してやり、後に実力で黙らせればいいと言う、ロゼ。
 どちらの言い分も正しい。
 判定を下せず、ペペロンがだらだら冷や汗を掻いていると、店にいたユンが顔を覗かせた。
「先ほどの客がまた来たぞ」
「あいつ! よくも顔ぐっ!?」
 ペペロンは慌ててウルリカの口を押さえた。扉の開いた状態で叫べば、客に筒抜けで聞こえてしまう。
「落し物を探すアイテムはないかと聞いている。そんなもの、あったか?」
「俺は聞いたことはないが……」
 答えたロゼが、ウルリカを見る。彼女はつんっと顔を背けた。この様子では、あっても教えはしないだろう。
(落し物……?)
 ペペロンはふと思いついて、拾ったペンダントを取り出した。そっと店を覗くと、間違いない。あの時の行商人だ。
 落し物を探すアイテムを、わざわざ求めに来たということは、やはりこのペンダントは大切なものだったらしい。ペペロンはユンに、 それを手渡し小声で言った。
「たぶん、探し物はこれだと思うよ」
 ユンは一瞬怪訝そうな顔をしたが、何も言わずに客にそれを持っていった。ペペロンは顔を出さないほうがよいのだと、察してくれ たらしい。
「どうしてこれがここにあるんだ!?」
 しかし、驚いた行商人のほうが、こちらへ来てしまった。
 咄嗟で、隠れることもできずに対面してしまう。行商人が悲鳴を上げた。
「あの時の化け物!」
「……なんですって?」
 ウルリカの不穏な声が聞こえた。
 ペペロンは慌てて彼女を振り返り、取り成す。肩を押して、自分共々、アトリエから出ようとした。
「お、おねえさん。あのね、おいらちょっと失敗しちゃって、あの人を驚かせちゃったんだ。だから……」
「あんたを見て人が驚くのは、いつものことでしょ!」
「ひ、ひどい……」
 ある意味、行商人の態度よりも、ウルリカの断言に傷つく。
 ウルリカはペペロンの腕をすり抜け、行商人に詰め寄ろうとした。何とか寸前でウルリカを抱き上げ、それを防ぐ。
「あ、ちょっと! 何するのよ!? あいつに一言物申してやらなきゃ、わたしの気が――!」
「ユン! おにいさん! コロナおねえさんとうりゅも! 後のこと、よろしく頼むよ! ごめんね!」
「放しなさい! 殴り飛ばしてやるんだから! 放せーっっっ!!」
 暴れるウルリカを抱え、ペペロンは急いでアトリエを離れた。


 村を出て、森まで距離を稼いでから、ウルリカを降ろして、事情を説明した。
 ぷんぷんと怒っていた彼女は、話を聞いた瞬間、村へ駆け戻ろうとする。ペペロンは慌てて、もう一度ウルリカを抱きかかえた。
「放しなさい、ペペロン! あのヤロウ! 二度と朝日を拝めないようにしてやるわ!」
「や、やめてよ、おねえさん! おねえさんが言うと、本気みたいで怖いよ!」
「掛け値なしの本気に決まってるでしょ!」
 じたばたと、腕の中で暴れるウルリカを持て余す。女の子は華奢で、小さくて、おまけにひどく柔らかで、ペペロンはどう扱って よいのか、分からなくなる。下手をすると、握り潰しそうで怖いのだ。
 ウルリカは、並みの男よりよほど威勢がいいが、体つきは同年代の少女たちと変わらない。触れていると、余計そのことを意識し てしまい、強烈な印象とのギャップに戸惑う。
「女の子は、『あの野郎』とか言うものじゃないと思うよ、おねえさん……」
 ぽつりと呟くと、肘が脳天に落とされた。
 まったく、あの細腕で、ここまで威力を出せるのだから恐ろしい。くらくらする頭を振りながら、ペペロンはどのように、ウルリカ を宥めるか考えた。力ずくで抑えれば、怪我をさせてしまう。手加減すると、手痛い反撃を食らう。実に難しい。
「あのね、おねえさん。おいらはね、おねえさんが怒る気持ちも分かるんだよ」
 言うと、ウルリカは少し大人しくなった。
 ほっと一息を吐いて、ペペロンは言葉を続ける。
「おねえさんが、錬金術士として頑張って仕事してることを、おいらは知ってる。ロゼおにいさんも、ちゃんと分かってるんだよ?
 だからこそ、あんなつまらない人なんかのために、評判を落としてほしくないんだ」
 商売とは結局、評判こそが命だ。どれほどの実力があっても、誠実に仕事をこなしても、人に認められなくては意味がない。
 少しずつ、少しずつ、ウルリカが築き上げてきたそういうものを、一時のことで、台無しにはさせたくなかった。たとえ、彼女の誇り が貶められたことに、彼女以上に怒りを覚えたとしてもだ。
 ウルリカを自分の腕に座らせて、ペペロンは優しく笑いかけた。少しでも、彼女の気持ちが和らぐことを願って。
「一回ぐらい、譲ってあげようよ。その後もまだ、妙ないちゃもんをつけてくるようだったら、その時はおいらとロゼおにいさんで 怒るからさ。今回のおねえさんの分も加えて、叩きのめしちゃうよ。だから――」
「足りないわ」
 ウルリカが不機嫌に、ペペロンの言葉を遮った。
 細い両腕が伸ばされて、ペペロンの両頬を、めいっぱいに抓り上げる。
「あいたたた! 痛いよ、おねえさん!?」
「そっちはもうどうでもいいの!」
 さっきまであれほど激昂していたことを、ウルリカは『どうでもいい』で終わらせた。
 そんなことよりも、もっと大切なことがあるのだと、彼女は言う。
「わたしは今、あんたが傷つけられたことに、怒ってるのよ!」
「え? いや、別においらは傷ついてないし、気にしてないんだけど……」
「じゃあ、わたしが傷ついた!」
 ウルリカの足裏が、ペペロンの鼻先に激突した。
 悲鳴を上げてよろめくも、何とか踏ん張る。倒れず、ウルリカも落とさずに済んだ自分に、心底感心した。えらい。
 けれど、ウルリカはさらに容赦なく、ペペロンの頭を両拳で叩き始めた。
「なんで助けてやったのに、そんなこと言われなきゃならないのよ! あんたが悪いみたいになってるのよ!
 それなのに怒らないって、どういうわけ!? 気にしない? ふさけんな! 怒れ! 怒って爆発して叩きのめせ!!」
「あ、あの、おねえさん。今叩きのめされてるのは、おいらなんですが……!?」
「化け物呼ばわりされて、あんたが傷つかないはずないでしょう!」
 断言して、ウルリカは殴る手を止めた。
 ペペロンは呆然と、腕に乗った小さな彼女を見る。ウルリカは、唇を強く噛んで、震えていた。泣きたいくらいに悔しいのだと、 表情が、声が、すべてが伝えてくれる。
「怒りなさいよ……化け物なんて呼ばれ方に、慣れないで……」
 そんなのはわたしが嫌だと、呟いたウルリカの目から、涙が、零れた。


 アトリエに帰ると、ロゼ達が揃って迎えてくれた。
「あいつなら帰ったぞ。もう二度と来ない」
 両腕を組んだロゼが、不機嫌に告げる。
「あ、や、やっぱり、おいらのせい……」
「俺が追い返した」
 きっぱりと、ロゼが言い切った。
 ペペロンはぽかんと、目の前の青年を見下ろす。彼はウルリカと違って、理性的な判断ができるタイプだ。大切な彼女の不利益になる ことを、するとは思えなかった。
 視線を動かして、ユンとコロナを見る。
 ユンが無言で頷き、コロナは肩を竦めた。どうやら、真実らしい。
「な、なんで――!?」
「何で、だと?」
 ロゼが下から、ペペロンを睨みつけた。ウルリカと言い争っていた時とは比べ物にならない、鋭い眼光に気圧されて、思わず数歩 後退る。しかし、背後にウルリカが立っているので、それ以上逃げ場はなかった。
「エリキシル剤を渡して、金はいらないから、二度と来るなと言っておいた。
 次来た時は、その薬の効用を、自らの体で実証することになるってな」
「だ、だから、何で……」
「あんたが怒らないからでしょ」
 後ろのウルリカが、ペペロンのお尻を蹴飛ばした。
「あんたの分まで、わたし達が怒ってやってんの!
 分かったら、これからはちゃんと怒りなさい。でないとわたし達、バカみたいじゃない!」
「まったくだ」
 腕を組んだままのロゼが、深く頷く。
 二人の顔を交互に見、ペペロンは困って、またユンとコロナを見た。
「あたしはべつに、おこってないわよ。
 でも、アロマボトルを、こっそり荷もつにふりかけてやったから、どっかでモンスターにくわれてるかもね」
「あの、それって殺人……」
「大丈夫だ」
 平然と言うコロナにつっこむと、ユンがフォローを入れた。
「先からの会話をすべて記録して、脅迫に名誉毀損で訴えておいた。
 どこぞでモンスターに囲まれたところを、衛兵に捕えられるだろう。せいぜい、一齧りされる程度で済むはずだ」
 ユンのフォローは、あの行商人にとって、あまりプラスにはならないらしい。
 困惑して立ち尽くすペペロンの側に、飛んできたうりゅが、にっこり笑って両手を伸ばした。
「おかえぃ、ぺぺぉん。だいすき!」
 みんなの優しさに、ペペロンは声を上げて泣いてしまった。


 ペペロンは別に、化け物呼ばわりされても怒らない。
 昔、何度も言われたことだ。
 異質の力を持ち、異形の姿に生まれ、マナにも人間にもなれずに、生まれてきた。そして片親は、ペペロンを生んだがために 亡くなった。自分が人とは違うことを、ペペロンはよく知っている。
 受け入れてくれたのは、妖精の師匠と、友人のゴトーだけだった。恐れられるのも、避けられるのも、ペペロンは慣れてしまって いた。傷ついているのかさえ、分からないくらいに。
 でも、ある日やってきて、ペペロンがほしいと求めてくれた、人間の少女は、そんなのは嫌だと怒るのだ。
 自分の保身も、それまでの怒りも投げ捨てて、ペペロンのために、傷ついてくれる。
(好きだなぁ……)
 それがどういう好きかは、考えたこともない。ただ、初めてこんな自分を求め、受け入れてくれた彼女が、誰よりも幸せになればい いと思う。たまに振り返って気にかけてくれる。自分のことで怒ってくれる。それだけで充分だ。
 今、ペペロンの周りにいるのは、そんな彼女と同じように、誰かのために怒れる人たちだから、安心できる。彼らなら――彼になら 、まあ、おねえさんを任せてもいいかな、そう思っている。
 でも、やっぱり好きだなぁと思うと、感情が爆発してしまうわけで。
 ペペロンは、怒りや恨みなんて負の感情は大嫌いだけど、好きとか大切とか、まさに妖精さんに相応しい気持ちは、 抑える気も遠慮するつもりもないから。
 大きな体をめいっぱい使って、表現した。
「おねえさん! 愛してるよーーーーーっっっ!!!!!」
「暑苦しい」
 両手を広げて飛びつくと、鮮やかな足のカウンターが、ペペロンの鼻先にめり込んだ。ウルリカは優しくて、でも、容赦ない。
 ロゼが途中で、こっそり、足を引っ掛けたことにも、ペペロンは気づいている。
 それでも幸せな気持ちが止まらなかったので、腕を伸ばしてロゼを引っつかみ、ウルリカ共々抱き締めた。
「大、大、大、大好きだからねっ!!」
『鬱陶しい!』
 ウルリカとロゼの拳が、顎に炸裂しても、ペペロンは二人を放さなかった。
 化け物と呼ばれても、ペペロンは傷つかない。
 そうではないと怒ってくれる人たちが、腕の中にいるのだから。






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