異変
「よう、今家か?」
「え?うん、そうだけど?」
「OK、渡すものあるんで今から行くわ」
「はい?」
「一時間もすれば着くと思う。んじゃ」
それは突然の訪問だった。
ピンポンとアパートのチャイムが鳴る。
「はーい」
ちづるはそう返事をしながらドアを開けた。
「これ、お袋から」
黒い皮ジャンにジーパン姿の京の手には、なんとも不似合いなかわいらしいカステラの箱があった。
ちづるは思わず吹き出してしまう。
「な、なんだよ、なにがおかしいんだ」
とまどう京がさらにおかしくてちづるは笑いが止まらなくなった。
「だ、だって、子供のお遣いみたいで・・・!」
実際その通りなのだが、20歳でガタイのいい男がカステラ持って母親のお遣いというのはほほえましくて笑ってしまう。
「うるせぇ、オレだって来たくて来たわけじゃねーぞ!!」
それはウソだった。旅行土産のカステラを母親がちづるちゃんにもあげようかしらと言ってるのを聞きつけ自分から持っていくと言い張ったのだ。
「ま、まぁ、来てもらって追い返すのも悪いし、上がっていきなさいよ。そのカステラ、貴方はもう食べたの?」
「いや」
「じゃ一緒にお茶にしましょう」
まだクスクスと笑いは止まっていなかったが、とりあえず京を部屋に上げ扉を閉めた。
外の空気はとても冷たかったから。
ちづるの部屋は白を基調として装飾が少なく、それが実際よりも中を広く感じさせた。
「座ってて、すぐお湯沸くから」
ジャケットを脱ぐとイスの背もたれにかけ、腰を下ろす。
とうとう、ここまで来てしまった。
台所の方で、カチャカチャとカップを用意しているらしい音がする。
「とても綺麗な色ね、このカステラ。どこかのおみやげかしら?」
「あ、あぁ、お袋が九州行ってな。なんか一日何十個か限定のやつらしい」
きょろきょろ部屋を見回していた京は突然話しかけられてドキっとする。
「な、なぁ」
ちづるはまだ台所で姿は見えない。
「なぁに?」
「この間、街で男と一緒にいたろ?」
言ってしまった。もう後戻りは出来ない。とてもとても気になって、あのあと数日眠るのにも苦労した。思い出しただけでも吐きそうになるほど、それは
京の胸につかえてとれなかったのだ。
「なんだ、見かけたなら声かけてくれればよかったのに」
「え?」
ちづるはカップと切り分けたカステラを盆に乗せて戻ってくるとにこやかに言った。
「今度学祭があるんでその買い出しにね。よかったらユキさんや真吾くんもつれて遊びにいらっしゃいな」
途端にかぁっと頭に血が上る。
なんて恥ずかしいこと聞いたんだ。変に思われたんじゃないか?
自分で聞いて置きながらとてつもない後悔が頭の中をぐるぐる廻る。
<オレは馬鹿だ!>
「草薙、食べないの?」
「あ、いや、もらうよ」
いつのまにか目の前にはカステラと紅茶のカップが置かれていた。
な、なにか話題を変えよう。
「そういや、お前痩せたか?」
ふとちづるを見て思ったことを口にする。
もともと細いほうである彼女は別に頬がこけてるとかそういうのは無いのだがなにか多少やつれたように感じられた。
「そうかしら」
「あぁ、一人暮らしだからってあんま食ってねぇんじゃねぇのか?オレはこれでいいから残り全部食えよな」
どう見ても一人で食べるには多すぎる量の残りのカステラを挿して、京は笑いながら言った。
「えぇ、そうね。これ、とってもおいしいし」
そのとき、視界になにか不自然なものが移り京はそちらに目をやる。
向かいに座っているちづるの、さらに後ろにあるテレビ。
電源の入っていないそのテレビに人の顔が・・・・
「神楽!!」
とっさに身を乗り出しちづるを頭からテーブルに抑えつけ、自分もその上に伏せる。
カップが落ち、中身が床を派手に濡らした。
直後、テレビから伸びてきた刃物を持った腕が二人の上をシュンと切り裂く。
「草薙、離して!!」
「な?!」
すばやく上に伏せた京の下から抜け出すと、ちづるは向き直り、服のポケットから取り出した札を勢いよく、テレビ映った顔に押し当てた。
「浄化されなさい!!」
「グエェ・・」
カエルを押しつぶした、なんとも言い難い不快感をもよおす声を上げ、顔が消える。
「なんだ今のは?!」
本能に従って最初の一撃をさけたはいいが、今になって京はぞっとした。
ホラーだ。まぎれもないホラーだ。
でもそれだけじゃない、あれは知っている。さっきのあの悪寒は前にも感じたことがある。
「今のはあれよ、ほら、たちの悪い霊ってやつ。私が霊感あるせいかときどきくるのよねー」
ちづるは苦笑いをしてよくあるのよと言った。
「あーあ、お茶こぼれちゃった」
布巾を手にフローリングの床にこぼれた紅茶を身をかがめて拭き始める。目を合わせないようにしてるとしか思えなかった。
「違うだろ。さっきの伸びてきたあの手は実体があった。それにあの感じは知ってる」
京はちづるから視線を逸らさず静かに言う。
「とてつもなく弱くはあったが、あれの悪寒はオロチと同じだ」
答えはない。
「オロチは滅んだんじゃないのか?」
「滅んだわ。オロチはいない」
床を見つめたままちづるは言った。
「もう、オロチはいないのよ」
「じゃああれはなんだ!!」
思わず怒鳴る。
よくあると言った。あんなものが良く現れるのか?俺達はオロチを倒し、再び封印したのではなかったのか?
「あれはね、残りカスよ」
立ち上がり、答えたちづるのほほえみはとても冷たく、美しかった。
割れずに済んだカップや他の物も片づけ落ち着くと二人は椅子につき、京は再びちづるを問いただした。
「残りカスってなんだ」
ちづるはため息をつくと髪をかき上げ、背もたれに身を預ける。
「まー、見られちゃ仕方ないわね。オロチの一族は四天王だけじゃないってことよ」
「?」
訝しげな顔をすると、ちづるは苦笑いをして続けた。
「つまり、一族っていうからにはそれなりの数がいるの。四天王ほどのちからはないけれど多少のオロチの血をひいて中途半端な力を持った下っ端がね」
彼女の説明だと、つまりこうだ。
オロチ四天王やマチュア、バイスといった本格的に血と力を持った者の他にも、無数の中途半端なオロチの血を引いた者がいる。オロチが再び封印され、有力者
も滅んだ今、これまで四天王たちを恐れて出てこなかった輩が次は自分の手でオロチを解放し、力を得ようと動き出したのだと。
そして三種の神器の中でも攻撃に特化した力を持たず、封印を護る役目のちづるに目標を絞ってきていると。
「それは、いつからだ?」
「一月前くらいから。いつも私が一人きりのときを狙ってきていたから油断しちゃったわ」
そう言ってちづるは「ごめんなさいね」と笑った。
「まぁ、私が相手してる限りあなたたちの方へは行かないと思うし・・・」
「・・・っざけんな」
京は拳を握りしめ、テーブルを叩き割りたい衝動をなんとかこらえた。
「ふざけんな!!そんなんでいいはずがないだろう!」
真剣に怒る京にちづるは困惑する。
「なにを怒って・・・」
「お前がろくに休むこともできずあんな気色悪い奴らと戦ってるってのにオレは・・・!!」
やつれたように見えたのは目の錯覚ではない。一人きりの時を狙っているということは多分、夜、部屋にいるときが一番多いのだろう。
そんな中彼女がろくに睡眠をとれるはずもない。
そして多分、わざと独りになる時間を作って自分を囮にしている。
なんとも言えない感情が沸き起こるのを感じた。
そして何の脈絡も無く、京はポケットから携帯を取り出しかけ始めた。
「もしもし、親父?俺今日帰らないから。あ、もしかしたら今日だけじゃないかも。母ちゃんにはなんか適当に言っておいて。大丈夫、別にやばいことじゃねぇし。じゃな」
「?」
通話を切ると、向き直り静かに言う。
「俺、今日泊まって行くから」
「は?!」
ちづるは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
泊まる?どこに?まさかこの部屋に??
「って、何言ってるのよ!泊められる訳ないじゃない!!この部屋に二人でなんていくらなんでも・・・」
「文句言う前に自分の顔を鏡で見て見ろよ、そんなひでぇ顔してこれからもずっとあいつらの相手をひとりでしていくっていうのか?そんなの聞けるわけないだろう!」
「ひ、ひどい顔って・・・」
少なからずショックを受けたちづるは手鏡を取り出しまじまじと自分の顔を見る。
<目の下のクマ、うまくファンデで隠せてると思うんだけどな>
そういう問題じゃないことを彼女はわかっていない。
細かった顔のラインが更に細く、色白の肌は青白く、もう違和感を隠しきれなくなっているのだから。
「とりあえず今晩はゆっくり寝ろ。俺が見張っているよ」
突然の優しい口調にちづるは向かいに座る京に視線を向けた。
「だから、安心しろ」
そう言ってこれまで見たこともないような柔らかな微笑みを浮かべる京にちづるは顔が赤くなるのを感じ、照れ隠しのように再び手鏡を覗きこむ。
「仕方ないわね、今晩だけよ」
「それはどうかな」
見なくても感じる。京は今、さっきのそこら辺の女の子が見たら腰もくだけそうなとろけるような微笑みを浮かべているのだろう。
これまで怒鳴り合うくらいのコミュニケーションしかなく、免疫のないちづるにはまともに彼の方を見る勇気がなかった。
あぁ、なんでこんな展開に。
<せめて今夜一晩は無事過ごせますように>
ちづるはそう、天に祈った。
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