「俺の俺の血!肉!全てお前にくれてやる!!」
「受け取れえええェェェェ!!!」






そんな顔するなよ。
もうここまできちまったんだ。しょうがないだろ?
俺はただ、あんたを楽にしてやりたかったんだ。





巡る恋の詩




「ちょっとあんた!いい加減にしないと本当に追い出すよ!!」
体格のいい中年女性が勢い良くドアを開け、怒鳴り込んでくる。
このボロアパートの大家だ。
「ここに入りたいって人間は他にもいるんだからね?!」
「分かった!!わぁったよ」
社は先ほどまで弾いていたベースをしぶしぶケースにしまい込む。
狭い1DKの部屋なれど、都心に近い場所で家賃が月三万と八千円というこのアパートを追い出 されるわけにはいかない。この値段でも、今の彼には払えるギリギリの金額だった。
「またやかましい音を立てて苦情が来たら容赦なく追い出すからね」
「はいはいはい」
適当に返事を返し、早く出て行ってくれと手をふる。大家はもう一度強くにらむとさっさと背を 向けて出て行った。ドアも閉めずに。
「ったく…」
ベッドの上に腰をかけ、開いたままのドアから外を眺める。ちょうど向いの家の庭に咲いている 白木蓮の花が見えた。ようやく春らしくはなってきたというものの、外の空気はまだ肌寒い。
音量を一番小さくし、布団をかぶるようにしてまで弾いていても周りに音は漏れてしまうらしい。
仕方がないのだろう、このうす壁では…。
だからといって、これ以上やったら確実に部屋を追い出される。
「それだけは勘弁」
社はクラシックギターの方のケースを抱えると重い腰をあげ、快晴の空の下へとゆっくしとした 足取りで出て行った。もちろん、ドアを閉めるのも忘れずに。


どれくらい歩いただろうか。
「結構広いな…」
神社の境内。一本だけある大きな桜の木はピンク色の蕾でいささか濃い色に染まっていた。咲い ているのはまだ一割か二割程度。
ここにたどり着くまで公園などもいくつかあったが、どこも遊び盛りの子供たちや気の早い花見 客でにぎわっていて腰を落ち着けられる場所はなかった。
これに比べてここは…。
<静かだな…>
誰もいないどころか大きな通りからも離れたところにあるので車の音さえもしない。これなら自 分の音に集中できそうだ。境内もかなりの広さがあるので周りに音の漏れる心配もせずにすむ。
桜の木の正面にある杉の木の下の地面にじかに座ると、早速これまでの鬱憤を晴らすべく、思い きり弾いた。
そして2曲目、3曲目とだんだんと気分も乗りだした頃、ザリッという足音を聞き、社は顔を上 げた。
「それは、何の曲ですか?」
巫女姿の少女が目の前に立っている。
長い黒髪を後ろでひとつに束ねた少女は巫女服をとても着慣れている様子で、アルバイトなどの 臨時雇いのものではないことをうかがわせた。
この神社の娘だろうか。
「俺のオリジナルだよ」
社は手を止め、少女を見上げ、あぐらを書いたままの姿勢で答えた。
「…なにか?」
「は?…あ、いや、なんでも…」
白い肌、なにもつけていなくても鮮やかな唇。切れ長だけど優しさを感じられる瞳、そして黒い 絹糸のように艶のある黒髪。
思わず見とれていた自分に気づき、慌てて視線をそらした。
「あ、えっと、うるさかったか?悪いな、すぐ移動するから」
急いで帰り支度を始める。
「いえ!違うんです」
少女は慌てて首を振り、立ち上がりかけた社の方に手を掛け押さえつける。
思わぬリアクションに社は目を丸くした。
「って、あ、やだ!ご、ごめんなさい」
夢中でやってしまったのだろう。
熱いものにでも触ってしまったようにさっと手を引っ込めると、ちょっと大袈裟とでも言えるほ ど頭を下げ、それから柔らかく笑った。
「私、この神社の娘でちづるっていいます。お社まで音が聞こえたものですから・・・。あ、誤解しな いでくださいね?うるさいと言うのではなく、先ほどの曲がとても気に入ったんです」
「これか?」
三つ目の曲をもう一度弾いてみせる。
「あぁ、それです。なんと言う曲ですか?」
「まだ、名前はないんだ」
「ご自分で作られた曲ですか?」
「まぁな」
ちづるのわかりやすい尊敬のまなざしに社はちょっと照れくさそうに返事をした。
「あの、もしよろしければ、もう一度お聞かせ願えますか?えぇと…」
「あ、おれ社ってんだ。よろしくな」
こう素直に自分の曲を気に入ってもらえるのは嬉しいことだ。社は上機嫌にうなずき、ポンポン と自分の隣の地面を叩いて誘った。
「はい、社さん。こちらこそよろしく」
ちづるは笑顔で答えると、そのまま社の隣に腰をおろす。
「では改めて、聞かせてください」
「OK」
心地よい風が咲き始めたばかりの桜の花びらを運ぶ。
これが二人の出会いだった。


それから週に1度のペースで社は神社に行った。
桜の木下に腰を下ろし、弾き始めると音に引かれてちづるがやってくる。
満開だった花が散り、葉が茂りすっかり緑色に染まってもその関係は続いた。
そのうち、ちづるは性格からか相変わらず「社さん」だったが、社は「ちぃ」と気軽に名を呼ぶまでになって いて、今では曜日も時間もほぼ決まり、ちづるが手作りの弁当やお菓子、冷たい麦茶などを差し入れてくれる。
「そういやさ」
「はい?」
夏真っ盛りとあって日陰といえどかなり暑い。
風が無ければつらい季節になっていた。
「最初に弾いてた曲、覚えてるか?あれからここではやってなかったけど」
「もちろん、覚えてますよ!」
今日のちづるは普段着だった。
というか、実は巫女服を着ているときのほうが珍しい。
それはそれでそそるのだが、今着ている淡い桃色のキャミソールに白のロングスカートもとても似合っていて かわいくて、こうやって二人きりで過ごす時間もいいけれど外に出て見せびらかしたい欲求にもかられた。
「あれ、やっと歌詞ついたんだ。タイトルはまだ仮だけど」
「なんて歌になったんです?」
見るからにワクワクしているといったようなキラキラした瞳。
感情を素直に出して、自分の話を、夢を真剣に聞いてくれる。
そんなちづるに社はずっと前から恋をしてる。
関係を壊したくなくて言えない恋。
想いを打ち明けたら喜んでくれるかもしれないなんて、たまにうぬぼれてみるけど、いざ前にして告白しようと すると失ってしまったらという恐怖にすくんでしまう。
会うたびに幸せで切なくて最高で。
だからそんな歌になった。
「純恋歌」
「なんか聞いたことあるタイトルのような…?」
素直なだけに、感想もかなり正直だ。
「違う、あれは巡恋歌!巡るって字。俺のは純愛の純」
「なるほど」
「それにまだ、仮のタイトルだって言ったろ?」
本当はその「巡恋歌」のほうのタイトルをつけたかった。
毎日毎日ぐるぐるぐるぐる同じところを回る恋心。
だけどしょうがない。もう先に有名すぎるやつあるし。
「あんま歌には自信ないけどさ、よければ聞いてタイトル考えて?」
「え?いいんですか?よろこんで!」
またぱっと花が咲くような笑顔になって、勢い込んでうなずく。
このしぐさが、またかわいい。
<たまらんな〜〜>
ぎゅって力いっぱい抱きしめたいけど、そんなことしたら壊れてしまいそうだ。
「…社さん?」
「あ、あぁ」
思わず見とれてしまっていたことに気づき、慌てて目をそらす。
<前にもあったな、こんなこと>
「もっかい言うけど、歌はうまくないからな」
「はい、大丈夫です」
なにが大丈夫なんだろう?と少しずれた返事に笑いながら、すっと息を吸い込む。
本人を前に恋の歌を歌うのは、さすがにライブで人前でのパフォーマンスに慣れた社でも、かなり恥ずかしかった。





「…って感じなんだけど、どうだ?」
「…」
「どした?」
ちづるは返事をせずにうつむいている。
こんな反応はこれまでで初めてだった。
「ちぃ?」
首をかしげて顔を覗き込む。
すると夏でも日焼けせず白い肌の顔が真っ赤に染まっていた。
「…ちぃ?」
もう一度名を呼んでみる。
「あ、あの、ごめんなさい」
「なんか変だった?」
わけがわからず聞いてみる。
「違うんです!」
「?」
大げさなくらい首を横に振ると、両手で火照った頬を包むようにし、目を伏せたままこたえた。
「なんだかすごく恥ずかしくなってしまって。いえ、変とかじゃないんです!その、そう、照れるんです!」
一生懸命、なにかを弁解するように言い募る。
「告白してるような気分に、じゃない、えっと、好きってそんな感じですよね。わかります!」
「ぶっ!」
社は一瞬ぽかんとして、すぐに噴出した。
「ぶはっ!あはははは!」
「え?なんですか?やっぱり変なこと言っちゃいました?」
腹を抱えて笑う社を前におろおろするちづる。


これはもう、うぬぼれてもいいのかもしれない。


「ちぃはかっわいいな!最高だ!」
座ったまま、その腰に両手を回しぎゅっと抱きしめる。
「え?え?」
「俺も、歌いながら告白してる気分だったよ」
「ええええええ」
止まらない笑いとうれしさに震えながら、社は今最高に幸せだった。


それからも週1の逢瀬は続いた。
変わったことといえば神社でだけでなく、映画館デートなども行くようになったことだろうか。
あと社はこっそりバイトを増やしていた。
なんとなく告白したような形になったが、きちんと好きだ、付き合おうとはまだ言っていない。
今からバイトをしてお金を貯めて、クリスマスにはプレゼントを持ってはっきり言うつもりだった。
その瞬間を考えるだけでうきうきしてくる。寝る時間を削ってするバイトだって苦じゃなくなる。
明るい未来が待っているはずだった。
その、嵐の夜が来るまでは。







続く