『聖者の贈り物』 ☆ウルリカの自業自得☆ 「間に合わせるの! 意地でも終わらせるのよ!」 バレンタイン前日。 ウルリカのアトリエはフル稼働していた。 「ねーちゃん。もう少し考えて仕事請けようぜ……」 「卒業後にお金が必要だからというのはわかるけど、こういう商売は男性にとっては複雑なものだよ」 「口動かしている暇あったら手動かして! 手!」 「……収入の9割はもらうから」 「おねえさん、まだ作るのかいー?」 ウルリカたちはペペロンがチョコを砕き、ウルリカとクロエで溶解・合成・凝固、エナとゴトーが包装という流れ作業でここ二日 ずっとバレンタインチョコを作っている。 卒業前の最後の稼ぎと打ち出したウルリカの企画が予想以上にHITしたのだ。 その名も『義理チョコ代わりに作ります』。 ひねりもなにもない内容だが、同級生たちに口コミで宣伝を開始した途端注文が殺到し、結果休み無しで働くことになった。 お年頃の女の子としては本命は自分であとは楽したいというところなのだろう。 義理チョコの行き先は友人知人もあるだろうが確実に教師とその他学園職員に行くことになる。 なので微妙に混ぜるチョコの配分を変えたり包装紙や包装方法を変えたりと余計な手間までかかっている。 「失敗したわ。まさか、こんな落とし穴があるなんて……」 もちろん単純なウルリカは最初そこまで深く考えていなかった。 適当に溶かして固めて終わりで楽チンくらいにしか思っていなかったのだ。 しかしいざ依頼が来て見ると頼む方はきちんと考えているらしく細かく注文が入り今に至る。 「そうだよな。俺たちがきちんと止めるべきだったんだよな。一度もバレンタインにチョコを上げたことの無い人間にそこまで 考えろってのは酷な話だもんな」 「すまなかったねお嬢ちゃん。まさか16年生きていてこのすばらしい行事にまったく参加したことの無い女性がいるとは思わなかった 僕のミスだよ」 遠まわしにちくちくと嫌味を言われて「それを言うならクロエだって!」と反論しようとしたウルリカは言い終わる前の「私は 毎年お父さんに上げてるから……」というクロエのセリフに撃沈した。 「ま、まぁほら。おねえさんも今年から参加すればいいじゃないか。あげる相手ならいっぱいいるし。おいらとかおいらとか」 「もう、チョコなんて見たくも無いわよ!!」 結局なんだかんだ言い合いを続けながらも、作業は翌明け方まで続いた。 「うっぷ。気持ち悪」 バレンタイン当日。 ちょうど日曜日とあってチョコをあげる側、もらう側で学園は盛り上がっていた。 しかしウルリカはもうその臭いを嗅ぐだけで吐き気がしそうだ。 (なんかチョコの幻臭までするし……) 実際シャワーを浴びても取れない甘い臭いがウルリカの全身に染み付いてしまっているのだが本人に自覚は無い。 「少しでも、臭いの少ないところに……」 寮も校舎も校庭も中庭もすべてがチョコ臭で溢れかえっている。 ふらふらとおぼつかない足取りでチョコを避けて学園内をさ迷い歩き、最後にたどり着いたのは普段から人気の無い時計搭だった。 「うー、ちょっとはマシ、かも」 まったくにおいがしなくないことも無いがほかに比べれば断然マシだ。 とにかく徹夜で疲れた体を休めるため扉を開けて中に入ると、そこにはひとり、先客が居て壁を背に座っていた。 「ん? お前は……」 「嫌味男」 なぜよりにもよってこの男がいるのかとあからさまに顔をしかめたが、今は言い合う元気も無い。 「ちょっと相席させてもらうわよ」 とは言っても椅子があるわけでもないのでロゼの向かいの壁に寄り、そのままずるずると崩れるように床に座り込む。 「構わないが、なんだその匂いは。チョコレートが歩いてきたかと思ったぞ」 「あー、やっぱり私の臭いなんだ? これ」 やっと幻臭ではないことを知り、天井を仰ぐ。 たぶん他のメンバーも皆それぞれ同じような状況に苦しんでいるだろう。 着ぐるみを取り替えればいいだけのゴトーは除いて。 「ちょっとね、チョコ作りすぎたらこうなった。あんたはなんでこんなところにいるのよ」 「俺は、まぁ、バレンタインはいろいろあるんだ」 今朝、ロゼに密かに思いを寄せていた女子数名と、朝一番に自分のチョコと渡そうと部屋に来たリリアが寮で乱闘を始め逃げてきたとは 情けなくて言えない。 「チョコを作りすぎたって、お前、だれかにあげたのか?」 誤魔化すように聞くと、予想外の答えが返ってきた。 「たぶん、学園男子のほとんど」 冗談ではなく、ほんとうにウルリカたちの作った義理チョコはそれぐらいあった。 代理製作は一応女の子同士の秘密なので適当に答えると、なぜかロゼは憮然とした。 「俺は、もらってない」 「知らないわよそんなの」 手で顔付近を扇いで見るが、自分自身が発している臭いに効果は無い。 (いっそレッドペッパーでも振りかければよかったかも) 鼻につくあまったるさに頭がくらくらする。 「そんなにチョコ欲しかったんならこの臭いで我慢すれば? 今、私チョコレートの塊みたいなもんだし」 ロゼがリリアを含め、計7人の女の子から逃げてきたことを知らないウルリカはそう軽く言った。 「そうか。そうだな」 (あー、頭痛い) 臭いに酔ったせいかとうとう頭痛までし始め、瞼を閉じて耐える。 そんな彼女に近づいたロゼの気配を感じることは無理だった。 不意にやわらかいものが唇に触れ、なにかと思い目を開けると目の前には青い鮮やかな髪と瞳。 「ふむ、確かに甘い」 キスをされたのだと理解するのに数秒の時間を要した。 「あ、あんた、今、なにを……」 「何って、バレンタインチョコをもらったんだ」 「な、な、な……!!」 二晩連続の徹夜、甘ったるい臭いに胸焼けと激しい頭痛。更に精神的パニックも加わり、ウルリカは叫ぶ前に気を失った。 「うりゅりか、お夕はん、じかん」 「んー、もうちょっと寝かせてー」 寮の夕飯の時間は5時から7時の間。 6時を過ぎてもベッドから起きないウルリカをうりゅが必死に揺り動かした。 「うー! おきるの」 「……はーい」 しぶしぶ起き上がりベッドから降りると立ちくらみに襲われふらつく。 「おっと」 とっさに備え付けの棚に手をつき、そこでやっとウルリカは気がついた。 「あれ? なんで私自分の部屋にいるの?」 「う?」 確か徹夜明けで部屋に戻り眠ろうとしたが気持ち悪くて眠れず、すんなりベッドで寝てしまったうりゅを置いて酔い覚ましに外へ 出たはずだ。 そして少しでも臭いの薄いところへ行こうとして時計搭へ辿り着き……。 (嫌味男が……) 思い出してボッと顔が赤くなる。 「夢! そう夢よ!! だって私今ベッドで寝てたし!!」 「うりゅりか?」 ロゼにキスをされたなんて、あるわけがない。 「って、あと20分しかない! うりゅ、ご飯食べに行くわよ」 部屋を飛び出し食堂へ走りながら、ウルリカは今日の記憶をすべて夢として忘れることに決めた。 ☆ロゼの無自覚☆ バレンタインという日を、特に意識したことはない。 毎年主であるリリアに凝ったチョコレートをもらうが、それだけの日だ。 だが環境が変われば状況も変わるということを、ロゼはこの日思い知らされた。 「それで、その貧相なチョコレートをどなたに差し上げるつもり?」 早朝、リリアの声で目を覚ましたロゼは着替えてドアを開け、起きたことを後悔した。 「だれにあげようと、あなたに関係ないわ」 ロゼの部屋のすぐ前では女のバトルが始まっていたのだ。 そこに居たのはリリアとウィム。それに付き合せられて連れてこられたであろうエトとぷによ。 それに名前の知らない女子が6人もいる。 (誰だ?) 見覚えはあるので多分同じ戦闘技術科だろうがそれ以上はわからない。 「それとも、ロゼくんにチョコをあげるのも自分の許可をとれなんて言うんじゃないでしょうね」 リリアに対峙する6人のうちひとりが一歩進み出て挑むように睨み付ける。 (俺?) つまり、これまでのようにバレンタインチョコを持ってきたリリアたちと密かに思いを寄せ、今日を機会にロゼに想いを告げようとした 女の子たちが鉢合わせして揉めているらしい。 (嫌な予感がする) 「えーっと、あの、お嬢様」 「もちろん、言うつもりです。わたくしのロゼにチョコを渡そうなんてなんてずうずうしい!」 「そうやっていつもロゼくんを物扱いして、いい加減うざがられてるのわかんないわけ?」 「なんですって!?」 どんどん会話の雲行きが怪しくなる。 「リリアちゃん、がんばれー!」 「ぷにー!」 「お前ら、煽るな!」 部外者として一歩離れていた二人が無責任に囃し立てる。 「あぁ、もしかして彼をお金で買ったとか?」 「うわ、ありそう」 「大体貴族でお金も持ってるのは親なのに偉そうなのよ」 日ごろよっぽど鬱憤がたまっていたのかここぞとばかりに言われ、リリアも本気で怒ったようだ。 「自分の品位と魅力の無さをわたくしのせいにしないでくださいます? ロゼに振り向いてもらえないからって八つ当たりは迷惑だわ」 「この、高慢ちき女!」 「品性下劣よりはマシよ!」 「あー。俺、お邪魔みたいですね……」 火花を散らしている双方に、目当てであったはずの当人はまったく目に入っていないようだ。 ロゼは静かに扉を閉め、巻き込まれる前に部屋の窓から脱出した。 「なんで世の中にはバレンタインデーなんて害にしかならない行事があるんだ?」 まだ寒い時期に朝早くから暖かい部屋を出なければいけない羽目になって、ロゼはかなり機嫌が悪くなっていた。 しかも外に出たら出たでこんな早くからそこらじゅうカップルだらけだ。 卒業を前にダメもとで告白し結ばれるという形で突然増殖したらしい。 (ったく、どいつもこいつも浮かれやがって) 女難の相があるんじゃないかというくらい女運の無い学園生活だったせいで、余計心がすさむ。 無意識に人の居ない方へ居ない方へと進んでいくうちに、気がつけば時計搭の前に居た。 (ここで時間を潰すか) 学生から忘れられているこの場所は避難をするのにちょうどいい。 奥は迷路の上時計搭のおばけといわれる魔物がいるので入ってすぐのところに座り、まだ眠かったので目を閉じた。 多分、そんなに時間は経っていないだろう。 ドアの開く音と甘い香りに、ロゼは浅い眠りから覚醒した。 「ん? お前は……」 「嫌味男」 思い切りしかめ面をして入っていたのは隣のアトリエの少女、ウルリカだ。 「ちょっと相席させてもらうわよ」 よろよろと力の無い足取りで壁に寄りかかると、ずるずると座り込む。 なんだかすごく辛そうだ。 それに、この匂い。 「構わないが、なんだその匂いは。チョコレートが歩いてきたかと思ったぞ」 ウルリカが入って来た途端に尋常じゃない強さのチョコレートの甘い匂いが漂ってきた。 「あー、やっぱり私の臭いなんだ? これ」 (自覚無かったのか!?) これだけの香をさせておいてやっぱりとは、いったいどれだけ長い間チョコレートに囲まれていたのか。 今日だけではありえない。 「ちょっとね、チョコ作りすぎたらこうなった。あんたはなんでこんなところにいるのよ」 「俺は、まぁ、バレンタインはいろいろあるんだ」 本当のことを言えば普段から仲の良い訳ではないウルリカになにを言われるかわからない。 それ以前に、理由が自分でも少し情けなかった。 「チョコを作りすぎたって、お前、だれかにあげたのか?」 誤魔化し半分、気になる気持ち半分で聞くと、予想外の答えが返ってきた。 「たぶん、学園男子のほとんど」 この返事に、ロゼは目を見開いた。 (こいつが、男にチョコを作って渡したのか!?) ロゼから見て、ウルリカはこういう行事から一番遠いところにいると思っていた。 男に興味無いどころか、恋の『こ』の字さえしらないような女なのに。 (しかも、学園男子ほとんどだと?) かなりの人数だ。 それだけの数を作ったのならこの匂いもうなずける。 (でも……) 「俺は、もらってない」 学科は違うがとなりのアトリエで、課題で一緒になったり、行きがかり二人で人探しをしたこともあった。 それに先日、教頭の計らいで近く一緒にマナの聖域へ光のマナを倒しに行くことが決まったばかりだ。 たぶん、彼女にとって自分はかなり親しい異性に分類されるはず。 同じアトリエのペペロン、エナ、ゴトーは分かるが、他の男にまで渡しておいて自分はもらえていない。 (俺はそんなに嫌われているのか?) 確かにいままでいろいろあったが、誤解は解けたはずだ。 (いや、そうか。解決したのは俺のほうでだけで、説明をしていなかったな) 過去に祖父のマナが突然消え、その心の傷を光のマナに雇われた剣士に利用された。 彼女の大切にしている幼いマナに露わにした黒い感情は、簡単に許されるものではないかもしれない。 そんなロゼの心も知らず、ウルリカは一言「知らないわよそんなの」と吐き捨てるように言った。 それは徹夜で人に頼まれた義理チョコを作って心身ともに疲れているせいなのだが、もちろんロゼにはわからない。 (嫌われても、仕方が無い……) 心を取り戻してから、他の人間に向けられていたウルリカの笑顔が自分を見つけると途端に嫌そうな顔に変わるのを見て辛さを感じるよう になった。 いつだって無邪気で明るい少女が自分と話すときだけいつも怒っているのだ。 「そんなにチョコ欲しかったんならこの臭いで我慢すれば? 今、私チョコレートの塊みたいなもんだし」 むせ返るような甘い匂いをさせ、少女は気だるげに言う。 「そうか。そうだな」 もうすぐ卒業。 最後に光のマナを倒すという大仕事が残っているとはいえ、すぐにウルリカとは顔も合わせられない生活になる。 きっと彼女の中でのロゼは嫌味で暗い男のままで終わるのだろう。 (そんなのは、嫌だ) なぜだかは分からないが、嫌なのだ。 目を瞑り、眉間に皺を寄せて座っているウルリカにそっと近づく。 近寄ることで増した甘い匂いに、頭がくらくらした。 (それならいっそ) 顔を寄せ、軽く唇を重ねたあと、その柔らかな膨らみを舌でなぞる。 思ったとおり、とても甘い。 ぱっと驚きに開かれた緑の瞳と目が合った。 「ふむ、確かに甘い」 もっと味わいたかったが、歯止めが利かなくなりそうなのでやめた。 離れて数秒後、やっと現状を理解したのかウルリカの顔がすごい勢いで赤くなっていく。 (ほんとうに、すぐに顔に出るな) ちょっとおもしろい。 「あ、あんた、今、なにを……」 「何って、バレンタインチョコをもらったんだ」 「な、な、な……!!」 殴られるかと思った。 それだけのことをしたので受ける覚悟は出来ていたのだが、ウルリカは手を出す以前に言葉も出ず、いきなりがくりと気を失ってしまった のだ。 「え? おい!」 さすがにこれには驚いて、「そこまでショックだったのか!?」と力の抜けた体を抱き上げた。が……。 「ん……? 寝てる?」 なにやら穏やかな寝息を立てているように見える。 「わけがわからん」 そういえば、もともと彼女がこの場所に来たことからして謎だった。 「とにかく……」 自分のせいで気を失わせてしまったのだ。このままにしておくわけにもいかない。 ロゼはウルリカを両腕に抱き上げ、塔を出た。 後日、一緒になったエナから愚痴半分にバレンタインの真実を聞いた。 (それであぁなったのか) おかげでいろいろ合点がいった。 あれからマナの聖域に行くために何度もウルリカたちと一緒になっているが、何も言ってこないところから、結局疲れと混乱で キスをしたことも忘れられてしまっているらしい。 (これで、よかったんだ) 今日、ウルリカが聖域で突然ロゼに謝ってきた。 最初、出会ったときにこけさせて悪かったと。 そのとき、なぜ自分があんな行動に出てしまったのかも理解した。 今では、彼女の笑顔が自分にも向けられる。それが嬉しい。 「卒業、か」 「え? なにか言った?」 聖域の狭い通路を一列に歩いていたので、ちょうど前を歩いていたウルリカが振り返った。 「いや、なんでもない」 もうすぐ光のマナの居る場所へ到着する。 それまでの時間を、大切にしたかった。 >>BACK |