『ぬくもりと鼓動』



その夜、ウルリカは夢を見ていた。
薄暗い闇の空間に一人ぼっちの夢。

ウルリカの姿は6,7歳当時のもので、泣きながら彷徨い呼んでいた。
「……おとうさーん、おかあさーん」
しっかりしなきゃと思うけれど、涙が止まらず拭っても拭っても視界が晴れない。
「どこぉ……」
怖い、寂しい、悲しい。
その空間のように暗い感情ばかりがない交ぜになって、震えるほどの孤独感がウルリカを襲った。
「やだよ、ひとりにしないで。もう、やだよ……」
ぬくもりの無い生活は、辛い。嫌だ。
これ以上歩けないと膝をついたとき、やっと長い悪夢から覚めた。





(う……? なにか、乗ってる?)
寝返りをうとうとしたとき、いつもと違う体のバランスの悪さを感じペペロンは目を覚ました。
「んー?」
またウルリカにいたずらでもされて、上に何かを乗せられたりしたのだろうか。
(微妙にあったかいような)
何度か瞬きをし、暗さに慣れてきたところで自分の体の上にあるものの正体を見てみるとそれはウルリカ本人だった。
ペペロンの胸の上のあたりに頭を乗せる形でうつ伏せに寝ている。
「えーっと……」
状況がよく飲み込めず、ペペロンは再び天井を仰いだ。
(夢?もしくは幻覚?)
とりあえずもう一度頭だけをあげ確認するが、やはりいる。
すぅすぅと気持ち良さそうに眠っているウルリカをしばらくじっと見た後、ぽすんと枕に頭を戻し、考えた。
(どうしよう、現実だよ……)
暖かいしやわらかいし、寝息だって聞こえる。
たとえば採取のとき、ペペロンは10メートル以上先の獣の気配にさえ起きるほど敏感だし、こうやって部屋で寝ていよう ともアトリエにだれかが入ってくるようなことがあれば速攻で目が覚めるくらいの感覚は持っている。
しかしなぜか、そんなセンサーもウルリカにだけは働いてくれない。
(ある意味一番働いてくれなきゃ困るのに)
たとえば、こんな状況にならないために。
どうにも落ち着かなくて思わず身じろぎしてしまい、その少しの振動が伝わったのか寝ぼけた小さな声が聞こえた。
「ぅにゃ…」
(やばっ、起こしちゃった?!)
顔を上げ、目をこするウルリカはなんだか本当に小動物のようだ。
そのかわいさに思わず和んでしまい、「いやいやいや」と頭を振る。
「お、おねーさん?」
一応声をかけてみる。
するとその声に反応したのか、ウルリカがそのままペペロンの体の上を匍匐前進で登ってきてしまった。
(ぎゃっ!!)
すぐ真上に顔が来て、思わぬピンチに冷や汗をかく。
さらりと流れた柔らかな金髪が、ペペロンの顔をくすぐった。
「ペペロン?」
「そ、そーです……」
名前を呼ばれたので返事をすると、「うん、そうだよね」と確認するように言い、また眠ろうとする。
「ってちょっと、おねーさん! 寝ちゃうの?」
その気は無かったとは言えせっかく起きてくれたのだ。この状況から逃げ出すチャンスは今しかない。
「うん、眠い」
「眠いのはわかったし、寝てもいいからとりあえずそこからどいてもらえると、嬉しいな〜なんて」
そしたら逃げよう。
空き部屋でもアトリエの床でもどこでも寝ようと思えばすぐに眠れる。
「ヤダ」
「あ、やっぱり?」
だがそんなあっさり引いてくれるウルリカではなかった。
(そもそもなんでこんなところで寝ているんだろう)
自慢ではないが、自分の体はかなり筋肉質で硬い。普段からいろいろ鍛えられているので相当硬い。
なのでそんな自分の上というのはあまり寝心地のいい場所とは思えなかった。
「おねーさん、普通にベッドで寝たほうがいいと思うよ」
「ここが、いいの」
否定すると同じようにずりずりと這うようにもとの位置まで下がり、胸に耳を当てる。
「ペペロンの心臓の音、優しくて好き」
(うっ!?)
なんだろう。そうたいしたことを言われてないはずなのに、まるで熱烈な告白をされたような、どうしようもない愛しさが沸き 起こってくる。
「あったかいし、気持ちいいし。ここが、落ち着く」
そこまで言われれば、もうどいて欲しいなんて言えなかった。
「おねーさんが、それでいいなら」
一晩くらい寝れなくても死にはしないし採取に出ているときなんて、眠れない夜はしょっちゅうだ。
諦めて、でもかわいくて一度そろそろと頭を撫でてあげると、ウルリカが小さくつぶやいた。
「ねぇ、ペペロン。名前、呼んでくれないかな?」
「え?」
前にも無理やり名前を呼ばされたことがあったが、今回はニュアンスが違う。
(照れるけど……)
なんだか呼んであげなくていけないような気がした。
ウルリカは見えない位置にいるので、自然、天井に話しかけるような形になる。
「ウルリカ、さん?」
「『さん』は無し」
即座にダメだしされ、言い直す。
「えーっと、ウルリカ?」
「『えーっと』もいらない」
(あう……)
恥ずかしさからくる微妙なごまかしはすべて却下されてしまった。
「ウ、ウルリカ」
「もっと、低い声で」
(な、なんで?)
仕方ないのでいつもの気持ち高い声ではなく、素の声でゆっくり名前を呼んだ。
「ウルリカ」
「……もう一回」
寝込みを襲われること自体はこれまでに何度もあるが、今回は様子がおかしい。
そういえば、以前も一度、こんな風に一緒に寝ると言って聞かなかったことがあった。
「ウルリカ、なにかあったのかい?」
「ふふ、ちょっとだけ、おとうさんみたい」
もうその顔も、声さえもおぼろげだがきっとこんな感じだったのだろうとウルリカは思った。
低くて優しい声。
心配してくれる、大きな人。
「また夢を?」
「ちょっと、違う。ねぇ、もう一回呼んで?」
夢を見たのは確かだが、それよりも、思い出してしまったのだ。長い長い孤独な夜を過ごしたあの頃を。
「何度でも。ウルリカ、大好きだよ」
父親ならきっとこう言う。
そんな思いも込めて、ペペロンは言った。
「うん、私も大好き」
嬉しかったのか、両手を広げぎゅっと抱きつく。
こんなときのウルリカは、とても素直でかわいらしい女の子だ。
いつもの気が強く適当で大雑把で我侭なところも好きだが、ペペロンはこんなウルリカも大好きだった。
「おいらはずっと一緒にいるから、ひとりにしないから。だから安心して眠るといいよ」
なぜこうして自分のところへ来たのか、名前を呼んでもらいたがるのかはわからない。
だけど理由なんかどうでもよかった。
彼女が求めるなら、それに応えよう。
それこそが、今自分がこうしてこの場所にいる意味なのだから。
「うん、ありがとう。おやすみ」
満足したのだろう。ウルリカはすぐにまた、小さな寝息を立て始めた。
(意識して、動けないってのは少し難しいね)
この世で一番愛しい存在が、自分の上で安心しきって寝ている。
かわいいやらうれしいやら困るやら、複雑な心境だ。
夜明けまであと何時間あるのか。
ペペロンの誘惑との長い戦いが始まった。




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