『仲直りの魔法』
| 昨日、一週間超の護衛の仕事から帰ってきたロゼは、ソファに腰深く座り、考えていた。 (まるで倦怠期だ) アトリエにいることに飽きてしまったうりゅは今朝、ペペロンに連れられて採取に一緒に行き、この部屋には二人きり。 一週間以上会っていなかったにも関わらず、ウルリカは今、ロゼを見ることもなくテーブルで依頼のアクセサリ作りに没頭している。 (いや、これを倦怠期というなら、そうじゃないときは一度もないよな) 長い片思いの時期を経て、やっとつき合うことになって数ヶ月。 結局未だに片思いなのではないかという疑いがずっと頭を離れない。 (普通、これだけ離れていたらなにかあるものなんじゃないのか?) 昨晩、夜中に帰ってきたときウルリカは起きて待っていてくれた。 そして、「おつかれさま、お帰りなさい」と言ってお茶を出してくれたのだ。 それだけでも一応感動はしたのだが……。 (本当にそれだけだったし) ハグもキスもなにもない。 ロゼがお茶を飲み、一息ついたところで「じゃあ、お休み」と言って部屋に戻ってしまったのだ。 実はまだ、一度しかキスをしたことがないとか、思い出すと悲しくなってくる。 (仮にも一つ屋根の下で暮らしている恋人同士で、ここまでなんにもないのはどうなんだ??) こっちはいつだって抱きしめてキスをしたいと思っているのに、その気配を察してなのかなんなのか、少しでも実行に移そうとするとささっと逃げられてしまう。 (あの野生の勘はどうにかならないものか) それとも自分があからさますぎるのだろうか。 それにしたってやっぱり、一週間以上離れていて今のこの状況はない。 (つまりあれだ、野生動物には罠が必要ってことだよな) 捕獲するには単純な罠でいい。 ウルリカ自身、単純で騙されやすいかわいい生き物なのだから。 ウルリカはアイテムを作りながら、朝からずっとぼーっとソファに座っているだけのロゼを密かに気にしていた。 (よっぽど疲れてるのかな) だいたい、護衛の仕事は三日から六日程度のものが多かったが、今回は初めて一週間を超えた。 かなり遠くの街へ行っていたらしく、昨晩帰ってきたときはかなりくたびれた様子だった。 それでも、朝早く起きて朝食を作ってしまうところが彼らしい。 (今日は私が作るつもりだったのに) 昨日の今日だからさすがに遅くまで寝ているだろうと思っていれば、全くそんなことはなく、ウルリカがいつもより早く起きてみた頃にはすでに食事が出来上がっていた。 (こういうところが、なんていうか、私の立場を無くすのよ!) 半分八つ当たり気味に思う。 完璧主義な彼と適当で大ざっぱな自分。 自覚はあるが、今更自分のペースを変えることはできないし、変えたくもない。 (まぁ、疲れてるならほっといてあげるのが一番よね) 自分だったら疲れているときはそうして欲しいと思うだろう。 (でも、ちょっとつまんないな) 少しでも早く会いたくて、昨日はずっと起きて待っていた。 無事帰ってきたのを確認し、ほっとして眠気に負けてしまったものの、今日はいっぱい話をしたかったし聞きたかった。 (うー、我慢) なにより体が心配だ。 そうやわじゃないことを知ってはいるが、それでも気になる。 (また、お茶くらい出してあげようかな) 確か氷室に来客用に買っておいたとっておきのハーブティーがあったはずだ。 (それくらなら、しても迷惑じゃないわよね?) ちょっとだけ、宙をさまよっている視線を自分に向けられたら、それでいい。 本当にそれだけのつもりで、ウルリカは作業の手を止めて席を立った。 「ロゼ、はい。お茶」 「あぁ、さんきゅ」 朝食を済ませてから数刻。 ずっとソファに座っているだけだったロゼのもとへ、無表情のウルリカが近づいてきてハーブティーの入ったカップを差し出した。 疲れが残っていることを考慮してくれたのだろう。 頭をすっとさせるいい香りがする。 そしてウルリカは、本当にお茶を渡しただけでまた作業に戻ってしまった。 (く……、まだだめか。これからが、勝負) ロゼが仕掛けた単純な罠とは押してだめなら引いてみろ作戦。 簡単に言うと、ウルリカが我慢できなくなるまで放っておくというなんとも定番なものだった。 (先に俺が我慢できなくなったらどうしよう) そんな漠然とした不安もあったが、疲れているのは真実なのでこうしてぼうっとしてるのも悪くはない。 (一日かけてもだめだったら、結局、そこまでの関係ってことに、なるのか……) そうならないよう、切に願う。 とりあえず入れてもらったハーブティーに口を付けると熱すぎずぬるすぎず、とてもおいしかった。 料理は未だに壊滅的な腕だが、お茶の入れ方だけは上手になったと思う。 本人も家事が何一つ出来ないのを気にしていて、まず一番簡単なお茶入れからがんばっていたのを知っている。 (そういうところも、好きなんだよなぁ) これ以上ないというくらい好きなはずなのに、毎日毎日、それにまた気持ちが上書きされていく。 そんな自分の恋心を、純粋にすごいと思う。 いっそどこまでいくか試してみたいくらいだ。 (こうしてあいつのことを考えてるだけで退屈しないし) まだまだ粘れる。 そう思った。 (あ、お茶飲んだ) ウルリカは横目でけだるそうに動くロゼを確認した。 渡されたお茶を飲み、ふうと大きく息をつくと再び宙を見つめる。 (なんか、様子が変) いつもなら長く家を空ければ空けるほど、意味もなく近くに居るのに今日はその気配がまったくない。 さっきも結局、自分のことを見てはくれなかった。 (まさか、旅先で何か……) 何かとはもちろん、ほかの女性とということだ。 (って、そんなこと無い!……はず) いらぬ考えが過り、突然不安になる。 はっきり告白され、受けてからこっち自分は彼になにかしてあげたことがあるだろうか。 (いつも、ロゼの方から近くに来てくれるから……) それに甘えて、安心しきってしまっていた。 (ずっと顔を見てなかったのに、帰ってきてあの態度はないわよね) 理不尽な八つ当たりとわかっていても、そんな怒りが込み上げてくる。 次第にちらちらとロゼを見る回数が増えてくるが、それでも相手は微動だにせず宙を見つめていた。 むしろ、焦点が合わなくなってきていて寝てしまいそうな勢いだ。 (疲れてるんなら寝かせてあげるのが正しいんだろうけど) それは後回しだ。 とうとう我慢できなくなったウルリカは席を立ち、ロゼのもとへ向かった。 (お、また来た) 疲れとソファの座り心地、それにウルリカの作業の音しかしない静けさから思わず寝てしまいそうになったころ、やっと獲物が自分からやってきた。 わざと近づいてくるウルリカの方へ視線はやらず、ほかの全神経をかわりに彼女に向ける。 「ねぇロゼ、眠いの?」 腰を曲げ、視線を合わせるようにして聞いてくるが、それでもあえて彼女の顔を見ないようにした。 「あぁ、うん。そうかもな」 ここで、いつものウルリカなら「じゃあ寝たら?」と来る。 しかし、さすがに今日は違った。 「じゃあ寝たい?」 (寝たいって、なんだ?) ついつい、邪な意味の方が頭に浮かぶが、ウルリカに限ってそれはない。 つまり、今すぐ寝てしまいたいかどうかということだろう。 それは暗に相手をしてほしいということだとロゼは受け取った。 「いや別に。ここでこうしてるのが気持ちいいだけだ」 「ふーん」 まったく自分を見ようとしないロゼに焦れたのか、今度はわざわざそのさまよう視線の先に移動して話しかけてくる。 「今日のロゼ、変」 「そうか?」 (もう一歩!の、ような気がする) 無理矢理視界に入ってきた、拗ねた顔のウルリカを見ながら、もう頭の中は期待でいっぱいだ。 ここで「私寂しかったのに!」とか言ってくれたら最高だよな。とか馬鹿馬鹿しいと思いつつも考えずにはいられない。 「仕事先で、なにかあったの?」 「は?」 想像していなかった一言に、ロゼの下心ばかりの思考は止まった。 「どうしてだ?」 「だって、なんかいつもと違うから、また最初のとき見たいになにかこう、落ち込むようなことがあったのかな??とか」 「無いよ」 あんな失敗は二度としたくないしすることもない。 ロゼは即座に否定した。 「じゃあ、えーっと。あれよ、その」 「?」 「旅先で、あー……、う、なんでもない」 なにかを言いたそうに悩んだあげく、結局口をつぐんでしまう。 そういう反応をされれば聞きたくなるのが人情というものだ。 「なんだ?そういう言い方されると余計気になるだろ」 「その、さ。奇麗な女の人に会った、とか」 あいた口が塞がらないというのはこういうことか、と、ロゼは思った。 (は?そっちに行くのか?) いつまでたっても彼女の思考回路は読めない。 「た、たとえばよ?たとえば!ほかにいつもと様子が違う理由が思い浮かばなかったし!!」 ロゼの呆れ顔を見て焦ったウルリカは必死で訂正する。 「さて、どうだったかな」 そんな誤解をされれば意地悪な気持ちになるのも仕方がないだろう。 曖昧に答えると、ウルリカは簡単に食いついた。 「え?うそ、そうなの?!」 (わからん。そう思うくらいならもっと普段から態度に出せばいいのに) まったく関心が無いように振る舞っておいて、逆のことをされれば突然そっちの心配をするとか、なにか違う気がする。 「そうならどうする?」 だが、これはこれで好都合かもしれない。 なかなか聞けないウルリカの本心を、知ることが出来そうだ。 「べ、べつにどうもしないわよ!」 更に意地悪く言うと、やりすぎたのか逆切れのように怒鳴って顔をぷんとそらし、どすどすと床を踏み抜きそうな足音をたててテーブルへ戻ってしまった。 (失敗か) これだけ好きで、いつも態度にだって出しているのにほかの女となんて考えられたことははっきり言って屈辱だった。 (わかってない) どれだけ自分が好きなのか、心から愛しているのか、彼女はわかっていない。 (……むなしくなってきた) 結局、未だに自分の片思いなのかもしれない。 そうなれば、今やっていることも無駄な努力で罠など張っていても意味が無い。 (自分のベッドで寝よう) 今のやり取りで体だけではなく心も疲れてしまった。 大きなため息をつき、重い腰を上げようとすると、三度、ウルリカが近づいてくる気配がした。 (今度は何だ) もう期待はしない。 これ以上、傷つきたくない。 「ねぇ、ロゼ」 返事する気力もなく、力なく首をウルリカへ向ける。 多分今、自分はものすごく不機嫌な顔をしているだろう。だが、それを隠す気はなかった。 「う…、なんか怒ってる」 「あぁ、怒ってるよ」 長期の仕事が終わって帰ってみれば、反応も薄くあげくの果てに女関係を疑われる。 怒らない訳が無い。 しかし、にぶいウルリカは怒っている理由がわからないらしく、またとんちんかんなことを言ってきた。 「休んでるところを、邪魔しちゃったから?」 「そんなわけ、ないだろう」 話しかけられるのを待っていたのだ。 問題は、その内容だった。 「えーと、じゃあ……」 また的外れなことを言われそうで、ロゼは少しキレ気味に言った。 「お前は、俺に居ない間、男を連れ込まなかったといわれたらどうするんだ?」 「あっ!」 そこまで言われてやっとわかったらしい。 途端にウルリカはしおしおと項垂れた。 「ご、ごめん」 「わかったらもう、放っておいてくれ!」 怒るのは、嫌だ。 好きな相手を落ち込ませるのはもっと嫌だ。 もうなにも言いたくないとばかりに立ち上がり背を向けると、突然ウルリカに後ろから抱きつかれた。 (なっ!) 「待って!」 いくら怒っていようとも、これだけで胸が高鳴ってしまう。 「まだ、なにかあるのか?」 そんな気持ちを悟られないように振り向かず、低い声で聞く。 「せっかく帰ってきたのに、喧嘩だけなんて、ヤダ!」 (俺だって嫌だ!!) だが、どうすればいいかわからない。 そのままの姿勢で固まっていると、腰に抱きついたままのウルリカに思い切り引っ張られ、無理矢理ソファに座り直させられる。 「仲直り、できないかな」 「どうやって?」 怒らせたのはウルリカだ。 ロゼだって仲直りできるものならしたいが、今回は自分から折れるつもりは無い。 「こうやって」 昔、クロエに借りた本で読んだことのある恋人同士の仲直りの方法。(クロエは本当にあらゆる種類の本を読んでいた) 自分を不機嫌に見上げるロゼの唇についばむような、一瞬のキスをする。 「だ、ダメ?」 キス一つくらいじゃ許してもらえないだろうか。 決死の思いでした小さなキスに顔を真っ赤にしながらも、ウルリカはおそるおそる聞いた。 「………」 ロゼは目を見開いたまま固まり、それ以上の反応がない。 (どうしよう、だめだったかも) 相手を侮辱し、怒らせたのは自分だ。 これがダメならほかの方法を考えなきゃと困った顔をすると、突然ロゼが動いた。 「きゃっ!」 思い切り抱きしめられ、バランスを崩したウルリカは倒れそうになるのをどうにかこらえた。 「ろ、ロゼ?」 「だめじゃない」 「え?」 「全然だめじゃない」 その顔は自分の腹あたりの位置にあるのでどんな表情をしているのかは見えない。 「ダメじゃないから、もう一度してくれ」 そういうと抱きしめたまま、ウルリカを隣に座らせ、顔を合わせる。 (えーと、これは、一応怒ってはない?) 怒っている訳でも、笑っている訳でもない。 なんだか必死でまじめな表情で見つめられ、どう判断したらいいかわからない。 とにかく、機嫌を直してもらいたい一心で、ウルリカはそのリクエストに応えることにした。 (仮にも、恋人同士な訳だし) 「仮にも」などという前置きがついてしまうあたりがロゼを怒らせてしまう理由なのだが、本人は気づかない。 「えーと、じゃあ」 改めてやるとなると余計恥ずかしい。 「目を閉じて」などと言えるような度胸もないので、無理矢理手の平でロゼの目を塞ぐとその隙に二度目のキスをした。 「これで、いいかな……?」 そろそろ許してもらいたい。 慣れないことをして顔から火が出そうだ。 (あぁもう、どうしてくれようか) ロゼは、心の中で葛藤していた。 さっきまであんなに怒っていたはずなのに今の自分はどうだ。 もう愛しくて愛しくて、押し倒したくてたまらない。 (だけどそんなことしたら、今度はこっちが怒らせてしまうことになるよな) ここで満足しておかないと、また後が無くなってしまう。 「まぁ、許してやるよ」 いかにも仕方ないというように言うと、ウルリカはほっとして微笑んだ。 「よかった!」 (やっぱ押し倒してもいいかな) 久しぶりの再会に初めてのウルリカからのキス。 十分理性を捨ててもいい状況だと思う。 「疲れてるのに変なこと言って怒らせてごめんなさい。眠いんでしょ?いいよ、部屋にあがっても」 機嫌の直ったロゼの頭を撫でつつ、無邪気な笑顔でウルリカが言う。 むくむくわき上がった欲望を、萎えさせるには十分だった。 (だめだ、やっぱりお子様だ) この様子を見ると、キスも「キスという行為」をしたのではなく、本当に「仲直りの方法」だと思ってしたに違いない。 (どこのだれだ、こんな卑怯な手を教えたのは!) こんなことをされて、怒ったままでいられるはずが無いではないか。 「ロゼ?寝ないの?」 「あー、もう、いいんだ」 結局罠も成功したのか失敗したのかわからない。 ただ、ひとつわかったことがある。 (惚れた方が負けってのは、最初から決まってるんだよな) すっかり脱力しまったロゼをきょとんとウルリカが見つめる。 「もうすこし、ここでお前が作業している姿を見ていたいんだ」 意地を張ったところで好きなものは好きだからしょうがない。 素直に本当にしたかったことを話すと、ウルリカはそれじゃあと提案をした。 「よければ今回の仕事のこと話してよ! 私もロゼがいなかった間のこと話すから」 「大しておもしろいことはないぞ」 「それは、私も同じだけど……。いいの、話したいんだから」 そして、先週受けた依頼の話をしだす。 そんなウルリカの、嬉しそうに話す姿を見ているだけで、ロゼも顔が自然に綻んだ。 (こんなことで幸せになれるんだから、すごいよな) ウルリカに出会うまで、自分が幸せだなどと思うことは一度だってなかった。 ただ面倒で退屈で、繰り返されるだけの日々に辟易していた。 (まるで、魔法だ) たった一つのキスで仲直りできる、愛する人の笑顔を見ているだけで幸せになれる、それはロゼにとって魔法としか思えない不思議な現象だった。 >>BACK |