ふたりということ
「あーっ!またやった!」
蒸留水を作っていたぺぺロンが力の加減を間違え、ビーカーを割ってしまった。
「もう代えのやつ無いのよ!」
「ご、ごごごめんなさい」
大きな体を竦ませて、ぺぺロンは謝る。
採取は得意だが調合の手伝いは未だに苦手だった。
すべての器具が彼にとっては小さい上に脆すぎるのだ。
妖精さんを自称するには致命的な欠点だったが、こればっかりはどうにもならなかった。
「ビーカー、これで何個目だっけ?」
「え、えーと。三個目?」
おそるおそる答える。
「んなわけないでしょ! 何大胆にさば読んでんのよ! 13個目よ、13個目!」
壊しも壊したり13個。ちなみに一番よく使う乳鉢はもう20を超えている。
「あんたもう五年はタダ働きだかんね」
「そんなぁ」
ちなみにウルリカの元で働くようになって一年半、一度も給料をもらったことがない。
「文句あるなら少しは私を怒鳴らせずに役にたってみなさい。さ、それで最後だったんだからさっさとビーカー買ってきて。時間もったいないし」
そう言うと、もう文句は言わせないとばかりに錬金釜に向かい、中身をかき混ぜ始める。
「うぅ、行ってきます」
散々に怒られ意気消沈したぺぺロンは、肩を落としたままアトリエを出て行った。
(やっぱりおねぇさんはおいらのこと嫌いなのかな……)
なんだか毎日のように怒られている気がする。
余計なことをするな、物を壊すな、アイテムを無駄にするな、邪魔だ、うざい、暑苦しい。
(あ、なんかおいら結構ひどい扱いを受けてる?)
あまりにも日常茶飯事なのて麻痺していたが、思い返すとろくなことを言われた記憶がない。
自分としては役に立とうと頑張っているつもりなのだが、空回りしている感は否めなかった。
(捨てられちゃったらどうしよう……)
怒られるのも理不尽な扱いを受けるのもいい。
それよりもウルリカにもう必要ないと言われてしまうことの方が怖い。
嫌な考えが頭について離れなくなりとぼとぼと歩いていると、コツンと何かが肩に当たった。
「?」
「おい、化け物!かかってこい!」
振り返ると子供が三人身構えて、ぺぺロンに向かって叫んでいる。
肩に当たったのはその子どもが投げた石だった。
(化け物…)
生まれてから師匠に出会うまで、自分を見る人すべてに言われてきた言葉。
それは今でもガラスのように脆いぺぺロンの心をえぐる。
「お、おいらは化け物じゃ……」
「知ってるぞ!夜になると人を襲うんだろ!」
「その帽子の下には恐ろしい角があるんだ。母ちゃんが言ってた!」
ぺぺロンの容姿はどこに行っても目立つ。身長は2メートルを優に越し、太い腕に太い足。
筋肉の盛り上がった体のすべてが人の目を引くのだ。
少しでも外見による恐怖感を和らげようと可愛らしい服を着てみても、誤魔化しきれるものでは無かった。
「お前がいると母ちゃんが怖がるんだ。出ていけ!」
優しいうえに気が弱いぺぺロンは、口さがない大人の言うことを真に受けた子供に反論することも否定することも出来ず、緩んだ涙腺を止めるので精一杯だった。
しかし、子供は相手のそういう反応に敏感だ。
手を出してこないとわかった途端強気になり、再び手に持った石を思い切り振りかぶる。
為すすべもなく頭を庇うように抱えると、その子供たちの後ろに仁王立ちで現れた人物が、順番に三人の頭を拳骨で思い切り叩いていった。
「いっ!」
「いってぇ!」
「ぎゃん!」
三者三様の悲鳴があがる。
「おねえさん!」
そこに立っていたのは今まで見たことのない、鬼のような形相をしたウルリカだった。
「あんたたち、うちのぺぺロンになにしてんの?」
心底怒っているのだろう。いつものように怒鳴るのではなく、静かにゆっくり睨みつけながら言うウルリカに子供だけではなくぺぺロンまで怯えてしまった。
「あ……」
「お、オレたち化け物を……」
ひとりが気丈にも言い返そうとするが、ひと睨みされたとたん言葉が続かなくなる。
「だれが、化け物ですって?」
「ひっ」
聞き返す声にはドスがきいていて、とても説明出来る雰囲気ではない。
(こ、怖いよう)
ぺぺロンもあまりの迫力に、怒られているのが自分じゃないと分かっていても竦みあがってしまう。
「でかくてうざくて暑苦しいけどぺぺロンは優しい心を持ってるし絶対に人を傷つけつけない。
親の偏見を鵜呑みにして何もしてないあいつに石投げつけるようなあんたたちよりよっぽどマシよ!」
そして涙をいっぱい溜めていた子供たちはとうとう堪えきれず泣き出し、心無い攻撃にはどうにか我慢していたぺぺロンもそのウルリカの言葉に感動して号泣した。
「おい、お前、子どもたちになにしてる!」
「やばっ!」
3人の少年が大声で泣いたため、近くを通りかかった大人がウルリカに怪訝に歩み寄ってくる。
「ペペロン、逃げるわよ!」
焦ったウルリカはペペロンに駆け寄ると手を引っ張った。
「え? でも、おいらたち悪くないんじゃ……」
「この状況でどこをどうみても私たちのほうが悪者でしょ!」
確かにそうだ。
涙を拭うと急いで立ち上がり走り出す。
「あ! こら、待て!!」
後ろから男の怒鳴る声が聞こえたが、もちろん無視をした。
「ハァッハァ」
全力疾走をして人目につかない路地に逃げ込む。
「お、おねえさん、大丈夫かい?」
荒い息を繰り返すウルリカを心配して声をかけると、いきなり腹に肘うちをされた。
「痛っ!」
「このバカッ!!」
「えぇ?!」
なぜだかわからないが、今度はウルリカはペペロンに怒っているらしい。
「なんで言い返さないのよこのバカッ!」
「そ、そんなこと言われても」
化け物扱いされたのは初めてではないし、反論できる要素が見つからないのだから仕方が無い。
「だって、おいら確かにこんな見た目だし……」
「そんな当たり前のこと言ってんじゃないの!」
「えええ?!」
さりげにひどい。
「そうじゃなくて、人って見た目だけじゃないでしょ。そんなのはね、私がここに来て最初小娘だって舐められて仕事干されてたのと同じことなのよ」
『小娘』と『化け物』が同じ。
たぶん、その二つの言葉をひとくくりにして同列に並べて語ることが出来るのはウルリカだけだ。
「あんたは人畜無害でへたれでドジなんだから、そう言えばいいのよ。人も襲わなければ傷つけない。自分は化け物なんかじゃないって。
まず自分で否定しなけりゃなにも変わらないわ」
「でも、そんなこと言っても、だれも信じてくれない……」
違うと言っても聞く耳を持たれなかった。
じゃあその体は?頭はなんだと言われれば答えることが出来なかった。
「これまではね。でも今は私がいる。あんたが化け物じゃないって胸張って証明できる人間がここに。
他の奴に『本当か』って聞かれたら本当だって笑顔で答えてやるわよ。だから否定しなさい。もっと自分を大事にしなきゃダメ」
諭すように人差し指を突きつけて言うウルリカから目が離せなかった。
――― 私がいる ―――
その言葉はこれまで聞いたどんな慰めよりもペペロンの心に響き、目から鱗が落ちるような新たな衝撃を与えたのだ。
<そうだ、今はおねえさんがいるんだ>
化け物と誤解されたまま置いておけば、この街でアトリエを営むウルリカに迷惑がかかる。
現にさっきだって、自分のせいでウルリカは子どもを泣かせてしまい、通りがかりの大人にその現場を見られた。またしばらくアトリエの評判は下がるだろう。信用第一の仕事なのに。
<おいらはもう、ひとりじゃないんだ>
信じてくれている人が居る。
否定しないということは自分のこと信じてくれているウルリカをも裏切る行為になるのではないかと、やっとわかったのだ。
「ちょっと、聞いてるの?」
黙り込んでうつむいてしまったペペロンの顔を覗き込むようにすると、なんとまた涙を流していた。
「え? なんで? 私言い過ぎた?」
化け物といわれて落ち込んでいるだろうペペロンに対して怒りすぎたかと焦る。
泣かせるつもりなんてこれっぽっちもないのだ。
「違う、違うんだ、おねえさん」
「?」
「おいら、感動してるんだっ!」
両手を広げ、思い切り抱きつこうとするが、慣れたウルリカにあっさりよけられ壁に激突する。
「あう」
「まぁ、元気になったんならいいわ」
話は終わったとばかりに言うと、うずくまるペペロンの手を取りその大きな手の平にコールを載せる。
「はい、お金。あんた買い物に行くのに無一文でどうすんのよ」
「あ、そういえば……」
器具を割って怒られたことに動揺して、そのままお金も持たずに出てきてしまっていたのだ。
「気がついて追いかけてみれば近所のクソガキどもにいぢめられてるし。まったく、でかい図体して本当にへたれなんだから」
「うぅ、ごめんよう」
今日は謝ってばかりだ。
しゅんとしていじけたように地面にのの字を書き始めたペペロンを見て、腰に手を当てると大きなため息をつく。
「あのね。もうひとつ付け足しておくと、こういうときは『助けてくれてありがとう』って言うのよ」
「うんっ! おねえさんありがとう!」
途端に嬉しそうに顔を挙げ、元気に答えるペペロンを、ウルリカは素直でかわいい奴だと思う。
「じゃ、さっさとビーカー買ってらっしゃい。私はアトリエに戻るから」
調合中の釜を火は消したもののそのまま置いてきてしまったので気になる。
「あんたの仕事もまだいっぱい残ってるんだから、早くね」
「おいらが本気になれば、そんなのあっという間さぁ」
ウルリカは苦笑するとペペロンの頭をぽんぽんと叩き、アトリエに戻っていった。
<やっぱり、おねえさんはすごいなぁ>
いつもいつも、ペペロンの長年のコンプレックスをいとも簡単に吹き飛ばしてしまう。
返しても返しても返しきれない恩を彼女には感じている。
「早く買って帰らなきゃ」
今自分に出来ることは、彼女のそばで出来る限りの手伝いを精一杯やることだ。
再びそう決心し、今度は軽い足取りで雑貨屋に向かった。
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