本当と本気の違いとは
(う〜ん……) テーブルの上でごろごろしながら、ウルリカは考えていた。 「おねえさん、そんなとこで伸びてると、いつか落ちて怪我するよ?」 「平気へーき」 昼食の準備をするペペロンに、適当に手を振る。 彼は心配そうな顔をしながらも、また料理に戻った。 ころりと寝返りを打って、仰向けからうつ伏せになる。ウルリカは思った。 (やっぱり、怒らないのね) テーブルに――しかも昼食前に土足で――乗って寝転ぶなど、ロゼに見られたら叱られるでは済まされない。 コロナはあの毒舌で責めるだろうし、リリアなら金切り声を上げるはずだ。ユンはため息と共に抱え上げて降ろすだろうし、クロエは問答無用で落としにかかる。 ペペロンだけが、心配そうに諌めるだけで、ウルリカを叱らない。やめさせもしない。 (そういえばわたし、ペペロンに叱られたことないかも) あれをするなとか、これをしろとか。そんな指示を受けたことがない。 あれをしたほうがいいよ、これはやめたほうがいいよ。いつも、彼が言うのはウルリカを案じる助言だけだ。 (心配は、してくれてるのよね) 叱るという行為は、ある種、相手を思いやっての行為だという。 けれど、忠告や助言だってそうだろう。 (叱りたいこととか、ないのかなぁ) 不満や要望を述べてくることはあっても、強制されたことはない。 ちょっとした思い付きだったのだけれど、考えれば考えるだけ不思議だった。 「ねえ、ペペロン」 「なんだい? おねえさん」 呼べば、ペペロンはいつでもすぐに振り向いてくれる。 「あんたって、あんまり怒らないわよね」 「え? そうかなぁ」 「そうよ」 ウルリカは、自他共に認めるが怒りっぽい。 対してペペロンは、いつも誰にでも穏やか――というには騒がしいが――だ。 「だってあんた、わたしに怒ったことないでしょ」 「そんなことないよー」 「そんなことあるわよ」 ウルリカは、テーブルの上で胡坐を掻いた。 ペペロンはやっぱり怒らないし叱らない。 「自慢じゃないけど、わたし、人を怒らせるには定評があるのよ」 「……それ、本気で自慢にならないよ」 「うるさい」 ウルリカだって狙っているわけではないが、実際にそうなのだから仕方ない。 特に、初対面時にその傾向が高い。深く考えず、その場の感情と思いつきで行動するため、軽はずみでいらないことをしてしまうのだ。 けれど、ペペロンだけは終始一貫してウルリカに友好的である。 (まあ、それでいったらゴトーもだけど) 彼の場合は、女性全般にそうなのでどうでもいい。 「わたしにムカついたこととかって、ないの?」 「ええっ!? そんなの一度もないよぉ!」 「むー……」 ウルリカは眉を寄せた。 それは喜ぶべきことなはずなのに、何故か不満だ。 「じゃあ、最近怒ったこととかある?」 訝しげな顔のペペロンは、首を傾げながらもすぐに答えてくれた。 「あるよ」 「それ、わたしに?」 「おねえさん関係だけど、おねえさんにじゃないよ」 今度はウルリカが首を傾げる番だ。 ペペロンが苦笑して、テーブルに寄ってきた。台拭きで、端から丁寧にテーブルを磨きだす。 「おねえさんが泣いたり、悲しむのは嫌だなぁ。その時は怒るよ。相手は、絶対に許さない」 「うっ……!」 ウルリカは呻いた。頬が熱くなるのが分かる。 (な、なんか、すごい口説き文句を言われたような……) ゴトーと違って、彼はいつも本気で言ってくれるから、反応に困る。 照れたウルリカは、とりあえず、ペペロンが拭いた端から土足で踏んでやることにした。 「えい!」 「あっ! そこはさっきピカピカに――」 「えいえい!」 「あああっ! やめておくれよぉ、おねえさん!」 こういうことをするから、ペペロン以外の皆にはすぐ叱られるのだ。分かっているのに、何故かやってしまう。 (でも、やっぱりペペロンは叱らないのよね) 自分の仕事が台無しにされて、怒りもしない。 ウルリカはうずうずしてきた。 (……怒らせたいかも) 無表情な奴なら、その冷静さを崩してやりたい。 気取った相手なら、ペースを乱したい。 陰鬱な顔で部屋に閉じ篭っているなら、外に連れ出して笑わせてやる。 ウルリカは、いつだってそうしてきた。相手の迷惑なんて、お構い無しだ。 (怒らないっていうんなら、ぜひ怒らせてやろうじゃないの!) 燃えてきた。 土足のまま、テーブルにすっくと両足で立つ。 「まずは――とうっ!」 テーブルから飛び降りる。 ペペロンが、やっと降りてくれたのかと安堵の息を洩らした。 その横を駆け抜け、台所に用意された昼食を片っ端から手でつまみ食いする。 「ああーっ! 皆の昼食がー!」 「ごちそうさまー」 慌てて寄って来るペペロンをかわし、またテーブルに飛び乗って、綺麗にされた場所を汚しに汚す。 「あああああっ! またそんなことを!!」 「怒った?」 「怒るより悲しいよ!」 「む〜」 それではダメだ。 腹いせに、数回その場でジャンプして、次の悪戯へ―― 「何をやってるんだ、お前は」 足がテーブルに着く前に、お腹の辺りから抱えられた。 「あ、ユン」 振り向くと、深いため息を吐いた火のマナがいる。 ペペロンがほっとした顔をした。 「よかったよ、君が来てくれて」 「少しは自分で叱れ」 まったくその通りだと、ウルリカは頷いた。 ユンが渋面で見下ろしてくる。 「お前は、反省室で説教だな」 「ええっ!?」 言うなり、ユンはそのままウルリカを抱えて、二階のリビングへ連れて行こうとする。 叱られる予定ではあったが、標的が違う。ウルリカは慌てた。 「ちょ、ちょっと待って!」 「聞く耳持たん」 いかに暴れたところで止まってくれる彼ではないが、そのユンをペペロンが止めた。 「別にお説教はいいよ、ユン。それより、おねえさんが暇で仕方ないみたいなんだ。構ってあげておくれよ」 「甘やかすな」 ユンが渋面を、今度はペペロンに向ける。 ウルリカも不満だった。 「なんであんたは許しちゃうのよ!?」 「……叱られたかったのか?」 ユンが不思議そうに見下ろしてくるので、ウルリカは首を振った。じたばたと暴れる。 「違うの! あんたじゃないの!」 「さっぱり分からんのだが……」 「おねえさんは、いつも不思議なことを言い出すよね……」 しみじみと頷き合う二人に、ウルリカのほうが怒った。 「バカーーーっっっ!!!! あんたなんか嫌い! ペペロンなんて大っ嫌い! ついでにユンも嫌いよー!」 「な、なんで!?」 「オレはとばっちりか……」 呆れてため息を吐くユンの隙を見計らい、肘で思い切り肩を打つ。 腕の拘束が少し緩み、すかさずウルリカはユンから逃げ出した。 逃げ去りざま、ペペロンの脛を蹴っ飛ばしていく。 「洗濯物、ぜんぶ川に投げ捨ててやる!」 「ま、待って、おねえさん!?」 ウルリカは二階へ駆け上がり、リビングを抜けた先の物干し台に立った。 個人的なもの――例えば下着類など、人に洗ってほしくないもの。ウルリカは平気なので共同の場所に出していたが、後にやって来たロゼにがっつり叱られた――は皆、自分の部屋の窓に干している。ここには、シーツやタオルの類が多い。 両手を広げて、抱えられるだけ全部を持ち、無理やり引っ張って洗濯バサミを飛ばす。 そして、下の川に向かって洗濯物を投げ捨てた。 「えーいっ!」 「間に合わなかったか!」 その直後、ユンが物干し台に上がってきた。 ひらひらと、洗濯物が風に舞って落ちていく。 「なんの!」 けれど、ウッドデッキの上から大きな腕が伸びてきて、すべての洗濯物を受け止めてしまった。 ペペロンだ。 彼は、二階へ駆け上がらずそこから洗濯物を受け止めることにしたのだ。 「あーっ! ずるい!」 「何がしたいんだ、お前は……」 ため息を吐きながら、ユンが腕を伸ばしてくる。 これに捕まったら、元の木阿弥だ。ウルリカは物干し台から屋根の上に逃げた。 「捕まらないわよ――お?」 足元がぐらついた。 「おねえさん!?」 ペペロンが悲鳴じみた声を上げる。 (落ちちゃう!) ウルリカも覚悟して目を瞑る。 けれど、ウルリカの体は傾いた状態でギリギリ止まった。 「本当に何がしたいんだ、お前は……」 ユンの声が聞こえた。 目を開けると、彼がウルリカの腕を掴んで支えてくれていた。ウルリカは安堵の息を吐いて、体勢を立て直す。 「あ、ありがと、ユン」 「礼よりまず、下の男に謝れ」 「え?」 言われて屋根の下を見下ろすと、川に入ったペペロンと目が合った。 「あ……」 ウルリカが落ちると思って、彼はわざわざ水に濡れてまで、そこで待ち構えてくれていたのだ。 ペペロンが下から、大声を上げてくる。 「何をやってるんだ、おねえさんは! 浅い川なんだから、落ちたらタダじゃ済まないんだよ!?」 「ご、ごめ……」 反射的に謝りそうになって、ウルリカは気づいた。 (もしかして――今、怒ってる!?) ウルリカは屋根に両手を付き、端から下を覗き込むようにして嬉々として訊いた。 「ペペロン、怒った?」 「怒ってるよ!」 「よし!」 ウルリカは胸の前で、両の拳を握った。 下からそれを見たペペロンが、ぷんぷんと怒りを寄越してくる。 「なんでそこで喜ぶんだい!? おいらは、おねえさんが怪我するんじゃないかって、すっごく心配したんだよ!?」 「うんうん。怒ったのよね。今、わたし叱られてるのよね?」 「そうだよ!」 ウルリカは満足した。胸を張って告げる。 「それが狙いだったのよ」 「なんで!?」 「だって、あんたぜんぜん怒んないんだもん」 心配はしても怒らない。叱らない。 それは、本当ではあっても本気じゃないからではないかと、ウルリカは疑ったのだ。 ペペロンには、いつもどこかしら余裕がある。自分の過去の件についてだけは、余裕がなくなるようだけれど、基本鷹揚に構えていられるのは、何事にも追い詰められずに対処できるからだ。 自分への心配もその程度なのかと思ったら、妙につまらない気分になった。 だから、本気で怒らせてみたかった。 満足の笑みを浮かべるウルリカに、ペペロンがますます怒った。 「前に、おねえさんが怪我をやせ我慢した時も怒ったじゃないかー!!!」 「……あ」 言われてウルリカは思い出した。 そういえば学園時代、腕の骨をぽっきりやったことがあるのだが、そのことを皆に隠したのだった。 真っ先にペペロンにバレて、がっつり叱られた。 その後、次々と――ウルリカのアトリエメンバーのみならず、その時一緒に行動していたリリアのアトリエメンバーにも――叱られたもので、すっかり失念していた。 「おねえさんが無防備に敵に突っ込んで行った時も怒ったし、危険な実験をこっそりやろうとした時も怒ったよね!?」 「そういえば、そんなことがあった気も……」 「おいらを庇おうとした時にも、怒ったよねぇ!?」 「あー……」 ウルリカは頬を掻いた。 彼は、いつもはウルリカをまったく叱らない。怒らない。 けれど、身の安全に関することだけは、誰よりも先に怒って、叱りつけるのだった。 (最近大人しくしてたから、忘れてたわ……) このところ無茶をしていない――ウルリカ的には――ので、忘れていた。 「いやー……ちょっと本気のあんたが見たくって」 言うと、ペペロンより先にユンが反応した。 深いため息を吐かれる。 「あれ以上、お前に本気になれというのは無理だと思うが」 「その通りだよっ! これ以上、何をすれば本気だっていうのさ!?」 「あ、確かに」 言われてみればその通りだ。 普段の余裕やら余力やらは別にして。 ペペロンはウルリカのためだけに働き、戦い、家事をして、心配してくれている。常に守ってくれている。 四六時中ウルリカのためだけを思って尽くしてくれている彼に、これ以上どう本気で相手をしろと言うのか。 (やっちゃったーーーー!) またその場の感情で、いらないことをしてしまった。 ウルリカは屋根に両手をついて、慌てて下のペペロンに謝った。 「ごめーん! つい、うっかり別のとこに気を取られちゃった!」 「うっかりでおいらを疑うのはやめてよ!」 その通りだ。 深く反省して、ウルリカは身をさらに乗り出す。 「本当にごめ――あっ」 つこうとした手の先に、屋根がなかった。 「にゃああああああああっっっ!?」 屋根の上から一回転して転げ落ちる。 途中、視界に両手を開いて肩を竦めたユンを見た。 (助けなさいよねっ!) こっちの心配こそ本気か確かめるべきだったと、ウルリカは後悔した。 (あー……でも別に、ユンはいいのか) ユンの心配は、本当であるのなら、別に本気でなくても構わない。 彼の一番はコロナだ。 だから、本気である必要はない。余裕があっていい。その心を少しだけでもウルリカに向けてくれるなら、それで充分なのだ。 (でも、ペペロンは――) 受身は取らなかった。 だって、下にはペペロンがいる。心配は何もない。 ウルリカの期待――いや、予測どおり、ペペロンはしっかりとウルリカを受け止めてくれた。 「言ったそばから、おねえさんは〜……!」 怒りで腕が震えている。 ウルリカはため息を吐いて、その腕を叩いてやった。 「ごめんごめん。あんたへの疑いは見当違い。でも、一つ分かったことがあるわ」 「何だい……!?」 珍しく、本心から不機嫌そうなペペロンに抱きつく。 ウルリカは笑って言った。つまりはこういうことなのだ。 「わたしがあんたに本気ってこと!」 |