悪夢を醒ます温もりを君へ
「おねえさん、おねえさん、おねえさぁぁあああああん!!!!!!」 高音の男の声と同時に、木の折れるイヤ〜な音がした。 寝ようとしていたウルリカが、驚いて振り向く暇もあらばこそ、巨漢妖精が飛びついてくる。 「ああっ! おねえさん、無事だったんだね!?」 「夜に騒ぐな! 鬱陶しい!」 すりすり髭面で、頬擦りしてくるペペロンに向かって、ウルリカは強烈なアッパーを打ち込んだ。 華麗に拳が顎を捉え、ペペロンは呻いて少しよろめく。けれど、両腕はウルリカを解放せず、がっちり抱きかかえたままだ。 「よかったよぅ。本当によかったよぅ……」 そう言って鼻を啜る。ペペロンは、何やら本気で、ウルリカを心配していたようだった。 「何よ? どうしたの?」 怪訝に思って問いかけると、答えはあっさり返ってくる。 「夢を見たんだ。おねえさんが、怪我をする夢……」 ウルリカはがっくりきた。 (これだけ育っておきながら、悪夢を見て大泣きする大男って……) けれど、他でもないウルリカのことで泣いているのだから、さすがに邪険にするわけにもいかない。その程度の慈悲は、 ウルリカにもある。辛うじて。 仕方なく、腕を回して背中を叩いてやった。もっとも、彼は大きすぎるので、わき腹の少し向こうくらいだったが。 「はいはい。無事よ。わたしは大丈夫」 「ほ、本当かい? どこも怪我してないかい? 痛くない!?」 「ないない」 そもそもにして、ただ寝ようとしていただけで、怪我など負うはずもない。 「でも、おねえさんは何もないところで、よく転んだりするじゃあないか!」 「うっ」 ウルリカの内心を読んだかのような切り返しに、思わず呻いてしまった。 「採取に行っても、崖で滑ったり、木から落ちたり!」 「うう」 「川では流されるし、山では道に迷うし!」 「ううううう!」 「ついでに敵には突っ込むし! おねえさんは魔法タイプだよね!? ふつう後衛だよ!? 分かってる!?」 「うううるさーーーーいっっっ!!!!」 叫んでウルリカはもう一発、顎に拳をお見舞いした。 「ぐふっ!」 まともに食らったペペロンの頭が、勢いよく後ろ向きに倒れる。それでも、やはり体はウルリカを拘束したままだった。 「関係ないことを、今ごちゃごちゃ言わないでよっ!」 「いや、けっこぉあると思うけど……」 「ないのっ!」 ちょっと甘い顔をすると、すぐこれだ。ろくなことを言わない。 「あんた、悪夢にかこつけて、日ごろの注意をしにきただけじゃないの?」 「……注意されてる自覚があるなら、改めてほすみませんでしたっ!」 もう一度握られた拳を見て、ペペロンは即座に謝った。 とりあえず、それで許してやることにして、ぺしぺしとペペロンの腕を叩く。 「無事だって分かったんなら、この腕早く放してよ!」 「え〜」 「えーじゃないっ!」 ペペロンはウルリカの背で、いじいじと指先を合わせ始めた。 「別にいいじゃあないか。おねえさんは、おいらに好きなように抱きついてくるんだし」 「当然でしょ。わたしはいいの!」 当たり前なことを言うペペロンに、胸を張って答える。 けれど、この生意気な妖精は、思うところあるらしく、口の中でぶつぶつ呟き始めた。 「おいらはさ、いつもさ、おねえさんにいきなり抱きつかれたりしてさ、びっくりしたり赤くなったり、いろいろ大変なんだよ? なのに、おねえさんは抱きついても平然としててさ。それなのに駄目とか、鬱陶しいとかウザイとか……」 自分で言って、落ち込んできたらしい。 ウルリカを拘束していた腕が解かれ、ペペロンはしゅんとうな垂れる。 「お、おねえさんは、おいらのことが嫌いなのかい?」 「大嫌い」 きっぱり答えると、大男は泣いて走り去ろうとした。 「うわぁあああん! おねえさんの、いぢわるぅ〜〜〜〜!!!!」 「だから夜に騒がないの!」 近くに置いておいた魔法石を、無造作に後頭部にぶつけてやる。 ペペロンはあっさり、床に倒れた。ずぅんと地震のように、床が揺れる。 ウルリカは、ペペロンの上を歩いて、背中の上でちょこんと膝を曲げた。後頭部を叩きながら、声をかける。 「意識ある? 無事?」 「ぶ、無事じゃないれす……」 「大丈夫そうね」 ペペロンの言葉は無視して頷く。そして、帽子からはみ出た髪を引っ張った。 「あんた、言ってるうちに我に返って、恥ずかしくなってきたんでしょう」 「う……」 小さな呻きが返ってきた辺り、図星だったらしい。 さすがのペペロンでも、夜に悪夢で飛び起きて、ウルリカを抱き締めに行ったなど、恥ずかしいことだったようだ。 (元々、ほんとに興奮してる時以外は、スキンシップって苦手みたいだしね) 冗談混じりに求めてくることはあっても、それは実際は本気じゃない。拒まれるのが前提の、お遊びのようなものだ。だから、 ウルリカは遠慮なく、叩き返すことにしている。(気紛れに受け入れてやると、ひどく困った顔をする。あれはちょっと面白い。 実は密かにお気に入りの遊びだ) ペペロンは、自分の本心を隠すのがとても上手いけれど、ウルリカは騙されない。ふざけて見せたって駄目だ。見破ってみせる。今回 のように。 「わたしが怪我をした夢じゃなくて、死んだ夢だったの?」 問うと、ペペロンの体がびくりと跳ねた。 「あっそ」 それでここまで動揺したのか。 「ばーか」 言って、思いきり髪を引っ張ってやった。 「いたたたた! 痛いよ、おねえさん!?」 「痛いのは生きてる証よ」 「おいらが確認したかったのは、おねえさんの命だよ!?」 (ほーら、とうとう本音を言った) もう一度だけ引っ張って、ウルリカは髪を離してやる。 背中から降りて、頭のほうに回り、もう一度しゃがんでから両手を伸ばした。 「だったら、もう一回確かめてみたら? 多分あったかいわよ」 ペペロンが、戸惑うようにウルリカを見た。 そのままの姿勢でしばし待つ。催促するように両手を振ると、ようやくペペロンは床に座った。そろそろと、無骨で大きな手が伸びて くる。 (相っ変わらず、じれったい) 飛び込んでやりたい衝動を抑え、さらに待つ。腕が背中に回されて、ウルリカの体が持ち上げられた。頭を肩に乗せるような体勢で、 抱き締められる。 (あったかい……) ペペロンの体温が、ウルリカにも伝わってくる。彼の鼓動も伝わるけれど、何故か酷く早かった。そんなに緊張するものなのだろう か。自分の体温は、ちゃんと彼に伝わった? ペペロンの鼓動に、心臓の音が、掻き消されていないといいけれど。 先ほどウルリカは、ペペロンを大嫌いだと言ったけど――まんざらウソでもないが――、本当は違う。 (だいたい) 自分が死ぬという悪夢だけで、ここまで動揺してくれる相手を、本気で嫌いになんて、なれるはずがないのだ。 だから、そんなペペロンに対して、ウルリカは一つ決めていることがある。 (ペペロンには絶対言わないけど) それは、彼の代わりに、自分が手を伸ばしてやろうということだ。 いつも陽気で、人懐っこく振舞うけれど、ペペロンは繊細で臆病だ。拒絶に慣れすぎて、自分から手を伸ばすのが苦手だから、 その前に、ウルリカが手を伸ばしてやる。 いつか、本心から伸ばした腕は、ウルリカには拒まれないのだと、ペペロンが気づくその日まで。 「ほんと、あんたって面倒だわ。だから嫌いよ」 ウルリカは笑って、ペペロンの首に抱きついた。 この想いが、体温と鼓動に乗って、彼に少しでも届きますように。 「ところで――」 にっこり微笑んで、ウルリカはペペロンを見た。 「あんた、わたしの部屋の扉、壊したわね?」 「えっ!?」 ペペロンはウルリカの頭越しに扉を見、冷や汗をだらだら掻き始めた。 入ってきた時点で、だいぶ不吉な音がしていた。木っ端微塵に違いない。 「何か、言うことは?」 「せ、責任取ります……」 「よろしい。タダ働き期間、一年追加よ」 きっと彼は、死ぬまで一生ウルリカの奴隷。 |