『アルレビス学園メモリアル』



☆二学期後半☆

昼休みに購買に寄った帰り、ウルリカはグンナル教頭に呼び止められた。
「おい、ウルなんとか」
「ウルリカよ。いい加減覚えてくれない?」
なぜ残りのたった二文字が言えないのか。いつものことにうんざりしつつ訂正をする。
「そんな細かいことはどうでもいい。貴様、戦闘技術科に転科する気はないか?」
「は? なんで?」
突然の申し出に、ウルリカは眉根を寄せた。
「美姫争奪戦での貴様の戦闘能力、実に見事だった! その腕、錬金術科に持たせておくのは実に惜しい。俺様のところに来い!」
学園祭時にグンナル企画で開かれたバトルロワイヤルでウルリカは戦闘技術科の生徒を差し置いて優勝を果たした。
豪華賞品のために痣まで作ってがんばったのに、いざ祝勝会で渡されたのは十分の一グンナル像。
銅で出来たそれはウルリカによって海に投げ込まれ、今は無い。
期待を盛大に裏切られたあげく転科しろと言われ、ウルリカはプチッと切れた。
「絶対、ヤ!」
力いっぱい否定し、もうこれで話は終わりとばかりにその場を去る。
しかし、天上天下唯我独尊のグンナルがそれで諦めるわけはなかったのだ。



「ウルリカ・ミューべリ。俺の部屋へ来い」
終礼のあと、ウルリカはロゼに呼び出された。
珍しく本気で怒っている様子に不安になりながらも、先導して歩くロゼについていく。
「なにか、俺に言うことは無いか?」
教員室の椅子に座り、開口一番そう問われ、ウルリカは「ありません」と答えた。
「本当に?」
「はい」
いつもは教師相手だろうと気安い口を利くが、今はとてもそんな雰囲気ではない。
冷たい怒りの波動が座ったまま膝に肘をつき手を組むロゼから伝わってくるが、本当に心当たりが無い。
「そうか、わかった。お前は確かにいろいろ問題児だが、俺は担任として努力をしてきたつもりだし大切にも思っていた。
だが、どうやらそれは伝わらなかったようだな」
そして、ウルリカを見ようともせず一枚の封筒を投げつけた。
「戦闘技術科でもどこでもいくがいい。転科の相談も出来ないほど信用されない担任に引き止める権利はないからな!」
怒鳴りつけられ一瞬怯えて目を瞑ったウルリカは、転科という言葉に「え?」と目を開いた。
足元に投げつけられた封筒にはでかでかと『転科届け』と書いてある。が、ウルリカの文字ではない。
(もしかして……)
今日の昼休みにグンナルに転科の誘いを受けた。
いくらなんでもと思ったがほかに考えられない。
「あ・の、変人教頭ぉぉぉ〜〜〜!!」
ウルリカは封筒を拾い上げ握り締めると「教頭? どういうことだ」というロゼの質問を無視して、全速力で教頭室へ向かったのだった。



「ちょっと教頭先生!! これどういうこと!!?」
教頭室に着いたウルリカは握りつぶした白い封筒をグンナルに叩き付けた。
「あぁ、面倒だろうと思ってな。俺様が代わりに転科届けをだしてやったんだ。感謝するがいい」
パサリと力なく落ちる封筒に見向きもせず、犯人は笑う。
「感謝するわけないでしょ! 私絶対戦闘技術科になんて行かないって言ったわよね!?」
「言ったか?」
「言った!!」
グンナルの人の話を聞かないところは筋金入りだ。
「ふむ。言ったかな」
ここまで言ってやっと通じたらしい。
しかし納得は出来ないらしく、走ってきてハァハァと息をつくウルリカに聞いてきた。
「なぜそんなに錬金術科にこだわる。俺様は超ド級の錬金術師だ。あの若造よりよっぽどうまく教えてやるぞ」
「そんなの関係ないわ」
「そんなにあいつがいいのか?」
「いいに決まってるでしょ! ロゼ先生はこんな私のために睡眠時間削って勉強教えてくれたりすごく優しいもの!」
採取地で偶然会えばそのまま一緒に付き合ってくれて魔物から守ってくれたし、後夜祭ではなんだかんだいいながらもウルリカの我が ままを全部聞いてくれた。
普段無愛想で口数も少ないが、たまに見せてくれる優しい笑顔が、ウルリカは大好きだった。
「それくらい、俺様だってやってやる」
「絶対イヤ! 私が好きなのはロゼ先生だもの。他じゃダメなの! いくら優しくされたってあんたなんか絶対イヤなんだからね!」
ロゼだからこそ意味があるのだ。
そこまで言うと、さすがのグンナルも諦めたようだった。
「そうか。そこまで言うなら仕方ない。ということでロゼ、転科届けは無しだ!」
「えっ!?」
グンナルはウルリカの後方、部屋の出入り口に向かって話しかける。
振り向くと、そこに複雑な表情をしたロゼが立っていた。
「ロ、ロゼ先生!?」
「わかりました。俺が手続きしておきます」
ごほんと一度咳払いをしてロゼは返事をし、「では」と踵を返す。
「ちょ、ちょっとまって! 先生、どこから聞いてたの?」
もう教頭なんてどうでもいい。
ウルリカはとっさにロゼを追いかけて問うが、ロゼは歩を止めず答えた。
「なんのことだ?」
そういうロゼの顔はいたずらっぽく笑っている。
「俺はなにも聞いていない」
「嘘! 絶対嘘!!」
その表情からして嘘に決まっている。
「じゃあ、全部聞いてた」
「それも嘘! 嘘だって言ってええぇ!!」
狭い廊下にウルリカの心からの悲鳴がこだました。




☆冬休み☆

今年はここ数年で一番寒い冬となった。
おかげで学園では風邪が大流行し、ウルリカも漏れなく高熱を出し寝込む羽目になっていた。
(うぅ、寒い、気持ち悪い、最悪)
めったに風邪を引くことの無いウルリカは特に症状が重く、ベッドから一歩も出ることが出来ない。
掛け布団の端を抱き込み、ひとり丸くなって震えていると部屋のドアがノックされた。
「……どうぞ」
寮の職員だろうか。
返事をすると、手に盆と名簿を持ったロゼが入ってきた。
「お前でも風邪を引くんだな」
ロゼらしく、開口一番に皮肉を言うが、いつものように言い返す元気も無い。
黙っているとため息をついてここに来た説明を始めた。
「保健室から風邪を引いている生徒たちに薬を配るように頼まれたんだ」
教員の間でも風邪は流行っていて、人手が足りずかり出されたと愚痴る。
「女子寮はお前で最後だ。ほら」
盆を棚に置き、目線だけで見上げるウルリカに水の入ったコップと薬を差し出す。
「私、錠剤、飲めない」
ウルリカは錠剤が苦手だ。
飲もうとすると必ず喉にひっかかり「うえっ」となって吐き出してしまう。
「子供か」と突っ込んでから熱を見るためその額に手を置くと、火傷しそうに熱い。
「先生の手、気持ちいい」
大きな冷たい手に目を細めるウルリカに、ロゼは「熱いのか?」と聞いてきた。
「うぅん、寒気、する」
熱いのは頭だけだ。
いくら布団に包まっても止まらない震えに「寒い」と答えると、ちょっと待っていろと部屋を出て行った。
風邪ですっかり心細くなっているウルリカは途端に寂しくなってしまう。
(うー……)
ひとり取り残された部屋で懸命に頭痛に耐えていると、すぐにロゼが戻ってきた。
「ほら。寮監から湯たんぽ借りてきたから使え」
そういってベッドの足元の布団を捲り、暖かい湯たんぽを入れると見えた白い素足をその手で湯たんぽの場所まで導いてやった。
(うわっ)
男の人に足を触られた。
ドキリとしたウルリカをよそに、もうひとつ持ってきたアイテムを額に乗せてやる。
「あとアイスノンも。これで少しはマシだろう」
「あ、りがとう」
少し掠れた声で礼を言う。
「問題は、薬だな」
やはりここまで悪化した状態で薬なしというわけにはいかない。
「仕方ない、俺が飲ませてやる」
「ぇ?」
ロゼはウルリカの体を支えて起こし、目を瞑れと言った。
(そんな、まさか)
あり得ないと思いつつも、淡い期待を抱いて目を閉じる。
すると突然鼻を抓まれた。
「カハッ」
苦しくなって開いた口に薬が放りこまれ、無理やり上に向かされた直後、今度は水が流し込まれる。
「がはっ、げほっ! な、なにすん……」
「飲めたろ?」
むせて涙目になるウルリカに、ロゼは得意そうに言う。
たしかに飲めたが水が少し気管に入った。
咳き込みつつ恨みがましく睨みつけると、ニヤリと笑われた。
「口移しがよかったか?」
「そんなわけ……っ」
ない!と言いたかったが、止まらない咳が最後まで言わせてくれない。
「あとは大人しく寝ていろ。俺が作った風邪薬だからな。よく効くはずだ」
まだ文句を言いたげなウルリカをベッドに寝かし、咳が収まったのを見て離れようとする。が、それは叶わなかった。
「……」
「……」
アイスノンの乗った額以外すべて布団に埋もれたウルリカが、そこから手を伸ばしロゼのコートの裾を掴んでいるのだ。
「おい」
「……」
呼びかけても反応は無い。
「もしかして、寂しいのか?」
聞いてもウルリカは布団で顔を隠したまま、やっぱり答えは返ってこない。
ロゼは大仰にため息をつき、手の届く場所にあった椅子を引き寄せてベッドの横に座る。
「わかったよ。どうせお前が最後だったんだ。付き合ってやるさ」
それでも裾を掴んだまま離さない熱を持った手を取り、握り返してやる。
「安心して寝ろ」
そう言ってしばらくたってから掛け布団を下にずらすと、少し赤い、あどけない寝顔が表れた。
「まったく。本当に子供だな」
一度だけ、愛おしそうにその頬を撫でてから、ロゼは部屋を後にした。




☆三学期☆

とうとうやってきた世の若者たちの一大イベント『バレンタインデー』。
生まれてから今まで一度も参加したことのないこのイベントに、ウルリカは今年初挑戦をした。
(か、買っちゃった!)
ショッキングピンクのリボンに彩られたチョコレート。
今それが彼女の手の中にある。
(一応担任だし、あげても変じゃないわよね)
渡す相手はもちろん錬金術科顧問、ロゼリュクス・マイツェン。
ドキドキしながら放課後を待ち、終礼後、彼が部屋に戻るころを見計らって名札のかかる教員室を訊ねていった。
「先生――」
「ロゼせんせ! これ私の手作りなの!」
「寝ずにチョコレートケーキ作ったんだから、絶対食べてね!」
「わかった。わかったから、お前らちょっと落ち着け」
ドアを開けたとたん黄色い歓声が溢れ、部屋を覗き込むとロゼがクラスの女子生徒たちに囲まれている。
それぞれが皆腕によりをかけた手作りチョコを手に持ち、きゃあきゃあと騒いでいる。
(みんな考えることは同じかぁ)
イケメンで若い独身の先生。
そんなわけで、ロゼは錬金術科以外の生徒にまで人気があるくらいだ。
こうなっていることを当然予測しておくべきだった。
「ウルリカ、どうした? なにか用事か?」
囲まれつつも生徒たちから頭ひとつ飛びぬけているロゼは、ドアのところに突っ立っているウルリカを見つけて声をかける。
「別に、通りかかっただけ」
「あ、おい」
あの輪に混ざって一緒にはしゃぐ気にはなれない。
ウルリカは呼び止めるロゼを無視して荷物が置きっ放しの教室に戻った。



「べつに、どうしてもあげたかったわけじゃないし」
みんな帰ってだれもいない教室。
自分の席に座ったウルリカの前には渡すはずだったチョコレート。
(あんなにもらったら、もうこんなのいらないわよね)
量もさることながら、みんなチョコケーキだの手作りだのと言っていた。
それに対して自分の用意したチョコのなんと見劣りすることか。
「あーあ。やっぱり私にはこういうイベントは無理だわ」
もともと女の子らしいことは苦手なのだ。
「慣れないことはするもんじゃないわね」
そうつぶやいてから、バリバリと包装を破り中身を取り出す。
ベタだが一番わかりやすいと思って選んだハート型のチョコレート。
かじるとパキッと音を立てて割れる。
「……おいし」
少しむなしくなりながら、もう一口。
(食べてもらいたかったなぁ)
「ここにいたのか」
「ん?」
教員室にいたはずのロゼが、なぜか教室に戻って来て見つけたウルリカの側にやってきた。
「なにか用?」
手にむき出しのチョコを持ったまま聞くと、ロゼは呆れたような顔をする。
「用があったのはそっちだろう。というか、なんでお前、自分でチョコを食べているんだ」
聞く間にも再びパキリとチョコをかじっていたウルリカは「バレンタインデーだから」と答えた。
「バレンタインデーってチョコを食べる日でしょ」
ロゼにあげるつもりだったのに渡せなかったからとは口が裂けても言えない。
「バレンタインデーってのは好きな相手にチョコを渡す日だ」
「へー、知らなかった」
「……さっき俺のところに来たのはなにか用事があったからじゃないのか?」
「なんか騒がしかったから寄ってみただけ」
あくまでとぼけるウルリカに、ロゼはぼそりと「素直じゃないな」とつぶやいた。
「なんか言った?」
「いや、なにも」
否定して、ロゼはウルリカの前の席の椅子に座る。
「小腹空いたな。そのチョコ、分けてくれないか?」
「いっぱいもらってたじゃない。あれ食べたら?」
「今、食べたいんだ」
ウルリカはしばらく伺い見ていたが「……はい」と食べていたチョコを半分に割って渡す。
「全部」
「は?」
「全部くれ」
真顔で言うので本当に腹が減っているのかと、残りのチョコレートも差し出された手に乗せてやった。
「ありがとう」
パリパリと食べ出したロゼを、ウルリカは不思議そう見つめる。
「先生が甘いもの好きだなんて知らなかった」
「別に、好きじゃない」
そう言いつつもすべて胃に収める。
「言っただろ。今日は好きな相手にチョコを渡す日だって。だから渡してもらった」
「なっ!」
意味を理解したウルリカは、赤くなって立ちあがる。
「私別に先生のこと好きなんかじゃ……!!」
「たとえそうじゃなくても、今そういうことになったんだ」
「そんな理屈、絶対変!!」
必死な抗議にも、ロゼは余裕顔だ。
「じゃあ、嫌いか?」
その言葉に、ウルリカは「うっ」と詰まる。
「生徒の嘘を見破るのは得意なんだ」
指についたチョコを舐めつつ、頬を染めて呻くウルリカを楽しそうに見上げた。





☆卒業☆

「これで卒業かぁ」
とうとうこの日が来てしまった。
(これで、ロゼ先生ともお別れなんだな)
なにかあるかと少し期待していたホワイトデーは逆に拍子抜けするほどなにも無かった。
ロゼはチョコを渡した女生徒全員に一律同じクッキーと花一輪を返し、それだけだった。
「帰りたくないなぁ……」
卒業式もすでに終わり、講堂にぽつんと一人のウルリカは呟く。
しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。
ため息をつきつつ講堂を出ると、扉を開けた目の前にロゼが立っていた。
「遅い」
「せ、先生?」
見慣れた仏頂面のロゼは、出てきたウルリカに白い小箱を差し出した。
「本当はお前の帰り際に渡すつもりだったんだが、いつまでも出てこないから迎えに来た」
「なにこれ」
「開けてみろ」
「う、うん」
わけがわからないまま、受け取った箱を開ける。
「指輪?」
中に入っていたのはダイヤの嵌め込まれたシンプルなリング。
これはまるで、婚約指輪のようだ。
驚いて顔を上げると、もっと驚くようなことを告げられた。
「嫁に来い」
「はい?」
幻聴かと思えるほどに無表情に言われた言葉に、ウルリカはそう返すことしか出来なかった。
「え? あれ? 今、なんて?」
「嫁に来いと言ったんだ。もう16になったんだし、構わないだろう?」
「構う構わないじゃなくて、……え?」
脳がうまく働いてくれない。
混乱していると、ロゼはわかるように説明をしだした。
「授業参観、お前だけ親が来てなかったからな。履歴書を見た」
グンナルの突発企画によって大混乱だった授業参観日。
親が自分の子の無事を確かめる光景の中、ウルリカだけがひとりで立っていた。
落ち込むでもなく寂しげでもなく、それが普通だというようにいつもと変わらぬ表情で。
逆にそれが悲しかった。
「俺も両親がいないから、誰もいない家に帰る寂しさを知っている」
ロゼも幼いころに両親を亡くしている。
それでもしばらくは引き取ってくれた祖父に育てられたが、その生活も長くは続かなかった。
「あと一年で資金が貯まる。そうしたら自分のアトリエを開くつもりなんだ。その時仕事を手伝ってくれるパートナーが居てくれたら 助かるし、それが惚れた相手なら申し分ない」
本当はホワイトデーに告白したかったがその日はまだウルリカは生徒で自分は教師だ。
なのでけじめを大切にするロゼは、今日を待った。
「来るか?」
そう長くは無い教師生活ながら、これまでで一番の問題児。
だけれど一番純粋で、それでいてちょっとずれていて。
気づけばこの意地っ張りの少女が愛おしく、目の離せない存在になっていた。
「行かないって言ったらどうするの?」
「攫って帰る」
即答された内容に、ウルリカは笑った。
「先生って、真顔でおもしろいこと言うよね」
「冗談じゃないぞ。あと、俺はもうお前の先生じゃない」
「わかってる」
陽の光を反射して輝く指輪を取り出し左手の薬指にはめて見ると、ぴったりとはまる。
「私もね、帰りたくないと思ってたところだったの」
嬉しそうに指輪を撫でてロゼを見上げるウルリカは、これまでで一番の笑顔を浮かべていた。
「先生と会えなくなるのがいやだった。だから行くわ」
そして勢いよくロゼの首に抱きつく。
「私、先生とずっと一緒に居る!」
「だからもう俺は先生じゃないと言ったろう」
ウルリカを抱きとめ、「これからはロゼと呼ぶように」と言うと、そのまま二人は初めてのキスを交わした。


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