『Departure』



いよいよ明日が卒業式という日、ウルリカは学園を見渡せる丘の上に座り、ただぼーっとしていた。
すると後ろから足音がする。
「だれ?」
「よぅ」
振り向くと、隣のアトリエの剣士、ロゼが片手を上げて声をかけてきた。
「こっちに歩いてくるのが見えたから、少し話でもしようと思ってな」
「珍しいわね」
最初は喧嘩ばかりのふたりだったが、共通の敵を持つことによりわだかまりも解け、今では普通の同級生として接することが できるようになっていた。
しかし、ロゼのほうからこうして普通に話しかけられたことはあまり無い。
「隣いいか?」
「どうぞ」
特にひとりになりたくてというわけでもなかったウルリカは頷き、隣を譲る。
「いい眺めだな」
冬が終わり、芽吹き出した明るい緑が鮮やかだ。
いろいろなことがあった分、こうして学園を見ると思わず感傷に浸ってしまう。
しばらく黙って景色を眺めたあと、ロゼはおもむろに口を開いた。
「お前は、卒業したらどうするんだ?」
前方の学園を見下ろしたまま聞いたロゼに、同じように視線を戻さずウルリカが答える。
「もちろん、アトリエを開くわよ」
「ひとりで?」
「うん。そのうちだれか雇うかもしれないけど、最初はお金ないしねー」
春になりかけの、まだ冷たい風がふたりの髪を弄る。
「そうか。なら安く雇える護衛を紹介しようか? 衣食住の保証さえあれば給金無しでもOKって奴」
「まじで! そんな人いるなら紹介して!!」
あまりの好条件に、相手の詳しい情報も聞かずウルリカはすぐに食いついた。
アトリエを開くということは新しい街に新しい採取地が待っているということだ。
特になにがいるかもわからないような知らない土地での採取は危険が伴う。正直一人は心細かった。
「ほら、これがそいつの連絡先」
ウルリカの反応を予測していたのか、ロゼはコートのポケットから一枚の小さなメモ書きを取り出す。
「やけに手回しいいわね。……ん? ウォーレンドルフ宅? なに? 高飛車女のうちじゃないのこれ。あいつのところに そんな冒険者がいるの?」
訝しりながらも紙を受け取ったウルリカは、そこに書いてある住所を読んで首を傾げた。
「あぁいる。俺だ」
「は?」
予想外の答えにウルリカは思い切り眉根を寄せ、相変わらず前を向いたままのロゼを凝視する。
「お前が光のマナとの決戦前夜に言ってたろ、せっかく会えたんだからもったいないってな。俺も思ったんだ。
せっかくのこの出会いを無駄にしたくないって」
「そりゃ確かに言ったような気もするけど、それがなんでこうなるの?」
言われた言葉と、こうして売り込まれている現状がどうしてもウルリカの中では結びつかない。
出合ったころの険悪さはなくなったものの、良く馬鹿にされたり呆れられたりする自分は、どちらかというと嫌われている と思っていた。
「ここに来て世界の広さを知った。もう俺は元の籠には戻れない。帰ったら辞表を出すつもりだ」
眼下に一望できる学園さえも未知の人、物、知識で溢れていた。
屋敷を出て自分の足で世界を歩けばきっともっといろいろな物を見れる。知ることが出来る。
それはとても魅力的で、抗うことの出来ない誘惑だ。
そしてもうひとつ、ロゼにとって一番重要なことがある。
「ふーん。それで結局、行き先ないからってこと?」
「ぐっ」
あまり深く考えないウルリカはその言葉を端的に受け止め、たった一言で図星を突いた。
「まぁ、それも否定は出来ないが……。その、あれだ」
図星を指されたせいなのかなんなのか、途端に言いにくそうに何度も咳払いをし目を泳がせ始めたロゼにウルリカはぶっきら ぼうに先を促す。
「どれよ」
さっさと言えとばかりの響きに、ロゼは覚悟を決め口を開いた。
「出会いを大切にしたいって言ったろ? たぶん、俺はお前のことが好きなんだ」
「はぁ!?」
「だから、卒業後も一緒にいたい」
今度こそ本当に意味がわからない。
頬を染め、一度も見たことの無い照れているような気まずそうな表情からしてどうやら冗談では無いようだが、それにしたって唐突 すぎる告白だ。
「人のことさんざん馬鹿とか考え無しとか能天気とか言ってたくせに頭大丈夫!?」
今まで好意的な態度を取られた記憶は皆無だ。
本気で疑ってかかるウルリカに、ロゼは少しだけ傷ついた。
どうにか恥ずかしさを押しのけ真顔を作り、まっすぐ目を見て言う。
「仕方ないだろう。その馬鹿で考えなしで能天気なところに惚れたんだから」
いつからだろう。この単純明快で、それでいて不可解な矛盾する感想を持たせる少女から目を離せなくなったのは。
ウルリカの性格は考えすぎで新しいことには消極的、その上暗い思考に走りがちな自分にとってはちょうどいい。
それになにより、ものの本質を見抜く彼女の前でこそ、己を飾らず自由でいられるのだ。
自分が自分のままであること。それは簡単なようでとても難しい。
「わけわかんないんだけど……」
未だ納得出来ないとばかりにため息をつかれるも、表情だけは冷静を保ちながら心臓が爆発しそうなくらい高鳴っている今のロゼに 細かい説明は無理だった。
「と、とにかく! その辺りも含めて、雇ってもらえたら嬉しい」
そうすればいつかきっともっとうまくこの気持ちを伝えられる。
と、思う。
決戦のあの日、光のマナを倒し、あとは卒業をするだけと皆が和気藹々と話しているのを聞きひとり愕然とした。
そしたらもうウルリカと会えなくなるということに気づいたのだ。
すると、それだけでとてつもない喪失感に襲われ、やっと自分のウルリカに対する気持ちを知った。
その後、悶々とした日々を過ごし、卒業式を前にして誓う。
絶対に、彼女の側を離れずその無邪気な笑顔を守ると。
ウルリカの居ない生活など、耐えられない。
「採取も護衛も何でもやるし、家事は一応一通りこなせる。それに」
「そうね、いいわよ」
「剣の腕もこれから……って、え?」
いきなりあっさり了承の返事をされ、断られることを前提に説得の言葉を必死に考えていたロゼは思わず聞き返してしまう。
「いいのか?」
ついさっきまでロゼの告白に懐疑的だった少女は、もう一度あっけらかんと「いいわよ?」と言った。
「私はあんたのことそういう意味では別に好きじゃないけど、嫌いでもないから。実際来てくれたら助かるし」
ウルリカからすれば断る理由は無い。
惚れた腫れたの話に関してはやっぱりまだよく分からないが、ロゼが誠実な人間であること、その剣の腕前が確かなことは 知っている。
それだけで、一緒にアトリエをやっていくパートナーとしては十分だった。
それになんだかんだで人の頼みを断れず、わかりにくいものの実は優しいところに好感を持っているのだが、その部分 は言わないで置く。

「今は、その返事で十分だ」

―――好きでもないが嫌いでもない―――

嫌われていないと知っただけで嬉しくなっている自分がおかしくて、ロゼは小さく笑った。
「さってと、冷えちゃったから戻るわ」
話しているうちにそよぐ風に体温を奪われたウルリカは、小さく身震いすると立ち上がって伸びをした。
「あんたは?」
「あぁ、俺も戻る」
そう言って座ったまま差し出されたロゼの手を、ウルリカは両手で握り立ち上がるのに合わせて引っ張ってやり、次いで力強く 握手をした。
「なるべく早く連絡出来るようにするから」
その時は改めてよろしくね、と笑顔で言う。
「あぁ、待ってる」
同じように笑顔で返したロゼは、ウルリカの手を握ったまま歩き出した。
「じゃ、行くか」
「え? ちょ、握手だけじゃなかったの?」
半ば引きずられるように一歩進んだものの、すぐに足を踏ん張りロゼを引きとめる。
「このまま手を繋いでいたいんだ。だめか?」
立ち止まったままのウルリカを振り返りそう請うロゼは、告白した時の羞恥心も忘れ、嫌われてはいないという事実に支えら れて開き直っていた。
「ダメじゃないけど……」
相手に素直に出られると弱いウルリカは強く拒否することも出来ず、仕方ないのでそのまま一緒に歩く。
しかし、さすがにこれは気恥ずかしい。
落ち着かないウルリカをよそに、ロゼは淡々と感想を述べた。
「お前の手、いつも冷たいな」
誕生日になんの因果かアトリエ仲間に追い掛け回され逃げる途中で、幻想的な夜明け前の雪の中で。
繋いだウルリカの手は小さく冷たかった。
「俺は今までこうしてお前と手を繋いだときのことはすべて覚えてる。きっと今日のことも忘れないんだろうな」
意識して覚えてたわけじゃない。
ただ忘れられなかった。
「ていっ!」
「イテッ」
ロゼは突然尻を後ろから蹴られ前のめりになり、その勢いに任せて繋がれていた手が離される。
「いきなりなにを」
驚いて振り返ると顔を真っ赤にしたウルリカと目が合った。
「あんた、なんかいちいち恥ずかしいのよ!!」
「なにがだ?」
「全部!」
怒鳴って早足で歩き出すウルリカを今度はロゼが追いかける。
「怒ってるのか?」
「怒ってないわよ。もう一度言っておくけどね、雇うからって好きなわけじゃないんだからね!」
「わかってる。だから好きになってもらえるよう努力するつもりだ」
「そういうのがはずかしいの!」
言われれば言われるほど、だんだんと告白されたという実感が沸いてきて顔が熱くなる。
つい流されてしまったが、手を繋いで一緒に歩くとかまるで恋人同士みたいではないか。
鈍いウルリカの脳にも今になってやっと異性としての好きがどういうことか浸透してきたのだ。
「……早まったかも」
ボソッとつぶやかれた言葉に焦ったロゼが「大丈夫だ! 受け入れてもらえるまで手は出さない」と余計なことを言ってしまい、 今度こそ本当に怒らせてしまったのだった。




それでも卒業をして一週間。
ウルリカから大きな街にアトリエを借りたとの連絡を受け、ロゼは無事、新しい生活と居場所を手に入れた。


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