紅桜





綺麗ね
ねぇ、知ってる?
桜の木の下には…




「…なぎ。草薙京!!」
ふと、京は自分を呼ぶ声で意識を戻した。
前を見ると教師がこちらを睨んでいる。
「なんです?」
「なんですじゃない!ぼうっとしおって!そんなだから卒業できないんだぞ」
クスクスと忍び笑いが聞こえる。
別にもう、どうでもよかった。
自分の言うことを無視して再び窓の外に目を向ける京に諦めの溜め息をつき、教師は中断した授業を始め る。テープレコーダーから無機質な声の英語の羅列が再び教室に流れ始めた。
窓際の一番後ろ、そこが京の席だった。何度席替えしようといつも同じ場所。今となっては自分はクラス の厄介者でしかないのだと京は知っている。
<つまんねぇ>
外では体育のクラスがぐるぐると校庭を走っている。
退屈で代わり映えの無い日常。
何だろう、胸の中がもやもやする。
と、その時、京の目の前のベランダの手すりに、一羽のカラスが止まった。
なにか、変だ。
そのカラスに違和感を感じ、じっと見ると、相手もまた京をまっすぐ見返す。
違和感の正体はすぐにわかった。
あるはずの無い、三本目の足。
「…先生、俺、早退するわ」
「何だと?何馬鹿なこと言って…おい、草薙!?」
京は教師の制止も聞かず、カバンを抱えて猛スピードで教室を出て行ってしまう。
「本当に知らんぞ、馬鹿者が!」
そして何も無かったかのように、授業が再開された。


京はある神社へと走っていった。
「はぁ、はぁ…」
荒くなった息を整えながら、神社の境内へと上がる。
そこには一本の大きな桜の木があり、その木の下には一人の女。
「神楽…」
背中の中ほどまである髪を風になびかせながら、ちづるはそっと、その桜の幹をなでていた。
「…草薙?」
呼びかけられ、ちづるは振り返る。
「えっと、大丈夫か?」
「そういうあなたこそ」
息を切らし、汗をかいている京を見てくすっと笑う。
今の季節は、秋。
まるで、咲き忘れたかのように色の変わり始めた葉の間に片手で数えられるほどの花がついている。こう いう花をなんと言ったか。
「俺は…」
わからない。
ただ、あのカラスは八咫の使いだとそう思った。
どこかで聞いたことのある三本足のヤタガラス。
そのカラスと目が合ったとき、不安な心が伝わってきたような気がしたのだ。
「ねぇ、草薙」
考えこんでいると、ちづるが声をかけてきた。
「あ…?」
「学校はどうしたの?」
「あぁ、まだやってるんじゃねぇか?」
「まだやってるんじゃって…」
ちづるはちょっと驚いたような、呆れたような顔をしてからまた柔らかく笑った。
「相変わらずね。でも、卒業はしておいたほうがいいわよ」
「俺は…!」
とっさに言うべき言葉は見つからなかったが、この状況をごまかそうととりあえず反駁しようとしてみる。
しかし、ちづるはもう聞いてはいなかった。
「ねぇ、知ってる?」
「なにがだよ」
自分の意思を完全に無視され、京は不機嫌に言った。
いつもそうだ。自分がむきになっても神楽はうまくかわしてしまう。
「桜の木の下にはね、死体が埋まっているのよ?」
ちづるの微笑みは、とても悲しく見えた。
そうだ、今日は神楽の姉貴の命日だったんだ…。
だから俺は…。
「私が死んだら、この花を紅(くれない)に染めることが出来るかしら」
「やめてくれ…」
「姉さんは、この桜が大好きだった。鮮やかになったらきっと…」
「やめろ!お前は死なない!!」
ちづるのこの世の何も見ていない瞳が辛くて、京は顔を伏せるようにして言った。
「だからもう、そんなこと、考えるな…」
時々、まるで別人のように生気を失ってしまう。
それもすべて、戦いが終わった、あの日からだ。

<神楽、お前が今こうしてここで生きている。それがなぜいけない>

「戻って来い神楽。ここへ、お前のいるべき場所に」
反応が無い。
「頼む、神楽」
「わた、し…」
「神楽!」
手を差し伸べ、駆け寄る。
すんでのところで崩れ落ちるちづるを支えることが出来た。
「いつまで…」
いつまで神楽は苦しむのか。いつまで自分が呼び戻せるのか。
倒れる前に一瞬京を見たちづるの目は、確かに助けを求めていた。
気を失ったちづるの顔を見つめ、力の抜けたその体を京は硬く抱き締めた。



…だからね、ちづる
桜はこぉんなに立派に花を咲かせるんですって
綺麗だけど、でも…
ちょっと、怖いわよね?





>>BACK