VS
これから本格的に日差しがきつくなってくるという夏の日。
ちづるには悩みがあった。
ただでさえ暑いこの季節にもっと暑苦しい男に毎日のように付きまとわれていたのだ。
「神楽ちづる!いい加減諦めて俺と勝負しろ!!!」
大学帰りの商店街、後ろから大声で怒鳴られてちづるは頭を抱えた。
<あぁ、頭が本当に痛くなってくる・・・>
振り返らずともそれが例の熱血男、霧島翔であることはすぐにわかる。
フレアパターンの入ったシャツに赤いバンダナという、見た目もすでに暑くてたまらないその青年はちづるに大股に近づくとその手を掴
んだ。
「おい、待てよ!逃げるのか」
ちづるは勢い良く振り返り腕を振り払うと相手の胸倉を掴み上げそうになるのを堪え、こぶしを強く握りなるべく冷静にしゃべることに
勤めた。
「逃げているのではなくて、あなたが勝手に付きまとっているのよ」
殴って吹っ飛ばして馬乗りになってぼこぼこにしてやりたいところだが、ここでは人目がありすぎる。
これでも一応自分では清楚な美人で通しているつもりでいるので、本性のちょっとやんちゃなところは隠しておきたい。
それなのに・・・。
「な、なんだよ、そんな睨みやがって」
怯む翔をそれでも容赦なく恨みをこめて睨み付ける。
一週間ほど前の夜、酒を飲んでいい気分で愛車を走らせているとき、絡んできた暴走族を20人ほどレースで海へ叩き落したまではよかった
のだが、翌日、どこで調べたのかこの男が来たのだ。
曰く、昨晩ちづるが海へ叩き落したのは自分の友達だった。今度は俺と勝負しろ、あいつの仇をとってやる。
それをなんと、ちづるの通っている大学の門の前でフルネームを呼んで大声で叫ばれたのだ。
学友に教えられてあわてて門へ駆けつけたもののすでに遅し、すっかり学校内ではちづるは実は暴走族のリーダーをやっていたという噂が
まことしやかに囁かれるようになり、ゼミの教授にはどういうことかと正されてごまかすのに大変苦労した。
もちろん、落ちた20人が全員海から這い上がってくるのを確認しておいてあるのでその友人も生きてピンピンしているはずだ。
ここ数日ストーカーのように付きまとわれて気づいたことだが、要はこの男、強い人間と勝負をするのが生きがいらしい。
そんな理由で学校での評判を地に落とされたちづるの怒りは頂点に達した。
なにかの間違いだ、濡れ衣ですと教授に言い訳した手前、なるべく相手にしないようにしていたが、こうやって人目を気にせず勝負だ勝負
だと言ってくるのは我慢がならない。
「わかったわ、そんなに言うのなら今晩、私の家までいらっしゃい。ご希望に答えてあげるわ」
鬼気迫るちづるの表情に後じさりながらも、やっともらえた承諾に、翔はおとなしく引き下がった。
夜9時も回ったころ、大きなエンジン音と共に一台のノーヘルのバイクがちづるのアパートの前に止まった。
腹の底に響くような低いエンジン音がリズムを刻む。
程なくしてライダースーツ姿のちづるが階段を降りてきた。
「本気だな?」
わざと負けて追跡をかわそうとするのではないかと疑っていた翔はその姿を見てその考えを取り消した。
「本気よ。勝とうが負けようが勝負はこの一度切り。それならやるわ」
フルフェイスのヘルメットを小脇に抱え、静かに言い放つ。
「俺も男だ。負けて言いがかりをつけたり、もう一度チャンスをくれなんて情けない真似はしねぇ」
「OK」
ちづるはそう答えるとアパートの駐車場に止めてあった愛車のドカティのエンジンをいれた。
「場所はここからあんたの友達とやらが海へ落ちた埠頭まで。道はほぼ一本だからちょうどいいでしょ」
つまり公道レースと言う訳だ。
「それでいい」
翔は顔が笑うのを止めることが出来なかった。
この時間はまだ車の通りも多いし、なによりも途中の海側の国道はトラックが多く、バイクで飛ばすにはかなりのテクニックがいる。
車そのものの速さより、乗るものの技が勝敗を決するのだ。
下手したら死ぬかもしれない緊張感と、自分の技を試せる高揚感が翔をたまらなく興奮させた。
メットを被り、単車を翔の隣に並べるとちづるがくぐもった声で言った。
「スタートはあなたにまかせるわ」
翔は適当に足元に落ちていた小石を拾うと宙高く放り投げ、ハンドルを取る。
コツン
石が地面に落ちるのと二人がバイクを走らせたのはほぼ同時だった。
住宅街を飛び出し国道へ入ったのは翔が先だった。
ちづるは翔の数十メートルあとにぴったりつけてついて来る。
どこかで必ず勝負を仕掛けてくる。
一瞬ミラー越しにちづるの姿を認めた翔は楽しさにぞくぞくした。
片側2車線ある国道にしてはそれほど広くもない道を、二人はまったくブレーキをかけずフルスピードで走り抜ける。
勝てる!!
もともとちづるの住んでいるアパートから埠頭までは普通に車を走らせて1時間。そんなに長い距離ではない。
このまま走らせればあと10分もたたずにゴールをするところまで来ていた。
勝利を確信したとき、これまで翔が力いっぱい握っていたアクセルの力が少し緩んだ。
2つの車線両方を大型トラックが占領し、なおかつその2台が近づいたり離れたりしているちょっとした荷台同士の隙間しか通れる場所
がなかったのだ。
反対車線は絶えず車が来ているから論外だ。
そのためらった一瞬の隙に、隣からちづるが飛び出した。
ちづるはそのトラック2台が少し離れたその瞬間を逃しはしなかった。
「まじかよ」
トラックの間をあっという間にすり抜けるちづるを信じられない思いで見つめる。
ほんの一瞬、トラックに圧倒され少しアクセルを緩めた。それが勝敗を決めたのだ。
翔がトラックを抜け、埠頭に着いたときにはすでにちづるはヘルメットを脱ぎ、バイクを降りていた。
「私の勝ちね」
ちづるが笑顔で言う。
そういえば、出会ってからいつも怒った顔しか見たことがなかった。
「あぁ、完敗だ」
「ふふふ」
月明かりの下長い髪を軽く払い、とても嬉しそうに笑うちづるはとても美しい。
「笑うと、そんなきれいだったんだな」
「今更そんなこと言っても遅いわよ」
レースに勝って上機嫌のちづるは翔のくさいセリフも、お世辞と受け止めて軽く流した。
が、次のセリフを聞いた瞬間固まった。
「惚れた」
「・・・は?」
唐突の告白に耳を疑う。
「俺の女になってくれ!」
「ハァ?!何起きて寝言いってるのあなた!」
あまりにも突拍子の無い申し出にちづるは全身で拒否をした。
「冗談じゃないわよ!頭わいてるんじゃない?!」
ひどい物言いだが、ちづるからすれば当然の感想だ。
しかしそんな言葉にもめげず翔は続けた。
「あんたのそのテク、度胸、笑顔、全部に惚れた!俺は本気だ!」
詰め寄られ、ちづるはただ焦り、そしてしまいには天を仰いだ。
<神様、いるなら助けて>
これまでずっと勝負としつこかったからわかる。彼は簡単に諦めたりはしないだろう。
永遠と続く歯の浮くようなセリフを右から左へ流しながら、これからも続くであろう災難を思い、ちづるは深く深くため息を
ついた。
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