大樽+筋肉=勝負
済んだ音を立ててビーカが割れる。 「ああっ!?」 声を上げた犯人を、ウルリカは容赦なく蹴飛ばした。 「また割ったわね!?」 「ご、ごめんよぅ、おねえさん!」 「バカ!」 大きな体を精一杯縮めるペペロンに、ウルリカはもう一発蹴りを入れる。 腰に両手を当て、憤慨を表すポーズを取った。 「今学期で何個目だと思ってるの!? その度に、理事長から嫌味を言われるのはわたしなんだからね!」 アルレビス学園在学中、女だけで採取に出るなと言われて雇った妖精さんのペペロンは、確かに護衛としては役に立った。 けれど、アトリエに置くと大きくて邪魔。物は壊す。周りから白い目で見られる等、ろくなことがない。 特に、備品を壊すのが一番の問題だ。 最初こそ、慣れるまでは仕方ないと大目に見ていたが、二学期になり、三学期に入っても、彼の破壊は止まらない。 (ムダに力がありすぎるのよね!) 腹立ち紛れに、ウルリカはペペロンの腕を殴る。 分厚く堅い筋肉は、硬質なゴムのような手応えだ。すべての衝撃をあっさりと吸収する。 「お、おねえさん、素手で殴ると危ないよ」 まったくそのとおり。殴ったウルリカのほうが痛かった。 「もぉー! ムダムダムダっ! この筋肉、超ムダ!!」 「ええっ!? この鍛え抜かれた筋肉を無駄とか言われると、ある意味おいらを全否定なんですが!?」 「こんなものがあるから、物を壊すのよ!」 「これがないと、おいらおねえさんの役に立てないよ!?」 ウルリカは頬を膨らませた。 ペペロンの言い分が正しいことは分かっている。彼はこの筋力を使って、ウルリカとクロエを守ってくれている。すぐに目先のことに囚われ、他を無視するのはウルリカの悪い癖だ。 けれど、これが物を壊してるのもまた事実である。 (ちゃんと制御できてないってのが、一番の問題なのよ!) ウルリカは再度蹴りを放ち、ペペロンを悶絶させた。 (そういえば――) 冷たくペペロンを見下ろしていたウルリカは、ふと気になった。 (こいつって、実際どれくらい力があるんだろ?) この筋肉が、飾りでないことは明白だ。 あの大きな棍棒を振り回し、時にはモンスターを一撃で粉砕する。 けれど、どれくらいとは考えたことがなかった。 (うーん、気になってきた) そして、気になったら動かずにおれないのがウルリカなのである。 「いきなり開催! アーム・レスリング大会〜!」 校庭で、ウルリカは声を張り上げた。 通りかかった学生達が、おもしろ半分に寄ってくる。 ウルリカは大仰な仕草で、斜め後ろに立つペペロンを指し示した。 「腕相撲で、彼に勝てる人を募集中よ! 我こそはと思う挑戦者、かかってきなさい!」 ペペロンの横には、彼自身が運んだ大樽が置かれている。 そこにペペロンが腕を乗せると、鍛えられた上腕筋が盛り上がった。皆、一斉にどよめきを上げる。 集まった学生の一人が、質問してきた。 「こいつに勝ったら、何かもらえるのか?」 「もちろん! そうね――わたしにできることだったら、何でも。 武器とかアクセサリを作ってもいいし、何ならアルバイトや課題を代わるってものアリよ!」 答えると、ざわめきが大きくなる。 質問してきた男子学生は、一瞬目を輝かせたが、すぐにペペロンの腕を自分の腕を見比べ、がっかりしたように肩を落とした。 すかさずウルリカは言葉を紡ぐ。 「集団でかかってきても構わないわ。応援を連れてくるってのも、アリよ!」 途端、挑戦者の手が次々と上がった。 友人とここに来ていた者は、即座に組んでペペロンに挑み、仲間がいない者は走って誰かを呼びに行く。 「レディ――ゴー!」 勝負開始の合図をするのはウルリカだ。 まずは戦闘技術科の生徒が、五人がかりでペペロンに挑んだ。 「えいっ」 けれど、まったく相手にならず、軽く捻られてしまう。 次に、男女混成十人くらいのチームが、ペペロンに挑んだ。 「とおっ」 これもまた相手にならず。 挑戦者は次々と、ペペロンの前に敗退していく。 「ほんっとにあんた、力だけはスゴイわね……」 「はっはっは! 何だい、おねえさん! 誉め言葉なら、もっとストレートに言ってくれて構わないよ!」 感心したウルリカは、ペペロンのリクエストに応えてストレートに言った。 「力バカ」 「誉めてないよ!?」 (これだけ力が強かったら、まあ、抑えるのは難しいのかもしれないわね……) 少しだけ、物を壊されてもガミガミ言うのはやめようかなと思う。 その時、人ごみの向こうに見知った顔を発見した。 「あ、ユン! ……と、嫌味男」 呼ばれた火のマナが足を止め、彼と一緒にいたロゼは、嫌そうにこちらを向く。 「ちょうどいいところに! ねえねえ、ユンも挑戦してよ!」 ロゼを無視してユンに話しかけると、彼は僅かに首を傾げてペペロンを眺めた。 それからウルリカを見下ろして、答えてくる。 「力では、いかにオレでも敵う気がしない。遠慮させてもらおう」 「そう言わないでさぁ。嫌味男と組んでもいいから! ねっ!?」 ここにいる学生達よりも、ユンのほうが強いだろう。 腰帯を引っ張って誘いかけると、少しだけ興味を引かれた様だった。 「勝利者への報酬は?」 「わたしにできることなら、何でも!」 ユンは悪戯げに笑って、ロゼを振り返る。 「祝福のキスでも貰うか?」 「い、いるか、そんなもの!」 何故か赤くなって、ロゼは拒否した。 それでも結局挑戦することになったのは、案外付き合いのいい二人らしいと言える。 ロゼは最近前にも増して感じが悪くなっていたが、他に人がいる時は、それほどひどくはないようだ。 「それじゃ、見合って――始めぃ!」 合図と同時に、ユンとロゼは力を掛けた。 ペペロンと組み合っているのはロゼだ。手の大きさが違いすぎるので、指を三本ほど、両手で握っている形になる。彼より上背があるユンは、上から体重をかけて、ペペロンの拳を押した。 「むむむっ……!」 さすがにこの二人が――というより、たぶんユンが――相手だと、先までのような余裕はペペロンにもないらしい。 腕の筋肉がさらに盛り上がり、血管が浮き出る。 場が一気に盛り上がり、あちこちから歓声が飛んだ。 ウルリカも便乗して叫ぶ。 「頑張れ、ユン! 嫌味男!」 「あれ!? そっちの応援するの!? おねえさん!」 驚いたようなペペロンに、ウルリカはきっぱりと答えた。 「あんたが負けるとこ、ちょっと見てみたい」 「ひ、ひどい……」 がくんと一気に、腕がペペロン敗北側へ傾く。 さすがにこれで決まっては面白くないので、ウルリカは慌てて言った。 「あんたがチャレンジャー全員に勝利したら、何かご褒美あげるわ」 「ほ、本当かい!?」 「ほんとほんと」 途端、一気にペペロン勝利側へ腕が傾いた。 つくづくノリのいい生き物である。 「うおりゃああああっっっ!!」 裂帛の気合。 次の瞬間、勝負は決まっていた。 「うわ!?」 「むっ……!」 ペペロンの腕は、ロゼを体勢ごと大きく崩し、ユンを弾き飛ばした。 観客が残念そうにため息を吐き、ウルリカは呟く。 「あー……勝っちゃった」 「だから、何で残念そうなんだい!? おねえさん!」 「誤解よ、誤解。喜んでる喜んでる」 適当な素振りで手を振って、ウルリカは考える。 ユンとロゼでも駄目となると、さすがに相手はもういないだろう。 ここら辺でお開きかなと思ったその時、観客がざわめいた。 「なかなか面白そうなことをしているではないか」 黒いブーツが地面を踏みしめ、首に巻いた布が風にたなびく。 「グンナル先生!」 誰かが彼の名を叫んだ。 観客が一斉に、彼のために道を開ける。ウルリカはそれを通って、グンナルに駆け寄った。 「グンナル先生! 先生も挑戦する!?」 嬉々として問いかける。 観客がさらに騒ぎ出した。まさに、類稀なる好勝負になるだろう。 「そうだな……」 もったいぶるような笑みをグンナルが浮かべる。 ウルリカは焦れて、さらに彼に詰め寄った。 「賞品は、わたしにできることなら何でもよ!」 「ふむ。よかろう」 その返事に目を輝かせた途端、彼の腕がウルリカを掬い上げた。 「んにゃあああっっっ!?」 「俺様が勝利した暁には、この娘をいただくとしよう」 「はあ!?」 肩に担がれてしまったウルリカは、驚きの声を上げてグンナルの髪を引っ張った。 「わたしに『できること』よ! わたし自身じゃないわ!」 「そうだよ! おねえさんは賞品じゃないよ!」 慌てた様子でペペロンが寄ってくる。 ウルリカを取り返そうと伸ばしてくれた腕を、グンナルは軽く避けて言った。 「どうした? 俺様が相手では自信がないか?」 「そういう問題じゃないよ! おねえさんを物扱いするなんて、おいらは許さないからね!」 珍しく、怒った口調でペペロンが抗議する。 グンナルはウルリカに視線を移した。 「お前の妖精さんは、どうやら俺様に臆したようだぞ。情けないとは思わんか?」 ウルリカはむっとした。 自分や自分のアトリエの仲間がペペロンを貶すのはいいが、それ以外に言われると妙に腹が立つ。 「ペペロンは情けなくないわよ!」 「そうか? 俺様には、勝負から逃げているようにしか見えんが」 「ペペロンは逃げたりしないもん!」 「ああっ! ちょっと待って、おねえさん! この展開はまずい――」 ペペロンの制止を無視し、ウルリカは言った。 「いいわ! この勝負受けて立つ! ペペロンが負けたら、先生の手下にでも何でも、なってやろうじゃない!」 グンナルがにやりと笑い、ペペロンが頭を抱える。 「ああ、言っちゃったよ……」 観客が一斉に沸いた。 「ペペロン、負けたら承知しないからね!」 大樽の上で、グンナルと組み合うペペロンに檄を飛ばす。 「だったら最初から挑発に乗らないでよ、おねえさーん!」 「ふはははは! もはや泣き言を言っても勝負は回避できんぞ! 諦めて立ち会えぃ!」 二人のテンションは正反対だ。 しくしく嘆くペペロンと、高笑いするグンナル。 側で見学しているユンとロゼが、感想を洩らす。 「おかしな展開になったな」 「バカバカしい……」 ウルリカは前に出て、ペペロンとグンナルの拳を押えた。 「それじゃ、用意と覚悟はいいわね? レディ――ゴー!」 「ふんっ!」 「ぬぉうっ!」 合図と同時に、二人の腕の筋肉が盛り上がった。 観客から両者への応援が飛ぶ。 ウルリカは、今回はちゃんとペペロンを応援した。 「頑張りなさい、ペペロン! 負けたらお仕置きよ!」 「ご褒美を言おうよ、こういう時は!」 ぎりぎりと、噛み合う腕が音を立てて揺れる。 「俺様とここまで張り合うとは……! その筋肉、見掛け倒しではないようだな!」 「そちらこそ! 伊達に態度がでかいわけじゃないね!」 腕は右へ左へと、言葉の度に傾いた。 けれど、それはある時を境に中央で止まる。 「むむむむむ……!」 「ぬぬぬぬぬ……!」 どうやら、完全な拮抗状態に陥ったらしい。 一分、二分、三分と時間が経過する。拳を握り、ウルリカは叫んだ。 「ペペロン! 勝ったら膝枕で頭を撫でてあげるわ!」 「よっしゃあ!」 途端、腕がペペロンの勝利側に傾いた。 しかしグンナルは、不敵な笑みを浮かべる。 「やるな……! こうなっては仕方ない。奥の手を出すとしよう!」 言葉と同時に、その背後に黒ずくめの男が二人、現れた。 彼らは組み合った拳に掴みかかり、一気にグンナル勝利側へと腕を傾ける。 「あーっ! 先生、ずるい!」 「ふはははは! 何を言う! 集団戦ありと言ったのは、お前だろう!」 あと少しで、ペペロンが負けてしまう――! その刹那、横から二対の手が伸びてきて、それを防いだ。 「いくら何でも卑怯だろ、これは!」 「そちらがそう来るのなら、こちらも手助けしてよいはずだな」 ロゼとユンだ。 観客が歓声を上げ、ウルリカも飛び跳ねて叫ぶ。 「ありがと〜! 勝ったら二人も頭撫でてあげる!」 「いらん!」 「膝枕のほうが好みだな……」 傾いていた腕が、徐々に中央まで戻される。 「ちぃっ!」 グンナルが舌打ちし、さらに黒ずくめの男が一人現れる。 腕は中央でまた止まり、拮抗した。 さすがにこれ以上は、部下を連れてこなかったらしい。グンナルの顔から余裕が消え、ペペロンが歯を食いしばる。 歓声はますます勢いを増し、組み合った腕から、ギリギリみしみしと鈍い音がひっきりなしに響いた。 そして―― 腕を乗せていた大樽が大破した。 「おおう!?」 「ぬぅっ!」 体勢を崩し、男達が地面に投げ出される。 どうやらこの圧力に、台にされていた樽のほうが耐え切れなかったらしい。ちゃんと鋼鉄補強していたのだが―― 「……ええと」 ウルリカは少し考えてから、地面に座り込むペペロンとグンナルの腕を取った。 「この勝負、引き分けー!」 観客から、割れんばかりの拍手が上がった。 「引き分けか……締まらない結果だな、つまらん」 「さすがに二回戦は受けないからね」 グンナルが舌打ちし、ペペロンが苦笑する。 二人が握手し合い、立ち上がるのを見て、ウルリカはその腕にぶら下がった。 「すっごいじゃない、ペペロン! 先生と互角で張り合うなんて!」 「いやぁ〜、それほどのことでもあるよ、おねえさん! じゃんじゃん誉めてくれて構わないよ!」 「先生も、バカ力だけが取り得のペペロンとよくやりあえたわね。さすがだわ!」 「ふはははは! 遠慮はいらんぞ! 好きなだけ賞賛を寄越すがいい!」 まったく謙遜しない辺り、意外とこの二人は似てるなと思った。 (あ、だったらあれとか喜びそう!) 引き分けではあるが、同着一位には違いない。 賞品の代わりに、せめてこれくらいはくれてやろうか。 ウルリカは繋がれた手の上によじ登り、ペペロンの肩に手を掛ける。 さらに背伸びをして、その頬にキスをした。 「な、なな何だい!? おねえさん!」 真っ赤になって身を引こうとしたペペロンは、ウルリカが乗っていることを思い出したのか、動くのをやめる。 にっこりとウルリカは笑った。 「勝利者へ送る、祝福のキスよ!」 「待て、それなら俺様にも寄越せ!」 不満そうにグンナルが叫ぶ。 大人気ないと思いつつ、今度は彼の肩に手を置いて、頬に唇を落とした。 「よし!」 満足そうにグンナルが頷く。 つくづく男というものは、妙な名誉にこだわるものだとウルリカは思う。正直、何が嬉しいのかさっぱりであるが、二人は満更でもないようなので、よしとしておこう。 「あんた達もいる?」 いちおう振り向いて訊いてみると、ロゼは無意味に口を開閉させ、ユンは肩を竦めた。 言葉の返事はないようなので、それほど欲しくはないのだろう。やめておくことにする。 ウルリカは二人の肩に手を置いて、立ち並ぶ観客に改めて宣言した。 「以上、これにて閉会! アーム・レスリングチャンピオンは、ペペロンとグンナル先生よ!」 拍手と歓声が再び沸き起こる。 こうしてウルリカ主催、いきなりアーム・レスリング大会は終了したのだった―― 「あんたの筋肉が、ムダじゃないってことは分かったわ」 「おおっ! 分かってくれたんだね、おねえさん!!」 「同時に、筋肉があったら、必ずモノを壊すってわけでもないことも分かったわ。グンナル先生は壊さないもんね」 「え、ええっとぉ……」 「次の失敗が楽しみねー。素手は確かに危ないから、今度殴る時はデンジャーバット、ちゃんと使うわね!」 |